人魚の潜む海(1)

「いやー、いい眺めだねー!」

 水着姿の勝元が、燦々と照りつける太陽に目を細めながら嬉しそうに声を上げた。同じように水着を着て隣に立っている翼と涼介が同時に勝元の方を見る。

「どこ見て言ってんだよ」

 翼が呆れた声で言った。勝元の視線は、悠然と広がる海原ではなく、水着を着た少女たちの方へと向けられている。

「え、一橋くんなんとも思わないの?」

 勝元が信じられないという顔で翼を見る。

「お前なぁ……」

 翼はそう言って大きく溜息をつくと、カッと目を見開いた。

「んなわけねえだろ!」

 翼の答えに、勝元は満足げに頷いた。

「藤原乳デッケェよな……」

 翼は、フリルのついたフレアタイプのブラジャーが可愛らしいビキニを着た柚子を凝視して呟いた。

 柚子は沙也香と椿と共に男子たちから少し離れたところに立っていた。今回の任務にはアイドル活動を休止して陰陽師としての仕事に積極的に関わるようになった香織とありさも同行しており、彼女たちと何やら楽しげに話しこんでいる。椿の顔はまだどこか緊張気味だ。

「いいよなーお前藤原とペア組めて」

 翼がぼんやりと柚子を眺めながら羨ましそうに言う。それから、勝元の表情を見て思いきり顔をしかめた。

「その顔うぜー」

 勝元は黙ってニヤニヤしている。

「むかつくな!」

 翼はむきになって吠えた。勝元は吹き出した。

「でもマジでめちゃくちゃ可愛いよねー。俺初めて柚ちゃん見た時ちょっとびっくりしたよ」

 勝元がしみじみと言う。翼も頷いた。

「俺もビビったわ。しかも椿とわりと仲良くて二重でビビった」

「思うんだけど椿ちゃんって多分可愛い女の子を見るの好きだよね」

 勝元の言葉に、翼は「あー」と納得したような声を上げた。

「それはそうかもしんねえ……あいつルサルカを好きになったきっかけ確か二人の出てたCMかなんかだし……まあ可愛い女子は俺も好きだけどな」

「そりゃそうだよねー俺もだよー」

 翼がふざけて付け足した言葉に、勝元はのんびりとした口調ながらも全力で同意した。

「藤原めちゃくちゃモテてんだろうなぁ」

 翼が呟く。

「死ぬほどモテてるよ」

 勝元はきっぱりと返した。クラスで柚子が話題になっているところをしょっちゅう見ている。

「だろうな。あいつ性格もいいしな。……つーかお前学校で藤原と付き合ってるって勘違いされたりしてんのか?」

 翼が嫌そうな顔で言う。勝元はニヤッと笑った。

「役得だよね」

「すんげーむかつく……」

「沙也香ちゃんはどうなの?」

 翼が勝元を睨む。勝元が苦笑しながら話題を変えると、翼は微妙な顔をした。

「別に嫌な奴じゃねえし困ったこともねえけど、そういうのもねえよ。あいつも藤原のことばっかりだしなー。どんだけ好きなんだよ」

「それなー。でも沙也香ちゃんすげー脚綺麗」

「急だな。でもまあそれは分かる」

「一橋さんの恥じらってる感じも可愛いよねー」

「身内は別にどうでもいいけど……ルサルカの水着を生で拝めるのはやべえ。KAORIの水着エッロ」

「全員見事に水着の系統が違うってのがいいよねー。ありささんもいつもとちょっと雰囲気違ってセクシーだし」

「お前誰の水着が好き? 俺はKAORI」

 翼が真剣な顔で断言した。勝元も眉をキリッと吊り上げる。

「……俺もかな……でもありささんもチラッと見える脚がエロくて好き。あと柚ちゃんの水着も胸が更に大きく見えていいね」

「感想長えな」

 勝元と翼は五人の様子を眺めながら好き勝手に話し続けている。谷間や太腿の見えないデザインの水着を着た沙也香に、ワンピース型の水着を着た椿。バッチリと黒いビキニを着こなす香織に、腰にエスニックな柄のパレオを巻いているありさ。それぞれみんなよく似合っている。

「……都くん興味ないの? そんなことある?」

 ずっと黙っている涼介の方を見兼ねて、勝元が深刻な口調で尋ねた。涼介はチラッと女子たちを見てから口を開く。

「……興味ないってことはないけど、この場で本人たちに聞こえそうな声量で話すことじゃないと思う」

「……」

 涼介のもっともな意見に、勝元と翼は押し黙った。

 高校生たちは無事に一学期の期末テストを終えて、しばらく前に夏休みを迎えたところだった。長い休暇が始まったが、その代わり陰陽師としての活動時間も増える。今日は花隊に所属する陰陽師たちが三十名ほど集まって、千葉県にあるとある海水浴場へとやってきたところだった。

 このビーチでは、先日から相次いで行方不明者が出ている。始めは事故として処理されたが、三人の被害者が出たところで陰陽団が捜査に名乗りを上げた。行方不明者が全員若い男性であるという点から、ある妖怪による仕業ではないかと八郎が考えたためだ。

「それにしても……今日の任務、ちょっと楽しみだよな」

 翼はそう言って、口の中で舌を動かして内側から頬を歪ませた。

「本当に見れんのかな、人魚」

 そう、行方不明になった男性たちは、海に棲む妖怪である人魚に喰われた可能性が高いと考えられているのだ。

 海には危険な妖怪が多いため、今回の任務には通常より多くの陰陽師が参加することとなった。陰陽師は全員動きやすいようにと団服ではなく水着を着用しているため、危険度は普段より増している。とはいえ、香織とありさを含めた八人の智陰陽師たちは今回あくまで見学として来ただけなので、勝元たちの様子は気楽なものだ。

「そこの三人」

 背後から聞こえてきたキビキビとした声に振り返る。水着の上にTシャツを着ているあきらが、厳しい顔でこちらを見ていた。

「あなたたちには今回特別な役割を担当してもらいます。こっちに来て」

「特別な役割?」

 勝元がそう言って面倒そうな顔をする。今日は見学だけのはず……。

「何するんすか?」

 翼が問うと、あきらは表情を一切変えずに口を開いた。

おとりよ」

 一瞬の沈黙。

「囮ィ?」

 翼が素っ頓狂な声を上げた。

「えっなんで? 俺たち見学って言われたんすけど」

「新人を人魚の囮にするってだいぶ危なくないですか?」

 翼に続けて勝元も抗議する。しかし、あきらは二人を鬱陶しそうに見つめた。

「人魚は主に若い男性の肉を好むと学んだでしょう。群治郎も一緒につく予定だけど、あなたたちが一番適役なのよ」

 あきらの説明に、勝元と翼は目を見開いて固まっていた。涼介も不安げに眉をひそめている。

「怖い怖い怖い! そりゃ人魚は見てみたいけど餌って!」

「喰われるかもしれねえじゃん。危ねえ! こええ!」

 喚く二人を見て、あきらは大きな溜息をついた。

「あなたたちも人魚とさほど変わらないでしょう」

 あきらの声は恐ろしく冷たい。三人があきらの顔を見ると、彼女は限りなく無表情に近い表情で少年たちを睨みつけていた。

「あの子たちも怖いでしょうねぇ、もしさっきのあなたたちの会話を聞いていたとしたら。いつも一緒に頑張っている仲間にいつか喰われてしまうのかもしれないと怯えながら毎日を過ごす羽目になるわね」

 嫌味ったらしいあきらの言葉に、勝元と翼は呆然と立ち尽くしていた。あきらが舌打ちしてからブツブツと何かを呟く。「これだから男は……」と聞こえてきた気がする。

「か、返す言葉もございません……」

 勝元が情けない声を上げる。

「でかい声でしょーもない話してすんません……」

 翼も弱々しく言った。

「俺、何も言ってない……」

 涼介の小さな声は、大海原の波の中に飲みこまれて消えていった。



「それでは、改めて本日の任務について説明します」

 一ヶ所に集合した陰陽師たちの前に立つあきらが声を張り上げた。

「先週、この海水浴場で四人の行方不明者が出ました。四人とも若い男性で、未だに一人も発見されていません。そこで、陰陽団は彼らは人魚に誘拐され、喰い殺されてしまったのではないかと考えました。これ以上被害が出る前に、この海水浴場にいる人魚を狩らねばなりません」

 陰陽師たちの間には重々しい空気が流れている。あきらは構わず続けた。

「人魚は主に若い人間の男性の肉を好むと言われています。なのでまずは彼らを囮に人魚を誘き寄せます」

 あきらがそう言って指差した先には、勝元と翼と涼介、それから群治郎が立っていた。三人の少年たちはとても嫌そうな顔をしている。柚子は驚いて目を瞬いた。

「もし人魚が現れなかった場合、成人男性の血液をばらまいて更に引きつける予定ではありますが、人魚以外の海の妖怪が現れる可能性がかなり高くなるためこれは最終手段とします。必要な場合は応援を呼んだ上で行います。なお、この血液は輸血によるものですので悪しからず」

 一人の陰陽師が挙手した。あきらが陰陽師を指名して発言を促す。

「あの、人魚の仕業だと断定はまだできないんじゃないんですか?」

 陰陽師の質問に、あきらは頷いた。

「そうですね。別の妖怪によるものという可能性もあります。ですが、妖怪の目撃情報が一つもないため、周囲にいた方々が妖怪のことを妖怪と判断できなかったのではないかと我々は推測しています」

「どゆこと?」

 話を聞いていた柚子は小さく首を捻って呟いた。

「人魚の上半身は人間ですから、妖怪だと気付かずに目撃していた可能性があります」

「あ、なるほど……」

「このことと、それから行方不明者が全員若い男性であることから、人魚の仕業ではないかと団長は推測しています。もちろんそうではない可能性もありますが……今回はかなり多くの陰陽師を手配しています。皆さんくれぐれも気を緩めないように」

 はい、とバラバラに返事が上がった。あきらは更に続ける。

「では話を戻します。今回は普段のような戦い方ではなく、少しイレギュラーな形で戦ってもらいます。まずは囮の陰陽師たちが船に乗って人魚が現れるまで待機。人魚が現れたら、合図に従って囮たちの救出に全力で取りかかってください。その時人魚はこちらに敵意を向けて攻撃してくるはずなので、各ペアの後衛の陰陽師が人魚に攻撃を仕掛けます。前衛の陰陽師たちはパートナーを補佐してください。人魚との接近戦はとても危険です。くれぐれも無理をしないように。また、新人の陰陽師たちは本来はまだ人魚とは戦うべき階級ではないため、餌としての役目を果たしたらその後は当初の予定通り見学していてください。怪我をした陰陽師の手当などをお願いします。戦うのは信以上の階級の陰陽師のみです」

「今餌って言わなかった?」

 沙也香が怪訝な声を上げた。勝元たちの表情は相変わらず暗い。

「何か質問はありますか? ……ないようですね。それではこれで説明を終わります。妖怪が出るまでは皆さん遠くまで泳ぎに行かない限り好きにしていていいですが、くれぐれも浮かれないように! 体力をきちんと温存しておいてください」



 重い足取りで小型の船へと向かっていると、ふと背後から声が聞こえてきた。

「囮頑張ってね」

 柚子だ。勝元が振り返ると、柚子は悪戯っぽく笑ってこちらを見ていた。先程あきらに嫌味を言われたばかりだが、どうしても視線は普段どんなに見ても飽きない柚子の顔以外の場所へと向いてしまう。彼女の柔らかそうな白い肌が、太陽の光よりも眩しい。

「やだなー。柚ちゃん一緒に来ない?」

「えっなんでよ」

 勝元がそう言うと、柚子は眉を寄せた。

「柚ちゃんがいたら俺人魚に魅了されずに済む気がする」

「あいつよくああいうこと普通に言えるよな」

 翼がこっそりと涼介に囁いたのが分かった。

「いや、でもそれはあるわ。藤原も乗らねえ?」

 翼が乗ってきた。柚子が目を瞬く。

「都先生もそう言ってるぜ」

 翼はふざけてそう言うと、涼介の背中を軽く叩いた。涼介は迷惑そうな顔をするかと思いきや、意外にも便乗してきた。

「いないよりはいた方がいいな」

「えっ」

 柚子は心底驚いた顔を浮かべる。

「え、私どうすればいいの? 乗った方がいい?」

「来いよ」

「柚ちゃんおいで」

「行かなくていいよ」

 勝元と翼が柚子に向かって手招きする。すると、いつの間にか柚子の隣までやってきていた沙也香がピシャリと言い放った。

「あいつら、柚子が水着着てなかったら絶対こんな必死に誘ってないから」

 沙也香は軽蔑のこもった瞳でこちらを睨みつけている。勝元たちは何も言えなくなってしまった。

「えっ……あー、なんだそういうこと」

 柚子が納得して、深く息を吐く。

「やだー最低」

 柚子はおちゃらけながらそう言って、胸元を腕で隠した。

「自分は人魚よりも可愛いという自信があるってすごいわよね……まあ否定はしないけど……」

 沙也香の隣にいた椿が、柚子を見て呆れたような感心したような声で言う。

「もういいよ男子のことは気にしなくて。香織さんもありささんも待ってるし行こ」

「ん、そうだね」

 柚子はそう言ってくるりと踵を返すと、沙也香と手を繋いでさっさと立ち去ってしまった。その後ろ姿を名残惜しい思いで見つめる。すると、柚子はチラッと振り向き、小さく微笑んでからまた前へと向き直った。



「既に周りを魅了してるじゃない。さすが妖怪よね」

 一部始終を見ていたあきらは、誰にも聞こえないくらい小さな声で吐き捨てるように呟いた。

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