#019 海にも危険はたくさんあるのです

「おおー、海だー」

「海だなあ」

 峠を越えたら一気に視界が開けて、海が見えた。坂を下っていった先に街があり、その街からは大小の船が出入りする。きらきらと光を反射する青い海と、その手前の港町の屋根がオレンジ色で統一され、さらに手前には木々の緑がある。ちょびっと鼻孔をくすぐる潮の香りと相まって、何だかすごくわくわくしてしまった。

「海鮮楽しんで、ビーチがあればそこで遊んで、あと……ビンガム商会の出張所ってあるかなあ……?」

「お前、また仕事かあ?」

「1日あればおしまいだから、今回は大丈夫」

「そんならいいがよ、お前、まぁーた妙なことに首突っ込むんじゃねえぞ?」

「分かってるって。さあ行こー! 遥かなる、大海原へ!」

 気分はるんるんである。

 だって海だもの。


 ▼


 ビンガム商会マリシア出張所に顔を出した。やっぱり、ビンガム商会の事務職のお姉さん達はどこもレベルが高い。絶対に顔面偏差値というフィルターをかけられているとひそかに思いつつ、とりあえずマリシア出張所の所長へのご挨拶をと思った。

 けど。

「すみません、現在、所長のロンサールは不在でして」

「不在……? それなら、代わりの方は?」

「申し上げにくいのですが……」

「……じゃあ、ええと、とりあえず本部に回送していただきたい書類を用意してあるので、戻り次第、ロンサール所長にお渡ししてもらえますか?」

「……3日で戻ると言い残して、もう30日もお戻りになっていらっしゃらないんです。あるいはもう……」

 美人が不安と悲しみに表情を歪めて、顔まで覆って鼻をほんの少しすすり上げるなんてところを見せてしまったら、普通の男性としてはもうお手上げだと思う。

「……一体、何があったんですか?」

 聞かなきゃいいけど、こんなの尋ねずにいられないじゃないか。


 ▼


 エルが仕事をしてる間に市場でも冷やかしてやろうと思ったら、その市場がやけに寂れちまっていた。並べられた魚があまりにも少なすぎる。樹皮でも加工したような篭に売り物の魚が置かれているものの、篭の大きさに対して中身があまりに貧相すぎる。こんなもん、篭の網目から滑り落ちるんじゃねえかっていう小魚がほんの1匹、2匹。空っぽの篭を積み重ねてしまうように脇へ置いちまっているところも多い。

「何だあ? おいおい、ここって港町だろ? なのに、どうして魚がこんなにねえんだ? もうほとんど売れたとかか?」

「旅人さんかい? まともに漁ができてないんだよ」

「どうしてだよ?」

「港に停泊してる、大きなあの船が見えるかい?」

「船?」

 市場のおばちゃんに言われて港の方を振り返る。確かにやたら大きな船が見える。けっこう立派だ。船首像がやたら悪趣味だ。3人の女がまぐわうように肢体を絡めて顔を寄せ合っている。

「あの趣味悪い船首の船でいいんだよな?」

「そうさ。ありゃ、海賊船だ……。奴らのせいで船は奪われるか、焼かれるかをして、抵抗しようとした男達も……」

「マジか……。あれ、じゃあよ。山脈越えて北側に向かう船なんかはどうなってんだ?」

「海賊どもが勝手に護衛料と言って、乗客から金を巻き上げたことがあってね。何が気に食わなかったのか、最初からその腹だったのか……船ごと沈められてしまったよ」

「そりゃねえよ……」

「お兄さん、海賊連中は一目で分かるから、関わり合いにならないようにおしよ」

「ふうむ……。とりあえず腹減ってんだけどよ、これ、すぐ食えるようにしてくれねえか?」

「まいど」

 2匹しか魚の入っていない篭を軽く持ち上げて言うと、おばちゃんは腰を上げて背を向けた。包丁やら何やら、そこに用意がしてあったようで、すぐに魚を捌いてくれている。

 しかし海賊に屯されちまっている港とは、タイミングの悪い時に来てしまった。そう言えば若い男の姿は見えない。ジジイかガキか、男はそれしかいないようだ。

「海賊どもを殲滅して解決になりゃあいいが……その後はエルに任せりゃうまいことしてくれるもんかね……」

「誰が、何を殲滅するって?」

「お?」

 呟きに返ってくる声がして振り向くと、なるほど、これが海賊か。ちゃらちゃらした上に群れて、これ見よがしにカトラスを抜き身でぶら下げて、誰が見たって海賊だろう。

「んだよ? 人様のひとりごとに言い返すって、こっちが恥ずかしくなるだろうが。どこにでも行けって」

 取り合わずにおばちゃんの方へ向き直ろうとしたが、肩を掴まれた。反射的にその手を掴んで思い切り前へ投げつける。貧相ではあるが陳列されていた品がめちゃくちゃになってしまった。おばちゃんも驚いて腰が引けている。

「あ、やべ。悪いな、おばちゃん。後で弁償すらあな、許してくれ」

「てめえ、何しやがる!」

「ああ? お前、何のために目玉ついてるんだよ? 耳元でぶんぶんうるせえ虫けらをはたき落としただけだろうが」

 群れていた海賊どもが俺を取り囲む。投げてやった野郎は完全にのびている。ほんの5人や6人程度でこの俺をどうにかできるとか思ってるんなら、やっぱ海賊なんてえのはバカがやるものなんだろう。

「タダじゃおかねえぞ」

「ほう? そんなら、俺に迷惑料払ってくれんのか?」

「ざっけんじゃねえ!」

 殴りかかってきたバカの拳を横から軽く叩いて逸らして足を引っかけ、そのまま連中の方へ押してやる。巻き込みながら倒れるとバラバラに今度は仕掛けてくる。こいつらはさっぱり手応えがない。適当に殴り倒してやると怖気づいていた。

「迷惑料持ってきたら許してやらァな。とっとと消えやがれ」

 <黒威>を抜いて尻餅をついているやつらに向ける。

「いいかあ? 拒めばてめえら、塵も残らねえぞ?」

 引き金に指をかけ、頭上へ<黒威>を乗せて一発ぶっ放してやる。

 空が覆われるほどの巨大な黒雷が轟いて空気を激しく震わせる。その振動で市場どころか、周囲の家屋がガタガタ震えて物やら何やら落ちたようだったが、海賊どもは捨て台詞も残さずに逃げ帰っていった。

「ったく、雑魚が調子に乗りやがって……。おばちゃんよ、できたか?」

「え、ああ……て、手が止まっちゃって、いたもんで……」

「まあいいやな。ああこれ、魚の代金とついでに弁償の分もな」

 とりあえず金子ごと渡しておいた。

 金はまたエルにもらえばいいだけだ。

「た、旅人さん——」

「お?」

 料理してもらうのを待とうと思ったら、よく日に焼けた若い女に呼びかけられる。なかなか、上玉じゃあねえの。艶やかな黒髪といい、胸の豊満さといい、それに海沿いの港町だからか服装がまあ露出多めで目の保養になること……。

「今の、見ていました。あなたなら……海賊を追い返すことはできないでしょうか? どうか、わたし達をお助けください」

「……生憎と、俺ァ旅人さんなんて名前じゃあねえんだ。ギルだ。あんたは?」

「ミーシャと申します。ギルさん、お願いします」

「おう、いいぜ」

 エルに首を突っ込むなとか言った手前の体裁なんてえもんは気にしないことにした。あいつが口を挟むことだってあるんだから、俺が同じことしたって文句はねえだろう。


 ▼


 海賊バルバロス大船団——。

 それがマリシアを我が物顔で荒らしまくっているということだった。

 バルバロスという船団の提督は精霊器を持っているとかで、その圧倒的な力で近隣の海賊を次々と傘下に加えて一大勢力となり、マリシアを今は根城にしてしまったのだとか。

 最初こそマリシアの人々は海賊に抵抗しようとしたらしいが、海賊船は大小合わせて30隻。乗り込むのは荒くれ者ばかりということもあって、逆らえば容赦なく叩き潰されたのだという。

 事態を重く見てマリシアの街の代表者による会合が設けられ、取引をすると見せかけて時間を稼ぎつつ、ラ・マルタへ救援の報せを送って被害を食い止めようということになったそうだ。そして海賊との交渉にマリシア出張所の所長であるロンサールさんも出向いて——それきり戻って来ていない。

 抵抗を試みた者はその場で殺されるか、半殺しにされてどこかへ連れて行かれるということだった。連れ去られてしまった人の生死は明らかになってはいない。

「完璧にギル案件だなあ……」

「ギル案件……ですか?」

「ああいえ、こっちの話です」

 丁寧に説明をしてくれたのは、マリシア出張所の事務仕事をしているマルカさん。何とロンサールさんの娘さんだということだった。ビンガム商会は縁故採用もやぶさかではないようだった。

 ちなみにロンサールさんは2人目の娘を授かってからすぐに奥さんを亡くしてしまって、男手一つで2人の娘を育ててきたらしい。そんな父が海賊との交渉に赴いたまま帰らないとなっては、きっとマルカさんも不安で仕方がないと思う。

「エル様は古代遺跡探索を2度も成功させたと伺っています。どうか、父を、このマリシアをお助けください」

「……できるだけのことは、してみます」

 ギルに何か言われないといいなあ。

 まあでもこの事態をどうにかしないと先へ進むこともできないから不可抗力だと思いたいんだけど。

 それにしても大船団の提督バルバロスが持つ精霊器というのがすごく嫌な感じだ。どういうものかは分からないらしいけど、きっと海賊をまとめあげるだけの力を秘めたものなんだろう。正直、精霊器が敵に回ったことってなかったからけっこう怖い。


 ▼


「おう、エル。ちっと知り合ったやつがいてな。今夜泊めてくれるとか言うから、そこで厄介になんぞ」

「えっ。僕も出張所の人にまともな宿屋は海賊が屯しちゃってるから泊まっておいでって言われてるんだけど」

「そうか、そうか。じゃあ互いに親切を無碍にしちまうのも良くねえし、それぞれで厄介になって一晩たっぷり楽しむとしようや。んじゃあなー」

 一晩たっぷり楽しむって、何を。

 あ。海賊のこと言うの忘れてた。仕方ないから情報収集に徹してスムーズにギルが動けるようにしておこう。


「お邪魔しまぁーす」

 マルカさんのお家にお邪魔をしてみる。

「どうぞいらっしゃいませ、エル様。

 実は妹のミーシャがお客様を連れて来ていまして……」

「ああいえ、泊めてもらう身ですし……。それに僕も連れが、今日は別のところでお世話になるとかで、来られなくなっちゃったので」

「そうでしたか。さあ、どうぞ中へ上がってください」

「お邪魔しま——」

 中へ入ってすぐに見えた室内に見慣れてしまった人の姿を見て思わず固まってしまった。

「エル様?」

「あれ? エル、お前、何でこんなとこいるんだ?」

「ギル、もしかしてこの子って……連れてくるって言ってた、弟さん?」

「もしかして、ギルが一晩ご厄介になるって、ここのお家?」

「おう。いや、市場冷やかしてたら海賊ってえのが出てきてよ、礼儀がなっちゃいねえから軽く捻ってやったら助けてくれって」

「僕も所長さんがいなくって、事情を聞いたら海賊に連れ去られちゃって協力してほしいって言われて……」

「んじゃ、互いに今回のことは言いっこなしな」

「そうなっちゃうよね」

 それにしてもどういう偶然だろうか。

 お互いに泊めてくれるって人が現れて、その人達が姉妹だっただなんて。

 お姉さんのマルカさんはロングの黒髪で清楚な雰囲気が漂う綺麗な人で、妹さんのミーシャさんは同じ黒髪だけどショートで露出度が高くって、でもやらしさに近い魅力はあまり感じさせないタイプ。まさに美人姉妹。ロンサールさん、こんな娘さんが2人もいたら死んでも死にきれないんじゃないだろうか。

「それじゃあ、折角、偶然にも顔を合わせられたことだし、ギル。早速、海賊対策の——」

「パス」

「……対策」

「だから、今日はパス。今日はうまいもん食って酒飲んで寝る。以上だ」

「でも時間かけてたら被害者が——」

「大丈夫だろ。海賊なんてえのはよ、きっと俺なんかより10倍は自堕落な連中だぜ? 夜は酒飲んでどんちゃん騒ぎで終いよ。だったら別によ、こっちもサボ——英気を養うのに時間使ったって構わねえだろ? そういうこっちゃな」

 なんて言う暴論だろう。

 まあでも旅歩きが終わって街で休める初日なわけだし、多めに見てあげるべきかなあ。

 と。

 やさしくギルを見守ってあげようと思ったけど、途中でそれは放棄した。べろべろに酔っ払っちゃったギルには目を向けられなかった。ミーシャさんといちゃいちゃ——もとい、一方的いちゃちゃをしている。ソファーに空気さえも入れさせないように密着するように横隣りに座って肩を抱き寄せ、でれでれと、へらへらとしている。

 ミーシャさんは困ったような愛想笑いをしてしまっていて、ギルにセクハラ寸前なボディタッチをされてどん引き顔をしている。

「ギル、おやすみの時間だよ……。はい、寝ましょうねー」

「何だよぉ……俺ァ、まぁーだ——ひっく……」

「ちゃんとベッドで寝ましょうねー、こっちですよー」

 ベッドまで誘導して横にするとすぐにいびきをかいてしまった。

「ギルが申し訳ありませんでした……」

「え、エル様、そんなにおでこを床にこすらないでください」

「そ、そうそう、少し愉快になりすぎちゃっただけなんだから」

「しばらく禁酒を言いつけますので、許してください……」

 まったく、ギルは僕がいなかったら本当に修羅場以外ではダメ人間なんだから……。


 ▼


 むっすぅー、とギルは朝から不機嫌そうに頬を膨らませている。

 いつも通りに朝早くに起こして稽古をつけてもらって、古代文字の勉強もして、それから朝ご飯だ。マルカさんとミーシャさんが作ってくれた朝ご飯はけっこう質素だったけれど、焼き魚と小さなお魚のスープというもので滋味に溢れたおいしさだった。

 派手なリアクションを取るようなお料理じゃない。

 素朴でほっこりする、やさしいお味のお料理だった。落ち着く。

「ご馳走さまでした」

「大したおもてなしができずにすみません、エル様」

「いえいえ。とってもおいしかったです」

「んじゃ、食うもん食ったし……ちと二度寝するわ」

「寝ないの」

「いいだろ? 起きてたって何すんだよ……」

「海賊退治だってば」

「ああ、忘れてたわ……」

「もう、大事なこと忘れるなんて……。そこ忘れたらギル、ただの押しかけ無銭飲食だからね」

「へいへい……」

「まずは海賊の情報収集だね。今度は多対一の戦闘が想定されるから詳細な戦力把握をしないといけないし」

「んなもんいらねえって。俺が乗り込んで、終わり。事後処理はお前」

「ええええ……? でもでも、バルバロスって人が精霊器持ってるらしいよ?」

「だから何だよ? 精霊器なんざ一口に言ったって、お前の<ルシオラ>みてえなお守り同然のもんもあるだろ?」

「もしもギルの<黒轟>みたいな超利便性高い精霊器だったら?」

「腕が鳴るだけさ」

 うーん、この自信に裏打ちされている実績を見てきているから反応に困る。

「ですが、バルバロスは以前からその悪名の高さはよく知られています。ギルさんがとてもお強いのは承知していますが、万が一を考えると……」

「ほら。これが普通の意見だよ、ギル」

「そんなら一丁、俺様の実力ってえのを見せますかい。1日で終わらしてやらァな」

 正直、僕には無茶とか言えなくて、要するに止めることなんてできやしないのだ。

 だからすぐに出かけることになってしまった。引きつった顔の美人姉妹に見送られながら。生きて帰れるだろうか。

 ま、ギルがいるし——いや。

 このパターンは過去にも大変なことになっていた。ギルがいるからとて、慢心してはいられないのである。


 ▼


 いきなりのボス戦だった。

 港に停泊するひと際大きな海賊船こそが、バルバロス大船団の旗艦だったのである。<黒轟>で表にいる海賊を容赦なくギルは蹴散らしまくり、悠々と殴り込みを仕掛けていた。僕はこっそり、その後ろへとついてきた。

 そして海賊船へ乗り込むと、甲板から桟橋でのことを見物していたらしい大海賊バルバロスが待っていた。

 口髭は左右へびびーんと立派に伸びていて、顎髭はずーんとワイルドに尖るほど立派に顎から突き出ている。でっぷりとした樽みたいな大きなお腹がとっても印象的だった。そして頭にはお約束なのか、海賊ハットがある。あれ何て名前なんだろう。

「よう、デブ髭船長。お前がバルバロスか?」

「愚問。命知らずの若造とはお前か。昨日は部下が世話になったようだな」

「おうよ。ちゃーんと反省したか、あのバカどもは。まあだが、納得だな。あんなのを子分にしてる野郎ってのが想像つかなかったが、こりゃもう、納得としか言えねえわ。子分が子分なら、親分もめちゃくちゃバカっぽいもんな、あっはははっ」

 ほんともうギルって悪口まで切れ味が高いというか、笑いながらの悪口でバルバロスの眉間にものすっごーく太い血管が浮かび上がった。

「愚かな小僧め、ここで死んで詫びろ! <サジータ・アンコラム>!」

 ジャラジャラジャラと鎖の音が聞こえたかと思ったら、今度はざばーんと大きな波音がした。バルバロスの手へ舞い飛んできたのは船の錨と思しきものだった。大きな大きな船をその場に留めるために下ろされる、重さが売りの道具のはずなのに、その端っこのとんがりをブーメランのように握ってバルバロスが大きな体で、大きく振りかぶっている。

「ちょ、ちょ、待っ——」

 こんなの純粋にヤバい。だって錨だよ。アンカーだよ。

 そんなものをぶん投げてくるとか常識的に考えてあり得ない。

「——なぁるほど、面白えのなあ!」

 何でかギルがものすっごく嬉しそうな声を出していた。<黒威>の轟音がしてバルバロスの精霊器が中空で弾き飛ばされた——かに見えたが、勝手にぐるぐると回転して勢いを取り戻して再び襲ってくる。

「マジかぁっ!?」

「死に晒せェッ!」

「だがこんなもん、まだまだ余裕だぜィッ!」

 <黒威>の銃身でギルは再び飛来した錨ブーメランをぶっ叩いていた。

 いやそれ、普通に考えたらどれだけの衝撃なのかと。

 ただでさえ重量があるのに精霊器となっていて、しかも回転して勢いもついて、一体どれほどの威力になっているのか想像もつかない。そんな一撃を見事にホームランしていた。

「ちょろい、ちょろい、こんなもんかよ、デブひ——あん?」

「えっ?」

「それしきのはずがなかろう、小僧めが!」

 ギルの体が精霊器の錨に繋がっている鎖に絡め取られていた。巨大で存在感もある錨は陽動——これが本命だったというのか。腕を胴にまとめるように太い鎖がギルを縛り上げたかと思うと、そのまままだ飛んでいる錨に引っ張られて宙へと吊り上げられる。

「ギルぅー!?」

 鎖に絡まれた時に精霊器も落としてしまっている。

「海の藻屑になって死ねェ!」

 錨が錨らしく海へ飛び込んで沈んでいく。引きずられるようにギルまで海面へぶつかり、そのまま引きずり込まれて行ってしまった。

「……ぎ、ギル……」

 今回は慢心していなかったのに、ギルが文字通りの海の藻屑にされてしまうだなんて。——ていうことは、これ、僕はどうなってしまうんだろうか。

「残りはてめえだ、チビガキ。さっきの小僧と同じようにしてやってもいいが、散々、虚仮にしてくれた手前、楽には殺してやらねえ」

「ええと、ら、楽だろうが、苦痛に満ちたものだろうが……殺されたくないなあ、なんて……」

 杖を握りしめて、腰の裏の<ルシオラ>の柄も握っておく。

「だったらてめえで選びやがれ。野郎ども、袋にして沈めろォ!」

「ひぃいいいっ!?」

 甲板にいた海賊達がニタニタ笑いながら武器を持って包囲し、近づいてくる。

「おらああっ!」

「ひえっ!?」

 いきなり声を荒げて反りかえったカトラスを振ってきた。慌てて杖で受けて押し返す。小兵の戦い方としてギルに教わった通りに、距離を取らせずにそのまま肩から体当たりをして<ルシオラ>を突き刺す。1人だけに集中せず、周りを常に警戒することも忘れちゃいけない。

 頭の中で戦闘の心得チェックリストを確認する。

 □容赦厳禁

 □先手必勝

 □生きることが勝利

 □地形を利用しろ

 □武器にこだわるな

 □1人にだけ集中をするな

 □視界を広く、戦場全体を見ろ

 □一撃確殺を心がけろ

 □考えるより動け

 □一つの思考に縛られるな、臨機応変に考えろ

 よし、ちゃんと十か条を覚えてる。こんだけくどくど心得を説いておいて、最後に臨機応変さを説くらへんが何だかなあとも思ってしまう。色々と気をつけるべきポイントは多いけれど、最終的には柔軟にやりなさいという結論なのだ。

 しかし、意外と。

 何だかんだでギルに稽古をつけてもらって1年弱くらいにはなるけど、僕って意外と鍛えられているのかも知れないとか思ってしまう。

 何を隠そう、海賊達があんまり強くないんだなあとか考えられる余裕がある!

「ようし、こうなったらちょっと調子に乗ってぇ——」

 杖で海賊を突いて距離を取らせ、ついでに牽制もしておきながら<ルシオラ>を握っている手で構える。

「ファイアボ――あれ」

 盛大に炎でもぶち上げてしまおうと思っていたのに、何か感覚が違った。

 大波のように体の中の魔力が<ルシオラ>を持った手へ押し寄せるまではいつも通りだったのに、魔力が<ルシオラ>に流れ込んでしまったような感じがして、直後に出てきたのは炎じゃなかった。でもよく分からない光が出た。

「な、何だ、精霊器か——うおおっ? お、気持ちがいい……」

「癒される……」

「み、見ろ、傷が治ってるぞ!?」

 おかしい。

 海賊の反応が想像の正反対だ。むしろ、うっとりしたように放射し続けている光へ率先して飛び込んでいっている。止めた。

「やっちまええー!」

「どうしてそうなるの!?」

 あろうことか、敵を回復させてしまうだなんて。

 <ルシオラ>でなく、杖を持った手でもう一度、試してみる。

「ファイアボール! ——あっ、できた」

 今度は想像通りのしっかりした大きな炎が出てくれて、元気に飛び込んできた海賊達を飲み込んで甲板を炎上させながら水平線の向こうまで飛んでいってくれる。今度は少しファイアボールをアレンジして、大人数を掃討するために形を変える。

「フレイムサークル!」

 ネーミングなんて安直なくらいでいい。

 僕を中心に、輪っか状の炎を広げるように展開する。不思議なもので魔術で抱いた炎というのはどうしてか、物理的な重さも与えることができる。焼きながら、さらには吹き飛ばすこともできてしまうのだ。

 あらかたの海賊を甲板からぶっ飛ばしてさらに船は燃え上がる。海賊船なんて焼けてしまっても構わない。

「ようし、あとはボス戦だけ! ギルの仇を取ってやる!」

「精霊器の力か知らねえが、お前も沈めてやる! <サジータ・アンコラム>!」

 再び海の中から巨大な錨が大波を巻き上げながら出てきた。波を被って甲板の炎が鎮火される。

「ぶっ潰——」

「死ぬとこだったぞ、こん畜生がッ!!」

「えっ?」

「何ィッ!?」

 天国からのギルの声じゃなかった。

 錨に足をかけ、ギルが一緒に海の中から出てきていた。そしてマストの先端に着地する。

「<黒轟>!」

 そうギルが呼ぶと、甲板に投げ出されていた<黒轟>が勝手に動いてギルの手へ戻る。普通にもう、10分くらいは経っていたかのように思っていたのにピンピンしているようにしか見えない。ギルの手の中へ<黒轟>が握られるまで、僕もバルバロスもただ驚いて目を見開いていた。

「死に晒せ、デブ髭野郎ォッ!」

 激昂したままギルが<黒轟>を連射した。

 甲板に爆発が起きて穴が空き、木片が弾け飛ぶ。

「うわわっ、ちょ、ちょ、ギルっ!? ギル! 僕も爆撃されてる! ギルってば!」

 呼びかけても完璧にキレちゃってるみたいで鬼のような形相でひたすらに連射しまくっている。船倉へ潜り込んでもきっと危ないだろうから舳先の方へと逃げることにした。

「どうして生きてやがる!?」

「はあああっ!? んなもん、息止めてたからに決まってんだろうがァ!」

 いやいやいや、ものすっごーく長かったからね。

 だから驚いちゃってるわけだから、そんなに単純なこと言われても困る。

「てめえが海に沈みやがれ、ボケがァッ! ——スピアレイン!」

 <黒轟>から無数の槍が打ち出された。100や200では済まない、正しく槍の雨というほどの大物量の槍が海賊船を穿ち、削り、破り壊していく。そしてタイタニック号さながらに船体の中央がとうとうやられ、船首と船尾が持ち上がっていく。

「ギル、助けて! ギルー!」

「飛び降りとけ!」

「ひどいっ!」

 でも他に選択肢もなくて、覚悟を決めて飛び込んだ。

 そして、気がついた。——僕、泳げない。溺れる。

「ギルっ、ギル、助けてー!」

 どうにか海面で叫んだ直後、船首まで槍の雨でぶっ壊されて大きな木片が降ってきた。これあかんやん。

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