掴める氷、掴めぬ水蒸気

 まずは新型コロナウィルスをインフルエンザウィルスと比べる際の注意点についてお話ししましょう。


 新型コロナウィルスが流行し始めた頃「インフルエンザの方が新型コロナウィルスよりも恐ろしい病気である。皆、メディアに踊らされるな!」というメッセージ性の記事を何度か目にしました。多くは公表されている死者数などを比較し、毎年インフルエンザで亡くなる人の方が多いと訴えていたと記憶しています。


 二〇二〇年九月現在ではそれらはめっきり減り、代わりに専門家の意見やら研究結果を取り入れた「インフルエンザと新型コロナウィルスの違い」という類のものが増えたように感じます。


 まぁ、そうなるでしょうな。


 初期の段階で政府が公表している死亡数のみで、何年も研究されているインフルエンザウィルスを全く新しいウィルスと比較するのは、あまりに無謀だというのが当時の私の考えでした。


 言い換えれば長年連れ添った古女房インフルエンザを、今しがた出会い、一目ぼれしてしまった若い女性新型コロナウィルスと怖さで比べるようなものです。


 きゅるりとした瞳に柔らかそうな口元がどんなにも無害そうに見えても、あなたはその女性新型コロナウィルスの事をあまりに知らなさすぎる。

 まぁ、知らないからこそ何もかも知り尽くしているインフルエンザウィルスと比べて、優しいだの可愛いだの言えるのでしょう。

 彼女が天使の皮をかぶった悪魔とも知らずに……


 話がそれました。

 内心悪魔でも良いと思った読者の方々はここで捨て置くとしまして、続けましょう。


 とにかく、インフルエンザは何十年も研究されてきたものであり、対する新型コロナウィルスは発見から一年と経っていない、多くが未知なウィルスということを考慮するべきなのです。研究者の間ではそれらを比較するのはリンゴとみかんを比較するようなものだと言う者もいるほどです[2]。


 私個人としてはリンゴとみかんというより、掴める氷と掴めぬ水蒸気を比べようとしているかと思います。本質的には同じ水なので比べられますが、比較できる状態まで持ってこなければ、意味がありません。


 比べるのが難しいのならば、なぜ無理して比べるかと訊かれますと、よく知られているインフルエンザウィルスとの違いや共通点を知ることで、新型コロナウィルスのことを理解する近道となり得るからです。

 この比較を基準として確立しているインフルエンザの対処法から、新型コロナウィルスへの対処法が見えてくるのではないかという期待もあります。


 なので、比較は難しいものの、意義のあるものと言えるでしょう。


 そんな中まず理解していただきたいのが、実はインフルエンザもかなり怖いウィルスだということです。

 先程の古女房の例えを使うのであれば、やはりかかあインフルエンザは怖かったということです。


 いろんな意味で首を傾げている人もいることでしょう。


 そもそもここ数年インフルエンザにかかっていないという人も少なくはないと思います。毎年恒例の予防接種の効果を体感できず、必要性を感じていない人もいるかもしれません。


 ですがその心の余裕は、実際インフルエンザに対する予防接種が何年もの間、社会に浸透することによって作り出された現状の上で成り立っているものなのです。

 

 何年もインフルエンザにかかっていないのであれば、それは集団免疫が上手く機能しているからかもしれません。

 予防接種を受けたのにインフルエンザにかかった人は、ワクチンのおかげで症状が軽く済んだのかもしれません。


 「かもしれません」としか断言できないのは、そもそも予防接種も症状を抑える薬も普及している世の中で、それらがない社会との比較は推測以外、手がないからです。

 研究の為、今日から特定の地域で数年間インフルエンザ用の予防接種も薬も使用禁止! とすれば倫理的に大問題になることは目に見えています。


 そういう意味では有効なワクチンというのは、病気の怖さが忘れられるのと共に、必要性を感じなくなる人が出てきます。なにせ個人がワクチンを打とうが打たまいが、全体として集団免疫が働いていればインフルエンザからは守られるので、ワクチンが存在する社会の中で、それらが無い社会におけるインフルエンザの脅威を感じること自体が難しくなります。


 つまりワクチンや症状を抑える薬があるおかげで、インフルエンザは大したことのない病気という認識になったとも言えるでしょう。


 なのでインフルエンザの予防接種はこの「大したことないインフルエンザ」と思える状態を維持するための投げ銭だと考えることもできます。


 かかあ、ではなくインフルエンザは実はかなり怖い。しかし現在、私たちはそれにある程度対抗する術を持っている。

 それが分かったところで、最初の「怖さ」の指標について話すとしましょう。

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