第3話 日常のひとつまみ
夜に外に出てはいけません。建物に入るなど、姿を隠してください。夜は私たちを食べてしまいます。姿を見せたら最後、肉塊になってしまいます。姿を見せなければ助かります。
皆さんは、日が完全に暮れる前に帰りましょう。
————
藤川 るい は、真昼の廊下にいた。
結局あの後、ポーカーと名乗る少女は姿をくらましてしまった。
銀色の風が少女を包み、るいの頬をなぞる。目を開けた時には物静かな廊下に彼が一人立っていた。まるで何も無かったようだった。彼は呆然として、なぜられた頬を手でおさえていた。ぽおっとあたたかくなるのを感じていたから。
「聞きたかったな……」
帰り道、るいはぽつりとつぶやいた。
「「ポーカー?」」
あの時の少女の言葉が、どうも気にかかった。
ポーカーと名乗る少女が、なぜ僕のことをポーカーと呼んだのだろうか。“ポーカー”が二人いるということだろうか、と。
「さっきから何をぶつぶつと……」
つとむが疑わし気に顔を覗き込む。短い黒髪——黒と言っても真っ黒ではなく、小学生の頃にハマった人も多い練り消しのような色——が、垂れ下がる。
「え。……いやあ、何にもないよ。あははー」
作り笑いをしてごまかす。
話しても信じてもらえないだろうと思った。この堅物人間に話しても「何を言っているんですか夢でも見たんでしょう仕事中に眠るなんて嘆かわしいレモン汁でもぶっかけて差し上げましょうか」と返答されるに決まっている、と悟っていた。
ずいっと女の人が顔を見せる。
「あまりの眠気で教室間違えたんじゃない?」
そういったのは彼らの先輩、御倉 かなれ。るいやつとむも所属する写真部の部長でお調子者。しかし部長というだけあって責任感はある。栗色の長いストレートヘアーの持ち主であり、その髪の一部をツインテールのように結び、残りはまっすぐおろしていた。
今日はつとむと一緒に帰路についていたのだが、学校から一番近い信号付近でかなれと出くわした。部長会があったらしく、「よりにもよってテスト期間に部長会とかないわー」と愚痴をこぼしていた。
「ご愁傷様ですな」
適当に返事をしておく。
「それにしても、テスト勉強の進捗はどうですか?初日まであと5日ですが」
うちの学校では、定期試験は7日間にわたって行われ、その前の1週間は原則、放課後の部活動を禁止している。さっき部長が愚痴ってたのにはそういう背景がある。
ふいっ。るいとかなれはそろって目を反らす。
「ちょ、こっち見てください。先輩もなに交ざってるんですか」
「だってさあ、僕には他の人よりもできる時間が少ないんだよお」
「え、そーなの?」
「勉強しようとしても、気がついたら朝になってるんですよお」
「寝てるだけじゃないですか」
「あー分かる~。」
「分かっちゃ駄目ですよ先輩。このバカは前世がナマケモノなんで」
「おお、委員長がユーモアのある発言を!」
「つとむも成長したね」
「馬鹿馬鹿しい……」
ため息をついてつとむは言った。
「その様子だと、あまり余裕がないのでは?」
「ご名答。おわっ!」
つとむのチョップがるいの頭に直撃……の割にはそんなに痛くない。
「うう……、なんなんですか。僕の方がダメージ大きいですよね?!」
痛みの9割はつとむが担ってくれる。それは本人にも分かっているだろうが、ついつい手が出てしまうんだろう。彼の悪癖だ。
「まあまあ。いつもみたいに勉強会開こうよ。つとむ君家で」
「またですか?」
つとむが呆れた表情をしているのは、「もっと計画的に勉強しなさい」という意味なのだろう。
本気で嫌だったらかなれも自制する。「違うところでしよう」とか、「各自で頑張ろう」とか言うはずだ。あれでも先輩は他人の目をしっかり見ている。その辺の察しは良い方だ。だから大丈夫だろうと安心する。
「まあ、クラス平均のためなら、安いものでしょう」
よっぽど成績が心配なのだろう。普段から居眠りばかりのるいの成績はお察しである。かなれは中の中ぐらいであるが、喜んでついてくる。
「やったあ!」
子どものようにはしゃぐ先輩。
「2日後で良いですか。さすがに、急だと親が困ってしまうので」
「うん、ありがとな」
礼を言う。恩の数は数えきれないだろう。だからこその奉公であるが。
「それにしても、クラス平均が下がってもつとむに損はないよね。どうしてそこまでこだわるの?」
確かに。気にはなっていたが、「教えてくれるならまあいいか」と思っていたため、深くは考えていなかったのだ。
「クラス平均及び得点は、大事な指標なんです。それがクラスのイメージを左右するのです。こんなところでクラスの評判を下げるわけにはいきません」
超真面目な理由だった。
「考えたことなかった……」
「気にしてないと思うけど」
「僕は気にします。きっと他の委員長も気にしています」
「うーん、そうなのかなぁ」
かなれは、納得してはいないようだった。
「まあ、なんでもいーや。2日後だよね?予定空けとくよ。寝袋持ってって良い?」
「僕も楽しみにしてるよ。晩御飯は何?」
「……勉強会ですよ。修学旅行じゃないんですから」
まだ太陽は燦燦と照っている。暗闇を寄せつけないほどに。
古くからの言い伝えがあった。
夜に出歩いてはいけない。というものだ。なんでも、夜が人間を食べてしまうかららしい。
今までは半信半疑だった。いや、正しくは、実感がなかったのだ。るい自身、祖母から聞いたことはあった。来るはずの朝がなかなか来ず、外に出られなかったという。でも、それは昔の話。それに、他人の悪夢はどうもピンと来ない。だからその時は、霧の中にある何か—はっきり見えない影——を見ているようだった。
だけど、今日の出来事を思い出すと、その言い伝えが、祖母の語りが彼の頭をかき乱した。
だからこそ、少し夜が怖いのだ。
今日は、寄り道せずに帰ろう。
「じゃ、寄り道とかしちゃダメだよー。暗くなる前に帰りなよー」
別れ際、かなれからよく言われるこの言葉。いつもなら軽く聞き流していたが、今日は素直に聞き入れた。
————
日暮れに逆らうような煌々とした明かりが部屋を均一に照らす。一人漫然とベッドの上で寝そべるるいを起き上がらせたのは、キャンディのように甘い声であった。
「ねえ、起きてる?」
少女は、開いていた窓から覗く。確認の対象はアパートの3階。
「今から寝るけど…………え!? キミは、たしか…!」
普通に返事するところだった彼は、相当疲れたのだろうか。しかし事の違和感に気付き、勢い余って飛び上がる。少女と目が合った。吸い込まれそうな瞳が、るいをしっかりと捉える。両手で顔を押さえられるようで、目を離せない。まるで呪いだ。
「ポーカー」
ひょいっと身軽な動きで窓から侵入。音を立てずに着地した。
「えっと……何の用?」
「寝る前にごめんね。迷惑かけたお詫びをさせてほしくて」
「……じゃあ明日にしてくれ……。ふあ~」
どうしても疲れと眠気には勝てないのが藤川 るい という男だ。今日は色々あって、脳の処理が追いつかない。現実から目を背けたかったというのもある。もう既にこのあたりから、夢の世界に片足突っ込んでいたと思われる。
「ふふ、そうだね。また明日」
ポーカーがいなくなったことを確認して彼は布団に入った。跡を残さず音を立てずにいなくなる……、まるで忍者だ。部屋の電気は消さずにおいた。いつもは消すのだが、今日は消す気が起こらなかった。
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