#027 楽しいことの後に嫌なことが待ち受けるのだという理屈を正負の法則というそうです
「えっ、あ、そうですか……。はい、失礼しました」
お城へ行ってクライドさんに取り次いでもらおうと思ったら、外出中でいないと言われてしまった。
ギルに言われた通りに朝一番でわざわざやって来たのに。
「……ま、いっか」
それならば商会で大人しくお仕事をしていればいい。
そもそもは根拠なんて何もない、ギルの嗅覚によるものだけなんだから。
にしても、いきなりやって来ては有無を言わさずお城に連れて行く癖をして、いざ僕から訪ねてみたら不在だなんてちょっと何だか理不尽な気がしてならない。
だーけーどー、溜まってるお仕事を片づける時間が取れたということだけは手放しで喜べる。
「るーららー♪ おっはよー、メリッサさん」
「エル様……お城へ向かわれたのでは?」
「それがちょっとね、アポなしはやっぱりダメだったよね」
「なるほど……」
うきうきで部屋へ入って執務机へ座る。
そして机上の留守中に持ち込まれたのであろう資料等々の山を見て、急に現実というものによって叩き落とされた気がした。
「……やりますかあ……」
着手してすぐにメリッサさんがお茶を淹れて持ってきてくれた。それをすすって黙々と仕事を進める。
打ち合わせなんかの予定は現状、白紙状態。つまり、何か入ってこない限りは丸々1日分をデスクワークに費やせるのである。それって最高だ。いやでも仕事がないのが一番なんだけれど。
「そう言えばエル様、昨日、ご提案していただいたオセロですが、父が思いのほか気に入って、夜更けまで付き合わされました。ありがとうございます」
「いえいえ。ご飯のお礼くらいになれば良かったので。喜んでもらえたらそれで」
「父ったら、よほどエル様のことを気に入ってしまったようで、あと5歳もエル様の年が上だったら婿にしたいとか言い出してしまっていたんです。爵位をお持ちになっていることさえ分かっていなくて」
「そんなに? けっこう、何ていうか……寡黙というか、僕とは直接お喋りしていなかったよね?」
「口数の少ない父でして……。特に初対面の相手とは石像のようになるんです」
小売商店の主が人見知りってどうなのだろう。
もしかして、お店のあのちょっと寂しい感じは接客レベルの低さが原因?
「面白いお父さんですね」
「そう、でしょうか……。家族に対しても口数は少ないのですがね」
「あれ? そう言えばメリッサさん、おいくつでしたっけ? いい人とかいないんですか?」
「…………」
「あ、ご、ごめんなさい……」
てっきりデートする相手くらいはいるものだとばかり思っていたのに。でもメリッサさんは普通に美人のお姉さんのはず。引く手あまたというやつではないんだろうか。
「……曰く、近寄りがたいと、そういうことのようで、あまり殿方から声をかけられることがないのです。……もうすぐ28です。……3年ほど前までは、仕事に没頭している自分が好きで、結婚だけが幸せではないなどと自分を偽っていました……」
「な、なるほど……」
確かにメリッサさんて素敵なお姉さんだけど、近寄りがたいという評判に頷けるところはあるかも知れない。きっと恋人とかいるんだろうなって思えてしまう。
「でも……縁談話とか、来ないの?」
「28の行き遅れ女を今さら見合いまでして欲しがる人というのは……」
「行き遅れなんて、そんな……」
「近所の幼馴染はエル様と同じほどの娘がいますし……」
初婚年齢がお早い社会ですものね。
だけど28ってそんなに行き遅れなのか。メリッサさんはおばちゃんなんて言葉の似合わない美貌なのに。
「それとビンガム商会勤めというのが、男性側からすると怖いようです……」
「な、なるほど……」
何せ天下のビンガム商会だものね。たまーに募集をかけると倍率が10倍とかになるとか聞いたこともある。それに文字の読み書きや、四則演算をマスターしている人でさえ庶民では珍しいのに、それを超えた数学レベル、修辞学や地理や歴史への深い理解、法律、芸術の分野まで幅広いジャンルの知識を求められるという。
だから、ビンガム商会の人というのは才女が多い。あるいは専門分野に特化した人か。後者の方が少ないと思う。
「それじゃあ職場恋愛とか?」
「しかし、今はご存知の通り、エル様の助手が仕事ですから……」
「そうだよねえ……。商会の人で気になる人とかいないの? 無理にでも口実でっちあげて打ち合わせ入れるとかの協力するよ?」
「……いえ、特には。お言葉は嬉しいのですが」
「そっかあ……。商会じゃない人で、とかは? いない?」
「いませんね……。あまり魅力的な殿方というのは分からないですね」
「じゃあどんな人なら、結婚したいと思うの?」
「第一に経済力がある方ですね」
「経済力」
「しかし金や権力に物を言わせてふんぞり返る輩は大嫌いなので、庶民的な感性や常識を備えている方が好ましいです」
「庶民的感性……」
「顔の造形については極端に悪いのも、極端に良いのも困りますね……。人相という意味では良すぎても構いません」
「人相」
「それと一生懸命に何か取り組めることを持っていらっしゃる方だといいなとも思います。仕事でも構いませんし、お酒を飲むことに情熱を傾けても構いません」
「お酒でもいいの?」
「はい。ただし、生半可でなければ」
「……お酒を飲むのに、生半可でない情熱? それはそれだと思うけど……」
「一例ですので」
「そう……」
「あとは、そうですね……。一途な方がいいかと」
「一途」
「はい。望むところとしてはそれくらいでしょうか」
経済力、庶民的感性、人相、情熱、一途かあ。
まあ確かに大それた高望みっていうわけでもないのかな。僕に置き換えたって経済力あるし、庶民的感性も持ち合わせてるつもりで、人相は悪くない方だと思うし、仕事への情熱は失いかけたりもするけど持っているし、レティシア一筋でもあるし。
「僕だったら全部満たせるのかな?」
「そうですね。エル様でしたら間違いはないかと」
「ふっふーん、捨てたものじゃないね、僕も」
「何を仰ります。連日、縁談話を持ち込まれていますのに」
「そうだった……」
「ふふっ、お仕事の手を止めさせてしまってすみません。……そう言えばエル様は、意中のお相手がいるのですか?」
「いますよ? 聞きます?」
「……よろしいのですか? 聞いても?」
「もちろんですとも」
何だかメリッサさんとは仕事の上での関係というやつより仲良くなれている気がする。
結局あんまりお仕事は進まなかった。
だけどメリッサさんと恋バナで盛り上がれた。僕、初めて恋バナをした。あんなに盛り上がるだなんて知らなかったし、楽しかった。
それにしてもメリッサさんて面白い。どうしていい人がいないんだろう。結婚することで幸せになるのなら、是非とも結婚をしてもらいたい。――こういう心理でやたらお見合いの仲を取り持とうとする人がいるのだろうか。
ああ、そう言えば結局、何事もなかったや。
ギルだから驚きも落胆もないけど。
「たーだーいーまーっと。あれ、ギル?」
宿の部屋に帰っても明かりがなかった。
普段なら帰っててしかるべき時間のはずなんだけどいないということは——さてはフェロメナさんをまた誘ってお酒だ。まったくもう、ギルったら。
寝よう。
ああそうだ、酔っ払って帰ってくるだろうからお水の一杯でも用意してあげた方がいいかな。
いやでも、いいか。別に。
水なんてちゃーんと水瓶に……あ、なかった。
「取り出しまするのはささやかな魔力です。そしてー、お水になあれと念じて、ぴゅーっと、ウォーターサービス」
じょろろろろ、と水瓶の中に水を溜めていく。
いやはや魔術ってどれだけ便利なんだろう。もっと早くこれを思いついていればいちいち旅支度の荷物にお水を含めなくても済むし、積極的に水源確保をしたり、蒸留水で飲み水を作ったりしなくても済んでいた。
しかしこんな使い方をしちゃってもいいものだろうかとも思う。もっとこう、魔術とか言うくらいなんだから例えば七里くらいを数歩で進めちゃう魔法のブーツだとか、空飛ぶ不思議な絨毯だとか、そういうものとか作っちゃえるようなこととかしてみたい。
「……そう言えば」
確かサルヴァスさんの本に何か、それっぽいようなことが書かれていたような。どこにやっちゃったけな、あの本は。
荷造りしておけと言われたものの、手つかずだった荷物の中から本を探す。
「えーと、うーんと……」
古代語ってやっぱり難しい。というか文字に慣れなさすぎてどれが何だっけともなる。あと置き字みたいな読まない字であったり、フランス語のHみたいな発音されない文字もあったりですっごーく読みにくい。加えて文法も特殊。さらに言えば単語もギルに尋ねないと分からないものが多数だったりする。
そこで自作の単語カード。単語と意味と読み方を1枚ずつちゃーんと書いておいた。これと照らし合わせながら読む。
「……あ、ここだっけかな」
探していた記述をやっと見つけた。
単語カードと照らして解読したところを書き留めては整理して文章にしていく。
「『昨今の魔導器製作の流行というものには筆舌に尽くしがたい嫌悪感を抱く。やれ、……だの、…の遊具だの、本来、美術品としての価値を内包していたはずの魔導器が消耗品となり、……である。……の魔力資源を……に……するのでは、いずれ、魔導文明は終焉を迎える』……。あれ、ここじゃなかった」
薄々、気がついてはいたけど。それにちょいちょい、単語も分からずに訳せなかったけれど。
でも初めて読んだ部分であることには違いなかった。魔導文明は終焉を迎えるって、サルヴァスさんは予見していたんだろうか。でもその前のところがちょっとよく分からない。魔力資源っていう単語の意味も分からない。何だろう、魔力資源って。資源ていうくらいだから、石油とかそういうものの仲間かな。これがどうにかなったら、いずれは終わりを迎えちゃう。
「……魔力資源、魔導文明の終焉……。魔導器が消耗品……」
エネルギー問題というやつなんだろうか。
石油や天然ガスその他のエネルギー資源が枯渇したらどうするとか。そういう問題に似ているような気もしてしまう。
ということは、魔力資源というものが失われた結果、魔導文明が終焉を迎えてしまった?
でもギルは焼け野原になったとか言っていた。エネルギーが枯渇して地上が焼け野原になるというのはおかしな話だ。
「……やっぱりこれ、誰かが何かしたせいでギルの時代が滅亡したとしか思えないよね……」
そこに魔力資源という問題は果たして絡んでいるんだろうか。
ううーん、繋げられない。そもそも魔力資源て何を指すんだろう。どこかに書いてないのだろうか。
ページを手繰って魔力資源という単語を探しては見たけど眠くなってきて本を閉じる。そう言えば古代遺跡で発見された物品を買い取ってくれた研究機関なんかはラ・マルタにあるはずだ。そこに行けば何かヒントになることを教えてもらえるかな。
仕事を全部片づけたら、出立前にちょっと寄ってみようかな。
あれ、そう言えば今って何時だろう。早く寝なくちゃ。
明かりを消してシーツを被る。
というか、けっこう夜更かししちゃっている感じなのに、ギルがまだ帰らない。これまでは朝になる前には必ず帰っていたような気がしたのに珍しい。フェロメナさんにまた迷惑かけてなければいいけど。まったくもう、いい大人なんだから子どもの僕にこんな心配をかけさせないでほしい。
「っ……?」
何か物音がした気がして耳を澄ませる。――足音、かな。宿の廊下を歩く靴の音。ギルが帰ってきたのかとも一瞬思ったものの、いつものギルだったら酔っ払ってどしんどしんと歩いてくる。なのに、今、聞こえた気がしたのはささやかな音だった。
他の部屋の人ならいいけど取っている部屋は廊下の突き当り。向かいにもそりゃ部屋はあるけれど空室だった気がする。それなのに押し殺したような足音がした。もしかしてギルの予感が当たっちゃったりしたんだろうか。
いやまさかね、とそんなどこの被害妄想患者なのかと考え直しかけた時、ドアノブが僅かな音を立てた。仮にギルがフェロメナさんに迷惑をかけて部屋まで送ってもらったとかであれば、ノックしてくれる常識を彼女は持ち合わせてくれていると思う。
「ギル? 誰かに送ってもらったの?」
牽制するために僕はまだ起きているんだと主張するつもりで声をかけた。蝶番がキィィと細い音を立ててドアが動いたのが暗がりで見えた。でも人の姿はない。じっと耳を澄ませた。
また、押し殺したような微かな靴音がして確信する。
「対策はしっかりしてるんだからね!」
まずは目暗ましの閃光を魔術で放ち、枕元の<ルシオラ>と、ベッドの下の<黒迅>を掴む。光学迷彩魔術を使うと同時に、天井から床へ面のように風を吹き落とす。長期滞在中に溜まった部屋の埃が巻き上がって侵入者の姿が視認できた。
相手はどうせ僕がベッドにいるなんて分かっているのだから、今はこっちが見られたって構わない。相手の姿、居場所が分かってから姿を隠すというのを活かすのだ。それと忘れちゃいけないのが僕の思考が相手には通じてしまっているという点。そのことで僕の居場所を悟られる可能性は高いけど逃げて距離を離してしまえばワンチャンだ。
「逃すつもりはない!」
やっぱり先日の精霊器強盗だ。
言われたって僕は逃げる気しかないよーだ。
「<カエレスティス・ポルタ>」
「嘘っ?」
まさかの3つ目の精霊器?
複数扱える人なんてまずいないというのがギルの話だったはずなのに。
でも現に目の前に何かヤバそうなものが出てきていた。最初に見えたのは円だった。何もないところへ直径2メートル弱ほどの円の輪郭が出て、その中がいきなりごっそりとCG映像でも見ているかのような妙に艶めかしく動く波紋めいたものが見えた。暗い——黒とは違う闇が円の中に蠢いていたかと思ったら、風を感じて、重力の向きが変わったかのような妙な浮遊感まで抱いた。
「何これっ!?」
叫んだ時にはそれの中へ吸い込まれてしまっていた。
放り落とされたような落下感と直後の痛みがした。叩き落された羽虫みたいな気分で這いつくばって顔を上げる。
「……なるほど、瞬間移ど――ふぎゃっ」
背中に何か落ちてきた。いや、乗られた? 踏まれた?
「手間をかけさせてくれたな」
「痛い痛い痛いっ、髪の毛掴まないで!」
海老ぞりさせられるように髪を持ち上げられる。頭皮の痛みと、それから逃れようと背を逸らせる痛みと、腰の少し下を踏みつけられてる痛みともうめちゃめちゃに痛い。
「そのくらいにしてやれ。貴重な人材だ」
「足の1本くらいへし折らないとすぐ逃げようとする。ビビりの犬っころみたいに」
「それもそうだな。では1本だけだ。失血死されても困る」
「えっ? 何、ちょっ、待っ――」
「
髪を放されたかと思ったら、思い切り頭を踏みつけられた。鼻から床に叩きつけられる。どうして鼻ってこうも、ぶつけると辛いんだろう。熱くて痛くて涙やら鼻水やらが込み上げてきそうな感じ。
「せいぜい、泣き喚け。手間かけさせやがった罰だ」
足首を掴まれた。ぞっとして腰から体を捻るようにして寝そべったまま振り返ったらすでに襲ってきた女の子がナイフを片手で持ち上げていた。
「やめ――痛ぃっ、ああ、ああああああっ!?」
痛みというものはどこに限度があるのか分からない。
どれだけ痛いと思っても、そのさらに上をいくような痛みがある。生前も含めて一番の激痛だった。声を張り上げて痛みを少しでも逃がしたかった。それでもおぞましい感覚と痛みに悶えて、その度に頭を踏まれ、お腹を蹴られ、それなんかよりずっと足が痛かった。
最後にぶちぶちと肉が引きちぎられるような感覚がし、どこもかしこも赤く血にまみれていた。足が、ない。切り、千切られた。<ルシオラ>を使えば治せる。それだけを考えて<ルシオラ>を拾おうとしたけどない。どこにもない。
「探し物はこれか?」
冷ややかな少女の声がして顔を上げる。血の滴る僕の足を彼女はぶら下げていて、それを無造作に落とした。べしゃりと落ちて血が跳ねる。
この、やりようのない、行き場のない胸のざわつきは知っている。今、僕は被虐される立場にある。何をされてもおかしくない。殺されかねない。
おもねって靴を舐めるか。
いや、僕を何らかの形で利用したいから、わざわざ夜中を狙って拉致しに来ている。殺すのは容易だったのに片足だけで済まされた。それならば。
「おい、正気か、てめえ!」
「取引だ。このまま、僕を死なせたくないなら、解放して」
「応じるつもりはない。そしてきみには協力してもらう」
「それなら――」
自爆してやると魔力を集めかけた時、強い衝撃を首に感じた。
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