ハイスクール・フェスティバル(1)

 あっという間に夏休み最終日がやってきた。勝元は未だに終わらせていなかった課題に取りかかっているところだった。提出日は各教科の一番最初の授業なので、それまでに終わらせておけば問題ないはずだ。だが、思わぬタイミングで面倒で補充していなかったシャープペンの芯が切れてしまった。過去の自分に文句を言いながら陰陽団基地を出る。ついでに他の買い物もしようと考えて、勝元は四方通りへと向かった。今日中に課題が終わることはもうないだろう。

 柚ちゃんは七月中に終わらせたって言ってたな。勝元は買い物をしながらそんなことを思い出していた。見た目は派手だが彼女はとても真面目である。人を見た目で判断するべきではないと分かっているが、彼女を目の前にしてその容姿に何の感想も抱かない人間の方が異常だと思うという理由で勝元は開き直っていた。彼女より容姿の整った人間を見たことがない。初めて見た時は芸能人かと思ったほどだ。

 涼介も真面目で、七月に課題を終わらせていたようだった。沙也香も八月の上旬にはもう課題は終わったと言っていた。椿に至っては、七月中に終わらせた上で毎日自主的に復習をしている。昨日の時点でまだ何もやっていないと言っていた翼だけが勝元の味方だった。

 暑い。四方通りでシャープペンの芯や漫画などの買い物を済ませた勝元は、ビニール袋を持ってダラダラと川沿いを歩いていた。汗でシャツが肌に貼りつく。夏も嫌いだし冬も嫌いだ。なんで世界ってのは微妙に生きづらくなるようにできてるんだろう。

「やめてください……」

 蚊の鳴くようなか細い声が聞こえて、勝元は顔を上げた。少し先に三人組がいる。大学生くらいの(自分が言える立場ではないが)いかにも軽薄そうな男が二人と、自分と同じくらいの年齢の女の子が一人。

「いいじゃん、どっか行こうよ」

「夏休みだよ? 塾なんか休んじゃえー」

 ナンパか。勝元は心の中で呟いた。スルー安定。勝元はそのまま通り過ぎたが、絡まれている女の子に見覚えがある気がしてしばらく歩いてから立ち止まった。

 恐らく、隣のクラスの女子生徒だ。

 勝元は大きく溜息をついた。面倒事に首を突っこみたくはないが、気付いてしまったらもう無視はできない。勝元はクルッと踵を返して三人組に近づいた。

「柚ちゃん、どうしたの?」

 咄嗟に出てきた女の子の名前がそれだった。女の子は背が高く、眼鏡をかけた大人しそうな雰囲気の子で、柚子には似ても似つかなかったが、勝元は彼女が柚子だということにして話し続けた。

「ナンパ? すいませーん、その子そういうの慣れてないんでやめてあげてくれますかー?」

 実際のところ、嬉しくも何ともないだろうが恐らく柚子はナンパに慣れている。少し離れている間に彼女が絡まれていたということが今までに二回ほどあったのだ。あの時の彼女は「近寄るな」というオーラを放ちながらずっと無言で完全に男たちを無視し続けていた。可哀想だとは思うが、陰陽師としてパートナーと決まったばかりの頃の自分も同じようなものだった気がするので何も言えない。

 大学生たちは気まずそうな顔をしていた。喧嘩になりそうなら火行の術で脅せばどうにかなるだろうと思っていたが、二人は「はーい」「すいませーん」と軽い口調で言いながらさっさと離れていった。

「大丈夫?」

「あ、えっと……はい」

 女の子は控えめに頷いた。それから、おずおずと話しかけてくる。

「あの、二組の宗勝元くんですよね……」

「うん。一組の子だよね? ごめん、名前知らなくて適当に言ったけど」

 勝元がそう言うと、女の子は小さく首を横に振った。

「いえ、ありがとうございます……あ、私は加賀池かがちふみです」

「加賀池さんね。塾行くんでしょ? どこ? 送ろっか?」

 勝元は親切心からそう言ったが、ふみは再び首を振った。

「大丈夫です」

「そう。じゃあ気をつけてね」

 勝元はそれだけ言うと、ふみが歩き始めるのを待ってからその場から立ち去った。



 翌日。憂鬱な二学期の始まりだ。でも、陰陽師として出勤していても任務のない日は一日中訓練していなければないので、それよりは授業を受けている方がいいかもしれない。勝元はふとそんなことを思った。学生の陰陽師は、授業や講義がある日の勤務時間は短く設定されているのだ。

 そんなことを考えながら通学する勝元の隣には、当然のように柚子がいる。暑いせいか、最近の彼女の髪型はもっぱらポニーテールか頭のてっぺんでお団子にするかのどちらかだ。春は毎日ヘアスタイルを変えていたので、「美人は三日で飽きるとか言うけどこの子は一生見てても飽きないんだろうな」と思った記憶があるが、いつでもうなじが見れるのでこれはこれで満足だった。本人には絶対に言わないが。

 久しぶりの猷秋高校。昇降口で下駄箱を開けると、中には一枚の封筒が入っていた。

「……」

 封筒の中身を取り出し、無言で内容を読む。靴を履き替えた柚子が怪訝な顔でこちらを見てきた。

「どうしたの?」

「宗くんへ。放課後、体育館裏に来てもらえますか」

 勝元は抑揚のない声で読み上げた。綺麗な細い字だった。 

「うそ」

 柚子は心底驚いた顔をしている。

 今時こんなベタなラブレターを出す人がいるのか。いや、なんかの罠だったりするか? でもそんなことをするタイプには見えなかったよな……。

「心当たりあるの?」

「まーなくはない」

「へえ!」

 柚子は顔を輝かせた。その表情を見て微妙な気持ちになりながら言葉を返す。

「昨日ちょっと話したやつだよ。多分ナンパから助けた子だと思う」

「あーね。助けてもらって好きになっちゃったんだ。でも勝元もナンパ男みたいなもんだけど」

 痛いところを突いてくる。

「否定できないなー。でも俺道端で知らない女の子に声かけたことはないよ」

 勝元が言うと、柚子はこれでもかと言うほどに目を見開いた。

「ほんとに?」

「柚ちゃん俺のことどうしようもない奴だと思ってるよね?」

 まあ、どうしようもない奴なのは事実だけどさ。



 放課後、体育館裏に向かうと、やはり加賀池ふみが待っていた。彼女の元に近づきながら、どう答えれば一番傷つけずに済むか必死に考える。

「待たせてごめんね」

「いえ……こちらこそ、急に呼び出してごめんなさい」

「別に大丈夫だよ」

 勝元が言うと、ふみはすまなそうに小さく頷いた。それから、深く息を吸った。

「あの……昨日助けてもらって、宗くんのことを好きになってしまいました。よかったら……付き合ってください……」

 ふみの声は徐々に小さくなっていき、やがて彼女は俯いてしまった。

 やはり、告白だった。好きだと言われて悪い気はしないが、だからといってふみの思いに応える気にはなれなかった。

 勝元は何と答えるか迷ったが、結局無難な言葉を選んだ。

「ごめんね」

 できるだけ優しい声でそう言うと、ふみはガバッと顔を上げた。

「あ……はい……」

「……」

 呆然としている彼女の顔を直視できない。勝元は目を逸らした。

「柚ちゃん……って」

 ふみが囁くように声を上げた。勝元は慌ててふみの方を向いた。

「藤原さんのことですよね」

「……知ってた?」

「それは、もちろん」

 ふみが目を細める。勝元は苦笑した。

「そりゃそうか。なんか今はファンクラブとかもあるんでしょ? すごいよね。俺ファンクラブ会員から嫌われてそ」

 勝元は思わず乾いた笑いを漏らした。嫌われていようと別にどうでもいいことだが。

「宗くんは藤原さんと付き合ってるんですか?」

 ふみはハッキリとそう尋ねてきた。

 この質問は過去にも何度かされたことがある。毎回しっかり「付き合っていない」と答えていたが、一瞬、そういうことにしてしまおうかと邪な考えが浮かんだ。しかし、話が広がって本人の耳に入った時のリスクを考え、正直に答えることにする。

「付き合ってないよ」

「そう……」

 ふみの声からは、何の感情も読み取れなかった。ややあってから、ふみは遠慮がちに口を開いた。

「あの……宗くん。嫌じゃなかったら……友達として仲良くしてくれますか?」

「友達? あーもちろんいいよ。よろしくね」

「……ありがとう……よろしくお願いします」

「ん。じゃあ……俺は帰るね」

 勝元はそう言って鞄を持ち直した。

「はい。いきなりすみませんでした……本当にありがとう」

「いいえー。またね」

 勝元は小さく手を挙げると、大股で歩き出した。こっちを見ているかもしれないと思うと、止まることも振り向くこともできない。勝元はできるだけ早足で校門を出て、四方通りにあるファミリーレストランへと向かった。



 ファミリーレストランにやってくると、既に数人の仲間が集合していた。今日は始業式とホームルームだけで学校が早く終わるので、その後にみんなで昼食を食べることになっていたのだ。先に行っていた柚子と沙也香と椿、それから涼介がいる。ファミリーレストランで食事をするなんて大したイベントではないが、こういった場に彼が参加するのはこれが初めてだ。男子校に通う涼介は、男子一人という環境にあまり慣れていないせいか、普段以上に大人しくしていた。

「お待たせー。一橋くんはまだ来てないんだ」

「あ、勝元来た」

「一橋くんはまだ来てない」

「さっきFINEが来たから、もう少しで来ると思うわ」

「りょーかい」

 勝元はそう言いながら涼介の隣に座りこんだ。

「なんで藤原と一緒じゃなかったんだ?」

 涼介がふと気になった、というような口調で聞いてきたので、少し驚いた。かつて何も言わずに遅刻したりすぐに帰ったりしていた涼介にそんなことを聞かれる日が来るとは思わなかったのだ。柚子がみんなに自分が遅れる理由を伝えていなかったことにもびっくりしたが、勝元はすぐに考え直した。彼女はわざわざこういうことを人に教えないだろう。ほんと、めちゃくちゃいい子なんだよなー、柚ちゃんは。

「告白されてきたから」

「エッ?」

 信じられないという顔を向けてきたのは沙也香だ。彼女は未だに勝元に対して当たりが強い。

「へえ……」

 涼介は何とも言えない顔をしている。

「柚子知ってたの?」

「え? うん」

 沙也香の質問に柚子が頷く。柚子が他人のプライバシーに関わることを勝手に話すわけがないと納得したのか、沙也香は「そっか」とだけ言って勝元に向き直った。

「どうだったの?」

「どうだったって……断ったよ」

「どうして?」

 この子は俺に何を言わせようとしてるんだろう。いやまあ大体想像はつくけど。親友を狙っているから断ったのだと確信している沙也香の瞳から目を逸らす。

「まあ……よく知らない子だったし。てか俺の話はどーでもいいよ」

 勝元はそう言ってメニューを手に取った。

「腹減ったな。先に頼んじゃわない?」

「わりぃ、待たせた」

 ちょうどよく翼の声が聞こえてきて勝元は顔を上げた。そして、予想外な状況に目を見開く。

「連れてきちった」

 翼がばつの悪そうな顔で笑う。

「こんちはー!」

「柚子ちゃん久しぶりー!」

 辺りは一気に騒がしくなった。いつぞやの不良少年たちが翼と共にやってきていたのだ。名前は確か、真に誠也、正義とひでお……ではなく英雄。

「エーッ? ひでおくんたちも来たの?」

 柚子が素っ頓狂な声を上げた。

渾名あだな教えたの悪手すぎたな」

「一番名前呼ばれてるもんな……」

 デレデレした顔で柚子に手を振る英雄の後ろで、真と誠也が不満げにブツブツと話している。

「誰だ」

 涼介が不審そうな顔をして言った。

「あーそっか、都くん知らないよね。一橋くんの友達だよ。みんなめっちゃいい名前なのにちょっと前まで不良だった」

 勝元がそう説明すると、正義が「それはもうやめてくれ」と呻いた。

「席足りないよー、先に言ってよ」

「すまん!」

 沙也香の言葉に、翼が頭を下げる。

「店員さんに隣の席を使っていいか聞いてくるわ」

 椿がそう言って立ち上がった。

「サンキュー!」

「ありがとー椿ちゃーん!」

「もう……うるさい!」

 大声で礼を言う元不良少年たちに、椿がとうとう吠えた。

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