#017 犯罪はいけません!

 住み慣れた我が家に厳重に鍵をかけて、その鍵はエイワスさんに預かってもらうことにした。

 僕は旅歩きをしてアルソナ国内を巡りつつ、各地の出張所へ寄ってそこで仕事もする。それが長期休暇の条件で、ついでに路銀も調達できるという方法だった。

 路銀が尽きて、にっちもさっちも行かなくなったら近隣の出張所へ駆け込むことで再起をはかれる転ばぬ先の杖でもある。すぐにお金をお酒に変えてしまう錬金術師おおざけのみとの旅だからちょっと心強かった。

 まあ何にもなくたってどうにかなるんだろうけど。

 安心材料というものは、いざという時に精神安定剤になるから大事なのだ。

「まずはどこに行くんだっけか?」

「北部の辺境だね。でもぐるっと大きく迂回しながらあちこち回る旅程」

「だから、まずは、って言ったろうよ」

「山脈沿いだね」

「まぁーた、あそこかよ……」

「それ僕の台詞だから。さんざん歩いたんだから」

「へいへい。そんなら行くとしようや。オーリアール山脈だな。今度は遭難しないようにしようぜ」

「じゃあギル、お酒禁止」

「はあっ!? そりゃねえだろ!」

「二度と遭難したくないからね、しょうがないね」

「いやいやいや……お前それ、クソするな、飯食うなって話になるぞ?」

「なりませーんー」

 うだうだと嫌がるギルをあしらいながら出発した。

 5年以内で一度は戻る。

 だから旅の安全を願った。


 ▼


 旅をしていても僕が学ぶべきことを学ぶ時間は積極的に捻出することにしていた。

 教え子をとっても面倒臭がる、教師の風上にもおけないギル先生にしか教われないことだから、時間を作っても無意味に終わることも珍しくはなかった。

 身を守るための戦闘術と、古代文字のお勉強。どっちもギルからすれば教えるまでもないようなことらしくて、ついでに感覚派で、文字を読むと眠くなる体質も相まって先生としてはさっぱり向かない。——そんなことはとうに知っていたけど、それでも先生になってくれるのはギルくらいしかいなかった。

 ギルの指導は、とても指導とは言えない。

 基本的には生徒のやる気と向学心がなければ何も得られない。質問攻めをしていかないと教えてくれないのだから、教わる僕は必死になって細かい見落としがないかと目を皿のようにして些細な疑問点でも即座に尋ねる。その繰り返しなわけで、とてもじゃないけどやっていられないという気持ちがいつしかギルと通じそうでもあった。

 まあでも、戦闘術の方はマシと言えばマシだ。

 いくらでもつきあって相手はしてくれるし、手加減もきっちり心得てくれている。ついでに実力差がありすぎて、僕がどれだけ殺す気になったってギルには赤子の手を捻るようなものだという多大な信頼があるから、常に全力をぶつけて、上回ってもらって、山ほどの改善点が見つかって、それをブラッシュアップしていくという手法を取れている。しかしこれも終わりが見えない。

 本当に喧嘩三昧の日々でこの実力を身につけてしまったらしいけれど、その「喧嘩」という言葉にどれだけの修羅場が詰め込まれているのかと思う。

「ギル、ギル。ギルの喧嘩の範囲ってさ、どこからどこまで含むの?」

「はあ? 何だよ、そりゃ。互いに敵意剥き出しでドンパチすりゃあ、それはどこまで行っても喧嘩だろ?」

「なるほど、承知」

 やっぱりね。

 そうだろうと思ったよ。

 多分、その解釈次第では国同士の戦争だって喧嘩だということにされてしまいかねない。

 それほどに広い言葉に包括されている経験ならば、まあ、納得できなくはない。

「あとさ。魔術も練習はしといた方がいいかなって思うんだけど、人目にはつかない方がきっといいんだよね?」

「そうだな。今の世じゃあ、魔術なんて生きた精霊器みてえな扱いだろうから、妙な厄介に巻き込まれたくねえならやめといた方がいいだろう」

「精霊器って、ギルの時代からあったの?」

「ああ。そもそも精霊器を模倣したのが魔術の始まりだとか聞いたことがあるくらいだしな。で、誰もが生活で役立てられる精霊器を目指して、魔導文明は発達していったわけだ」

「ふうん……。あとさ。ギルが今教えてくれたようなことって、ギルの時代じゃあ常識? それともギルが物知りなの? それとも、そんなの三歳児でも知ってるくらいの大前提?」

「別に物知りって方でもねえとは思うが、気にしねえやつは気にしなかったんじゃねえの?」

「なるほど、なるほど……。実はギルって、上流階級?」

「だったら?」

「色々と納得」

「落伍者ってえやつさ、俺なんて」

 また気になる言葉を使っちゃったよ。

 掘り下げるほどにギルってバックグラウンドがどんどん出てきちゃう。

 僕の睨みだと、ギルは多分、ちょっとか、あるいはすごくか、とりあえず程度の差はあれどもいいところの生まれだ。でも魔導文明全盛時代においてギルは魔術適性がなかったから、喧嘩ばかりの幼少期を過ごしていた。恐らくは孤立していた。それを喧嘩で紛らわせていたと見た。

 人の人生は比較するなんてできないけれど、ギルもきっと僕と同じほど、あるいは僕以上に過酷な人生を歩んできたんだと思う。それなのに、どうしてか、ギルはやさしい。

 ぶっきらぼうだし、ダメ人間な側面はたくさんあるけれど、ギルはやさしいんだと僕は知っている。

 普通、嫌な思いばかりさせられてきた人間が、他人にやさしくするなんてできるだろうか。

 そういうところも何だか気になってしまう。それとも喧嘩でストレス発散していたからまっすぐ育っちゃったんだろうか。

 やっぱり本人に尋ねるのが一番楽だ。

「ねえねえ、ギル、ギル」

「今度は何だよ?」

「何でギルって、まともじゃなさそうな幼少期なのに、悪人じゃないの?」

「……だったら俺も言わしてもらうが、お前もそうだろ」

「え」

「奴隷だろ? その前は、何だっけ? 忘れたけど、まともじゃあねえだろうがよ」

「いやだって、僕はさ」

 ネグレクト。死因、親の機嫌が悪かった。

 奴隷。死にかけるまで奴隷。

 指摘されちゃうと確かに、僕もろくでもなかった。

「…………」

「そら見ろ」

「僕はほら……人に嫌われたくはなかったから、だったら人にやさしくしなくちゃっていう単純な理由だもの」

「どうだか」

「そうだよ。本人が言うんだから。ギルは?」

「俺はやさしくなんかねえの。ムカつくことはムカつくことにしてるだけ」

「じゃあ、性根がいい人なんだね」

「そういう言い方もよせよ……」

「いいじゃない」

「良くねえの」

 興味の尽きないものというのは、やっぱり張り合いになる。

 その興味津々の筆頭のギルとの旅というのはやっぱり飽きなさそうだなと思いました。


 ▼


 アルソナ帝国は今の皇帝陛下で5代目だという。約150年ほどの歴史がある。けれどそれは現在の国土となってからで、それより前は3つの国がそれぞれにあって侵略戦争やらが激しく繰り広げられていたのだとか。

 オーリアール山脈から南側で1国。

 山脈の北側を東西に分かれて2国。

 これらの国が統一され、現在のアルソナ帝国が建国をされた。建国初期は融和政策も取らずに、いわゆる統合された側の国民が不当な差別に遭ったりして治世も不安定だったらしい。でも戦争で疲弊した国を立て直すためにも労働力はたくさん確保したくて、そのためには新たに支配した土地の人間を使わざるをえなかったという。

 建国の初代皇帝はそんな不満を持った民衆によって暗殺を企てられて雲隠れしてしまった。

 その事態を重く見た2代目皇帝はとうとう融和政策を執り行った。しかし依然として労働力は必要。そこで、国民を一等と二等に分けることにした。

 一等国民はほとんど制限を受けない。善良に、税金もちゃんと納めていれば普通の暮らしができる。

 二等国民は税金を滞納して払えなかったり、犯罪を犯したり、あるいは国外から来た移民が対象となる。最初は二等国民になったら二度と一等国民にはなれなかったらしい。そして一等国民の家族の誰か1人でも二等国民となったら、家族ごと二等国民に落とされてしまっていた。また問題が発生してしまった。労働力は賄えたものの、今度は国内消費が減少してしまった。一等国民は貯蓄に熱心になり、万が一にでも家族の誰かが二等国民に落とされそうになった時に贈賄して保身をはかろうとしたのだ。そしてそれがまかり通ってしまっていた。国内消費が減れば、贈収賄が常態化して民心は荒んでいってしまったという。だから二等国民には条件を満たせば一等国民に上がることができるという制度に直したという。

 だんだんと国内経済も立て直しができてきて、衣食住が満たされれば今度は娯楽というものへ人はお金を落とせるようになる。その娯楽を求めて経済活動は活発化し、裕福な国へと育っていっている。

 さて。

 そんなアルソナ帝国の仕組みにおいて、一等国民でも二等国民でもない身分が、さらに2つある。

 それは貴族と、犯罪者である。貴族を特級国民、犯罪者を劣等国民とも呼ぶ。

 特級国民——つまり貴族は皇帝より領地を認められ、そこで税収を得られる。領地に熱心な貴族もいれば、領地なんてアウト・オブ・眼中な貴族もいる。領民は全て領主のもの。特権を振りかざして悪辣非道なことをする貴族だって中にはいるらしい。

 領地を持たない貴族というのもいる。何かの褒美として一代限りの名誉として与えられる爵位なんかを持つ人とか、いわゆる高級官僚とう政治面での大きな責務を与えられているパターンもある。だから必ずしも爵位と領地はセットではなかったりする。

 そして劣等国民——犯罪者には人権さえも認められない。劣悪な環境での重労働を強制され、刑期が終わっても一生を二等国民として生きなければならない。犯した罪によっては罰金だけで済んで、二等国民落ちとかっていうパターンもあって、軽犯罪なんかはそれだけで済むのが一般的なようだけれど、重罪を犯せば一生、過酷な強制労働ということだって有り得るのである。

 僕とギルはこの4つの階級で言うと一等国民なわけで、税金だって僕がしっかりと納めているわけだ。

 以上、アルソナ帝国の仕組み・初級編でした。


「——だからね、犯罪行為はしちゃいけません」

「おいエル、話が長えよ……」

 旅の途中のことである。

 同じく旅をしているというおじさんに出会って、近くの村までは一緒に行こうかということになり、明日には到着するかなあと思っていた真夜中だ。

「今なら未遂だし、警邏に突きだしたりもしないからやめよう?」

 ギルが気がついてくれなかったら、路銀も精霊器も旅装も、ごっそりと持って行かれそうだった。——そう、おじさんが泥棒を働こうとしていたのだ。

 朝起こそうとしてもうだうだするギルが、こういう時ばかりはやっぱりスイッチが切り替わるのか、すぐに気づいて、即席竈のために積んでいた石ころを泥棒おじさんに投げつけたところを飛び乗って捕まえてくれた。

「ちなみに泥棒だけなら二等国民に落とされるだけで済むケースが多いけど、余罪次第では劣等国民だよ。そうなったらもう一等国民にもなれないし、短くても1年の重労働を課されちゃう。

 さらに言うなら社会的に名前が売れている相手に被害を与える犯罪はね、裁判官がその有力者に取り入りたいっていう下心を働かせて必要以上の重罪にしてしまうということも珍しくないんだよ。あんまり言いたくはないけど僕は人よりも名前が知られているから、これが明るみになったら未遂であっても求刑されてしまうかも知れないよ」

「……す、すまなかった、許してくれ」

「分かってもらえれば僕は……。ギル、許してあげられる?」

「甘すぎねえか、お前?」

「どうせ僕には人を裁く資格なんてないし、事件になっていないんだから何もなかったことと一緒じゃない」

 すごーく不満そうな表情でギルはため息を漏らし、泥棒おじさんの上にでんと乗せていたお尻を上げた。

「おっさん、よそで同じことして捕まりゃあ、そん時は覚悟決めろよ? 二度としねえってんならいらねえ心配かも知れねえがよ」

「も、もうしない、本当だ!」

「口じゃどうとでも言えるしな……」

 ギルが取り返したものを広げて傷の有無なんかを確かめる。泥棒おじさんは這いつくばるようにして頭を下げたまま動かない。

 こういう手口の盗みっていうのはよくあることなんだろうか。それとも魔が差してしまっただけなのか。あるいは、やむにやまれぬ事情に駆り立てられてしまったのか。

 このおじさんはよっぽどの演技上手というわけでないのであれば、きっと悪い人ではないと思ってしまう。ギルの指摘通りに僕は甘いけれど、世の中は甘くないことだらけなんだから、僕くらいは甘くなってもいいじゃないか。

「念のためだ、おっさん、悪いが俺らの目につかねえとこで寝てくれ」

「ああ……すまなかった……。ありがとう……」

 しょぼくれるというか、憔悴しきった背中に悲壮感が溢れている。

「おじさん、待って。何か、事情があるなら話聞くよ。……本当は泥棒なんてする人じゃないんでしょ?」

「おいエル」

 ギルに咎めるような声で呼ばれたけど一瞥だけして抗議の眼差しを送ってからおじさんの方へ歩いていく。

「何か力になれるかも知れないし、悩みが解決できなくても人に打ち明けるだけでも楽になることってあるよ」

 腰を捻るようにして振り返っているおじさんの顔が、呆気に取られていたものから、くしゃりと歪んだ。


 ▼


 泥棒おじさん改め、グスタボおじさんは税金を滞納してしまっている一等国民らしい。しかし今期分の税金が支払えずに途方に暮れて別の村にいる親戚のところへ金の無心へ行ったが断られてしまった。その帰り道に偶然に僕らと出会い、身なりが良いのにのんびりしてそうで、夜も見張り番なんか立てることなくすやすやと熟睡しているところを見て魔が差してしまったと供述した。

「税金なんざ滞納する方が悪いんだろうが……」

「自分で払ってない人が言わないでくださーい」

「何をぅ?」

「でもどうして税金払えなかったの?」

「いつも通りの金はどうにか蓄えていたんだ……。でも領主様が体調を崩されて、その間の代役という執政官がいきなり納税額を大幅に引き上げてしまった」

「どれくらい?」

「……30万ロサ」

「はあっ?」

「30万って、そんなの庶民が払える額じゃないよ!」

 法外にもほどがある。——とは言え、納税額は領主や、執政官が決めるものだから彼らが法みたいなところはあるけど。それにしたっておかしな話だ。重税を押しつければ多くの人が二等国民にされてしまう。そうなったら領内の経済活動が鈍化せざるをえないわけで、労働者人口が爆増するだけだ。

「子どもは小さいんだ……。それに、病気がちの家内もいる。二等国民になんかなったら、食わせられないし、薬だって買えなくなってしまう。だから……金が必要だったんだ。守銭奴の執政官め……」

「……もしかしたら、その執政官はお金を集めることが目的じゃないかも」

「あん? そりゃ、どういうこった?」

「おじさんの住んでるところって、鉄道の計画ある?」

「え? ああ……そう言えば大きなトンネルを掘るとか」

「そのための労働力が欲しいのかも。だからどれだけお金を集めても、納税額を引き上げて人口の半数以上を二等国民にしてしまおうとするかもね」

「そんな……!」

「ついでにお金も手に入るし、やり口は度外視で工期の短縮という功績だけを買われることにもなる」

「お、俺達は奴隷じゃないんだぞ!?」

「……そうですね」

 けれど二等国民というのは奴隷を使わずに労働力を確保するためのシステムだ。ある意味では奴隷を認めている国よりも酷いのかも知れない。

「——だが、話が早くていいじゃあねえかよ」

 陰鬱になりかけた空気の中であっけらかんとギルが口を開く。

「その執政官とやらをお仕置きしてやりゃあいいだけだろ?」

「お仕置きって……。鉄道事業はアルソナが進めている国家事業だよ。それを邪魔なんてしたら、それこそ劣等国民にされちゃうかも知れないのに」

「何もバカ正直に真正面から乗り込んでぶん殴るだけじゃねえだろうがよ。月の出ねえ晩に誰かが執政官様のお命をちょうだいしちゃったなり、ある日気づいたら執政官様が消えてて二度と帰っちゃこなかったとか——」

「だーめ」

「何でだよ?」

「それは問題の解決じゃないよ。同じことを考える人が出てきたら意味がないもの」

「じゃあお前の言う解決ってえのは何だ?」

「労働人口に頼らない工期の短縮方法の模索と実現及び現執政官の悪辣な方法への批判です」

「……うん、俺の通じる言葉を使え」

「だからー、数は力なりっていうところを変えようって話」

「どうやって?」

「そりゃあ……文明の利器じゃない? 効率が悪いから大人数を投入しての人海戦術をしているんだから、効率を良くしたら多すぎる人員は管理の手間って観点から少なくするのが自然でしょう?」

「小難しい言葉ばっか使うもんだから俺には分からん」

「とにかく一度、トンネル工事をしている現場を視察してみて、その執政官にガツンと僕から言うよ」

「し、執政官に、ガツン……? きみは、何なんだ?」

「ビンガム商会のコーディネーター、エルです」

「び、ビンガム商会……!」

 やっぱりビンガム商会っていう名前はすごいらしかった。

 折角だからこの看板の威光はしっかり使わせてもらうことにした。

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