百川帰海(4)

 陰陽師たちが、ぞろぞろと歩いて波打ち際へと近づいていく。

 煙草を吸っている約二十人の陰陽師が前方に並び、吸わない陰陽師はその後ろに並んでいる。特に煙草が苦手な者や未成年の陰陽師は最後尾に並ぶよう指示された。柚子たち智陰陽師が一番後ろを指定されたのは、万一海坊主に攻撃された場合に戦いに参加させないためという意図もあるだろう。

 前にいる陰陽師を追ってだらだらと歩いていると、咲也がさりげなく隣にやってきた。咲也は海坊主を見つめながら、深刻な口調で話しかけてくる。

「簡単にでいいから、何があったのか教えてくれないかな」

「えっと……」

 どこから言えばいいのか悩んでいると、椿が声を上げた。

「……人魚討伐を終えたら、絡新婦が現れて、白面金毛を蘇らせる日が近づいていると言ってきました」

 咲也は黙って聞いている。

「それから、妖怪にとって住みやすい世界を作るために海の妖怪にも協力してもらう、みたいなことを言って……一気に磯撫でと濡れ女、七人ミサキと海坊主を呼び寄せたんです」

 椿がそこまで言うと、沙也香が付け加えた。

「二人亡くなりました」

 咲也は一瞬息を呑んだ。それから、すぐに優しく声をかける。

「ありがとう。ごめんね。大変だったね」

 咲也はそれからゆっくりと続けた。

「……聞いた感じだと、白面金毛を蘇らせたいという妖怪たちがたくさんいて、絡新婦はその妖怪たちを率いている感じなのかな? そして更に海の妖怪たちとも協力して?」

 咲也の言葉を聞いて、柚子はハッとした。やはり咲也は柚子と同じことを考えている。できるだけ自然に「妖怪たちは徒党を組んでいるのではないか」という話を仲間たちに聞かせつつ、柚子に無言で指示を出しているのだ。彼は、以前送り拍子木が柚子の言うことを聞いたということも知っている。咲也はチラッと柚子を見た。その瞳は明らかにこう言っている。この戦いを終わらせられるのは君だけだよと……。

「確かに、そんな感じだったな」

 翼が思い出しながら言う。

「妖怪たちって言ってたしな……」

「……秘密って何なんだろう」

 涼介も声を上げた。思わず固まる。咲也は顔色を変えずに涼介の方を見た。

「秘密?」

「あ……はい。なんか言ってました……妖怪たちは陰陽団の秘密も知ってるって。団長が何か隠してる? とかなんとか」

 咲也は眉を寄せて考える素振りをした。

「……なんだろう。僕も分からないな。……妖怪のハッタリかも」

 咲也がそう誤魔化したところで、列が止まった。先頭の陰陽師たちが、水際のギリギリのところまで辿りついたようだ。柚子は会話が途切れたことに心からホッとした。

 二列で並んでいた陰陽師たちは波打ち際の前で横に広がった。咲也も前に出る。柚子は周囲に気付かれないよう無言で勝元の腕を軽く叩いてから、咲也を追いかけるようにして前の方に向かった。勝元も気付いて柚子の後ろをついてくる。

「えっ、危ないよ」

 沙也香の声がしたが、聞こえていないふりをした。

 雄大に広がる海。柚子たちから十メートルほど離れた先に、海坊主はじっと立っている。何度見てもよく分からない不気味な妖怪だった。暗闇そのものと言ってもいいほどに黒く、のっぺりしている。かといえば目らしきものはハッキリと見える。顔だけ見ればむしろ可愛らしいかもしれない。だが、どこが夜の空や海との境目かも分からないほどに真っ黒の大きな体はやはりとても気味が悪かった。

「……近づいてこないわね。攻撃もしてこない」

 あきらが呟くように言い、煙草の煙を海にかざす。他の者たちも真似をした。それから、今日の戦いにおいて木行の術で大活躍している女性の陰陽師が印を結んだ。するとその途端突風が起こり、煙草の煙を海坊主の方へと飛ばしていく。海坊主は目を瞬くと、嫌がるような動きをしてみせた。本当に煙草が苦手なようだ。

「あの人風の技も使えるの? すごい」

 柚子が驚きの声を上げると、勝元が口を開いた。

「風は木行に含まれてるんだよ」

「えっ、そうなんだ」

「木行にはあと雷の術もあるよ」

「えっ? 木行めっちゃオールマイティじゃん」

 柚子は目を丸くした。勝元も頷く。

「確かにいろいろできるね。他にも、一番変わった技が多いのは金行だけど、その分難しいって言われてたりとか、五行はそれぞれ特徴あるよ」

「へえー……」

 柚子は気の抜けた声を上げながら、木行を使いこなす陰陽師の方を見た。

「でも、こっちからもこれ以上近づけないから攻撃もできないぞ」

 煙草を深く吸いこんで、群治郎が嘆息がちに言う。

「しばらく待ってみましょう。諦めるかもしれない」

 咲也は海坊主から目を離さずにそう言ってから、陰陽師たちを見回した。

「予備の煙草は……」

 団服を着た二人の陰陽師が、「持ってます」と声を上げる。

「大丈夫そうだね。それじゃ、しばらく様子見かな」

 咲也はそう言うと、海坊主に向き直った。海坊主は煙を払うような動きはしているが、一定の距離を保ったまま動かない。

「……」

 柚子はじっと海坊主を見つめた。

 今回は言葉を介して指示を出すことができない。海坊主に聞こえるような声を出したら、当然他の陰陽師たちにも聞かれてしまう。小さな声で呟いても海坊主には届かないだろう。つまり、一体全体こんなことが可能なのかどうかはさっぱり分からないが、頭の中で指示を念じて海坊主を撤退させるしかない。

 ……海の中に戻って。二度と人を襲わないで。二度と人の前に現れないで。お願いだから、もう戻って。

 柚子は心の中で必死に何度も繰り返した。海坊主は動かない。

 どうすればいいんだろう? 言葉が良くない? それとも何か他に方法があるのかな。今これが効いてるのかどうかも分かんないし……。

 無反応な海坊主に柚子は早くもめげそうになっていたが、どうにか気を持ち直した。この場を収めることができるのは自分しかいない。やらなくちゃ。

 柚子は小さく前に一歩踏み出した。足元に水がかかる。勝元が不安げな顔でこちらを見ているのが分かる。咲也は柚子が目立たないよう、更に大きく前に踏み出した。

 海の中に戻って。

 口には出さずに、海坊主に向かって念じ続ける。

 今お前がこの場にいる陰陽師を殲滅したとして、私はお前に感謝しない。私はお前のことを殺す。だからもう近づいてこないで。下がって。いるべき場所に戻って。もう二度と罪のない人間を襲わないで。

 突如地鳴りのような音が響き始めた。海坊主が大きな口を開けて唸り声のようなものを上げている。海坊主の恐ろしい声と姿に陰陽師たちはギョッとして武器を構え始めたが、柚子はなんとなく感じ取っていた。あれは私への返事だ。

 海坊主はのっそりと動いて方向転換し、陰陽師たちに背を向けた。それからゆっくりと動き出す。まるで階段を下りているかのように海坊主の姿は徐々に海の中に沈んでいき、やがて見えなくなった。



 着替えを済ませ、陰陽団の所持するバスに乗りこみ帰路を辿る。時刻はもう九時を回っていた。

 応援で後から来た陰陽師たちは来る際に使用した車に乗ってバスの後ろを走っていたが、あきらと群治郎に話がしたいと言われた咲也はバスに乗り、前方で何やら話しこんでいる。

 柚子は黙って窓の外を見つめていた。隣には勝元がいるが、彼も静かだ。前には沙也香と翼、後ろには椿と涼介、更にその後ろには香織とありさが座っている。八人とも何も言わない。

 妖怪にもいろんな奴がいる。愛を持つ妖怪もいると知った。陰陽師になると決めた時は妖怪全員ぶっ殺してやると息を巻いたが、最近は人間に被害を与える妖怪たちを討伐していきたいと思うようになった。仲間たちと協力して、陰陽師としての務めを果たしていきたいと考えるようになった。

 だが、それでいいのかと心の中のどこかで誰かが叫び続けている。

 柚子は深く溜息をつくと大きく項垂れた。最悪の気分だった。今日だけで二人も陰陽師が死んだ。

 どうしても落ち着かず、柚子は再び顔を上げて窓側にもたれかかった。

 思い出しただけで視界が滲み始める。柚子は必死に涙を堪えた。

 私のせいでたくさんの人が死んでいく。二人の先輩陰陽師。三本槍岳の登山客。十九年前に前世の私が殺した陰陽師たち。そして、お母さん。

 それに、団長には秘密があるってこともばれた。さっき咲也さんは誤魔化してくれたけど、今後不審に思う陰陽師が増えてもおかしくない。これから私はどうすればいいの……。

「柚ちゃん、大丈夫?」

 見兼ねた勝元が小声で話しかけてくる。

「大丈夫」

 柚子はそう言って微笑むと、目を逸らした。

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