#032 砂漠はつらいよ ~奴隷に逆戻りしてしまいました~

 ギャラガーへ帰ってこられたのは夕刻に近かった。

 ちゃんと姉弟をお家に送り届けてから借りているお家に帰る。

 何だか最近、肩というか、首の後ろ側というか、そういうところに何だか妙な凝りを感じる。とは言え肩凝りになってしまうようなことはしているつもりがない。何なのだろうと思いつつ、少し休むつもりで寝床で横になった。


 その夜に、恐らくまだ日が暮れてそう時間の経っていないころ、何か外が騒がしくて寝入ってしまったことに気がつきながら体を起こした。

 外へ出ると村中で火事が起きていた。

 暗い空を焦がすかのような火勢を目の当たりにしてすぐ目が覚めた。ただの家事だとは思えない。そもそも家屋は木造ではないから燃えにくい。それなのに見渡す限りどこもかしこも火事になっているのだから放火としか思えなかった。

「見つけたぞ!」

 周りを見ていたら剣を抜いた半裸の賊が向かってくる。

「パンツァー・フォー!」

 魔術をぶつけるとそのまま吹き飛ばされてまだ燃えている家の壁へぶつかって突き破っていた。

 昼に懲らしめてやったはずなのに、どうしてこんなことをするのか。

 憤っても火事は広まる一方。ただ水を出して回るだけでは火を消しきれない。広範囲に一気に水を与えるためには――雨が効率的だろうか。

「積乱雲ってほどではないにしろ、高さのある雲を形成してあとは上空を一気に冷やすだけで雨が降るはず……!」

 少し苦労はしたけどちゃんと雲を作ってそこから雨を降らせることはできた。それも強い猛烈な雨粒。軽く痛いけど雨粒で怪我をするということはない。

 とにかくこれ以上の延焼はこれで防げると思って村の中心部へと向かった。

 案の定、懲りない賊がたんまりいて村の人を一箇所に集めていた。

 もう容赦はできない。

 言葉の通じないけだものには痛みを教訓としてもらうしかない。

 噴水の周りに村の人を集めて、その内外を見張るようにして賊が立っていた。惹きつけて少しずつ数を減らすことにして用心のために<ルシオラ>を抜いて姿を見せた。

「この雨はお前の仕業か」

「……そうだよ。理由なんてどうせ理解できないから聞かないけど、今度はもう見逃しも、野放しにもしない」

「そうかよ」

 頭目はどうもまだ、腰が引けて見えた。

 それなのにこうして村を襲撃したのは何か策があるということなんだろうか。どんな策だろうが切り抜けてやる。

 身構えかけた時にいきなり頭目が手にしていた松明を高々と掲げた。雨の中でも油を染み込ませた松明は炎を灯して消えてはいない。部下に合図を送ったという風ではなかった。周りの賊に動きはない。

 何をしたのかと眉をひそめた直後に激しい痛みと衝撃に襲われて倒れ込む。

「ごふっ……! え……ぁ、痛~っ……な、にこれ……」

「もう一射だ! まだ息がある!」

 痛い——熱い、痛い、痛くて、気持ち悪くて、血を吐く。

 あんまり痛くて、呼吸まで小刻みになる。痛むところに手で触れ、何かが刺さっているのに気がついた。お腹に、矢が刺さっている。太い——何だこれ、大人の親指ほどの太さの、硬い、矢。

 まだ、次の矢が来る?

 咄嗟に魔力障壁を張ったら、ギリギリだった。激しい反発が生じて魔力障壁が飛来したものを弾いてくれる。――やっぱり、弓矢の攻撃だ。

「ファイアボール!」

 魔力障壁にぶつかった反応から、あたりをつけてファイアボールを放つ。炎が薄暗がりを照らしていく。

 ファイアボールは結果的に外れたけれど、その方向にいたものをちゃんと照らしてくれた。

 彼らの拠点にいた、あの女性だった。

 大きな弓に、大きな矢を番えているところだった。直後にまた魔力障壁が矢を受けて弾き飛ばす。

 昼に見た限りでは、彼女はとても筋肉質な体ではなかった。それなのにこんな太い矢を飛ばせるものだろうか。こんな不思議現象を引き起こすことができるのは精霊器――あの弓がそうなのだろうか。

「っふ……ぐ、ぎ……!」

 矢を抜くなんて痛すぎて、とてもすぐには抜けない。

 でもこれを引き抜かないと<ルシオラ>で治すこともままならない。ヤバい——精霊器の弓で狙撃してくるなんて想定していなかった。

 立ち上がることもできない。痛い——痛すぎる。動けない。這いつくばって痛みに堪えるしかできない。

 抜くか。

 いや、抜けるのか。

 これを引き抜いてすぐ<ルシオラ>で治すしかないのは分かっているけど、痛すぎて抜くどころではないとしか思えない。途中で手を止めて力尽きるのが最悪のパターンだ。だったら一度にズンと抜いて痛みが追いつく前にバッと治癒してしまう方が賢明だろうか。

 下手したら死んじゃうけど、何もせず死んじゃう方が良くない。

「ふぅー、ふぅぅー……がんばるぞ、僕」

 一念発起して<ルシオラ>を握りしめ、四つん這いになったまま地面から思い切り土の杭を打ち出した。それを刺さっている矢にぶつけ、抜き飛ばす。

「ぶ、おえっ――」

 あとは重力に引かれるまま、傷口へ向けて地面に固定しておいた<ルシオラ>の刃に刺される。

 痛い、痛い、意識が飛びそうになる。

 必死に息を押し殺すような呼吸をして<ルシオラ>を使う。治癒の光が広がって体の中に浸透していく。堪えようのなかった苦痛が和らぎ、心地よい暖かさに置き換えられていく。

「ふう、はああっ……どうにか、なった」

 傷のあったところから<ルシオラ>を引き抜いて立ち上がる。

 また飛来した矢が魔力障壁に弾かれたのを見て駆け出す。射手の女性に向かって走る。家屋の屋根に彼女がいる。よじ登るなんて時間の無駄だ。地面から角度をつけた土の棒を生やして踏む。そのまま押し上げてもらう。放たれた矢をまた魔力障壁で防いで、彼女の懐へ踏み込むように接近して<ルシオラ>を繰り出す。

 矢筒から取り出された矢で防がれ、そのまま振り払われた。リーチの差が僕程度の腕じゃ命取りになりかねないと見て<ルシオラ>から<黒迅>に持ち替えて引き抜く。

 ほんの2メーターほどの距離で彼女はすでに弓を引き絞っていた。近くで見て彼女の弓が異様に大きなものと気づいた。あの強弓に射抜かれて生きていたのは奇跡的だ。当たりどころが悪ければ即死も免れない。

「ふふ、すばしっこいこと——可愛いのね、あなた」

 弓を引き絞った腕に逞しい力こぶは見えない。

 しなやかな、綺麗な腕。この細腕でどうしてあの弓を引けるのか。いや、精霊器だからか。――精霊器だから、なのかな。あの弓が本当に精霊器だろうか。

 肩から腕にかけての可動域いっぱいを使って引き絞られた矢が放たれる。張ったままの魔力障壁が激しく反発して弾く。

「硬いのねえ」

 随分と彼女の態度は緩く感じられる。

 戦っている最中のギルの軽さと似て非なる。ギルは狩りをする野生動物めいた獰猛さがあった。戦いというものに全神経を注いで反射的に全てを片っ端からこなしていくような苛烈さだ。

 けれど彼女はただ、この状況を他人事のように捉えているような雰囲気があった。

「だったらこれでどうかしら」

 矢筒からさらに太い——矢というより、最早、短い槍と言って差支えのなさそうなものを取り出して番える。あんなもの物理的に飛ばせるはずもない。精霊器を使わなければ。

「ぐっ――!?」

 魔力障壁に亀裂が入りかけた。

 すぐに修復はされたものの、今のはヤバかった。

 僕が驚いている間に彼女は別の屋根へ飛び移りながら距離を取っている。身のこなしがただの美人じゃない。ちゃんと体の使い方を理解している人のそれだ。

 距離を取りたいのであれば僕はそれを利用させてもらうだけだ。

「パンツァー・フォー!」

 振り返った彼女が弓で僕の魔術を叩き落とす。

 その衝撃で弓が壊れてしまったが、そのまま彼女は矢筒からまた短槍を取り出して投擲してくる。魔力障壁が弾いてくれたけれど強弓で撃ち出された時とそう変わらない威力だった。

「あら、化けの皮が剥げちゃったわね」

 反転して彼女が迫っていた。

 単なる握り拳を叩きつけてきて魔力障壁が反発する。

 彼女の精霊器は弓ではなかった。別の何かだと確信する。彼女の体はやっぱりかっこいい筋肉が目に見えるわけではないし、弓が壊れたのに変わらぬ動きを見せている。得物が弓矢から拳に変わっただけだ。

 推測をするに彼女が用いている何らかの精霊器は身体能力を上昇させる類だ。筋力をただ増やすだけならば目に見える変化もありそうだけれどそういうわけでもないから、もっと別のニュアンスかも知れない。

 何にせよ、異常な身体能力を発揮するということには変わりない。

 落ちていた短槍を拾って繰り出してくる。やはり一撃が異様に重く鋭い。そして手に持って連続で繰り出すという単純な方法で僕の魔力障壁を破ろうとしてきた。一撃ならばすぐ修復して破られないが、連続で同じ箇所へ攻撃を重ねられると修復が間に合わずに亀裂が入り、それが広がっていく。

「あなたはもう、剥・き・出・し」

 意味は分からないけど何だかちょっと、いやすっごく、エッチな雰囲気を感じた。直後に魔力障壁がぶち破られる。顔に迫ってきた槍を弾くために<黒迅>を振るう。でも僕の防御をすり抜けるように槍は入ってきていた。かろうじて頭を振って避けられる。

 彼女の怪力を前にこの至近距離はまずい。

 と、頭は分かっているのに体は上手に追いつかない。僕が体勢を戻して距離を置くために重心を動かして、と行動するより早く彼女の手にレティシアにもらった襟巻きを掴まれた。顎に拳が打ち上げられるようにグイと持ち上げられてそのまま背負い、投げつけられる。

 火花どころではない発光が眼前で爆ぜた気がした。

「あら……あなた、すでに奴隷だったの?」

 目の焦点が合わず、彼女の声も遠く聞こえた。

 奴隷の焼印を見られたのだろうか。この気候に合わせた薄着だった。襟巻きを取られたらすぐに見えてしまう。

「でも魔術と精霊器を扱えるほどの奴隷なら、過去最高値の特級奴隷になれるわ。いいご主人様に売り飛ばしてあげるから待っててちょうだいね」

 ぼやけた視界に何かが降ってきて意識が飛んだ。


 ▼


 ああ、何だかすごく嫌な懐かしさを感じてしまう。

 重い鉄球のついた足枷。人でなく奴隷なのだと、誰からもはっきりそうと分かる粗末な服。

 ただこれまでになかった経験と言えば奴隷は奴隷の空間に置くもので、そこには当然のように別の奴隷もいたこと——なのだけれど、不自然なプライベート空間だ。とは言え狭いことには狭い。というか、エコノミー症候群にあってもおかしくはない、窮屈空間だ。具体的に言うと多分、樽だろう。僕くらいの体のサイズでは大きな樽に2人分くらいは詰められると思う。そういう大きな樽に詰め込まれている。

 世の中というのは案外、女性の方が恐ろしいのかも知れない。

 僕を砂漠へ置き去りにしたヴァイオレット然り、どうも奴隷商らしかったあの美人の悪いお姉さんといい、二連続でしてやられている。

 これから僕はどこへドナドナされてしまうのだろう。

 顔が痛い。頭も痛い。ぴっちり膝を折り畳んでいる窮屈空間のせいで膝関節もちょっとつらい。

 ギャラガーはどうなったんだろう。

 火事はちゃんと収まっただろうか。ルネとアシルくんは無事なのかな。中途半端で悔しい。

 それにしても、頭痛い。これ、空気足りてないんじゃなかろうか。上を向こうとしたら樽に頭をぶつけた。首をひねって、体もよじるようにしてどうにか上を見る。ぴっちりと蓋がしまっている。

 大事な商品ならきちんと取り扱ってもらいたい。

 そうしないと僕が逃げられないじゃないか。

 いや逃がす可能性を考慮してわざとやっていることなんだろうか。奴隷商の癖に頭を使うだなんて。

 どうしたものかと考えていたら僅かに感じていた振動がやんだ。

 何かの荷車か何かに乗せられていたのは分かっていた。目的地に着いたのだろうかと思ったら、ちょっとしてまた動き出す。振動がちょっと大きく強くなる。ガタガタと音が鳴っている。これは車輪が石畳か何かを踏んでいるのだろうか。

 地味な痛みを堪えていたらまた止まった。

 樽越しでも何か会話をしている声は聞こえる。

 そして不意にいきなり樽ががたんと横に倒れた。

「痛いっ!」

 でもその拍子に足が伸ばせそうになった。足を突っ張ってそこの板を抜こうとしたけど意外と頑丈で、だったら上だと腰を浮かせるようにして足の力で思い切り頭側へ頭突きをする。けっこう頑丈な蓋だったけど抜けた。丁度、顔半分が樽から出る。

「あら、目が覚めたみたいね」

「……ギャラガーの村の人はどうしたの?」

「本当はあそこの村の人間全部を奴隷にしようと思ってたんだけど、あなただけで充分だから打ち捨てておいたわよ」

 つまり、村は焼けてしまったにせよ無事ということだろうか。

「それなら、あなたも多少は素直になるでしょう?」

「……やらしい」

「そのまま転がされるのと、自分で歩くの、選ばせてあげるわ。どうしたい?」

「……自分で歩くよ。……でも、引っ張って。足枷のせいで、出られない……」


 推測するに賊の背後にいたのが彼女だろう。

 組織的なのか、あるいは個人でしているものかは分からないけれど職業は奴隷商。その仕入れのために手の込んだことをしていたと見える。しかし、その手の込んだことを邪魔した僕の方がよっぽど高値がつくと見て、僕だけを仕入れることに成功した。

 連れてこられたところはまだ乾燥地帯のようだったけど、賑々しい大きな街ではあるようだ。大きな大きな、サーカスを髣髴とさせるようなテントの中へ連れて行かれると見せ物にするかのような頑丈な鉄のケージがいくつもあって僕もそこへ突っ込まれた。

「…………」

「ふふ、むくれたお顔しちゃって、あなたなら単なる玩具としても値がつけられそうねえ。お尻は使われたこととかあるのかしら?」

 檻に突っ込まれて周りを見ていたら声をかけられる。

「……お尻?」

「あら、初物ならまた値が上がっちゃう」

 どうも僕を捕まえて上機嫌らしい。

 どんな受け答えをしたって喜ばせるだけみたいだ。

 ただここを出ていくだけなら簡単だろうけれど、僕の精霊器を取り返さなくちゃならない。会話するのも嫌だけどこの人から聞き出さないと。

「僕の精霊器はどこ?」

「僕の? あなたのものなんて、何もないわよ」

「は……?」

「だって奴隷ですもの。あなたの所有物は何もないの」

「……じゃあ僕が持っていたものはどこ。服、襟巻き、ナイフ、篭手、剣」

「新しいご主人様におまけで差し上げるつもりだけど……精霊器は手放したくないわよね。だからあのナイフだけはわたしがもらっておいてあげるわ」

 すでに身につけていたようで彼女は腰の後ろから<ルシオラ>を出して見せる。

 これならまだ、やりようはある。誰に売り払われてしまうにしろ、その隙をついて僕の持ち物もついでにその場で奪って逃げればいいのだ。

 あとは彼女を見つけて<ルシオラ>を取り戻せばいい。一緒くたにまとめてくれているのは僥倖と言える。ボロだし価値もないから処分した、とかそんな答えが最悪の想定だった。

「だったら早く、僕のご主人様とかいうのを見つけてよ。不良品だって戻ってきてあげるから」

 ほくそ笑みながら彼女は行ってしまった。

 急かしはしたけど、そんなにすぐ買い手がつくのもまずい。まずは確実に彼女から<ルシオラ>を取り返し、逃げるための策を練る必要がある。至近距離の肉弾戦に持ち込まれたらまたボコボコにされてしまうのがオチだ。

 さて、どうしたものか。

 それにしても……僕ってどうしてまた奴隷にされてしまったんだろう。

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