鈴宮雨音処女作「すずいろ(涙)の蜜蝶」第1話

鈴宮 雨音

part1。こんにちはっす!

蝶でした。

身動き一つとらない、青引きの煙幕が底に棚引いているような、妖とした羽を戴いたそれが皿の上に丸ごと一匹のせてありました。

私は少し眉をひそめ、なぜ蝶が皿の上に乗っているのか母に尋ねようとした所、もっとビックリすることに母の代わりに鉛筆が当たり前のように台所に立っているのでした。……

母--いや鉛筆には、大きな耳がたった一つ、その濃い翠の細身に我が物顔で腰を据えているのでした。

「今日の学校どうだった?ほら、あんた最近バレー部に入ったでしょ?」

……声が聞こえました。それは確かに母の声なのでした。

しばらく、生暗い静けさがダイニングルームを彷徨していました。しかし、私はその生暗さが持つ、おぞましい死んだ女の手がその冷たさで人を盲目にしてしまうような空気の滞りに、身をちっとも強張らせることなく、「うん。先輩がね、威張ってばっかで。ほんといやになる」

と応えることができました。

実を言いますと、私は幽霊といった類いのものがあまり得意な方ではないのですが、この鉛筆とは極々普通に会話することができたのでした。

しかし、その理由がどういったものなのかは、私には分かりかねます。それよりも、私は一つ気掛かりな事があります。

それは、この鉛筆と接するということをすると、誰であろうと浮かんでくる取るに足らない疑問の蟹泡なのですがーー

「それは、貴方の目に映らないだけ」

私の心を読むかのように鉛筆は言いました。私の疑問というのは、なぜ鉛筆が“くち”も持たないのに関わらず“こえ”を発することができるのかという疑問なのでした。

「ほら、それよりもちゃっちゃっとその蝶食べちゃいなさい。冷めちゃったらいけないでしょ。お母さんねえ、今日の晩御飯は腕によりをかけて作ったんだから」

私はそれをじっと見ていました。何度見ても、蝶なのでした。その蝶は、透明質の光と影の斑を螺旋させた触覚を流麗な薫風を思わせる青羽と共に、冷たく7月のように燃やしているのでした。

ちょうど、夏逃げ水が青い蜜ガラスのウスバカゲロウをその水面に繁茂させるような感覚が私の全身を覆ったのは、その瑪瑙の薄羽を私の両の目に注いでからでした。ーー私の頭は黒々としたワインのような銃口を間違えて噛んでしまったようなーー頭の自然は白ばかりになってしまったのでした。

私の全身は、意味のない弱波が痙攣するかのようにもがいているのでした。そのばたつきは、太陽の大きな石に粉々にされてしまうばかりでした。

「早くこっちに来なさい!いつまで、そこにたってるつもりなの?」

鉛筆がその先を尖らせ、耳を少し赤くして言いました。鉛筆にも、顔があるのか!と私は素直に喜んでしまいました。なぜかと言いますと、感情は、顔を持たなければ表現できないし、する必要もないからなのです。だから私は、顔があるだけで安心してしまいました。その安心が私の地軸になって、心の小さな世界時計の乱交を次第に宥めてゆきます。それから、私は無理に心を円弧のように屈曲させ、なんとかその機械仕掛けの笑顔のぜんまいで全身をかくばった不自然な動きながらも作動させるのでした。今にも、拳の黒みを帯びた弱々しい碧の静脈は終わりの見えない階段の夜の淵まで分節化されてしまうように思われました。身の粉汗は、血枯れ葉が嗄れた声を小さく囁いているのみでありました。それでも、私は、今持てる私自身の有らん限りの力を振り絞ってこのおかしな出来事の原因を突き止めようと無理矢理に意気込んでみたのです。その意気込みのすぐ後に私の目は、精密な水車の集まりをその瞼の内に描き込まれたかのような感覚にとらわれました。その水車のおかげで、私の目はほとんど神の目のようになったのでした。なぜそう感じるかと言いますと、兄の飼っている黒い骨柄の雄々しいカブトムシの極小さな毛までも瞼の裏に映るようになったからなのでありました。

いつもの、古風な白い線を持つ固い椅子。

いつもの、くりくりとした丸みのある目を誇っている私の猫。

いつもの、無意味なテレビのなぜかひどく優しい紙飛行機のような音。

--ただ、そこには“いつも”があるばかりでありました。……

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

鈴宮雨音処女作「すずいろ(涙)の蜜蝶」第1話 鈴宮 雨音 @westyanpla67

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る