第九話 死神(仮)と天使たち

 宿屋の玄関で倒れた男性が目を覚ましたのは、夜も深まり、食堂が閉店する頃だった。


「本当に何から何まで申し訳ない……大変なご迷惑をおかけした…」


 運ばれて寝かされていたベッドから起き上がった死神…もとい、背の高い男性の名前はストフさん。もちろん死神ではなく普通の人間だった。しかし、目を覚ました今もまだ顔色が良いとはお世辞にも言えない。夕方公園で声をかけられたときよりはだいぶマシになっているけれど。



 あのときストフさんが死神のように見えたのは、黒い大きなマントの下におんぶ紐を使って背中にひとり、お腹に抱っこでもうひとりの子どもを抱えていたからだった。


 現在ストフさんはひとりで三人の子どもたちのお世話をしていて、この子どもたちの人見知りが尋常ではなく、家族以外の人を前にすると泣きわめいてしまうのだと。

 かと言ってずっと家の中にいるとパワーを持て余して大暴れするため、やむを得ずマントで覆って他の人を見えないようにした状態で散歩していたそうだ。


 日本ほど蒸し暑くはないとはいえ、季節は夏真っ盛り。黒いマントの中に子どもふたり抱えて歩いて、しかも寝不足だったなら、そりゃあ、あんなにフラフラにもなるわ。

 

 宿屋の玄関での大パニックの後、ジャンさんとノエラさん夫妻の指示ですぐに部屋を整え、ちょうど空いていた家族連れも泊まれる三人部屋で、ひとつのベッドにはストフさん、残り二つのベッドは横につなげ、三人の子どもたちを寝かせた。


 倒れこんでしまったストフさんはジャンさんとその場にいた常連の宿泊客のおじさま方の手を借りて部屋へと運ばれ、ノエラさん、シェリー、私の三人は泣いている子どもたちを必死で宥めた。


 目覚めてすぐに部屋を見回したストフさんは、子どもたちのご機嫌取りのために散乱したおもちゃや絵本を見て、自分が倒れた後に起きた出来事を大体悟ったようで、ベッドに頭が着きそうなほど深く頭を下げた。


 シェリーと私はあの後の出来事をストフさんに説明した。



 ∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴


 ストフさんが倒れたとき、彼の陰に隠れていた少年の名前はエミール。三兄妹の長男でまだ五歳。


 目の前でストフさんが急に倒れたのと、彼のマントに隠れていた弟と妹が泣き出したことで怖くなり、パニックになって泣き出してしまった。


 どうにかジャンさん特製の温かいハチミツミルクを飲ませてエミールを落ち着かせたまでは良かったんだけど、彼の弟妹がいつまで経っても泣き止まない。


 三兄妹の真ん中は、三歳のブレント。ストフさんの背中におんぶされていた男の子だ。その小さな体のどこから声が出ているのかと思うほどのギャン泣き状態だった。

 ブレントを泣き止ませようとシェリーと私で一生懸命あやしたりご機嫌を取ったり、お菓子で釣ろうとしてみたりと手を尽くしたが、一向におさまらなかった。


 そして、末っ子一歳のルチア。ストフさんのマントの下で抱っこされていた女の子。彼女もまた手強かった。

 子育て経験者であるノエラさんが抱っこしてもより一層泣きわめくばかりで、手のつけようがない状態になってしまった。


 そんな状況を見た長男エミールが、何か決意した表情でとてとてと私のところ近づいてきた。彼も弟妹ほどではないにしろ人見知りではあるようで、何度も逡巡を見せてからようやくもじもじと喋り出した。最初は彼の声が小さくて、絶賛ギャン泣き中の弟妹の声で遮られて聞こえなかった。


「え?ごめんね、聞こえなかったからもう一度言ってくれる?」


 私がかがんで彼の口元に耳を持っていくと、彼は頑張って説明してくれた。


「…あのね、おねえさん、お歌うたえるでしょ?…いつも、おねえさんのお歌が聞こえると、ルチアは寝ちゃうの。ルチアが泣かなければ、ブレントも泣かないの。だからね、お歌、うたって!」


「私の歌で?そんなことで泣き止むのかなあ…。あれ、そういえばキミは…」


 エミールの言葉に私は半信半疑だったけれど、藁にもすがりたい状況だったので、ダメ元で歌ってみることにした。


 それに、子どもたちの盛大な泣き声が響くカオスな状況で気付いていなかったけれど、間近でエミールの顔とくるくるの金髪を見たら思い出した。この子は私が最初にストリートライブをした日、いちばん初めに銅貨を三枚、お皿に入れてくれた子だったのだと。


 人生初の異世界ストリートライブで、最初に稼いだ貴重なお金。この子がくれたコインがきっかけになって、その後に他のお客さんもコインをお皿に入れてくれたし、実際あのときにもらった銅貨三枚は、この世界で初めて購入した牛肉サンドに化けている。


 あの日の心細かった気持ちを思い出せば、ダメ元でもなんでも良いから、いくらでも歌ってやろうじゃないかという思いになる。この子も、今倒れて寝込んでいるこの子の父親も、私にとっては恩人だ。


「うん、よし分かった!歌ってみるね!」



 私は泣き続けている二人の近くに行き、彼らの元気な泣き声に負けないように大きく息を吸い込んで歌い始めた。


 まずは、バルドさんから習ったこの世界の子守歌を。ふたりはまだ泣いているけれど、自分の泣き声の合間から歌が聞こえたのが気になったのか、少しだけ泣き叫ぶ声の音量が下がった。


 次は、日本の子守歌や童謡。公園でママさんたちにも好評の優しい歌ばかりを即席のメドレーで披露する。


 すると、ずっと泣いていたルチアの目がだんだんとろんとしてきて、ノエラさんの腕の中ですうすうと寝息を立て始めた。エミールの言葉どおり、妹のルチアが泣き止むと、シェリーの隣に座らせていたブレントもようやく涙が止まって落ち着きを見せ始め、泣き疲れたのか彼も舟をこぎ出した。


 すかさずノエラさんとシェリーがベッドを二つ繋げて、真ん中にルチアをそーっと寝かせ、その隣にブレントも寝かせた。掛布団をかけて、私の歌に合わせてお腹の上をポンポンと叩いているうちに、ふたりは眠りに落ちて行った。


 およそ一時間ぶりの静寂が、宿屋に戻って来た。


 そんな様子をドア越しに覗いていた宿のお客さんたちから、わあっと歓声と拍手が上がり、ノエラさんとシェリーに「しーーーーっ!!」と言われて小さくなっていたのがちょっと面白かったな。


 この宿のお客さんは良い人ばかりで、泣いている子どもたちにうるさいと文句を言うような人はひとりもおらず、むしろストフさんを部屋まで運ぶのを手伝ってくれたり、子どもたちのご機嫌取りも一緒にやってくれたりと、力になってくれた。

 おじさま方が近づくと子どもたちが余計に泣いたので、ノエラさんに追い出されちゃったんだけどね。



 そうこうしているうちに、カオスな状況が収まったことに安堵したのか、眠っているストフさんのそばにいたエミールもうとうとし始めたので、声をかけた。


「キミも寝て良いよ。みんなが目を覚ましたら起こしてあげるから」


「…ほんとに、起こしてくれる?」


「ええ、もちろん」


 エミールは一瞬眠気と戦おうという表情を見せたが、私がちゃんと起こすことを約束したら、安心したようで、自分で歩いて妹の隣まで移動して、兄妹並んで横になった。私は彼の寝息が聞こえるまで二曲ほど追加で歌をうたった。



 眠る子どもたちを放置するわけにもいかないので、私とシェリーはその部屋に交代で残り、彼らの様子を見守ることにした。私が当番の時間に、ジャンさんが部屋にお医者様を連れてやってきた。倒れた男性を心配して呼びに行ってくれたようだ。さすがジャンさん。


「呼吸も安定していますし、病気ではないでしょう。ただ、顔色と倒れたときの状況から判断すると、おそらく過労と栄養不足、ついでに慢性的な睡眠不足だと思われます。目が覚めたら栄養のあるものを食べさせてやると良いでしょう。しばらくの間しっかり食べて寝ても回復しないようなら、うちに相談に来るように伝えてください」


 お医者様の言葉にジャンさんはしっかりと頷いた。見ず知らずのよそ者である私を置いてくれたジャンさん一家が、この男性と子どもたちをこのまま見捨てるはずがない。普段お世話になっているからこそ、私もしっかりと手伝わなくてはいけないなと思ったのだった。



 ∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴

 

 そんな経緯をストフさんに一通り説明している間に、ジャンさんが特製の栄養たっぷりリゾットを用意してくれた。


 ストフさんはゆっくりとスプーンを口に運び、吐き戻すこともなく全部しっかりと胃に収めると、泣きそうな顔で微笑んだ。


「…本当にありがとう。…こんなにゆっくりと食事を味わえたのは数週間ぶりだ…。いつも子どもたちの誰かひとりは必ず泣いているか癇癪を起こしている状態が続いていたから…。自分の食事も睡眠も後回しになってしまっていて…」


 その言葉に、ストフさんが心身ともに相当まいっていたことがうかがえる。エミールとブレントは泣きながらママを呼んでいたので、何か家庭の事情があったのかもしれない。


 とりあえず今は深夜で、子どもたちは熟睡していて起きそうにないので、細かい話は明日することになった。ストフさんもまだ眠そうなとろりとした目をしている。子どもたちが静かに寝ているうちに少しでも長く寝た方が良いだろうということで、私たちは彼らの部屋を後にした。



 ジャンさん夫妻とシェリーにおやすみの挨拶をしてから、シャワーを浴びて自室に戻り、ベッドにごろりと横になる。なんだか目まぐるしかった今日の夕方からの出来事が自然と頭の中で反芻される。


 大泣きの子どもたちを相手にするのは疲れたし大変だったけれど、泣き止んで眠った三人は本当に天使なんじゃないかと思うほど可愛いかったな。


 髪の色は全員金色だけど、いちばん上のエミールは茶色がかった濃い色で、真ん中のブレントは抜けるような明るい色、末っ子のルチアはまだ髪の毛が短いけれど、少し赤みがかった金髪。


 三人共通なのはみんなくりんくりんの髪をしていること。ルチアは女の子だから大きくなったらこの天然パーマを嫌がるのかもしれないけれど、今はただただ可愛くて。


 ストフさんの髪の色は長男エミールと似ていて、少し茶色がかった濃い色の金髪だけど、癖のないサラサラのストレート。この子たちのお母さんが天パなのかな、なんてぼんやり考えていた。



 最初に公園で会ったときと、宿屋まで追いかけてきたときにはストフさんの顔は長い前髪で隠れ、ついでに振り乱されたボサボサ髪と黒マントで死神にしか見えなかったけれど、仰向けで眠る彼の横顔は、ものすごく整っていて驚いた。


 顔色が悪く、あれほどやつれていなければ、おとぎ話に出てくる王子様みたいだと思ったかもしれない。本来は白くて綺麗な肌なんだろうけれど、昏々と眠っていた彼の顔は真っ青を通り越して生気が感じられず、掘りの深い顔立ちと相まって作り物の彫刻みたいに見えた。



 そんなことをぼんやり思い起こしているうちに、私は思い出した。突如起きたドタバタで忘れていたけれど、そもそも事の発端はストフさんが私に何かを話そうとして追いかけてきたことだったと。


 先ほどの様子から見てもストフさんは死神なんかではなく、頑張っている優しいお父さんという印象だったし、本当に何か用事があって声をかけてきたのだろうと思う。私を追いかけようと無理をしなければ倒れなかったのかもしれないと思うと、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。


 後の状況から察するに、黒いマントで隠れていたけど、お腹側に抱っこしていたルチアと、背中におんぶしていたブレントが散歩中に眠ったので、起こさないように気を付けていたのだと思う。


 起きた後のギャン泣きから考えると、一度変な起こし方をしてしまうと大変な事になるので、小さな声で私に話しかけ、彼らの安眠のためにユラユラとゆすっていたことが理解できた。

 うん、本当に、とても悪いことをしてしまった。明日きちんと謝らなければ。


 長い一日で疲れていたためか、私もストンと眠りに落ちた。


 

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