#014 苦戦を強いられてるはずのギルがすごく楽しそうに戦う
早いところ、機械式時計を作ってもらいたい。
だけど時計ができたら時間に縛られてしまいかねない。
ビンガム商会のコーディネーターとしては、精確な時刻というものが普及してしまったら「72時間働けますか」的な労働を強要されてしまうんじゃないかと危惧してしまう。
そんなわけで時計の構造ってどうなっているんだっけから始めて、ぜんまいと脱進機構について思考して、あとは再現可能な技術レベルとの要相談といった感じ——というところまで資料は作るだけ作ったけれど。
今、そうして作ってもらった時計があったとしてもあんまり嬉しくはないのかなと思ってしまう。だって、どれだけの長い時間、何の足掛かりもなく遺跡内を歩いてしまっているかを思い知ることとなってしまうのだ。
でも正確な時刻を秒刻みで教えてくれる時計を作り出してしまったら、この世界の歴史に名を残してしまうかも。
あんまりちょっと、それはガラじゃないかなあと思う。
「毒の具合はどうだ?」
「すぐに死ぬ系じゃなさそうで安心だけど……長引いたら、衰弱パターンもあるのかなって……」
「そういう思考ができるなら大丈夫だな」
ギルはほんと、根拠があるのかないのか、バッサリと判断してくれるから不安な時は信じてしまう。
「そもそも、でも……水がなくなりそう」
「はあ? マジかよ……」
「こまめに水分補給しろって言ったでしょ?」
「そうだけどよ……」
相変わらず体は熱いし、蜘蛛の体液を浴びたところが特にひりつくような熱さと痒さで、できるだけ意識しないようにしているけどちょっぴり辛い。いや、ちょっぴりでもない。
袖から出ているところは全て、変な色の皮膚になってしまっている。青紫色より赤色がちょっと濃くて、明らかに良くない感じだ。気になって上を脱ぐ。
「え。嘘っ……」
「お前、何し——うわ、おいおい、勘弁しろよ……」
首の付け根まで色は変わり、上半身は顔だけ残して見事に浸食されましたっていう感じだ。
「ちょっと下も脱げ」
「え、でも恥ずかしい……」
「んなこと言ってる場合か、脱げ!」
「いやーん」
「お前少しふざけたろ?」
「はい、ごめんなさい」
素直に脱いだ。下半身もやられてる。足首までいっちゃっている。僕から見えない背中側も同じだそうだ。
「この種の毒は遅効性だが……のんびりはしていられねえな……」
「分かるの?」
「ああ、恐らくな。じわじわと全身の表面に毒が回ったら、今度は内部に浸食していくんだ。まだこの進行状況なら大丈夫だろうが、あまり時間が残されてもねえな」
「時間が残されてないっていうと、どうなっちゃうの?」
「内臓まで浸食が広がっちまったらお手上げだ」
「全身に広がってから、内臓までいっちゃうのは……どれくらい?」
「さあな? 個人差もあるだろうが、お前は体も小せえから1日やそこらじゃねえか?」
「ああ……血の気が……」
「水はなくても腹ごしらえにゃ困らねえから安心しろ」
「え?」
ふらりとしそうになったら、おもむろにギルが新鮮な蛇の死体を持ち上げていた。その蛇どうしちゃうの。ナイフ入れちゃうの? 皮、そんなにべりべりーって剥げるものだったんだ、へえー。まるでこれから食べようとするみたいな……。
「た、食べるの……?」
「蛇もいけるんだぜ、けっこう」
ですよねー。
その場でお肉に変えて、焼いて、がぶり、むしゃむしゃとギルは食べた。それを見て恐る恐る食べてみた。——意外と臭みもなかった。筋張っているけど、それだけで味つけが薄いのが問題だった。でもそれはお塩でクリアした。ビンガム印の岩塩は素晴らしい品質なのだ。
▼
エルも随分と空元気を振り絞っちゃいるが、ぶっ倒れるのは時間の問題になってきている。少し前にとうとう、顔全部の皮膚が変色した。最早、顔色で容体をうかがうのは不可能だ。
だがそのせいか、よく回るのこいつの頭が鈍くなってきたらしく、魔物を見るなり条件反射とばかりに<ルシオラ>で果敢に向かっていく。今はあの<ルシオラ>が唯一のエルの薬だ。ちょこざいな考えを起こさず、素直に戦っていりゃあ<ルシオラ>の治癒能力で多少はマシになっているだろう。
立ち回りは酷いもんだが、俺が援護しておいてやれば問題はない。<黒轟>で横槍を入れようとする魔物を薙ぎ払っておく。
「あうあう……気持ち悪い……吐きそう……」
壁に手をついてエルが頭を垂れる。背中をさすってやると、おろろろとろくに消化もできなかったらしい胃の中のもんをぶちまけた。
「はぁー……はぁ……つらたん……」
「つらたん?」
「早く帰りたい……」
「どこへ?」
「……ヘイネルのお家……」
「そうだな。おばちゃんの焼き鳥と煮込みで一杯やりてえや、俺も。吐くもん吐いたなら行くぞ」
「うん……」
「参っちまいそうな時はよ、これからやろうとしてたこととか考えるのがいいらしいぞ。何かねえのか?」
「新メニュー、考えてたんだけど……早くおじちゃんに教えたいなあって……。火を通して潰したお芋をね、マヨネーズと和えるの」
「ほおう?」
「で、ぽりぽり食感のお野菜も薄切りとかで入れてね……。できることなら、キンキンに冷やしておきたいんだけど、それが問題で……氷室とかってヘイネルにあったかなあって……。氷室があれば氷を貯蔵しておいて、簡易冷蔵庫もできるから、キンキンに冷やしたポテサラと、キンキンジョッキのエールと……」
味の想像はつかねえがエルがそう言うんなら、うまいんだろうな。それにキンキンのエールってえのもいいかも知れねえ。
「悪くねえ話題だが、腹が減るのはなしだな。他にねえのか?」
「娯楽が少ないから……簡単な道具でできる、ゲームとか……。オセロとか……チェッカーとか……」
「何だ、オセロっちゃ」
「上下に白と黒の色を塗った駒を用意して、盤面に順番に置いていくんだよ。それでひっくり返して盤面がいっぱいになった時に……色の多い方が勝ちで……。隅っこを取る取らないの攻防があったりね……」
「よく分からん」
「面白いよ……」
「んじゃ、帰ったらそれやるか」
「ギルは勝てるかなあ、僕に……」
「べーつに、ゲームなんぞで勝とうが負けようがどうでもいいってえの」
「負ける前から負け惜しみかあ……」
「何をぅ?」
小突いてやったら、軽くしたつもりだったのに壁へ肩をつけて、ずるずると膝を折ってしゃがんでしまった。
やべ。
この程度でもうダメだったか、こいつ。
「おい、立てるか?」
「波動砲発射準備……入りましたあ……」
「はどーほー?」
「おろろろろろ……!」
うおっ、ばっちい。
つーか、何も腹の中に入ってねえじゃねえか。出てくんのは胃液だけか。それに脂汗もだらだら流してやがる。本格的に時間がなくなってきてる。
仮にこの遺跡から出られたとしたって、解毒の方法が見つからなきゃならないか。首尾よく遺跡内で解毒法が見つかればいいんだが。
「……あれ、ギル……とうとう、幻覚まで、見えてきたかも……」
「マジか。末期だな。言い残すことはあるか?」
「遺言は絶対に用意しないって決めたから……」
「んで、何が見えてるんだ? 顔も知らねえ親か、お前がやたらこだわってるレティシアとかいう女か?」
「……石碑……みたいな、オブジェクト……?」
また妙なもんを見るもんだと思って、呆然としているエルの視線の先を見る。
「おっ? おい、幻覚じゃねえよ。俺にも見えらあな」
薄暗がりで目を凝らす必要はあったが、確かにそれらしいものがあった。歩み寄ってみるとでっけえ石板が壁に立てかけられている。ご丁寧に古代文字ときた。
「『残念でした。ここと対角に下層への入口のヒントを隠した。がんばって走ることだ。間抜けな盗掘者め。』——?」
「つまり、無駄骨……? 対角……?」
読んでる間にエルが文字通り這いつくばってきていた。立ち上がることさえ億劫らしい。ゲロまみれになりやがって。
「ていうか……こんな文字、読めるの、ギル?」
「おうよ。だが、相当に性格が悪いしな、ここの野郎は……。ぞんがい、対角ってえのもおちょくってる可能性が高い」
「おちょくり……」
「そもそも、俺らはずっとまっすぐ来てるんだ。対角ってえのは入ってきたとこに当たるのに、そこに下層への階段なんざ考えにくい。先に来た連中が見つけてるだろうよ」
「ていうことは?」
「ほんとの下層への入口が、ここって可能性だ。こういうムカつくことを刻みつけたんだから、こいつを壊せって意味合いがあると見た。——てえことで、ぶっ壊せ、<黒威>!」
「いきなりっ!?」
石碑目掛けて<黒威>をぶっ放す。
睨んだ通りに石碑は異常な硬度を見せて<黒威>に抵抗を試みたが、受け止めて数秒で音を上げたらしい。とうとう亀裂が入り、そこから爆散して砕けて消えた。
「ほうら、ご覧の通りだ。このだだっ広いフロアにだけリソースをつぎ込んだってえ線も高い。折り返しは過ぎたぜ、エル」
「おおー……さすがギル。こういう時はやっぱり頼れる」
「こういう時は?」
「おろろろろ……」
「嘘ゲロ吐くんじゃねえ」
「バレたかあ……」
「行くぞ」
エルの首根っこを掴み上げて、石碑がどいたことで現れた階段に向かった。
▼
「あれ……? ここはどこ……? 僕はエル……?」
違うとその光景で瞬時に答えが出た。
長い夢でも見ていたのかな。家にいた。1DKのマンション。中国製の安い壁掛け時計が4時56分で止まっている。ひぐらしの声が聞こえる夕刻で、窓からは赤い夕陽の光が差し込んでいる。
何だかすごく、頭がぼんやりする。
お腹が空いている。喉もカラカラだ。ぶぅぅぅん、と低く唸り続けている冷蔵庫の扉を開ける。お酒、お酒、お酒——腐りかけの、白菜のお漬物。何もない。
冷蔵庫には期待できない。背伸びして戸棚を開けてインスタントラーメンを探したけど空っぽだった。
何か食べたい。ぐうとお腹が鳴いて、さすったらドアが開いた。
「っ……」
お母さん——まだこんな時間なのに、何で帰ってくるの。
ああ、怖い。どうしてこの怖さが久しぶりに感じてしまうんだろう。お母さんは無言で近づいてきて、買い物袋をダイニングテーブルの上へ置いた。
「おかえり、学校どうだったの?」
「え……ふ、普通……」
「そう……。今日はご馳走作ってあげる。あんた、何が好きだったっけ? ハンバーグとか、好きだよね? これ、冷蔵庫に入れてくれる?」
ぶってこない。
罵倒してこない。
見たことのない、やさしい笑顔を向けてくる。
何だこれ。何これ。意味不明。
「い、いつもより……帰るの、早いよね……? どうしたの……?」
「どうしたのって……。何とぼけてんの。今日は誕生日でしょ?」
「……誕生日って」
「あんたの11歳の誕生日」
ああ。これって夢だ。
趣味の悪い悪夢の類かも知れない。僕の生前の母親が、こんなにやさしそうな人のはずがないんだ。
生前?
ああ。そうだ。
とっくに僕は死んでるじゃないか。
「……どうしたの? 変な顔して。顔色も悪いし」
母に近づかれてたじろぐけど、お構いなしにおでこに手を当てられた。ふわりと花の甘い香りがした。体が条件反射で逃げるように一歩退き、尻餅をついてしまう。
「ちょっ、大丈夫なの?」
「っ……」
「熱があるんじゃない? もう、折角の誕生日なのに……」
「ご、ごめんなさい……」
「謝ることじゃないでしょ? ほら、横になって安静にするの。体温計、体温計……どこにやったっけ。とりあえずほら、お布団に行って寝てなさい」
おかしいよ。
どうしてこんな夢を見ているんだろう。
悪夢じゃないか、こんなもの。だってこの
それなのに、こんなにあったかくて、やさしく抱きしめてくるだなんて、酷い悪夢じゃないか。
どうしたら、この悪夢から抜け出せるんだろう。
こういう時は、そう、こういう時ばかり頼りになる■■の言葉にヒント——あれ、名前が出てこない。
■■□■■の顔も思い出せるのに、彼女の名前も出ない。
おかしい。あれ。
そもそも僕の名前って何だったっけ。■■□■■がくれた僕の名前って一体——。
「いや、これだ……」
名前を思い出さないと。
きっとこれが悪夢を脱するための手段だ。……でなきゃ、どうしよう。
▼
「——ぶはあっ、クソ、趣味の悪い野郎め」
嫌な記憶を美化した夢を見せてその中で死に至るまで眠らせるってえところか。
しかしこの手のトラップはほんと、いつ引っかかったのかが分からねえ。
「おいエル、起きろ」
俺と同じように床へぶっ倒れていたエルを揺すってみるがぴくりともしない。
「……こりゃ、自力で抜け出てくるしかねえやな。気張れよ、エル」
大好きなおんぶをしてやって歩いていく。
これ以上のトラップはねえだろう。古代遺跡の守護者がいる程度のはずだ。しかしこの調子だとボスもかなり趣味の悪い仕様になっている可能性が高い。
そもそも、どこの誰がこんなもんを作りやがったのか。
相当なひねくれ者と見た。——あ。そういや、心当たりがなくもないかも知れん。
一本道の階段を降りていく。踊り場で足を止めてみる。妙なトラップは、なし。トラップがあるかないかで神経を使わせるんだから趣味が悪い。
だが、幸いにももうトラップはなかった。
階段を下りきった先にちゃんと四方の壁が見えるフロアがあった。
蝙蝠めいた二対の翼。耳がやたらに尖った禿げ頭。骨と皮ばかりの体躯。腕も足も人の2倍はありそうな長さで、関節も1本多い。でもって黒くて艶やかな、先端が
「ガーゴイルかよ。ほんっとにやらしいもんを配置しやがって」
「ギギ——ギギギ、ギッ!」
「ご主人様のお名前を教えてくれよ」
エルを下ろして端っこへ寝かせておいた。
「『我が名はサルヴァス! 何人で踏み入り、一体、何人がここへ辿り着けた? んん? どうだった、我が宝物庫は! この大魔導士たるサルヴァス様の宝を盗もうなどという不届きものには相応しい誅罰であっただろう! うわはははっ! ガーゴイルを下したら、宝を委ねてやろう! まあ無理だがなあ! 何せ、サルヴァス様が直々に調整したのだからなァ! 屍となって朽ち果てるが良い! うわーっははははっ!』」
おうおうおう、わざわざガーゴイルに自分の肉声を仕込んでのご挨拶かよ。
サルヴァス——やっぱあの奇特な野郎は死んでもうざい。
「ギグ、グ……! ギギャアアアッ!」
「直々に調整ね。……楽しませてくれよ、サルヴァスちゃんよ!」
翼を広げたガーゴイルが奇声を発して跳び上がった。<黒轟>をぶっ放すがまた一声、けたたましく鳴くとガーゴイルの周囲が陽炎でも揺らめくようにねじれて俺の一撃を掻き消した。
「マジか……。だったらこっちはどうだ、サルヴァス!」
<黒威>を今度はぶっ放すが、また一鳴きで黒雷まで掻き消される。
「……」
「ギギギャアアアアッ!!」
「おいおいおい、ちょっと待て、何だそれ!?」
<黒轟>も<黒威>も通じないなんて初めてなんだが。
ガーゴイルが奇声を発しながら滑空してきてやたら長い腕を振るう。爪もかなり強烈そうだ。<黒威>の銃身で受け止めて至近距離で<黒轟>をぶっ放してやったが、これもまるで通じなかった。そよ風にさらされたとばかりに軽々しくガーゴイルは体を回転させて尻尾を鞭のようにぶつけてくる。
「こいつ——おい、おい、待てっ、こら!」
「ギギッ!」
待っちゃくれねえ。
ま、言葉も通じねえのは当然か。
「しょうがねえなあ、おい——めちゃくちゃ楽しくなってきやがったじゃねえの!」
<黒威>の銃身でガーゴイルの頭部をぶっ叩いて石床にぶち当てる。その間にエルの方まで走って戻り、杖を拝借する。
「ギギャ、ギ!」
「おうこら、調子に乗ってんじゃあ、ねえぞ!」
後ろからまっすぐ追いかけてきたガーゴイルの喉笛へ、振り返りざまに杖を突き立てる。
「ギグ——」
「まだまだァ、死なねえよな?」
吹っ飛ばしてから<黒轟>を連射してやる。何かしら効けば良かったがやはりこれはまったくもって通じないときた。
「やっぱ効かねえのな。ま、この方が面白えからいいや」
撒き上がった塵の中からガーゴイルが出てくる。
「ギギギャアアア!」
まっすぐ来たかと思えば、直前で翼を広げて急減速して尻尾を振るってくる。色々とやってくれて面白いやつだ。
「殴り合いとか、
尻尾を掴み取って引き寄せて杖で殴り沈める。跳ね上がったガーゴイルの翼の付け根を杖で突き落とし、抉るようにして持ち上げて蹴りつける。
「ギギャ——!」
「何だ、普通にタフだな。ま、精霊器でもねえただの物理攻撃だし、仕方がねえか。やっぱ装備なんてのは粗末でいいのかもな……」
やっぱ戦いってえのはてめえが楽しまねえと作業になっちまう。
こういうのが一番、高揚しちゃってたまらねえ。
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