今宵こそいとむつかしげなる夜なめれ(4)
「……えっ?」
五人がポカンとした声を上げる。信じられない、と思っているような声だったが、柚子は一つ目小僧から目を離さずに睨み続けた。だってこいつ、なんか冷や汗かいてない?
「いやいやそんなこと……」
勝元が半笑いで呆れたように言おうとした瞬間、一つ目小僧がカタカタと震え始めた。一同の体が固まる。
「き、き、気付かれちまったよーッ!」
一つ目小僧は突如として叫び出すと、慌てて出口の方へと逃げていった。
「あるんだ……」
一つ目小僧を見て、勝元が放心しながらぼんやりと呟く。
「なーにやってんだ一つ目ぇ!」
走り去る一つ目小僧の向かい側から、何かが飛び出してきた。唐傘だ。動いている。目玉が一つと長い舌が飛び出た口がついており、柄があるはずの部分には下駄を履いた一本足が伸びている。
「えっ」
更なる妖怪の登場に、柚子は思わず声を上げてしまった。
「か……からかさ小僧?」
「マジか、あれも実在すんのか」
椿がそう言って首を捻る。涼介も呟いた。
「あれからかさ小僧って言うんだ……」
柚子は小さく声を漏らした。
「すまねえからかさ! でも二人は捕まえただろ?」
「馬鹿野郎、二人じゃ少ねえ! すぐ食い終わっちまうだろうがぁ!」
その言葉を聞いた瞬間、陰陽師たちを包む空気が変わった。それぞれ自身の得物を取り出して、一つ目小僧とからかさ小僧を睨みつける。
この妖怪たちは、あのカップルを拐って喰おうとしている。食い止めなければ!
「うわっ? な、なんだあいつら!」
からかさ小僧がこちらを見て仰天した声を上げた。戦闘態勢に入っている六人を見て、激しく動揺している。
「ヒエーッ、なんかおかしいと思ったけどあいつら普通の人間じゃなかったんだ! やべえ!」
一つ目小僧も悲鳴を上げた。
「拐った二人はどこにいるの!」
浴衣の上に背負っていたリュックから梓弓を取り出した椿が鋭く尋ねた。一つ目小僧とからかさ小僧は、大きな目を不機嫌そうに歪ませる。
「裏でゆっくり食う準備してるところだぞ」
「邪魔すんじゃねえ!」
二人の言葉に、一同は息を呑んだ。
「早くしねえと! 突っこむか?」
翼が切羽詰まった声を上げる。椿は少し考えてから、小さく首を横に振って一歩前に踏み出した。
「闇雲に行くのは危ないわ」
椿はそう言うと一つ目小僧とからかさ小僧に向き直った。
「……他にも妖怪がいるのね? 何人いるの? 今すぐ全員連れてきなさい。さもなくばあなたたちの心臓を貫くわよ!」
椿がそう言って梓弓を構える。二人は飛び上がった。
「ヒエッ! 物騒な人間だ!」
「しっ、仕方ねえ……大将! 大将ー!」
からかさ小僧の呼びかけに、柚子たちは気を引き締めた。一体どんな妖怪が出てくるのだろうか。
しばらくして、先程からかさ小僧が出てきた辺りから小さな人影が出てきた。どうやら、出口の付近にもお化け屋敷の裏に繋がる扉のようなものがあるらしい。
「ほら、大将のお通りだ!」
「ビビるなよ!」
一つ目小僧とからかさ小僧が声を上げる。柚子は目を凝らした。
大将は一つ目小僧やからかさ小僧よりも小さかった。竹の笠をかぶっていて顔がよく見えない。てくてく、という効果音が似合いそうな小刻みな足取りで柚子たちの目の前までやってきた大将は、顔を上げて、手に持っている何かを掲げた。
「豆腐食べませんか?」
「……んっ?」
梓弓を下ろした椿が、意味が分からないという顔をして首を傾げる。
「いや、もう腹いっぱいだしいらねえ」
翼が大真面目に答えた。
「……もしかして」
涼介が思いついたように声を上げた。
「食い終わるとかゆっくり準備してるとかって、拐われた二人が豆腐を食おうとしてるってことか?」
「当たり前だろ! 他に何を食うってんだよ? 味噌か?」
「大豆縛りか……」
「そこ?」
半狂乱になりながら叫ぶからかさ小僧に対して微妙なコメントを返す涼介に、沙也香が小さくツッコミを入れた。
「てか……ふふ」
柚子は小さく声を上げると、堪えきれずに笑い声をこぼした。もう、既に限界だったのだ。
「ふふ……何これ豆腐小僧? ってやつ? 豆腐食べませんかって……あはは! かわいー! 弱そー!」
一度笑い出したら止まらなくなってしまった。腹を抱えて笑い、息絶え絶えになりながら言葉を発していく。そんな柚子を見て、五人の間にもじわじわと笑いの波が押し寄せ始めた。
「これだいぶ面白い状況じゃね?」
翼がニヤニヤと笑いながらそう言った。沙也香はコクコクと頷くと、こみ上げる笑いを抑えきれない様子で口を開く。
「……実は、一つ目小僧が動き出した時点で結構……ふふ、やばかったんだよね……」
「っふふ……」
椿は声を出すまいと耐えているが、耐えきれていない。
「リアルで見るからかさ小僧、キモいなー」
「ふはっ」
勝元がわざとらしく声を上げると、とうとう涼介も吹き出した。
「なっ……なんだおめえら! 大将馬鹿にすんじゃねえっ!」
からかさ小僧が怒ったように言いながらピョンピョンと跳ね上がる。
「大将の豆腐は天下一品なんだぞッ!」
一つ目小僧が喚いた。
「いや……二人とももういいよ……僕は最初からだめな気がしてたんだ……」
大将、もとい豆腐小僧は沈んだ声で返した。
「何言ってんだ大将、盆の祭りの肝試しに忍びこんで人間たちにたくさん豆腐を食わせる作戦はまだ始まったばっかりだぞ!」
一つ目小僧は必死に言ったが、豆腐小僧は悲しげに首を横に振るだけだ。
「捕まったのはあの二人だけだし、すぐにばれちゃったしもういいよ……」
力なく言う豆腐小僧をじっと見つめる。改めてその姿をよく見てみると、ただ笠をかぶり豆腐を手に持っただけの小さな子供のようで、今までに出会った妖怪たちのような不気味さは一切感じられなかった。
「そんなことしようとしてたんだ……」
沙也香が呆れたように言った。
「これどうしたらいいの?」
柚子はそう言って仲間たちの方を見た。
「とりあえず……一応団に報告?」
沙也香が言う。まあそうだよね、と言いながら柚子はスマートフォンを取り出した。事前に、何かあった時はあきらか群治郎に連絡するようにと言われている。柚子は迷わず群治郎の連絡先をタップした。
「拐った二人は今どうしているの?」
椿が問うと、一つ目小僧が口を開いた。
「豆腐食ってると思うぞ」
「厚遇」
「いや……厚遇か? 豆腐だぞ?」
勝元のコメントに、翼が疑わしげに声を上げた。
「私は二人を連れ戻してくるわ」
椿の言葉に、柚子は無言で頷く。ちょうどコール音が途切れたところだった。
「はいもしもし」
「ぐっさんお疲れ様です。柚子です」
「どうしたの? なんかあった?」
電話越しに聞こえる群治郎の声はなんだか焦っているように聞こえる。柚子は、かつて彼に電話で助けを求めて結局どうにもならなかったことを思い出した。
「あのー……妖怪を見つけたんですけど」
「えっ、マジ? 大丈夫?」
「大丈夫です。なんていうかその、弱くて……一つ目小僧とからかさ小僧と豆腐小僧なんですけど……」
「……ンー……」
群治郎は変な声を出した。
「被害は?」
「二人が拐われて、豆腐を食べさせられてました」
椿がカップルと共に戻ってくるところを眺めながら、柚子は淡々と答えた。
「……そっか。一応行くね。ちょっと待っててね」
「はい。広場のお化け屋敷にいます」
「了解。ありがとね。それじゃ後で」
通話が切れる。柚子も通話終了ボタンをタップして「一応来るってー」と言いながら顔を上げると、近くに誰もいない。驚いて周囲を見回すと、仲間たちは逃げ出した小僧たちを追いかけているところだった。
「えっ、ちょっと」
柚子も慌てて一同を追いかけた。もちろん走るスピードにはかなり気をつけた上でだ。
「捕まるもんか!」
「あばよーっ!」
「ま、待ってぇ」
すばしっこく走る一つ目小僧とからかさ小僧に、豆腐小僧が情けない声を上げる。それでいいのかと柚子は思った。
「はあ……」
ふと立ち止まった涼介は溜息をつくと、素早く手裏剣を取り出し、狙いを定めて投げた。手裏剣は激しく回転しながら飛んでいき、豆腐小僧の笠の真ん中に刺さった。
「ギャッ!」
豆腐小僧が悲鳴を上げる。一つ目小僧とからかさ小僧が振り向いた。
「大将ーッ!」
悲痛な声を上げる二人に構わず、沙也香が術を唱え始める。
「
術を唱えた沙也香は、印を結び終えた手を無慈悲に小僧たちに向けた。
「癸の弍、
その瞬間、沙也香の手元ではなく、小僧たちの向こう側から大きな波が起こった。
「うわああっ」
「あわわわわ」
「ギャーッ!」
逆波に流されて、三人の小僧たちがこちらに押し戻されてくる。波はそのまま沙也香の手元に吸いこまれるようにして消えていった。
カップルは唖然として陰陽師たちを見つめている。一同は力なく倒れている妖怪たちを無言のまま見下ろした。本当に、どうしようもない。
「もうだめだ」
豆腐小僧の呟きが、静かなお化け屋敷の中にやけに響いた。
十分程経ってからやってきたあきらと群治郎に妖怪たちを引き渡して、柚子たちはようやく解放された。
小僧たちはどうなるか分からないが、恐らく送り拍子木と同じような処遇を受けるのではないかとのことだ。
「それじゃ、後は俺たちが見回るから、みんなは自由に回っていいよ。帰ってもいいしね」
「えっ、いいんですか?」
群治郎の言葉に、椿が驚いた声を上げた。
「うん。大体いつもなんともないから新人とか若い子たちに頼んでるんだけど、今回は一応妖怪が見つかったからねー。もしものために俺たちが回るよ」
「はい、では解散」
あきらがてきぱきと言う。六人は返事をすると、ぞろぞろとお化け屋敷の中から出ていった。なんだか、随分と長い時間この中に入っていた気がする。
太鼓の音が聞こえる。それから、少し音質の悪いスピーカーから民謡が流れている。気がつけば、広場の中央で盆踊りが始まっていた。ざっくり見回すと年寄りの客が多いが、小さな子供や、気分の盛り上がっている若者たちも並んで踊っている。
「結構規模大きいし、雰囲気あるねー」
勝元がそう言って櫓を見上げた。若い女性が、勇ましく太鼓を叩いている。その櫓を囲んで人々が踊っている姿は、なかなか圧巻の景色だった。
「柚ちゃんも踊る?」
勝元がそう言ってニヤッと笑った。やけに真剣な顔をしていたからだろうか。
「ううん、見てるだけでいい」
柚子はそう言いながら、円を描いて並んで踊る人たちを眺めた。
物心もついていない頃に父親を亡くして以来、盆の時期には毎年母親と墓参りに行ったものだった。今年はもう、母親もいない。今だけでも、私の近くにいてくれてるかな。柚子は思わずそんなことを考えた。ちゃんとお墓参り、行くからね。
そして、なぜか肝試しへの恐怖を一切感じなくなっていたことをすっかり忘れたまま、柚子は仲間たちと共に帰路を辿ったのだった。
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