第9話 勉強会③

「うう……眠い……ふああぁ」


 るいは大きく口を開いて欠伸をしながら、テーブルに突っ伏した。


「まだ半分しか解いてないじゃないですか。やる気あるんですか」

「だってぇ~……。多いんだもん」


 この欠伸は偉大なる無意識の世界への入り口。瞼は重力に逆らえないし、生理現象だからしょうがないのだ。るいは弁明する。


「もう一度ハリセン食らわせましょうか?」


 るいの後頭部傍に紙製の扇をセットするつとむ。


「それに、昔に比べればたかが知れてますよ。午後まで授業があったらしいですし」

「なにそれ寝ろって言ってんの?」


 一方上級生、かなれ先輩はというと。


「ゆいちゃーん、生物濃縮ってなあに?」

「生き物にはヒエラルキーがあるんだけどね。三角形で考えてみて。例えば魚で考えてみると……」


 私立というだけあって進度が速い。ちょっとぐらいと現を抜かすと、いつの間にか置いてけぼりだ。主な被害者は藤川るい。御倉かなれも、最近は危ういと感じていた。

 それ以上に特筆すべきは、ポーカー——羽衣原 ゆいの知識量だ。勉強したという言葉通りだ。おかげでつとむは手間が省けて楽だと喜んでいる。そしてかなれはタジタジというわけだ。


「はあ……上級生としての面目丸つぶれだよ……」


 それを聞いたポーカーはクスクスと口を押えて笑っていた。

 そっか……この中じゃポーカーが一番年上なのか。るいはふと思い出す。言動が少女そのものであるため、しょっちゅう忘れてしまう。


「もとからありました? そんなもの」


 つとむの鋭い指摘。歯に衣着せぬ物言いは昔から変わらずだ。と言ってもるいは、高校生としてのつとむしか知らないわけだが。


「酷くない?!」

「……続き話しても良い?」


 困ったような表情で窺うポーカー。


「ああっ。ゴメンね、ゆいちゃん」

「有害物質を含んだプランクトンを小魚が食べ、その小魚を大きな魚が食べる……この連鎖の中で有害物質の影響が大きくなっていくの。例えプランクトンが食べた有害物質の量が微量でも、人間が取り込むころには身体に異常をきたしてしまう。その結果が、大昔の『公害』と呼ばれるものなの」

「なるほど~」


 シャーペンが再び走り出し、黒い線が道筋を残す。ポーカーの解説が、丸い字へと変換されノートに記された。


 ひと段落ついた所で、お菓子を囲んで休憩することにした。るいはカバンから棒付きキャンディセットを取り出し、テーブルの真ん中に置いた。


「珍しいですね。てっきりいつも通りのスナックかと」

「ポー……ああ、ゆいからのリクエストなんだよ」


 ポーカーの視線はキャンディに釘付けだ。外袋から顔を覗かせる宝石一つ一つをじっくり眺めている。どれにしようかと窺っているその眼光は、小動物が獲物を狙う時のものと似ていた。


「ちょっと待ってて……よし、開いた」


るいが開けてポーカーの目の前に袋を差し出す。


「私から……いいの?」

「ああ、君が選んだんだから」


 ポーカーは目を輝かせながら手を突っ込んだ。出てきたのはストロベリー味。飴の部分は透明な袋に包まれており、宝石を収容するショーケースを彷彿させる。安物なのに、その意味では高貴さを感じさせる。


「喜ぶゆいちゃんもかわいーなあ」


 覗き込むかなれ。目を細め、満足そうに微笑んでいる。傾きの小さい放物線を描いた口元は緩みきっている。

 後輩たちはそれとなくポーカーの前に座りなおした。手遅れになる前に対策を打っておく。対照的な二人だが、こういう場面では意見が合う。

 肝心のポーカーは気にも留めず口にくわえる。口の中を、丸い塊が蠢いているのが分かる。ご機嫌なその姿は子どもそのものだった。だからこそ俗から最も遠い。かといって風雅というわけでもなく、むしろ日常から最も近い、ありふれた少女の姿がそこにあった。

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