ハイスクール・フェスティバル(3)

「藤原」

「ん?」

 ホームルーム後、帰る準備をしていた柚子は声が聞こえてきた方を向いた。そこにいたのはクラスメイトの長瀬孝太郎、通称コタロー。クラスのムードメーカー的存在だ。現在の席順はもう替わっているが、一学期に初めて席替えをした時に隣になってからよく話すようになった男子生徒だった。

「……」

 孝太郎はやけに深刻な表情を浮かべていた。席についている柚子の目の前で、思い詰めた顔をして立っている。

「……どうしたの?」

 怪訝な顔をして首を傾げ、孝太郎を見上げる。彼はかなり大柄なので、座っている柚子が前を向いていても目が合わない。孝太郎は何とも言えない顔をしてから、か細い声でようやく話し始めた。

「藤原って、ほんとに宗と付き合ってないんだよな?」

 その言葉を聞いた瞬間、柚子は大きな溜息をつきたくなったが、どうにか堪えた。さっきからこういうの多いな。

「付き合ってないよ」

 柚子がはっきりと答えると、孝太郎は視線を逸らしながらも一歩近づいてきた。

「じゃあさ……その……」

 孝太郎の歯切れの悪さに、柚子は彼が何を言おうとしているのかを悟ってしまった。

「猷秋祭……俺と回らねえ……?」

 消え入りそうなその声に、柚子は心が痛むのを感じた。唇を噛みしめ、こちらを見ようとしない孝太郎をしばらく見つめた後、吐息と共に言葉を出す。

「ごめん……」

 柚子がそう言った途端、孝太郎は勢いよく顔をこちらに向けてきた。何も言えずにいる柚子を、孝太郎もまた無言のまま泣きそうな顔で凝視している。

「そ……そっか……いきなりごめん……」

 孝太郎は普段の様子からは想像できないほど弱々しい声でそう言うと、よろよろと数歩後退り、それから少し離れた壁際で談笑をしていた二人の友人たちの元へドタバタと走っていってしまった。

「んああああ!」

「うおっ、どしたコタロー」

「振られたー!」

「……は? お前藤原誘ったの?」

「不可侵条約破ったのかお前!」

 なんとなく聞こえてくる三人の会話にいたたまれなくなり、柚子は素早く立ち上がるとその場を後にした。



「ずっと好きでした。付き合ってください!」

 目の前にいるのはまったく知らない人だ。同級生なのだろうが、今まで一度も見たことがない。

 休み時間にクラスメイトにちょっと来てと呼び出され、廊下の突き当たりまで向かったところで、柚子は突然初対面の人から告白された。ずっとってやだな……誰なんだろう……と思いながらも、とりあえず頭を下げる。

「ごめんなさい」



「こんちはー!」

 放課後、いきなりやってきた上級生の声が教室に響いた。三年生の男子生徒四人組が黒板の前に立って、教室の中を興味深げにキョロキョロと見渡している。

「藤原柚子ちゃんいますかー!」

 三年生の一人がそう言うと、教室に残っていた生徒たち全員の目が柚子の方を向いた。

「あ、いた!」

「やっぱめっちゃかわいーな!」

「柚子ちゃーん、一緒にキャンプファイヤー見なーい?」

「ギャハハハ!」

 四人の上級生たちは大声で笑いながら勝手に盛り上がっている。教室にいる者全員の視線を浴びていた柚子の顔から、サッと血の気が失せた。



「はあ……」

 柚子は深い溜息をついて机に突っ伏した。ようやく帰っていった上級生たちのせいで心はへとへとだ。

 猷秋祭が近づいてくるにつれてこういうことが増えてきた。孝太郎には申し訳なく思うが、正直なところ、それ以外の人たちに対しては自分の気持ちも考えてほしいと思わずにはいられなかった。中学生の頃にも数多くの生徒たちに言い寄られたが、応える気になれない告白への返事をすることにはやはり慣れない。相手の気持ちを断ることにも、かなりのエネルギーが必要なのだ。

「モテモテだねー」

 勝元の呑気な声が聞こえてくる。柚子は突っ伏したまま勝元の声がした方を向いた。勝元はニヤニヤ笑っている。

「ああいう人って、私がほんとに一緒に行くと思ってるのかな?」

 柚子は少し怒ったような声で言った。あまりこういうことは口にしないようにしているが、目の前にいる人物の前でなら少しくらい言ってもいいかと思ったのだ。

「さあ……ワンチャンあると思ってんじゃない?」

「ないよ……」

 勝元は首を軽く捻ってから、小馬鹿にしたような口調で返した。柚子が深い息と共にそう言うと、勝元は笑い出した。

「……あの人たちみんな、私が妖怪だって知ったらどんな反応するんだろ」

 柚子は、自分でも聞き取れないほど小さな声で呟いた。

「ん?」

 勝元が笑うのをやめてこちらを見る。

「なんか言った?」

「ううん」

 柚子はそう言うと、ようやく体を起こした。それから、スマートフォンを眺めている勝元をじっと見つめる。

 勝元は、私が妖怪だって知ってるんだよな……。

 柚子の正体を知る人たちの中でも、勝元は最も身近な存在だ。彼は柚子が白面金毛の娘だと知ってからも、変わらず始めから見せていた軟派な態度で接してくる。とはいえ、勝元は狐の耳や九本の尾を生やした柚子の姿を見たことはないのだが。

「柚子は? 宗でしょ?」

 ふと莉子の言葉が頭の中で響く。柚子は眉を寄せた。なんで勝元とキャンプファイヤーを見なきゃいけないの。沙也香と、あと椿と見ようと思ってたんですけど。

 別に、勝元と猷秋祭を回り、キャンプファイヤーを見るのが嫌というわけではない。というより、柚子の頭の中には勝元も含めた三人と猷秋祭を回っている光景がごく自然に浮かんでいた。なんか、夏休みも大体一緒にいたからか分かんないけど、一緒にいないのもそれはそれで変に感じるようになっちゃったな。うわ嫌だな。

 柚子と勝元は、本当にかなりの時間を共に過ごしている。どちらか片方だけでも平凡なただの高校生だったらこんなことにはなっていなかった。普通ではありえない状況だ。

 もう、ほんとに勝元と回ることにしちゃおうかな。キャンプファイヤーも。ふと脳裏にそんな考えが浮かんだ。そうすれば、唐突に告白しようとしてくる見知らぬ生徒や、面白半分で柚子を誘ってくる生徒を減らすことができるだろう。

 だが、人を寄せつけないために一緒に猷秋祭を回ってほしいと頼むのもおかしな話だ。せめて彼から誘ってくれればと思うが、勝元がその話をする様子はない。やっぱりこの作戦はなし。柚子はすぐに考え直したが、こう思わずにもいられなかった。……正直、勝元はいつも通りの軽い雰囲気で誰よりも先に誘ってくると思ってたな……。

「……落ち着いた? マジでしつこかったねー。帰れそう?」

「……うん、だいじょぶ」

 勝元の言葉に頷いて、鞄を手に持つ。

「沙也香ちゃんたちはもう行ってるんでしょ?」

「うん。疲れたから先行っててって言った。……てか、勝元にも言ったつもりだったんだけど」

 柚子が立ち上がりながら言うと、勝元は普段と変わらない様子でへらへらと笑った。

「柚ちゃんのことならいくらでも待ちますから」

 そういうことは普通に言うのに、キャンプファイヤーには誘わないんだね。

「はいはい」

 勝元の言葉を軽く受け流して教室を出る。すると、目の前に見覚えのある女の子が現れた。

「あっ、あの……」

「ん?」

「宗くん」

 声をかけられたと思い、柚子は首を傾げたが、彼女が話しかけた相手は柚子の背後にいる勝元だった。勝元の方を振り向いてから、もう一度女の子の姿を確認する。そこにいたのは、勝元に告白したと思しき女の子だった。確か、名前は加賀池ふみ。隣のクラスの生徒だ。

「よかったら……今日も一緒に帰らない?」

 ふみはそう言ってはにかんだ。ふみは眼鏡をかけた大人っぽい雰囲気の女の子だが、その恥ずかしそうな笑顔は無邪気な子供のようだ。

「いいよー。じゃあ三人で……」

「藤原さんがいるのは嫌だな」

 勝元の言葉を遮るようにしてふみがそう言い切った。柚子は一瞬何を言われたのか分からず、目を瞬いた。勝元も驚いた顔をしている。

「宗くんと二人で帰りたいんです。邪魔しないでくれますか?」

 ふみは柚子を真っ直ぐに見つめて、迷いなくそう言い切った。柚子は何返すべきか分からなかった。こんな経験をしたことがなかったのだ。だが、目の敵にされているということは分かる。

「……そうですか」

 柚子はなるべく冷静な声でそう返したが、いきなり邪険に扱われたことに対する怒りは隠し切れなかった。勝元は何も言わない。その様子を見て、ますます腹が立った。

 柚子は黙って踵を返すと、そのまま一人で陰陽団基地へと向かった。



 陰陽団基地に帰ってきてから、訓練を終えて部屋に再び集まるまで、柚子は一言も口を利こうとしなかった。

 ふみにいきなり拒絶されたことがよほどショックだったらしい。彼女は今まで人に嫌われたことがなさそうなので、尚更あんな態度に慣れていないのだろう。勝元はそう思った。まあ、俺としては正直ちょっと嬉しいシチュエーションだったけどね。

「お疲れー」

 勝元は柚子に声をかけた。柚子は視線だけこちらに向けて「お疲れ」と返すと、まるで勝元を避けるようにしてその場から離れた。

「え? どうしたの」

 勝元が慌てて声をかけると、柚子は立ち止まった。こちらに背を向けたまましばらく考えこんでいた柚子は、たっぷり十秒が経過してから勝元の方を振り向いた。

「加賀池さん、勝元のことがまだ好きみたいだけど、それでも一緒に帰るんだね」

 予想外な答えが返ってきた。柚子はどうやら、ふみにではなく自分に怒っている。厳しい表情を浮かべている柚子に呆気に取られて、勝元はポカンとしていた。

「ふみちゃんに怒ってるんじゃないの?」

「……そりゃもちろん急にあんな風に言われたらむかつきますけども」

 柚子が嫌味っぽく言う。勝元はつい先程のことを思い出して、小さく笑いながら返した。

「びっくりしたよねー。嫉妬してんだね」

 勝元の言葉を聞いて、柚子は眉を吊り上げた。

「分かっててその態度なの?」

「分かっててって何を?」

「……だから、加賀池さんがまだ勝元のこと好きだって」

 勝元がわざとらしく尋ねると、柚子は言いにくそうに繰り返した。勝元は軽く肩をすくめた。

「そりゃまーね」

「は?」

 柚子が素っ頓狂な声を上げる。柚子と見解の相違があることに気がついた勝元は、思ったことをそのまま口にすることにした。

「友達として仲良くしてほしいってふみちゃんが本気で思ってるわけないじゃん。柚ちゃんも多分似たようなこと言われたことあるだろうと思うけど、そいつ絶対柚ちゃんのこと友達だと思ってないからね」

「どうしてそんなこと言うの?」

 勝元がハッキリとそう言うと、柚子は愕然としてそう返してきた。

「分かるから。絶対まだ好きだしワンチャン狙ってるだけだと思う」

「それは……そういう人もいるかもしれないけど、決めつけるのは違うでしょ?」

 勝元が淡々と言うと、柚子は更に気分を害したようだった。咎めるような声色でそう言う。

「そりゃゴタゴタがあった後でも友情を築けたらそれはすごいしいい関係だねーって思うけどさ、正直あんまりないと思うよ、そういうのは」

 勝元はそう言うと、せせら笑うように付け足した。

「……まあ、中学とか好きな子コロコロ変わる奴ばっかりだとは思うけど」

「自分はそんなことない大人です、って思ってるみたいな言い方」

 柚子の口調にはかなり棘があった。聞いたことのない声だ。

「別にそんなこと思ってないよ。そもそも俺中学の頃好きな子とかいなかったし」

「聞いてないよ……なんでそうやって『俺は分かってます』って感じなの?」

「……何?」

 そろそろ苛立ってきた。勝元はうんざりして柚子の顔を見下ろした。彼女は何が言いたいのだろう。

「陰陽師のことは私は知らないことばっかりだしそれは全然いいけどさ、世間とかについても俺の方がよく分かってますよ、って思ってるでしょ」

「……」

 否定はできない。勝元は黙りこんだ。

「私、そんなに変なこと言った?」

「……いや……」

「じゃあなんでそうやって私が間違ってるみたいな言い方するの? 私に告白してきた人が本心でどう思ってるかなんて分からないでしょ? ほとんど勝元の知らない人なのに」

「だって大体そういうもん……待って、ほとんどってことは知ってる奴もいんの? 柚ちゃん今回クラスの誰かから告られた?」

 途中でとんでもないことに気付いた勝元は質問してみたが、柚子は答えようとしなかった。

「それは今関係ないでしょ!」

「うわマジか。誰だろ」

「もー、ちゃんと話聞いてよ!」

 柚子はとうとう大きな声を上げた。それから一息ついて、心を落ち着かせてから再び口を開く。

「……だから、……結局加賀池さんは勝元のことをまだ好きで、勝元もそれを分かってるんだよね?」

「まー、そうなるね」

「それで、どうしてまだ一緒に帰ってるの? これからどうするつもりなの?」

 のらりくらりとしている勝元に、柚子はどうも腹の虫が治まらないようだった。小さく頬を膨らませてこちらを睨んでいる。勝元はあっけらかんとして答えた。

「別にどうもしないよ。悪い気しないし」

「はあ?」

 柚子は大きく目を見開いた。理解ができないという顔をしている。勝元はと言えば、よく今まで柚子が自分に対して腹を立てることがなかったものだと他人事のように感心しているところだった。

 この数ヶ月間、自分と比べて柚子は人間としてできすぎている(彼女は人間ではないのだが)と知る機会はたくさんあったが、彼女は勝元がどういう人間なのかをまだ分かっていない。彼女は、周囲の人たちがみんな自分と同じように優しい人間なのだと信じている。勝元は誰にでも優しいわけではないということを知らないのだ。

 いや、そういえば怒られたこと一回だけあったか。勝元はふと思い出した。ペアを組むことが決まったすぐの頃は、柚ちゃんめっちゃ塩だったなー。

「あのね、俺柚ちゃんが思ってるほどいい奴じゃないよ」

 勝元はそう言うと、柚子の顔を覗きこんだ。

「ていうか柚ちゃんこそ何が言いたいの? あ、もしかして柚ちゃんも嫉妬してる?」

「なんでそうなるの!」

 勝元はふざけてそう言ってみたが、むしろ更に柚子を怒らせてしまった。柚子は真剣な顔で勝元を見上げている。

「仲良くしてる人が……パートナーが不誠実な態度を取ってるのが嫌なの!」

 柚子はバシッと言ったが、勝元にはどうもピンと来なかった。

「その相手だって私のことを嫌っててあんなこと言ってくる人だし! 正直言ってあんまり仲良くしてほしくないよ!」

「まあ確かにあれはないなーと俺も思ったけど、でもさー、なんで俺に怒るの? 俺がどうしようと柚ちゃんには関係ないよね」

 勝元の最後の言葉が引き金だった。ずっと怒った顔をしていた柚子は、すっと表情を消した。

「もういい」

 柚子は冷たくそう言うと立ち上がり、荷物をまとめてさっさと部屋を出ていった。

 勝元は振り返った。二人が話している間ずっと黙っていた仲間たちが、唖然としてこちらを見ている。

「……見世物じゃないですよー」

 勝元はそれだけ言うと、スマートフォンを起動した。

「いや……目の前で喧嘩し始めたのはそっちだし……」

 涼介が驚きを隠せない様子ながらも呆れた声を上げた。

「……柚子があんなに怒ってるとこ初めて見た」

 沙也香はかなり困惑している。

「なんだかおじいちゃんとおばあちゃんの喧嘩に少し似てたわね」

 椿がこっそりと言う。

「それな」

 翼も神妙な顔でそう言って頷いた。

 あーもううるさいなー。仲間たちの言葉に、また苛立ちが募ってくる。勝元は荷物を持つと何も言わずに部屋を出た。

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