百川帰海(3)
戦いに参加するために陰陽師たちに近づくと、苦虫を噛み潰したような顔で考えこんでいるあきらと目が合った。その瞬間、あきらが大急ぎで八人の元へ歩いてくる。
「何をしてるの? 後ろで待機していなさい」
「あの、私たちも戦います!」
柚子が言うと、あきらは更に顔を険しくした。
「だめです。下がっていてください」
「でも……」
椿が声を上げようとする。しかし、あきらは手でそれを制した。
「やばい状況じゃないすか。黙って見てるなんてできないっすよ!」
翼が声を張り上げる。あきらは片方の眉を大きく吊り上げた。
「人魚の生贄になるのは嫌がったのに?」
あきらの言葉に翼は気まずそうに口を噤んだが、すぐにまた口を開いた。
「いや明らかやばさがちげえし!」
「囮にされるのと戦いに行くのとってちょっと違いません?」
勝元が冷静に言った。あきらは一瞬黙って勝元をじっと見つめたが、首を横に振った。
「その心意義や良しですが了承することはできません。あなたたちに海の妖怪と戦えるほどの実力や経験はない」
あきらの厳しい言葉に、一同は何も返すことができず
「でも……!」
柚子は顔を上げて、あきらの目を真っ直ぐに見つめた。あきらは自分の正体を知っている。妖怪が徒党を組んでいるということに彼女は気付いているのだろうか? 考えが伝われば、戦いへの参加を許可してくれるかもしれない。
だが、柚子はあることを思い出した。あきらさんは多分、私のことを信用してない……。
「だめです。戻って!」
「でも……できることが……」
どうにかしてここを突破しなければ。人が一人死んでいるのだ。できるものならこれ以上被害が拡大する前に戦いを鎮めたい。焦る思いで柚子は食い下がる。だが、とうとうあきらは吠えた。
「いいから下がって!」
あきらの形相に気圧されて、柚子はたじろいだ。
「死者が出たのよ! あなたたちが死んだら誰が責任を取ることになるか分かってるの? 絶対にだめ!」
喚くあきらを見て、柚子は固まった。そういえば、みんなにはまだ家族がいるんだった。自分にはもう誰もいないせいで、忘れかけていたのだ。みんな、それぞれ帰りを待っている人がどこかにいるのだということを。
あきらは少しだけ落ち着いた様子で香織とありさに目を向けた。
「それでもどうしてもって言うなら成人している二人は自己判断に任せるけど、あなたたちはこの戦いには向いていないでしょう」
あきらはぶっきらぼうにそう言い放つと、これ以上の言い分は聞かないとでも言うように勢いよく振り返り、そのまま元いた場所まで大股で戻っていってしまった。
「……どうしよう……」
柚子が呟く。沙也香が小さく息を吐きながら柚子の肩にそっと手を置いた。
「まあ……あそこまで言われちゃしょうがないよ。階級が足りないのは事実だし。後ろで待機してよ……」
問題はそこではないのだ。どうして分かってくれないの? 柚子はあきらの後ろ姿を睨みつけた。
今にもこのまま駆け出して妖怪たちの元に向かいたいところだったが、柚子はただ立ち尽くして海を見つめることしかできなかった。そんなことをしたら、正体がばれてしまう。それまでのリスクを負って飛び出す勇気は、今の柚子にはなかった。
どうすることもできずに仲間たちと共に下がる。相変わらず妖怪たちは動きを見せず、陰陽師たちは攻撃することができないままでいた。辺りはすっかり暗くなっている。かなり危険な状態だ。どうしたらいいんだろう。どうしたらいいんだろう? ずっとこのままではいられない。私が行けば、きっと戦わずに済むのに。柚子は下唇の内側を噛んで、今にも口に出してしまいそうなところを必死に堪えた。
「どうしろって言うのよ……」
あきらが歯を食いしばる。するとその時妖怪が動いた。闇の中で黒い巨人がゆっくりと動いている。よく見ると、腕を上げているのが分かる。やがて、巨人は腕を大きく振り下ろした。その弾みで起こった巨大な波が、陰陽師たちの元へと迫ってくる。陰陽師たちは悲鳴を上げて迫りくる波から逃げ出した。どうにか全員波に呑みこまれずに避難することができたが、目の前には恐ろしい光景が広がっていた。停めてあった千歳の船はひっくり返り、それを巨人が叩き潰している。更には七人の亡霊たちが波に乗って滑るように近づいてきて、一番近くにいた陰陽師の腕を掴んだ。
「嫌ああああ!」
腕を掴まれた陰陽師が叫び声を上げる。すると彼女のパートナーらしき陰陽師が飛び出してきた。
「待ちなさい!」
あきらが鋭く叫ぶ。だが彼は無視してパートナーを助け出そうと彼女の反対の腕を掴んだ。仲間の陰陽師がもう一人駆け出して、体ごと抱きしめて一緒に彼女を引っ張ろうとする。それから、蔓も伸びてきた。先程の二の舞にならないように、三人まとめてぐるぐる巻きにしている。それからすぐに大きな炎が勢いよく噴射して、陰陽師の腕を掴んでいた亡霊を貫いた。亡霊に炎は効かないのではないかと思えたが、そんなことはなかった。亡霊の姿は焼け消えている。
蔓が解放された三人を素早く引っ張り戻そうとする。すると先程と同じように磯撫でが飛び出してきた。また喰われてしまうのかと誰もが絶望したその瞬間、銃声が響いた。群治郎だ。腹に弾を食らった磯撫ではその場にボトリと落ちた。だがまだ生きているようで、力なく動いている。群治郎が一定の距離を保ったまま何発も弾を撃ち続けると、とうとう磯撫では動かなくなった。
磯撫でが死んだことで陰陽師たちが少しだけ勇気を取り戻したところで、恐ろしく不気味な叫び声が辺りに響き渡った。仲間を一人失い、六人になった亡霊たちがこの世のものとは思えないような気味の悪い声で泣き叫んでいる。
「七人ミサキだ!」
誰かが叫んだ。六人の七人ミサキとはこれ如何に——だがそんなことを考えている暇はない。発狂してバラバラになった亡霊たちを見て、陰陽師たちは一気に攻撃を始めた。誰かが矢を放ったが、亡霊の体をすり抜けてしまった。物理攻撃は効果がないようだ。
先程と同じ炎が別の亡霊めがけて放射され、亡霊は消えた。あと五人。別方向からは棘の生えたいばらのようなものが飛んできて亡霊の体を突き刺す。あと四人。少し調子が出てきたところで、再び巨人が波を起こした。波は先程のものより大きく、逃げ遅れた陰陽師が一人飲みこまれてしまう。陰陽師たちは救出を試みたが、彼の姿はそのまま見えなくなってしまった。
「海坊主! あいつは海坊主です!」
誰かが泣きながら叫んだ。また一人死者が出てしまった。だが、彼らの動きを見ることができたおかげで、馴染みのない海の妖怪たちの正体を推測することができている。
「後衛の人たち! まずは亡霊を仕留めるわよ!」
「濡れ女と海坊主に注意! 波打ち際から十分に距離を取って確実に攻撃!」
あきらと群治郎が大声で指示を出した。陰陽師たちは返事をすると、指示の通りに動き始めた。柚子たちも一緒にできる限り下がり、縋るような思いで先輩たちの無事を祈る。
炎といばらが伸びて亡霊たちを滅していく。あともう一人で片付けられるというところで、一人の陰陽師が「ギャッ」と悲鳴を上げた。いつの間に近づいてきた濡れ女が、彼女の足首に長い尾を巻きつけているところだったのだ。
別の陰陽師が刀で濡れ女の体を叩き斬ろうとする。だが上手く斬れない。すると別の陰陽師が長い槍のようなものを濡れ女の体に突き刺した。濡れ女は叫び、女性陰陽師から体を離した。砂まで深く刺さった槍に固定されて逃げられずにいる濡れ女に、別の陰陽師が迷いなく刀を振り下ろす。濡れ女は真っ二つになり、動かなくなった。濡れ女も討伐完了だ! その隙に最後の亡霊が泣き叫びながら女性陰陽師を連れ去ろうと走り寄ってきた。彼女は思わず叫んだが、すぐさま飛んできた炎が亡霊を焼き尽くす。七人目の亡霊も消え去った。
「気を緩めないように!」
すかさずあきらがピシャリと声を上げた。残る妖怪は海坊主のみだ。一同は黒い巨体を見上げた。暗闇の中で海坊主の姿は捉えづらい。一体どうやって攻撃すればいいのだろうか。
「あきらさん! 応援が! 来ました!」
誰かが声を上げた。見れば、ざっと五人ほどの陰陽師たちがこちらに駆けつけてきているのが分かった。その中には咲也とつぐみもいる。その後ろには、三台の車がゆっくりと走ってきているのも見えた。車は車線ギリギリのところまでやってきて、フロントライトを海に向けて停まった。
陰陽師たちは海坊主の様子を気にしながら、後からやってきた仲間の元へと向かった。
「遅くなってごめんね。大丈夫?」
つぐみが柚子たちに優しく声をかける。八人は目を合わせて、「私たちは大丈夫です」と返した。
「どうもありがとう」
あきらがキビキビと言う。車から降りた陰陽師たちも集まって、計八人の陰陽師が合流した。咲也が小さく頭を下げる。
「お疲れ様です。詳しい話は後ですね」
水着姿のまま消耗した様子の陰陽師たちを素早く確認して、咲也はそう言った。それから海坊主を見上げて目を細める。
「海坊主だ。初めて見たな」
「有効な攻撃手段は分かりますか?」
あきらの質問に、咲也は曖昧に頷いた。
「多分、殴る蹴る斬るの物理攻撃の方が効くんだけど、それには近づかないといけないから……海坊主は煙草の煙が苦手だと言われてます。だから、煙草を持った状態で近づくといいかもしれない。やったことはないから必ずしも有効かどうか分からないですが」
「煙草?」
あきらは素っ頓狂な声を上げ、それから群治郎に目を向けた。
「持ってる?」
「ここ禁煙だろ? 持ってないよ。あと俺もう電子煙草に変えてるから」
「使えないわね」
あきらはにべもなくそう言うと思いきり舌打ちした。
「いや本来はそっちの方がいいだろ?」
群治郎は言い返したがあきらはそれを無視した。
「俺持ってます」
応援の別の陰陽師がそう言って煙草のケースを取り出す。
「でかした」
あきらはそう言うと、海坊主の方を向いた。
「煙を出しながら近づいてみましょう。吸える人は持って」
あきらはそう言って、自分も煙草を一本取り出した。
「あきらさん煙草吸うんだ」
勝元が小さく呟く。
「船が壊されちゃったから、攻撃できるところまで近づけないね……」
群治郎がそう言って、ちらりと千歳の顔を見る。千歳は何も言わなかった。
「とりあえず、行けるところまで行くわ」
あきらはそう言って、火を点けてもらった煙草を口に咥え、思いきり吸いこんだ。
「煙草似合うな」
翼もボソッと言う。聞こえたのか、あきらがこちらを向いた。翼がビクッと肩を揺らす。
「何度言わせるの? あなたたちは待機していなさい」
あきらの言葉に今度こそ言い返そうと思わず口を開くと、咲也が先に声を上げた。
「いや、来てもらいましょう」
そう言うと、咲也は柚子に向かって誰にも気付かれないように素早くウインクした。柚子は思わず目を瞬いた。
「ですが……」
「もちろん、危険だったらすぐに戻ってもらいます。僕が責任を取ります」
咲也がきっぱりと言った。それから柚子たちを見て、「待っていたかったら待ってていいよ」と声をかける。誰も何も言わなかった。あきらは怖い顔をして納得しかねると言いたげに咲也を見ていたが、やがて不承不承といった様子で承諾した。
「……分かりました。では、行きますよ。煙草を吸える人たち、準備はいいですか」
「ふぁい」
煙草を咥えたまま群治郎が返事をした。他にも、ざっと数えて二十人ほどの陰陽師が煙草を手に持っている。
「行くわよ」
あきらの声に合わせて、陰陽師たちは歩き出した。
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