ハイスクール・フェスティバル(2)
「はあ……」
教室の出入口の近くで、椿が深い溜息をついた。
「どうしたの?」
隣に立っている沙也香がキョトンとして尋ねる。
「……昨日のファミレスで店員さん注意されてしまったことを思い出してたの……」
「あー、あれか」
思い詰めたような表情で言う椿に、近くの机に寄っかかっていた勝元は小さく笑った。昨日、十人でファミリーレストランに集い、数時間居座って盛り上がっていたところ、他の客の迷惑になっているので声を落とすようにと店員に声をかけられてしまった。椿は未だにそのことについて考えていたらしい。
「まあ……迷惑かけたのは悪かったけど、そこまで深刻に考えることじゃないと思うよ」
「そうなの?」
沙也香が言うと、椿は驚いた顔をした。
「注意されたことある人なんて俺たち意外にもいっぱいいるし、うるさい集団って多分しょっちゅうファミレスにいるよー」
勝元がそう言うと、もちろんだめなんだけどね、と沙也香がばつの悪そうな顔をして付け足した。
「……そういうものなのね」
「そーそー。だから私たちも、他の人も、今後気をつければそれでいいって話だよ」
「勉強になるわ」
椿は冗談めかして言った。彼女は中学生の頃はほとんど友達がいなかったため、似たような経験をしたことがなかったのだ。
「大したこと教えてないけどね」
沙也香が皮肉っぽく言う。椿は小さく笑い声を上げた。
「お待たせしましたー」
トイレから帰ってきた柚子が、朗らかに声をかけてきた。
「おかえりー」
勝元が返す。それから四人は教室を出て廊下を歩き始めた。放課後に陰陽師として出勤しなければならない日は、こうやって四人で学校からそのまま基地まで向かうことが多い。これが今の勝元たちの日常だった。
「あの……宗くん!」
ふと背後から声が聞こえて、一同は立ち止まって振り返った。加賀池ふみ。隣のクラスの女子生徒だ。他の三人は顔くらいしか知らないだろうが、名を呼ばれた勝元は当然彼女のことを知っている。
「よかったら……一緒に帰りませんか? その……友達として……」
「あーえっと……」
勝元が返答に困っている間、柚子たちは顔を見合わせていた。恐らく彼女が昨日勝元に告白した人なのだと察したのだろう、互いに目配せしている。
「じゃ先行ってるね」
柚子が声を上げた。勝元はちょっと待ってくれと思いながら三人を見たが、慈悲はなかった。柚子が小さく手を振ってくる。
「バイバイ」
柚子たちは踵を返して歩き始めた。観念してふみの方を見る。彼女は柚子たちの後ろ姿をじっと見つめていた。
「藤原さんだけじゃなくて……いろんな女の子と仲がいいんですね」
「え……ま、まーね」
ふみの言葉にこめられた意味が分からず、勝元は曖昧に返した。
友達として仲良くしてほしいと言われた時は半ば社交辞令としてよろしくと返したが、まさかこうやって積極的に接してくるとは思わなかった。まあ別にいいんだけど、今後面倒な絡み方されたら嫌だなー……。
「……私も、同じくらい仲良くできるかな」
ふみが小さな声で呟く。その言葉を聞いた瞬間、勝元は思わずニヤッと笑ってしまった。
普段一緒にいる女の子たちにはしてもらえない反応だ。柚子はちやほやされることに慣れているので軽くあしらってくる。沙也香は自分には当たりが強いので、友好的な反応をしてくれないどころか優しく接してすらくれない。椿に関しては今まで男子と話したことがあまり多くなさそうなので、しつこくからかわないようにしている。
なかなかあざとい気もするが、ナンパされていた時や告白してきた時の様子を思い出す限り、あまり計算高いタイプには見えない。それに、たとえわざとだったとしても、自分への好意を一切隠そうとしない姿勢を見ると少し気分が良くなるというのも事実だ。
「帰ろっか」
勝元は満面の笑みを浮かべてそう言った。
翌日。ロングホームルームの時間になると、一年二組の生徒たちはやけにソワソワし始めた。クラスの委員長である椿と熱血男子生徒が黒板の前に立つ。
「それでは、猷秋祭の出し物を決める話し合いを始めます」
「はーい!」
椿が真面目な声で宣言すると、普段の話し合いではまともに参加しない生徒たちですら楽しげに大きな声で返事をした。
猷秋祭とは、つまりここ猷秋高校の文化祭。初めて本格的に体験する憧れのイベントだ。みんな、この時を待ち望んでいた。
「希望意見はすべて出してもらった上で、そこから決めようと思います」
「ちなみに人気どころは他のクラスと被ったら抽選になります!」
椿の言葉に、熱血男子生徒が付け足した。
「では希望がある人は挙手を……」
「ハイ!」
「はいはい!」
「ハーイ!」
椿の声は、突如として教室に響き渡った多くの生徒たちの大声によってかき消された。
「すごい勢いだな」
熱血男子生徒がたじろいだ。クラスメイトの大多数が手を挙げている様子を見て、椿もゴクリと唾を飲みこんだ。このまま進めても混乱を招くだけなので、手を挙げていた生徒たち全員に順番に意見を言ってもらうことにする。まずは一人目の女子生徒の発言だ。
「お化け屋敷がいいです!」
「王道ー!」
「私も言おうと思ってた!」
「やってみたいけど被りそうだよなー」
次々に意見が飛び交う。椿は「静かにしてください」と声を上げると、熱血男子生徒が黒板に「お化け屋敷」と書いたのを確認してから次の生徒に発言するよう促した。
「脱出ゲームみたいな……謎解きするやつをやってみたいです」
「おおー面白そう……」
「問題を考えるの、楽しそうだけど難しそうだな」
再びコメントが上がる。椿は更に続けた。
「次の方どうぞ」
「なんか劇やりたい! 演劇部みたいな本格的なのじゃなくて、笑わせに行ってるやつとかどうですか」
「……ちょっとやってみたいかも」
「前に出たくない人は裏方もできるし悪くなさそう!」
「恥ずかしがったらもっと痛くなるやつだ」
「いろんな面白動画を撮って、それを上映するっていうのとかやりたい!」
「めっちゃ面白そう」
「準備はともかく当日はあんまりやることなさそうで楽そうー」
たくさんの意見が出てくる。最終的にこれを一つにまとめなければならないわけだが、かなり大変そうだと椿は溜息をついた。そんな中次に発言したのは柚子だ。
「射的とか輪投げとかいろいろミニゲームを作って、縁日みたいなのがやりたいでーす」
もっと派手なものを提案すると勝手に思っていたので、彼女の意見は少し意外だった。クラスメイトの反応も悪くない。
「いいね」
「面白そう!」
「縁日行ったことないからちょっとピンと来ないかも……」
「はい、次の方」
「タピオカとかクレープとか売りたいでぇす」
「それ好きじゃねえ奴は退屈だろ」
「タピオカに限らず、歩きながら食べられるものをいろいろ売る店をやりたいです! 多分めっちゃ売れるよ!」
「それも被りそうだなー」
「ハワイアンとかエスニックとかテーマを決めた上での飲食店!」
「飲食だと範囲広いねー。テーマを決めれば被らない可能性あるかも!」
「でも本格的な料理は作れないよ」
「物によっては縁日でも売れそうじゃない?」
「縁日と飲食の両立は厳しいだろー」
まとまらなくなってきた。椿は熱血男子生徒と目を合わせて頭を抱えつつ、次の発言を待つ。
次の生徒は勝元だった。勝元は至って落ち着いた様子で口を開いた。
「王道のメイド喫茶がいいです」
「それ絶対他のクラスと被るから言わないでおいたのに!」
「そりゃやれるならやってみたいよー!」
途端に生徒たちから非難の声が上がる。すると、一人の男子生徒が面白がって口を開いた。
「あ、じゃあ女装メイド喫茶にしようぜ!」
「アハハ! 確かにそれなら行けるかも!」
クラスメイトたちが笑い出す。椿は再び静かにするように呼びかけようとしたが、勝元がなんと拳で机をドンと叩いたことでその必要はなくなった。教室が一瞬にして静寂に包まれる。
「野郎のメイド姿の何が面白いんだ……」
「……必死ね……」
絞り出すようなその声に、椿は呆れながらも感心の念さえ抱いていた。
「いや別にいーよ、着たい奴が着るのは。その辺はどうでもいいけど、みんな大切なこと忘れてない?」
勝元はそう言うと、勢いよく振り向いてどこかを指し示した。その先には柚子がいる。
「柚ちゃんがメイド服着たらマジで大量に客来るから! ぜえったい売れる!」
「そっ……そうだ確かに!」
「何をやるにしても藤原は目立たさせないと!」
勝元の言葉を聞いたクラスメイトたちが口々にそう言い始めたのを見て、椿は思わず大きな声を上げていた。
「待って! 本人の意思を聞かないままそうやって勝手に言うのは……」
「まあ、メイド服は着てみたいなって前から思ってたけどー?」
「……満更でもないのね」
髪をクルクルと弄びながら言う柚子に、椿は静かにそう続けた。
「儲けたお金は全部募金されるって先生言ってたけど、やっぱり人はたくさん来た方が面白いし……とりあえず藤原さんには何かしら可愛い格好をしてもらおう」
「演劇ならお姫様とか行けるよ」
「お姫様よりメイドとかセーラー服とかみたいな制服の方がいい」
「誰だ今自分のコスプレ趣味言った奴」
話し合いの議題は、すっかりいかにして柚子の存在を際立たせるかというものに変わっている。我が友人ながらとんでもない人物だ、と改めて椿は思った。
「藤原さんの言ってた縁日なら和服とか……」
「あ! どうせコスプレするなら和服じゃない方がいいな」
柚子が声を上げると、生徒たちが怪訝な顔をした。そこで柚子はハッとして、慌てて誤魔化した。
「あ、いやえっと、夏休みに和服着る機会があったから……もっと珍しいのがいい!」
「珍しいのかー。何がいいかな?」
「水着みたいな露出があるのじゃなければなんでもいいよ!」
「じゃあ柚ちゃんチャイナ服とかどう?」
「それすげえ見たいけど藤原がチャイナ服着たとして俺たちは何すりゃいいんだよ」
完全に柚子が話の中心になっている。文化祭の出し物を決める話し合いとして適切な状態ではないだろう。椿は空咳をすると、声を張り上げた。
「皆さん! 出し物について意見がある人のみ、挙手をしてから発言してください。藤原さんが可愛い格好をすることには私も見たいので賛成ですが、まずはみんなで協力してやれること、やりたいことを考えましょう」
「あ、そこ賛成なんだ」
沙也香が驚いた声で呟く。
「椿、いろいろと隠さなくなってきたよね……」
柚子もしみじみとそんなことを言った。
一人の物静かな女子生徒が手を挙げた。椿は彼女を指して意見を言うように言った。
「あの……メイド喫茶の派生なんだけど……執事・メイド喫茶はどうですか? やりたい人はどちらかを選んでいいって感じで。それで、いわゆる萌え系じゃなくて、本当に昔のお屋敷にいたメイドさんや執事さんみたいにクラシックな雰囲気にして、本格的になりきるっていう……」
「それよさそう!」
柚子が食いつく。
「私沙也香の執事姿見たい!」
「えっ、なっ、なんでよ!」
突然名前を出された沙也香は動揺して顔を赤くした。
「お洒落ー!」
「確かに、ありそうでなかった感じがしていいかもな」
「本気でなりきったら演技したい人も楽しめそう」
「目立ちたくなかったら裏方に回ればいいしね!」
反応も上々だ。他に挙手している生徒がいないことを確かめて、椿は口を開いた。
「では、意見が出揃ったようなので、五分後に多数決を取ります。皆さん考えてください」
黒板に書いた候補一覧を眺めながら椿が言う。
「何度も言うけど被ったら抽選になるのでそれは覚えといてください。この多数決でクラスの第三希望まで決めます!」
熱血委員長も続けてそう言ったところで、一同はガヤガヤと近くの生徒と相談しながら考え始めた。
キッチリ五分が経ったところで、多数決を開始した。生徒たちには目を閉じてもらい、自分たち委員長二人の意見も含めた上で、それぞれの出し物を希望する人数を数える。すると、第一希望は執事・メイド喫茶、第二希望は面白動画上映会、第三希望はお化け屋敷という結果になった。
「おおー、執事・メイド喫茶だ! やった!」
「第二希望かー」
「脱出ゲームやってみたかったなー」
いろいろな感想は出たが、概ね予想通りの結果である。授業中に候補を決められたことに安心しつつ、椿はまとめの言葉を口にした。
「それでは、この結果で今日の放課後にある猷秋祭運営委員会に参加して、各クラスの出し物を決めてきます。次のロングホームルームでは決まった出し物について詳しく決めるので、その時はまたよろしくお願いします」
「仮に第三候補まで外れたらその時は考え直します。ご協力ありがとうございました!」
熱血委員長が締めくくる。
「ありがとうございました」
「ありがとうございましたー」
「ねえねえ、柚子」
「ん?」
授業が終わると、前の席に座っている木野莉子という女子生徒が振り向いて声をかけてきた。渾名はそのままキノリコだ。早く言いたくてたまらない、という顔でニヤニヤ笑っている莉子を見て、柚子は首を傾げた。
「猷秋祭のジンクスって知ってる?」
「えー何? 知らなーい。教えて!」
柚子はそう言って身を乗り出した。莉子はもったいぶるようにゆっくりと口を開く。
「あのね、猷秋祭の最後にキャンプファイヤーがあるじゃん」
「うん」
猷秋祭では、最後にキャンプファイヤーが行われる。近頃は危険だという理由でキャンプファイヤーをやめた学校が多いが、猷秋高校では希望する生徒が多かったために、保護者の許可を得た生徒は参加していいことになっているのだという。キャンプファイヤーに憧れてこの学校の受験を決める生徒もいるほどには注目されているイベントだ。
「そのキャンプファイヤーを誰にも見られずに最後まで見れた二人はー……、ずっと幸せになれるんだって!」
ヤバくない? とハイテンションに言う彼女は恋多き乙女で、この入学してから九月までの五ヶ月間で既に二人の男子生徒と交際している。
「それ私も聞いた!」
「私もー!」
いつの間に近くにやってきていた横山由紀と岩井巴も会話に加わってきた。柚子は勝元や沙也香、椿と一緒にいる頻度が高いが、彼ら以外のクラスメイトとのコミュニケーションも大切にしている。クラスメイトたちの中でも特に気が合うのがこの三人だった。柚子も含めて、常にクラスで目立っている女子たちだ。
「二人とも誰と見る? てかそもそも一緒に見たい人いる?」
莉子が由紀と巴に尋ねた。
「まだ付き合ってないしー……」
由紀が曖昧な声を上げる。
「いるようないないような……」
巴も悩んでいるような声で言った。
「キノリコは大谷でしょ?」
「……ちょっと迷ってるんだよね……」
柚子が言うと、莉子は深刻な顔でそう呟いた。
「はぁー? マジ?」
由紀が口をあんぐりと開ける。
「最近喧嘩ばっかしててさぁー」
「早くない?」
柚子は思わずそう言ってしまった。
「柚子は? 宗でしょ?」
「え、全然考えてなかった」
「嘘だぁー!」
莉子の質問にそう返すと、三人は揃って驚愕の声を上げた。
「いやさー、別に男子と仲良いのは全然変なことじゃないと思うけどさーあ、二人の距離感は正直ちょっと普通じゃないよ?」
「うんうん」
莉子の言葉に由紀と巴が大きく頷く。
「うちだって普通によく宗と絡むけどさ、なんか明らかに……違うもん! 宗の柚子を見る目の優しさが!」
「キャハハハ!」
莉子がおおげさに言うと、由紀と巴は高い声で笑い出した。一緒に戦ってるパートナーだから近いのは当然なんだけどなー、陰陽師だって伝えるべきかちょっと分からなくて説明できないんだよなー! と柚子は心の中で叫んだが、結局穏やかに微笑んでこう言うことしかできなかった。
「そんなことないと思うけどねー」
「そんなことあるよ!」
莉子が大きな声で言った。
「てか仮に柚子は好きじゃないとしても宗は絶対に柚子のこと好きだよ」
由紀がまるで自分のことのように確信した様子で言う。
「それは分かる」
巴も力強く頷いた。
「んー……」
柚子はそれ以上は勝元について何も言わないことにした。二人の関係について好き放題に意見を交わしている三人から少し視線を離して、ぼんやりと頬杖をつく。
「キャンプファイヤー、どうしよっかな……」
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