#033 奴隷はつらいよ ~競りに出されて辱められた~

 すごく、暇だった。

 退屈って何だか性に合わない。

 めちゃくちゃ忙殺されていたことは仕事したくないとか、ぼうっと過ごしたいとか、色々とあったけれど檻の中だと急にバリバリ働きたいとか、意味もなく野山を駆け回ってみたいとか思ってしまう。これって自然な反応だろうか。それとも僕ってひねくれているんだろうか。

 ともかく暇で、やれることと言えば寝るか、周りを観察するかだった。

 どうもここは集貨用倉庫みたいな場所のようだ。

 ペット売り場を髣髴とするのは、同じサイズの檻が3つずつ詰まれて通路を形成していたからだろう。檻の中には老若男女を問わず、しかしボロということだけは分かる服だけを着せられた人がいる。誰も彼も足枷をつけている。病気か、飢えか、栄養失調か分からないけどかなり弱っている人もいれば、鞭で打たれたのか、捕まえられた時についた傷なのか、乾燥した血をつけている人だっていた。

 食事は多分、野菜とかの端っこの捨てちゃう部分を適当に素焼きにしただけのもの。可食できるところだろうかと疑ってしまうほど端っこで、そんな小さい部分だからこそほとんど焦げていたりする。僕が炭坑労働させられていたころは具なしにもほどがあるスープとかろうじて銘打てないお湯みたいなものが多かったけど、場所柄、スープなんて贅沢品なのだろう。だから焼くだけ。酷すぎる食事。いや食事でなく、これは餌だった。こんなものを食事と認めてしまったらそれこそ奴隷に成り下がる。


 アルソナ帝国にそれなりにいたから忘れかけてしまっていたけれど、この世界では奴隷を使うというのは当然のような現状だ。

 さて、僕の生前の世界ではどんな流れで奴隷制度というものが廃止されていったのだっけ。各国ごとに事情があって、足並みを揃えて廃止したというものではなかったからややこしくて、色々とごっちゃに覚えてしまっていそうな気もする。

 でも確か、そう、アメリカとかだと最初に運動を始めたのは宗教団体だった。何にせよ、最初はこれはおかしいと運動を起こさなくてはならないというわけだ。奴隷階級ではない人間によって。……あれ、詰んだかな。僕、奴隷にされちゃっているし。そう見なされるし。

 となると、うーん、いっそのこと一斉蜂起しかないだろうか。

 古代ローマのスパルタクスみたいな。いや、スパルタクスは最終的に鎮圧されて戦死だ。生きざまはかっこいいけど失敗しているという点では失敗している。

 でもうまいこと、どうにか逃れられればいいのではあるまいか。

 そもそも僕、このグラシエラ王国がどうなろうが知ったことではないし。丁度、南部にもいるんだし、一斉に反乱して奴隷を解放して勢力をつけながら北上していって全員でアルソナに二等国民として入ってしまえばいいじゃないか。

 それに文句をつけてくるのであれば僕はありとあらゆる手を使ってやる。ビンガム商会の一員として経済戦争を仕掛けてやってもいいし、普段から迷惑かけられているシャーロット様から皇帝陛下に上申してもらうよう頼んでもいいし、何なら僕は爵位まで持っている竜退治の英雄という立場もあるのだから、それを奴隷として扱うなど言語道断的に戦争とかで脅してもらえばグラシエラなんて黙るしかないんじゃなかろうか。アルソナの技術レベルであればグラシエラなんて戦争になってもひとひねりできそうだし。そのまま接収してもらって領土拡大してしまえば、奴隷制を使う国が1つ消えてしまうのだから万々歳ではないか。

 こうして世の中に戦争は起きてしまうのだろうか。

 平和主義の僕がこうも安易に戦争になってしまえとか考えちゃうのはいけない。こういう考え方は良くない。ダメ、絶対。

 でも、そう、戦争とまではいかずとも、アルソナ帝国の国力をもってすればグラシエラなんてどうとでもできるはずだ。むしろグラシエラの側から戦争だけは回避したいということになってくれるはず。だったら、ありかも知れない。

 このグラシエラ王国の全ての奴隷を引き連れてアルソナへ帰還する。これは夢物語だろうか。いや、現実だ。

 けれどこうなってしまうと色々と懸念点も出てくる。どれほど多くの奴隷がこの国にいるのかというところを可能な限り正確に知りたい。仮に5万人の奴隷がいたら、その5万人がアルソナまで向かうのにどうやって食料を賄えばいいのか。確実にグラシエラは阻止しようとするはずだけれど、それをどうやって退ければいいものだろうか。スパルタクスは剣闘士というもので、その養成所仲間とともに反乱をしたから敵の兵士を倒すことができた。でもそういう奴隷はいない。むしろ、酷使されてやつれていたり、弱っていたりするのが大多数なのだ。言葉は悪いけどそういう弱者が大多数のはずなのに、果たして無事にアルソナ帝国まで辿り着けるか。――あまりにも難しい。

「ううーん……時間をかけるしかない、かなあ……?」

 まずは無事に僕がアルソナ帝国へと戻る。

 その途中、可能な限りに奴隷にされている人と接触して暴動の種を植える。

 アルソナ帝国に帰還次第、あんまりやりたくはないけど、この僕が奴隷にされるなんておかしいと猛烈に主張して全世界からの奴隷制撤廃を訴えかけまくる。そしてアルソナ国民の意識を変えつつ、帝国としてもグラシエラに制裁なりをしてもらう。

 今度はグラシエラ王国内で、奴隷にされていた人が、アルソナでは爵位までもらえるほどに成り上がることができたのだという話を流しまくる。これを聞けば奴隷にされている人の意識が変わって脱走奴隷が増える。その脱走奴隷を保護して、地道にアルソナまで送り届ける。

 かなり穴がありまくる筋書きだ。

 弱っていて動けない奴隷身分の人をどうするべきか。脱走奴隷が増えたとなったら持ち主はこぞって監視を強化したり、易々と脱走できないように対策をするだろうけれど、そうなったらどうこっちはどんな対処をするべきなのか。

 なかなか予算も人手もかかってしまう。

 それに危険性も伴う。

 加えて、決して無視できない問題もある。元奴隷の人達が果たしてアルソナでちゃんと受け入れられるのかという問題だ。二等国民として受け入れられたとて、労働を強要されることに変わりはない。苦労してアルソナ帝国へ到着したのにそんな扱いを受けてやっていられるか、とそうなってしまったら困る。

 いっそのこと、僕の私財をたっぷり使い込んでみようか。それで二等国民よりもましな暮らしができる雇用を創出して、雇用時に5万ロサを肩代わりして先払い。お給料から分割して5万ロサを天引きして一定期間が経過したら、ある程度の貯金もできている感じで、別のお仕事をするために独立をするも良し、そのまま働いてもらうのも良しみたいな。

 でもどういう仕事を僕が作れるだろう。

 それにまともに働けないほど弱っている人がいたら、僕が肩代わりした5万ロサを労働で返してもらうのも難しい。まあ別に働けないなら損してもいいかなとは思うけど、そうなると不公平を訴える人が出てきたりというのもあるのかなあ。

 そもそも奴隷でいたいという奇特な人だったり、奴隷は嫌だけれどアルソナ帝国に行かないとならないというのは嫌だとかいう人もいるかも知れない。

 僕がやろうとしていることは受け入れられることなのだろうか。

 グラシエラは嫌いだけれど、ここに住む人がどうなってもいいとは思えない。奴隷がいなくなってしまったら生活が成り立たなくなって、そのせいで事業が失敗をしてしまって、もともと奴隷を使うような人間だから強盗なんかを働こうとして、何も悪いことをしていない人が傷つけられてしまったり――。

 考え込むほど身動きが取れなくなってきそうだ。

 大事の前に些事を持ち込んではいけないのかも知れない。でも些事と切り捨ててしまうものの中には決して目を背けてはならないことだって含まれていると思う。

 全てを掬いあげるということはできないのだろうか。

 人にはそれぞれ考え方があって、ただ1つの誰かの考えに同調させるというのは傲慢に過ぎる。例えそれが良いことであっても、1人でも望まず、拒否したいというのであればそれを尊重すべきなのだろうか。良いことだと決めつけて強行できたとしてもいずれは独善となりかねない。果ては暗殺か総スカンか。

「はあああ……」

 僕って多分、政治とかには向かないんだろうなあ。

 でも今どうにかしたいと考えてしまっているのはその分野に他ならない。僕はアルソナ帝国に何か行動を起こしてほしいと訴えるだけが正解なのだろうか。

「僕って無力だ……」

「何を考えてもこの檻に入れられた時点で終わりだ……」

 思わず漏れた弱音を助長するような、疲れきった声が返ってきた。

 声のした方を見ると僕の檻と距離を置いて配置されていた檻の中の人だった。手足が長い。背も高いのかも。今は檻の中で腰を曲げるように窮屈に座り込んでいるからはっきりとは分からないけれど。

 黒い髪には白いものが混じり、髭も伸び放題だ。やつれている。

「おじさんは長いの? 奴隷にされてしまってから……」

「ああ……。どれほどか、覚えてもいない」

「僕もね、奴隷だったよ。物心ついた時には炭坑労働をさせられていたんだ。でもある時、体調を崩して死にかけて、このままじゃいけないって思って脱走奴隷になったんだ。それでアルソナに向かった。最初は暮らしも大変だったけどね、だんだんと軌道に乗って、爵位までもらえたんだよ。こんな子どもでしかないのに。だからきっと、終わりなんていうことはないよ」

 励ますつもりでそう言ったけどくたびれたおじさんは顔を上げてどこかシニカルな笑みを浮かべて力なく首を左右に振ってしまう。

「……僕はエル。おじさん、名前は?」

 また尋ねてみたけど俯いたままもう答えてもくれなかった。

 でも、そうだ。これが奴隷なのだ。自分はもう人ではないという諦念に囚われてしまった時に人は人から奴隷へ落ちるのだ。

「……僕は絶対、奴隷だって言われても受け入れないつもりだよ。人でありたいからね」

 やっぱり無反応だった。

 ただただ奴隷として労働させられて虐げられ、苦しめられてきた人には僕の言葉なんて甘ったるくてたまらない毒のようにしか受け入れられないのかも知れない。とても悲しいことだと思ってしまう。


 退屈を持て余して、色んな考えに耽りながら過ごしていたら僕を捕まえた奴隷商の女性がやってきた。

 一緒に引き連れているのは老紳士といった風貌の身なりが綺麗なおじいさん。まっすぐ僕の檻の前まで来る。

「これがその奴隷ですの。魔術を使う上に、精霊器も所持。それでいてこの可愛らしい容姿なのに、脱走奴隷でしたのよ。しかも初物。いかがです?」

「ふむ……。目が気に入らんが」

 じろじろとおじいさんは僕を見て値踏みしている。目が気に入らないか。そう言えば生前はよく母親に言われた気がする。僕のこの純真無垢な曇りなきまなこを気に入らないだなんて言うならきっと相容れない人なんだろう。

「今夜の競売では最低価格がこれで始められますが、今ならばお得意様ですから、これくらいにいたしますが……」

 クリップボードめいたものを見せながら彼女は営業をしている。老紳士は彼女の手から羽根ペンを引っ手繰って何か書きつける。

「ふふ……お客様、本当にお上手なのですね。けれど凡百の奴隷と違って上玉でございますから、納得できないのであればわたくし達は取引を行えません。気が変わりましたら今夜の競売へどうぞお越しくださいませ」

 売られずに済んだけど競売とか何とか聞こえてるんだけど。

 しかめっ面で老紳士は立ち去って、奴隷商の女性はその場で見送った。

「あらら、あなたはちょっとお気に召さなかったみたいねえ。目がいけないんですって」

「…………」

「ふふ、いいわよ。わたしは構わないもの。そうして健気にしている今のあなたの心が折れていく様を間近で見ていたいもの。今夜の競売の目玉商品として期待しているわ」

「…………」

「ああ、そうそう。これ、プレゼントよ。きっと似合うと思って。顔をこっちに寄せなさい」

 彼女が思い出したように取り出したのはベルトのようなものだった。でも腰に巻くベルトにしては短い。逆らっても彼女の怪力には太刀打ちできそうにないと思って言われた通りに格子へ寄るとベルトをまさかの首へ巻かれた。少し緩みはあるけどすぽっと頭から抜くことは絶対にできない。しかも頑丈そうな錠前までつけられる。

「これでかわいい子犬ちゃんのできあがりね。これのせいで値が跳ね上がっちゃったの。大人しくしていなさいね」

 満足そうに彼女はまた行ってしまった。

 首のベルトってファッションアイテムだったっけか。でもどういう良さがあるのか分からない。ほんとにこれじゃ犬みたいだ。

 やだなあと思いながら首のベルトを何となく手でさすっていたら、ふと気づく。

「……嘘、魔力が出ない……?」

 これのせいで値が跳ねたとか言っていた。

 もしかして魔力を封じるための精霊器だったりするんだろうか。いや、精霊器とは何だか違う気もする。……そう、あのギャラガーのオアシスの水を枯渇させていた壺だ。あれと同類の道具なのだろうか。

 サルヴァスさんの本に記述があったかも知れない。古代魔導文明を支えた、魔導士が社会に必要とされた理由でもある便利道具――その名も魔導器。メカニズムの説明はなかったからよく分からなかったけど、ギルの簡単な説明では魔術の力が移された特別な道具だとか。

 アルソナではこんなものさっぱりお目にかからなかったのに、グラシエラでは珍しいにしろ使われていたりするんだろうか。だとしたら、単純に国力の差があるとは言い切れないかも知れない。魔導器は僕も未知数だけど工学的な技術とは画する超常現象を引き起こしてしまう。

 力ずくでこの首ベルトをひきちぎることはできなさそうだし、完璧にやられてしまった。

 隙を突いて逃げるには魔術抜きでやらなきゃいけないということだ。

 僕って間抜けだ。


 ▼


 眠っていたら檻が持ち上げられたのに気づいて飛び起きた。

 奴隷らしい人が4人がかりで檻を持ち上げ、台車めいたものへ乗せる。そしてそのままどこかへ移されていく。

「何、何? どこに連れてかれてるの?」

 尋ねてみても台車を押す奴隷の人は何も答えてくれない。言葉を交わすなとでも命じられてしまっているんだろうか。

 幕のようなものの向こうへ台車が入ると、ささやかな舞台だった。

 篝火4本に囲われた舞台の真ん中で台車は取り残される。

「本日の目玉商品、極上の奴隷でございます。推定年齢10から12歳、珍しい赤系統の髪色。初物の可愛らしい少年ですが、何よりも特筆すべきは魔術を扱えることでしょう。もちろん、悪戯防止のために魔力を封じるチョーカーをつけております。付属品は衣服、片方だけの篭手、黒い剣、刺繍の施された襟巻きでございます」

 鉄格子の戸が開けられ、例の上品だけど嫌な奴隷商の女性に首輪に指を引っかけられてそのまま出される。抵抗は虚しかった。出入り口に腕を突っ張ろうとしたけど彼女の腕力には通用しなかった。

「脱走奴隷としての期間が長かったようで反骨精神が生じてしまっていますが、調教して従順な奴隷とすれば何より可愛い愛玩動物にもなることでしょう」

 首輪を引っ張られて直立させられて息が苦しい。

 あと視線が何だか嫌だ。そう広いとは言えない空間だけどいかにもお金を持っていますというような人ばかりが一段下になっている席に半円状に詰めかけているのだ。そして彼らの視線が痛いほど注がれているのが分かる。

 不意に膝の裏を蹴られた。そのまま首輪の手を放されて這いつくばる姿勢になり、さらに背中に鞭を打たれる。かろうじて声を出さずに、口内で悲鳴は噛み殺せた。

 それでも凄まじい熱い痛みで体は硬直する。ズキズキなんてものじゃない。

 ただただ痛みに堪えて這いつくばっていたら、貫頭衣めいた奴隷服をいきなり取られた。後ろ襟から頭の方へ引っ張られるようにして。袖は通していたものの酷く生地が傷んでいるものだから、少し強く引っ張られるだけで裂かれてしまう。この服の下は、何もない。すっぽんぽんだ。

 そして今度は首輪の後ろを引っ張られてまた立ち上がらせられる。

「っ……!」

「さあ、いかがでしょう? 最低落札価格は120万ロサです!」

 衆人環視で裸に剥かれるなんて羞恥心が思春期に差し掛かろうとする僕に与える屈辱というのを理解してやっているのだ。恥ずかしがったら思うつぼだけど、堂々と振る舞えるほど僕は恥を捨てきれない。

 みるみる、高値がついていく。

 120万から始まってすぐに500万ロサを超える。

 顔から火が出そうになるほど恥ずかしい。逃げ出したい。でも首輪を後ろへ引っ張られ、彼女の肘が僕の背を押さえて体は軽くのけ反るような姿勢で保たれてしまう。

 悔しさなのか、羞恥心なのか、無力感のせいなのか。

 めそめそ泣きべそなんかかきたくないのに、涙腺が緩んで目が何かで染みるような感じさえある。

 いくらで落札されたかなんてわかるはずもなかった。

 ただ必死にその場で必死に涙をこぼさないようにするのが僕の精一杯だった。

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