#020 激突! 大海賊バルバロス! ~海の藻屑を賭けて~
「——ぶはあっ、げほっ、げえっほ、げほ……」
咳き込んで目が覚めた。僕を覗き込む人の顔、顔、顔――女の人ばかり。飲んでしまっていた海水を吐き出した。
「エル様、大丈夫ですか?」
「マルカさん……?」
「はあ、良かった……」
ミーシャさんもいた。どうやら、溺れたところをどうにか救助してもらえたっぽかった。船着き場の方を見ると海賊船の残骸らしいものがぷかぷかと浮かんでいる。
そして、停泊していた海賊船が、次から次へと燃えたり、槍の雨に壊されたり、とりあえず破壊されていってしまっている。
「……あれって、ギルですか?」
「はい……ギルさんです」
破壊神か何かだろうかという勢いで、海賊船が轟沈していく。あ——<黒威>の黒光が見えた。
「……多分、気が済んだら戻ってきます……。あ、船から逃げた海賊は?」
「それなら、あそこに」
陸へ上げないように、桟橋から婦人の皆さんがとりあえず長物を持って上から叩いたり突っついたりして、海賊を海の中に押し留めてしまっている。家族や友達といった人を奪われた怒りなんかもあるのかも知れない。
「……いくら悪いことをした人でも、権利もなく殺してしまったり、傷つけるのは私刑だから、ちゃんと上げてあげてどこかに閉じ込めましょう。いずれ引き渡せば相応の罰が下されますから。牢屋みたいなものってこの街にありますか?」
「ええ……あったと思います」
「ではロープの準備をお願いします。手を縛りましょう」
女子どもしかいない分、用心をしながら1人ずつ海賊を海から上げては縄で縛り上げていった。100人以上もの海賊が牢屋へ閉じ込められて、有志で監視をすることにしてもらった。
けれど、肝心のバルバロスがどこにもいなかった。
あの槍の雨の中で逃げ出せてしまったということだろうか。でも錨の精霊器は自在に宙を飛ばせるように見えた。それに乗れば金属製の筋斗雲みたいなものだ。どこまでだって逃げられるかも知れない。
それに港に停泊していた海賊船は全てギルが収まらない怒りに任せて沈めてしまったけれど、今日あったのが全ての海賊船というわけでもない。何せ、大船団なのだ。今度はギルと僕を仕留めるために部下を率いて逆襲に来るということも考えられた。
「やっぱり精霊器って、一筋縄じゃいかないんだなあ……」
そう言えば<ルシオラ>についてもちゃんと確かめてみなきゃいけないことがあったっけ。
やるべきことは山積みだった。
▼
「んんぅー! やぁーっぱ、たまには発散しとかねえとな。やー、いい気分だわ」
夕日に照らされるマリシア。船を係留させておくためのボラードに片足を乗せた石原裕次郎ポーズでギルは悦に浸っている。どうやら怒りは発散し、ついでにストレスも発散できたようだけれど、それにしたってやりすぎ感は強い。
「ギル、バルバロスはどうなったか分かる?」
「ああ、あのデブ髭ならどさくさに紛れて逃げたな」
「やっぱり精霊器を持ってる人には一筋縄じゃいかないんだね……」
「アホ抜かせ。それで言えばこちとら4つもあるんだ。それでくたばったら、どうにかしてるぜ」
「でも1つは使えないし……」
<黒迅>はいまだに重くて振り回すのに難儀してしまっている。加えて<ルシオラ>は謎の挙動を見せてしまった。
それでいて<黒轟>と<黒威>は用途がやや変わるというだけで、基本的には同じみたいなものだし。
となると、地味に戦術の幅が狭いのかも知れない。ギルはそれを驚愕の身体能力で補えてしまっているだけで、実は戦術とかなしのゴリ押しでしかなかったのかも。ここは僕が魔術でどうにか幅を持って対処できるようになっていくべきだろうか。
「さて、今夜は祝杯だな」
「ねえギル、精霊器のことなんだけどさ」
「あん?」
「<ルシオラ>を持ったまま魔術を使おうとしたら、何か、思ったのと違う現象が起きちゃって……知らない?」
「魔術は門外漢だっつったろ。考えられんのは、精霊器を目指して魔術が研究されたってえことったな。何か影響し合うとかだろ」
「ふーむ、なるほど……」
やっぱり<ルシオラ>は傷を治したりする力がある精霊器で、僕の魔力を吸い取るようにして効果を増幅させてしまったという感じなんだろうか。むしろ精霊器をパワーアップさせられるという考え方をした方がいいのかも知れない。
ちょっと確認してみようと思ってギルを誘いかけたけど、いつの間にか酒盛りが始まっていたから、1人で確認することにした。
▼
やっぱり<ルシオラ>は僕が睨んだ通り、魔力をあげると治癒的な効果が生じるようだった。怪我には効くようだったけれど病気に効くんだろうが。今度、風邪とかひいた時に試してみよう。
同じようにして<黒迅>が使えないだろうかと試してみたけれど、こちらは何もなかった。そもそもとして僕が精霊器としての力を引き出せていないからということなんだろう。
実験と考察をして、日が暮れてから街へと返った。
まだ酒盛りでギルははしゃぎ倒していた。そう言えば今朝、禁酒令を出していたのに止めるのを忘れてしまっていた。僕としたことが。でも仕方がないか。
マルカさんとミーシャさんの家へ帰って早々に休ませてもらった。夜遅くにギルが帰ってきたらしい気配は察したけど眠かったから寝たら、朝には僕の横で何故か全裸で寝ていた。一体何をどうしたら裸で寝ることになるのだろうか。
どこかへ逃げ帰ったバルバロスの同行にも注意が必要で、さらには攫われていった人達の安否も気になるところだった。
バルバロスの同行に対する想定として3つのケースも考えた。
部下の解放と攫っていった人の交換を持ち掛けてきた場合。一度は引き渡しに応じて、その直後に戦闘という流れになるのだろうか。互いの人質がいなくなったところで仕切り直すような戦いへと移行してしまうが、その場合、バルバロスがどれほどの戦力を引き連れてくるかというのが問題になる。海から大砲やら何やらで撃ち込まれて、さらには解放した海賊が暴れ回ってしまったとなったらマルシアは壊滅的な被害を受けてしまうだろう。
それからいきなり奇襲を仕掛けてくるケース。朝早くでも、寝静まった深夜でも、いきなり海賊が押し寄せてきて街を蹂躙となった場合は多くの犠牲者が出てしまいかねない。ギルが調子に乗って泥酔していたら打つ手はない。勝って兜の緒を締めよ――なんて、ギルなら分かってることだと思っていたんだけどなあ。どうなんだろうなあ。
最悪のケースはバルバロスが逃げ帰ったことに腹を立てて、まだ無事であった人々を見せしめのように手にかけて、その無惨な姿をマルシアに見せびらかしにくることだ。抵抗をしたばかりに無実の人々が惨殺されてはたまらない。マルシアの住民が僕やギルを憎しむようになっても誰も救われやしない。
無法者の海賊相手だからどんなパターンを想定してみても大変そうなことには変わりはなかった。
可能な限り犠牲者というものは出したくない。海賊をやっつけておしまい、と簡単に解決ができるのは物語の中だけで、人が死ねば悲しむ人が出てしまうのだ。たった1人分だけでも悲しみが生まれるのでは気分が悪くなる。
そこで、できるだけのマリシアの住民を集めて会合の場を設けることを提案してマルカさんに手伝ってもらった。
目指すのは海賊退治と、人質の奪還。
いつの間にか、ギルが捕まえた海賊からアジトの場所やらを聞き出してくれていたようで、そんな新情報も加味して、僕らの取るべき手段が決まった。
僕とギルとで海賊のアジトへ乗り込み、そこで決着をつけるという——よくよく考えたら、どうして僕まで行く必要があるのだろうと首を傾げたくなる結論だった。
かと言って街に残ったとしても僕がやるべきことなんていうものはないんだけれど。
奇襲をするのであれば相手に時間は与えない方がいいということで、結論が出てからすぐに出港の準備が始まってしまった。
「思うんだけどさあ、ギル……」
「あん?」
「自然と僕まで行く流れになってるのは、どうしてだろう?」
「バカなくれえにお人好しだからだろ。漕げ、漕げ」
オールを漕いで海賊のアジトを目指しながら素朴な疑問をぶつけてみたら、明快な答えが返ってきてしまった。ギルのくせに、ド正論すぎる。
「にしても、漕ぐのも手間だな……。お前、どうにかできねえのか?」
「できませーんー」
「ちっ、使えねえ。折角、魔術も使えるってえのに……」
「……そっか、それもそっか」
「お?」
船が進むには、ボートだろうが、貨物船だろうが、推進力が必要となる。
プロペラ式か、ウォータージェット式。あるいは風の力を使う帆船か。色々とあるけれど、このボートには一応のささやかな帆があるから、これがいいだろう。船が転覆しないように気をつけて、魔術で風を起こしてあげることができればすいすいと進める――と思いたい。ボートそのものに工夫できればウォータージェット式でいけたと思うんだけど仕方ない。
「風よ吹けぇー、波よ荒れろー、そしてお船は前進あるのーみ!」
「……ささやかだな」
風は吹いたけど、ギルに指摘された通りにささやかだった。
「ま、まだ本気じゃないだけだし……!」
「どうだか……。魔導士って言っても、得意なもんと不得意なもんとあるようだったしなあ……」
「できるもん!」
今のはお試しだし。
火しか出してなかったから、風を起こしたりもできるか分からなくてセーブしただけだし。
「今度こそやるからね、ギルが悲鳴あげても知らないから!」
「やれるんなら、とっととやってくれ」
すでにオールを放り出して置いちゃってるし。
こうなったらギルをビビらせるくらいのつもりでやってしまおう。そうだ、気合いを入れるためにも何かこう、名前とか叫んだ方がいいよね。何がいいかな。船を進ませるから、セイリング――うーん、いや、違うなあ。もっとこう、ピンとくる感じがいいなあ。
「よし! 船よ、荒波の中でも進んじゃってくださーい! ——ヨーソロー!!」
マストだけ持って行かれるような甘い強風でなく、波を大きく巻き上げるほどの大きな大きなひと塊の風をイメージして一気に魔力を出してみた。ざばあーん、ざばばばーんと波の音がやたら大きく聞こえてきて振り返ってみた。お空がやや暗い。そう思った直後に大きな大きな高波が迫ってきていた。
「何か違う!!」
「お前何してくれやがる!?」
「だってやったことなかったんだもん!」
「だもん! ——じゃねえよ!」
「ひえええっ!?」
大波に飲み込まれてしまうと目を覆ったけれど、船は大して揺れなかったし、海水を浴びるということもなかった。迫ってきていたはずの波に船が巻き込まれることなく乗っていて、そのまま持ち上げるようにして進んでしまっている。
「……どういうこと?」
「俺が言いてえよ!」
「け、結果オーライだよね! さあ、このまま行ってみよー!」
「もっと普通にできねえのかってえの……」
「いいでしょ、漕ぐ必要なくなったんだから」
しかし、無尽蔵に魔力が垂れ流されている感じがする。別に何も疲れたりということはないんだけど、とっても何だか、時間経過とともにボートが巻き込まれているのか、乗りこなしているのか分からないほどの波が大きく激しくなっていっている気さえする。
「ま、いっか……」
「……」
視線を感じてギルを見たら、酷い嫌疑でもかけられているかのような顔をしていた。知らんぷりしておいた。口に出してくれなきゃ分からないもーん、最初に無茶言い出したのはギルだもーん、僕悪くないし。
しかしこの魔術は終わらせ方に悩むなあ。どんどん波が大きくなっていっているということは、ただ解除したって岸に大波が押し寄せる津波になってしまうのではないだろうか。津波ってものすごい威力だし、下手にやめてしまったら被害がとんでもないことになっちゃいそうな気さえする。——あ、でも今は海賊のアジトへ乗り込んでるんだからいいのかなあ。むしろ先手の津波攻撃で全て済んでしまうかも。
「あの孤島じゃねえか?」
水平線の向こうをギルが指差して顔を上げた。確かに小さく島っぽいのが見える。
「このまま、津波でどーんとやっちゃう?」
「バカ言え。帰りはとっ捕まえられた街の住民やら、ふん縛った海賊やらも連れて帰るんだから海賊船だろうが残しとかねえと立ちいかねえだろうが」
「そっか」
「ったく、ほんと、賢いでぬけぬけだな……」
「それ言ったらギルは考えなしみたいで地味なとこよく気がつくってことになるよ」
「地味たあ何だ」
「でもさあ、そうしたらさあ」
「あん?」
「この波、どうしましょう?」
「……俺が知るか!」
「ですよねー」
ヤバい、けっこう早い。もうすぐ島に着いちゃう。
このまま津波として島を飲み込んじゃったらまずいっていうことなんだから、ピンポイントでこう、何かこう、高波を高波としてではなくぶつけてあげる分にはきっと問題はないと思う。
「えーと、うーん、どうしようかなあ……」
「おい。考えなしか?」
「だから今、考えてるの。ちょっと考えさせて。黙っててよ、ギルは」
いっそのこと、こう、一発で海賊が戦意喪失してくれたら楽ちんだよね。
でも戦意を失わせるってどういうことをすればいいんだろうか。——あ、そうだ。できるかどうか分からないけど、僕の魔力をたっぷりはらんでいる海水を形成するようなイメージでいけるかな。
「うん、できるっぽい……。ようし、決まった!」
「ちゃんとできるのか、今度は?}
「できる、できる」
「そんならいいけど……ほんとだろうな?」
「そこまで念押しされると、不安になるけど……なるようになるよ、きっと」
とうとう島に接近した。押し寄せてくる高波に海賊が慌てふためいているのが見えた。
「出でよ、恐怖の海の巨人! 海坊主!!」
高波がひときわに持ち上がり、そのまま海の中から姿を見せたかのように巨人を形作していく。身長にして約100メーターの大質量の海水の巨人。まさに海坊主だ。僕らの乗っている船は海坊主の右肩で固定しておく。超でっかい。軽く高所恐怖症だったことに気づいた。足がけっこう震える。でもそれ以上に海坊主を見上げる海賊の方が怖いと思う。
「ほおーん、いいじゃんか」
「何する?」
「そうさな、とりあえず、薙ぎ払え」
「あいあいさ。海坊主、薙ぎ払え!」
大きな大きな、海水の腕を海坊主が持ち上げて、振り落とした。島にぶつけたことで海坊主の左腕が肩口まで消えてしまったけれど、その分だけの海水でぶっ叩かれた地上は大惨事だ。陸上で溺れてしまったような海賊がいれば、そのまま海へ流されてしまった海賊もいるらしい。
「よっしゃ、どんどんやれ」
「楽しくなってる?」
「おうよ」
海坊主が右腕を今度は振り上げたけれど、振り下ろす前に二の腕が何かにぶち破られてしまった。
「この巨人、全部潰せ! 雑魚を蹴散らすんだ!」
「あ、あいあい!」
ギルが飛び降りる。すっごい高いのに躊躇なしだった。<黒轟>を撃って、その反動で何と空中でホッピングして減速という神業を披露している。海坊主の足で思い切り島を踏み潰したのと同時にまた何かが海坊主に直撃して弾けてしまった。
「嘘ぉっ!?」
どうにか崩れた海坊主を島まで繋げて、その海水の中を潜ることで自由落下は防げた。すでに海賊は入江の浜にはいなくなっているけれど、海坊主の被害を受けなかった奥の洞窟の入口にはバルバロスがいた。飛んで舞い戻ってきた精霊器をキャッチして鼻息を鳴らし、僕とギルを見据える。海坊主が意外と打たれ弱かったのは想定外だったけれど精霊器でやられたからとか関係あるんだろうか。単純にバルバロスの精霊器の威力が高すぎたからとかなんだろうか。
「デブ髭ェ、わざわざ来てやったんだから感謝して死んどけ」
「それはこっちの台詞だ、小僧」
いきなりバチバチしちゃっている。でも生還したとはいえ、ギルは一度バルバロスの精霊器にやられてしまっているはずだ。同じ轍を踏むなんて考えづらいにしろ、対策なりはあるんだろうか。ギルのことだから大丈夫とは思いたいけれど、慢心しててもしてなくてもヤバくなってしまうことは十二分にあるのだと僕は学んでいる。
「キャプテン、もう1人のチビは俺にくれるんですよね?」
「ああ。あるいはそっちの方が手強いかも知れん、気をつけろよ」
バルバロスの後ろから海賊っぽい人がまた出てきた。モブ雑魚海賊と違って、何だか風格のある体格も良い感じの海賊だ。——ていうか、僕も巻き込まれた。付き添いなのに。
「おう、エル。油断すんじゃねえぞ」
「僕もやる流れになってるのはどうしてでしょう?」
「一緒にいるからだろうが」
「なるほど?」
それって理屈じゃない気がしてしまう。
やっぱりちょっと、納得はできない。なんて思っていたらギルが飛び出していた。<黒轟>を連射しながらバルバロスへと迫る。手前の砂浜が穿たれて砂塵が巻き上がって目暗ましまでしたけれどそれがすぐに払いのけられていた。バルバロスの精霊器が猛回転しながらギルに迫ったのだ。<黒威>の長い銃身でギルは受け止めたもののすぐにぶっ飛ばされて切り立った岸壁に叩きつけられる。
「ギルっ!?」
心配したけど無事なようだった。錨の山の間に身を滑り込ませた状態で叩きつけられたらしい。良かった。あのとんがってる部分で貫かれちゃっていたら想像するだけでも痛すぎる。内臓破裂どころか、お腹が丸ごと抉り抜かれてしまっていただろう。でもそれを回避しちゃったんだからさすがはギルだ。どういう反射神経と度胸をしてるのか。
「——よそ見するとは余裕だな」
「ふえっ?」
声だけがして、気づいたらいきなりお腹に痛みと熱とが奔った。あまりの激痛に息が詰まり、熱いものが目の前に溢れて、何もないところへそれが付着する。何これ、死ぬの。死んだの。
「精霊器<エレミータ>——見えなかっただろう?」
血が付着していたところに、人の顔が現れた。
さっき、バルバロスと一緒に姿を見せた人だった。精霊器って言った。何も見えなかったけれど血が付着して、かと思えば顔を見せた。姿を消す精霊器っていうこと? 何だそれ、チートだ。
というか、死んじゃう……。気が遠のく。
「冥途の土産だ、チビ。お前は苦しんでゆっくり死ぬ。そういうところを狙った」
「……ごふっ」
ああ、死んじゃうのか。血まで吐いちゃった。痛いし苦しいし、何か知らない間に倒れちゃってるし、何これ、どうしよう。しかもゆっくり死ぬとか。サディストだ。この人、完全にイッちゃってる人だ。致命的な傷を与えておいて、でも即死させないで苦しむ姿を眺めようっていう精神破綻者だ。そういう人には一泡吹かせてやりたいけど、大人よりもずっと小さい分、死にやすいんだろうなあ。きっとこの人の想定よりずっと早く死んじゃうんだ。
「……あ」
ちょっとほんとに、僕って間抜けだなあと思う。
「何だ? 言い残すことでもあるのか?」
「……あなたの、お名前は……?」
「言う必要ねえだろ。くたばるんだから」
下卑た笑みで言い返された。
「それじゃあ……お墓に、名前を刻めないね……残念でした」
精霊器<ルシオラ>に触れて、死にかけててもたっぷりと体内で溢れ返る魔力を注ぎ込む。
「精霊器<ルシオラ>——!」
ちんけな僕と同じ、ちんけな力だからとギルは命名したけれど、ちんけなんて代物じゃないのだ。最後の力を振り絞って<ルシオラ>を持ち上げて、刺された傷口に刃を刺す。刃から発せられた光は僕の体が内側から透けて発光するほどだった。
「フレイムサークル!」
起き上がる時間を稼ぐための炎の輪を展開して広げる。目論見通りに名乗らない海賊が吹き飛ばされた。炎上はしてくれなかったけれど僕は全快な上に相手は吹き飛ばされて、僕はしっかり立ち上がれた。
「もう種は分かったし、同じ轍は踏んであげないから!」
返事もしないで卑怯な海賊は起き上がるなりまた姿を消してしまった。見えなくたって実体はある。そしてフレイムサークルを見せつけた。魔導士なんていうものがさっぱり認知されていないこの時代において、僕が見せた炎は精霊器だと思われるだろう。そして精霊器の力はある程度、固定をされていて協力だけれど多彩さには欠く。——それこそギルの<黒轟>みたいな超すごい精霊器でなければ。
だから。
「フレイムサークル!」
もう一度、フレイムサークルを使う。確実に接近してくる。
そしてさっき見せつけたから、この全方位攻撃の逃げ道である空中へ跳んでくれるはず。だから今度は中空へと魔術を放てば良いのだ。
「バンブー!」
いつものことながら、自分で出した火で炙られる熱さというのはある。竹は中は空洞になっている。だから僕はその空洞部で、竹のガワのところで近くにいる相手を焼いてしまおうという即興の魔術だった。
竹を模した炎を出したら、その中で激しく燃焼するところがちゃんとあった。僕の読み通りにジャンプしてフレアサークルを避けてくれた海賊だ。魔術を解除してから杖を握って、弾き飛ばされた海賊へ向かう。
一撃確殺を心がけて、狙うのは急所――不測の事態で驚いた動物というのは観察に徹してしまう本能がある。だから海賊も尻餅をつき、脳内で起きているパニックを処理するために僕を見上げていた。喉が隙だらけになっている。そこへ、杖の先端を思い切り突き込む。
「ぉえごっ――」
「ふぅー……備えあれば憂いなし」
ちゃんと<ルシオラ>と魔術の組み合わせについて確認しておいた甲斐があった。
「そうだ、ギル……!」
不意打ちされてしまって、頭からすっぽり抜け落ちていたことを思い出した。
まだギルはバルバロスと戦っていた。
やっぱりあの錨の精霊器は厄介なようで、錨本体の攻撃力極振りの威力と、文字通り絡め手となる鎖のコンビネーションで攻めあぐねている。
錨は徹底的に、執拗に、ひたすらギルを追いかけていく。その攻撃をかいくぐるようにギルは<黒轟>でバルバロスを狙うが、鎖が射線に出てきて防いでしまう。時に線の状態で、範囲攻撃が来ればぐるりと巻かれて盾のように面の状態で、変幻自在の守りを見せている。
戦いには攻防というものがあるけど、普通はそれは交互に繰り返されるはずだ。しかしギルが繰り広げているのは並列した攻防そのものだ。攻撃も防御もずっと同時に繰り広げられている。ギルの身のこなしはどこのサーカスへ出してもすぐスターになれるレベルの異常さで、その大道芸レベルを遥かに超越している運動神経で錨の猛攻を避けて、凌いで、同時に<黒轟>の引き金を絞っている。
狩りの最中の動物はわき目も振らずに一直線に獲物を狙い駆けるというけれど、ギルもそれと同じか、それをも上回る集中力を発揮しているのかも知れない。けれど人の集中力なんて3分が限界で、戦いはとうにそれ以上の時間が過ぎてしまっている。いつ、ギルが集中力を欠くか、あるいは動きに体が悲鳴を上げるか――それが不安材料だと思う。とは言え、ギルに普通は当てはまらない。ケロッとして平然とする可能性もある。
何かがあった時に備えて僕は<ルシオラ>でギルを治してあげることだけ考えていればいいだろう。
「どうした、小僧! 最初の威勢はどこへ失せたのだ!?」
「るっせえ、デブ髭! 死ね!」
口は元気っぽい。でも状況が動かない。このままだと体力が尽きてギルがじり貧で追い詰められるかも。
バルバロスは見た目こそヤカラ系太っちょおじさんなくせに、それでいてかなり精霊器を使いこなせていて強い。というか、精霊器の使い方が巧みなんだろうか。精霊器そのものもかなり強力なのかも知れないけれど。錨の破壊力と鎖の柔軟性と、精緻な操作性。これらが組み合わっているからギルが攻めあぐねているのか。
でもギルもこのままじゃまずいとは思ってる――はず。たぶん。
何か手を打たないと本当にどうにかされちゃう。早く何かして、僕の不安を取り除いてもらいたい。どうにかして。逆転の布石をこっそり打っているとは思いたいけどさっぱりそんな様子は見られない。
ほんっと、どうするんだろう――と僕が痺れを切らしかけたころに、違う動きがあった。
これまでずっとバルバロスを狙っていた<黒轟>が飛来した錨を撃ち返した。それも散弾めいたもので面攻撃をしていた。バルバロスの精霊器による攻撃は回避に徹していたのに撃ち返したということは、とうとう体力が尽きたり、体のどこかを傷めてしまったのか。
バルバロスを守るために動いていた鎖が容赦なくギルへ襲いかかっていく。<黒轟>がまた銃声を上げた。
「バカめが! お前が守勢に回った今こそが死に時だ!」
ギルはここまで攻防をほぼ同時にやってきた。そうすることで、錨と鎖からなるバルバロスの精霊器による波状攻撃を防げていたのだ。でもギルが錨に<黒轟>を使ったことで、鎖が防御に回る必要がなくなってしまった。バランスが崩されたのだ。
「そんなだからアホだってえんだよ!」
発砲で起きた土煙の中からギルが飛び出してバルバロスに迫る。
スピード勝負でバルバロスに迫るつもりなのだとしたら、僕にだって愚策だと分かる。錨のスピードは半端じゃない。それに鎖だってある。鎖に捕まえられたところを錨でやられたら助かりようがない。
「何がアホだッ! 身の程を知れ、小僧ッ!」
ほら、やっぱり。
一巻の終わりじゃない。
目を覆いかけたけれど惨状は起きなかった。
いつまでもバルバロスの精霊器がギルへ襲いかからない。どこに行ったのかと目を動かしたら錨と鎖が岩壁に張りついていた。とりもちのような粘液状の何かが錨と岩壁を接着し、さらに鎖の環の中に杭が打ちつけられてとりもちとともに岩壁に固定されてしまっている。
錨に<黒轟>を使ったのは、あのとりもちを岩壁とくっつけるため。さらには鎖ですかさず攻撃されるのを見越して、恐ろしいほどの精密狙撃で鎖の環に杭を打ちつけて、さらにはその杭がとりもちに食い込むようにした。
立ち回りだけ良くてもダメ、鎖の環に杭を通せなくてもダメ、錨とギル自身の間に鎖が重なったタイミングを逃してもダメ。偶然だろうが、狙おうが、とても実現不可能にしか思えない神業の一言に尽きる所業と言える。
「——よう、ちったあ楽しかったぜ?」
丸腰になったバルバロスの額へ<黒轟>の銃口を突きつけてギルが告げる。
「ひっ――」
断末魔さえも<黒轟>の異常なほど響く銃声は掻き消した。
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