1.兆し
その日、ドアの部屋はいつもと様子が違っていた。いつもならドアが……確か五つはあった。それがたった一つしか無い。白い部屋に茶色い五つのドア。それが白い部屋に金のドアが一つに変わっていた。
俺は変に思いながらも、いつもの様にドアを開ける事にした。部屋の中央からドアに向かう。ドアノブを握り、捻り、押し開くと――びゅう、と強い風が吹いて、草の匂いがした。
風の強さに思わず目を細める。すぐにやんだので恐る恐る周囲を見渡すと、そこには雲一つ無い青空の下に草原が広がっていた。
「……イネ科かな」
しゃがんで、草を摘まみながら呟く。要は良くある雑草だ。
草は青々としていて、強く擦るときゅっと云う感触があり強く匂った。
「随分リアルな夢だな」
ここまでのクオリティは珍しい。立ち上がって、改めて周囲を見回す。
建物などは見当たらず、少し行った先には木々が見え、遠くに細く煙が見えた。
「夢の主はあそこか?」
俯瞰で見る夢もあるから、夢の中の登場人物に必ず夢の主が居るとは限らないが。兎も角煙が立つと云う事は火が熾っていると云う事で、それはつまり誰かが居るだろうと云う事だ。自然に煙が立つ事もあるだろうが、確率的には誰かが居る方が高いだろう。俺はその煙を目指す事にした。
目を覚ますにはドアから戻るしか無い(と思う、少なくとも他人の夢の中から目が覚めた事は無い)ので、ドアから遠く離れるのは不安ではあった。が、誰が火を熾しているか、好奇心の方が勝ってしまったのだった。
ざくざくと雑草を踏み締めて進む。時折バッタらしき虫が跳ねた。サイズからして成虫ではなく幼虫だろうか。爽やかな風が吹く。季節的には初夏だろう。現実と同じだ。
何事も無く木々の立ち並ぶ場所までやって来た。振り返るとドアが見えて安心する。正面に向き直って奥を見ると木々は随分遠くまで続いている様で、煙の根元は見えなかった。
もう一度ドアを振り返る。変わらずある。正面を見る。先は見通せない。
ええいままよ!
俺は木々の中に足を踏み入れた。
草原より背の低い草ががさりと鳴る。木の葉に遮られて陽光はあまり届かない。急に薄暗くなって少し心細くなり、またドアを振り返った。ある。ほっと小さく息を吐いて、再び歩き出した。
暫く進むと、耳元でぶぅんと羽音がした。びくっとして立ち止まる。音の出所を目だけで探すと、蜂らしき虫が飛んでいた。全体的に黒っぽく、大きめで、ふわふわとしている。恐らくマルハナバチと呼ばれる種だろう。
温厚な種で人を刺す事はそう無いらしいが、刺激すれば話は別である。俺はそいつが去るまで身動きせずに待つ事にした。何が気になるのかそいつは暫く俺の側をぶぅんぶぅんと飛んでいたが、その内気が済んだのか奥へと飛んで行った。
もう羽音がしない事をしっかり確認して、また歩き出す。耳をそばだてると、他にも生き物の気配があった。鳥の囀り、小動物が草をかき分ける音なんかも聞こえて来る。
俺はここまでのクオリティの夢を見るのは初めてで、一層好奇心が湧いて来た。こんな凄い夢を見るのは、一体どんな人なのだろうと思ったのだ。俺は逸る気持ちのままに歩む速度を上げ、最後は殆ど走る様にして木々を抜けた。
そこには色とりどりの花々が咲き誇り、風に揺れていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます