第10話 夢と希望と

 長きに渡る試験期間戦いが終わり、それぞれの結果が返ってきた。ポーカーの教えが良かったようで、かなれの成績は過去最高。


「ゆいちゃ~ん、ありがとぉ~」


 写真部部室。初めての教室に戸惑うポーカーに、容赦なく飛びつく部長。


「あうっ」


 ポーカーは突然の抱擁に驚いていたが、まんざらでもない様子だった。


「ふふっ、どーいたしましてっ」


 照れながらも、花咲く笑顔を見せていた。

 二人の声を、理科教室が閉じ込める。


「あ、そうだ。るい! キャンディあげる」


 ポーカーの手のひらにはキャンディの入った包み紙。それをるいに差し出す。るいは遠慮がちに取り、尋ねる。


「え? ああ、ありがと。でもどこから?」

「お店の試食コーナーに置いてあったの」


 ポーカーの応えには、子どもが親に報告するかのような微笑ましさがある。この頃幼さが増したような気がする。それほど心を許したということなのだろう。


「そっか、ありがとね」


 るいは改めてお礼を言い、制服のポケットに入れた。ガラスを扱うように、優しく。


「えへへ、喜んでくれて嬉しいな」


 そう言って笑いかけるポーカーを、かなれはじっと見つめていた。


「仲良いねぇ~。いつもそんな感じ?」

「まあ……そうなんですかね」


 照れくさそうにるいは答える。夕食を共に食べる関係であるものの、それを言うのは気が引けた。寂しいからなんて、恥ずかしくて言えやしない。彼にもプライドというものがあった。


「それで部長、今日はなにするんですか?」


 るいが問いかける。テストでは欠点ギリギリ回避の偉業を成し遂げただけあり、全体的に余裕を感じさせる。


「うん、たまには写真部っぽいことをしようかなって!」


 この部の雰囲気を一言で表すと、かなり緩い。部員を見ても察せるだろうが、自覚が足りない。決まった日しか学内でカメラを使ってはならないという校則が追い打ちをかけ、活動もこじんまりとしていた。活動内容もトランプをしたり、勉強会を開いたりともはや写真とは程遠い内容。例の言い伝えのおかげで無闇に遠出できないため、一年に数回ぐらいしかそれっぽい活動ができなかった。部長こと御倉かなれは、賞を受賞した経験もあるほどセンスと技能があるのだが、本人はあまりひけらかしていない。あくまでエンジョイ勢という立ち位置だ。


 彼女の提案は、明日正午に町へ出て色んなものを撮ろうといういたってシンプルな内容。反対する者もいなかったため、すんなりと決まった。

 流れるようにポーカーの同伴も決まった。というか、かなれが勝手に名簿に加えていた。ポーカーは部活のあれこれは知らなかったようだが、仲間に入れたことを素直に喜んでいた。






————


 次の日——。


「よっし、二時間後にここ集合ね!」


 ルールは簡単。自分が心躍る風景や動物、建物を撮ってくる、というもの。制限があるとすれば、ピンポイントで人は撮らないことぐらいか。撮るために何をしても良い。道具を使って演出しても、敢えてブレさせても良い。とにかく自由だ。写真部の大半がその手のノウハウを知らないため、技巧というよりかは直感がカギだ。


「私、るいと行きたい!」


 かなれが承諾すると、ポーカーは跳ねて喜んだ。

 そんなこんなでチームが決まり、一時解散。歩いていく二人を、かなれは見つめていた。ポーカーは何やら楽しそうに、るいと話している。


「どうしたんですか? 先輩」

「ぁえ? うーん……なんかポーカーちゃん、るいを見る目が私たちを見る目と違う気がするんだよね。」

「そうですか?」


首を傾げ、かなれは言う。


「なんか……何と言うかさ? るいを通して、違う誰かを見てるような気がするんだよねぇ」


二人の姿は点となり、やがて見えなくなった。


 フラフラと川沿いを歩いている。ポーカー川に興味を持っているようで、煌めく水面を何度も見つめていた。


「気になるのか?」

「昼間はあまり出ないから」


 坂を下り、川の傍へ行く。ポーカーの足取りは軽い。無重力な世界で浮いているように、彼女を縛りつけるものは何もない。

 手を浸けて、流れを感じる。そのまま流されてしまいそうな細い指先は、川底に沈む岩も相まって一層引き立てられていた。


「気持ちいい~」


 チャプチャプと音を立てる。


「撮ってもいいか?」

「え、でも人はダメって……」

「見せなきゃ大丈夫だよ。二人だけの秘密な。現像したら君にあげるよ 」


 ぶっちゃけ先輩も甘いからな、かるーく許してくれそ……いや、なんか嫌な予感がする。やっぱ見せないでおこう。そうるいは心に決めた。


「うん! ありがとね!」


 しぶきが跳ね上がる。何色にも染まっていない雫は、快く少女と戯れていた。


「——ねえ。るいは何か撮りたいものとか、見たいものないの?」


 しゃがんだまま、少女は問いかけた。

 特にない……てのも寂しいか。少し考えた末、るいは答えた。


「星空でも見たいかな……なんて」


 僕らは夜の世界を知らずに育った。ポーカーに出会った日の夜も、眩暈やら寒気やらで見る余裕がなかった。あの“夜”は、一体どんな夜だったのだろうか。


 満天の星空の下で眠りたい——それが僕の夢だ。点描画のように空を覆いつくす星々。それを束ねるように浮かぶ月。教科書でしか拝むごとのできない景色を、この目に焼き付けたい。レンズに収めたい。


 ずっとずっと昔の人々は、なんと月を暦にしていたらしい。満ち欠けで日にちを確認することができた。明かりの代わりにもなったらしい。贅沢な話だ。太陽が世界の中心になってからも、月は欠かせないものだった。月を見れば天気が分かったそうだ。例えば、朧月なら次の日は雨、とか。ネオンが台頭した時代でも、当たり前のように人々は月を見上げていた。


 ——今の僕らには、見上げる夜空がない。赤く染まった後の空の行方を、見届けることができないでいる。


 大昔、宇宙人について語られたゴシップ紙があったそうな。先輩の教科書を見せてもらったことがある。百何ページだったかのページ上部に、注釈付きで載っていた。スーツを着た二人組の男と手を繋いだ、頭のでかい小さな人型の何か。今にも折れそうなほど細い銀色の腕。

きっとその宇宙人も、あの世界から夜空を見たかったんだ——僕は今でもそう思っている。僕が宇宙人なら、遠路はるばる来ていただろう。そして、積年の野望を果たすはずだ。天然のプラネタリウムを満喫しながら、ゆっくりゆっくり夢に堕ちたいものだ。


「そっかぁ…………いつか見れると良いね」


 しみじみとした声で、ポーカーは答えた。水面に映るその表情は、歪みの無い綺麗なものであった。




「——今、あなたはこの世界が好き?」


 ゆっくり立ち上がり彼女は言う。生暖かい風が首筋を伝い、ドクドクと胸騒ぎがした。拒絶反応、とでも言えばいいか。でも少女には、きっと分からない。


「なら——良かったね」


 聖母のような、慈愛に満ちた微笑み。いつか彼に見せた、死神の佇まいとは対極の姿。柔らかな白い肌を、とろけそうな口元を、深い深い瞳を青年に向けていた。だが彼女の視線は、彼には無かった。その瞳のずっと奥にいる、遠い遠い人ポーカーを見ていた。


 ——だから心が、少女を避けようとしていた。

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