今宵こそいとむつかしげなる夜なめれ(3)

 遊歩道を通って大きく開けた広場へと出る。広場の中央には、和太鼓が置かれた大きなやぐらが立っていた。櫓からはたくさんの提灯がぶら下がった複数のコードがぴんと張られており、その先には射的や金魚すくいにスーパーボールすくいなどの、食べ物ではなく遊びを提供する屋台が並んでいる。

「こういうのって、やってる時は盛り上がるけどよくよく考えると別にいらないんだよねー」

「分かる」

「……言いたいことは分からなくもないけど、情緒がないわね……」

 淡白な会話を繰り広げる勝元と沙也香を見て、椿は溜息をついた。

 柚子たちが公園に到着してから遊歩道を歩いてここに来るまでの間に、既に一時間近くが経過していた。時間がかかったのはゆっくり辺りを見回してパトロールしていたから、というのはただの名目で、本当はみんな好きなだけ食べたいものを食べていたからだ。

 柚子がりんご飴の最後の一欠片をガリッと噛んだところで、ブルーハワイ味のかき氷を食べていた翼が「おっ」と声を上げた。ちなみに、まだ何かを食べているのは六人のうちこの二人だけである。

「肝試しあるぜ。俺行ってみてえ!」

 翼の声を聞いた瞬間、柚子の顔がサッと青くなった。沙也香が柚子に視線を送る。

「えっ……別にいいよ」

 柚子が小さい声で言いながらりんご飴の棒を近くのゴミ箱に捨てると、勝元が素早くこちらに振り向いた。

「もしかして柚ちゃん怖いの苦手なの?」

 そう言う勝元の顔はどことなく嬉しそうに見える。その様子に少し苛立ちを覚えつつも、柚子は正直に答えた。

「んー……まあね……ここのお化け屋敷結構クオリティ高いし……」

 そう言って目の前にあるお化け屋敷を見上げる。お化け屋敷の建物は周囲の屋台よりずっと大きい。柚子は顔をしかめた。この新葉なつまつりには沙也香と何度か来たことがある。数年前に初めてこの肝試しに挑戦した時、もう二度と入らないと柚子は心に誓ったのだ。

「いやマジで、前めっちゃ怖かったんだよ!」

 ニヤニヤと笑っている勝元を見て、柚子は大きな声を上げた。

「柚子が肝試しが苦手って、少し意外ね」

 椿が言った。柚子は椿の方を向く。

「そうかな……てか椿は大丈夫なの?」

「得意ではないけど、嫌いでもないわ」

「そっか……都くんは?」

「俺? は、まあ、嫌いではないかな……ビビるけど」

「うそ、私の方が少数派なの?」

 柚子は悲痛な声を上げた。すると沙也香が口を開く。

「苦手な人がいるんだからやめた方がいいでしょ」

 沙也香の言葉に、柚子は思わず目を輝かせていた。沙也香はいつだって柚子の味方だ。

「だよねぇ!」

 そう言って、沙也香の腕に抱きつく。それから柚子はお化け屋敷に入りたそうにしている四人を見回した。

「……てか行きたい人行ってきなよ。待ってるから」

 以前ムーンアイランドに行った時、人気アトラクションであるジェットコースター、「ハリケーンライダー」の前で繰り広げた会話を思い出す。今回は逆の立場だ。

「んー俺別にいいや」

 勝元が言う。

「俺もどっちでもいい」

「まあ、私も……」

「祭りに向いてねえ奴らばっかだな……」

 控えめに声を上げた涼介と椿を見て、翼が呆れたように呟いた。

「俺も一人で行きたいわけじゃねえしいいや」

 翼は少し拗ねた様子でそう言った。彼がこういった場所で複数人で遊ぶということが好きらしいというのは少し前に知ったことだ。

「ご、ごめんね」

「まあしゃーねえ」

 柚子が申し訳ない思いで謝ると、翼はそう言って溶けきったかき氷をすくって空になったカップをゴミ箱に投げ入れた。

「それじゃ、どうしよっか?」

 勝元が言う。その時、ちょうどお化け屋敷の出口付近から騒がしい声が聞こえてきた。一同が声のする方を向く。

「なんで二人出てこないの? えっ、もう次のグループの人たち出てきてんじゃん!」

「落ち着けって、もう少し待とう」

 どうやら柚子たちと同年代か少し年上くらいのカップルの声だったようだ。声を荒げているのは女の子の方で、彼氏はそんな彼女を宥めている。

「待って待って、ほんとに出てこないよ」

 彼女が泣きそうな声を上げた。出口からは三人組の男子大生が大声で笑いながら出てきたところだった。

「ん……まあ確かにちょっと遅いな……」

 彼氏も不安げな表情になり始めた。それを見て椿が素早く動いた。お化け屋敷の入口に向かい、近くに立っている若い女性スタッフに声をかける。女性は慌てた様子で入口に並ぶ客に何かを告げると、出口の方へと駆けつけた。

「どうされました?」

 女性がカップルに話しかける。柚子たちも椿についていくようにしてカップルに近づくと、カップルの彼女が怯えた声を上げた。

「あの、友達が出てこないんです!」

「友人カップルなんすけど、他のお客さんばっか先に出てきて……」

 彼氏が焦ったように付け足した。

「えっと……分かりました。ちょっと待ってくださいね……」

 女性スタッフは混乱気味にそう言って、スマートフォンを取り出した。運営に連絡しようとしているのだろうか。スタッフはどうすればいいのかと困惑しているような顔でスマートフォンを操作している。その様子を見ていた柚子は、手首につけた黄色い紙が見えるようにぐっと腕を突き出してスタッフに声をかけた。

「あの、私たち陰陽師なんですけど」

「へ? ああ……」

 スタッフは何とも言えない顔でこちらを見つめている。恐らく、妖怪の存在など信じていないのだろう。

「よかったら代わりに見に行くので、運営さんと、中にいるスタッフさんたちへの連絡だけお願いしていいですか? 中にいる人たちにはその場を動かないように伝えてください」

「あ……はい、分かりました……」

「今中にお客さんはいますか?」

「えーと……今はちょうどいないです」

「分かりました。スタッフさんは中に何人いますか?」

「えー……六人です」

「ありがとうございます」

 ただ中で迷っているだけかもしれないが、万が一の可能性がある。柚子は礼を言うと、「行こう」と言って仲間たちの方を振り向いた。だが、五人は全員妙な顔をしてこちらを見ている。柚子はギョッとした。

「えっ、何?」

「柚子、大丈夫なの?」

 沙也香が心配そうに問う。

「えっ、そんなこと言ってる場合じゃなくない?」

 柚子はポカンとしてそう言った。本心だ。

「中にいる人たちもさすがにこんな状況で脅かしてこないでしょ」

「それはもちろんそうだけど、内装の雰囲気とか……」

 椿の言葉に、柚子は首を捻った。どうしてそんなに私のことを気にするの?

「いや、だからそんなの気にしてる場合じゃないでしょ。早く行こうよ」

「……無理してるのなら俺たちが行くから待ってていいよ」

 勝元が優しく言う。だが、柚子はどうしてもピンと来なかった。平然として答える。

「無理なんてしてないよ。大丈夫だから早く行こ」

「……藤原が平気ならみんなで行こう」

 涼介が言った。一同は頷く。そして、六人はお化け屋敷の入口へと走った。



 お化け屋敷の中は暗いままだった。スマートフォンのライト機能を使って、懐中電灯のように辺りを照らす。中は寂れた和風の屋敷のような作りになっていた。いかにも向こう側に何かが隠れていそうな障子に囲まれた廊下が続いている。柚子たちはライトで周囲を照らしながら廊下を歩き始めた。

「柚ちゃん、怖かったら手繋ぐ?」

 そう言ってニヤニヤと笑っている勝元に、柚子は真顔で答えた。

「真面目にやってください」

「はい……」

 廊下の真ん中辺りまでやってくると、突然凄まじい音が響き渡った。物音にビクッと肩を震わせた瞬間、両側の障子を突き破って大量の白い腕がこちらに伸びてくる。

「うわ!」

「キャーッ!」

「ウワッ」

「うおっ」

 勝元と椿と翼と涼介が、驚いて大きな声を上げた。

「はは……なるほどね……人は出てこなくてもシステムはそのままか……」

 勝元が冷や汗を垂らしながら顔を引きつらせてそう言った。それからガバッと勢いよく柚子の方を見る。

「柚ちゃん全然怖がってなくない?」

「え……あ、うん。平気だった」

 柚子はそう言って、目の前に伸びている一本の腕をじっと見つめた。

「大きな音とかいきなり出てくるのとかにはびっくりするけど、これ偽物だしね」

「お前それさっきまでビビってた奴が言う台詞じゃねーぞ」

 翼が奇怪なものを見るような目で柚子を見て言った。

「沙也香ちゃんもノーリアクションじゃん。こういうの平気なの?」

 勝元が沙也香の方を向いて尋ねた。沙也香は涼しい顔をしている。

「超平気」

「マジかー」

 勝元は悔しそうに言った。その隣で、柚子はライトをぐるぐると回しながら大きな声を上げた。

「誰かいますかー?」

 返事はない。一同は顔を見合わせた。

「とりあえず……進むか」

 翼が言う。

「そうね……」

 椿もそう言って頷いた。そして、六人は屋敷の奥へと進んでいく。

 その後も客を怖がらせる仕掛けは起動されたままで、シクシクと泣いている女性の声が聞こえたかと思えば次の瞬間に目の前に首を吊った女性の人形が落ちてきたり、落ち武者の格好をした骸骨が物々しい音と共に数メートル追ってきたりと、一同は散々怖がらせられる羽目になった。だが、やはり柚子と沙也香は大してリアクションのないままだ。

「お前! 怖がりとか嘘だろ!」

「私たちの方がよっぽど怖がってるじゃないの!」

 少し落ち着いたところで、翼と椿が柚子に詰め寄る。

「だって、前来た時めっちゃ怖かったんだもん!」

 必死に弁明したものの、柚子自身も困惑していた。どうして何も感じないんだろう?

「今更だけどこの肝試し、コンセプトがよく分からないな……」

 涼介が小さな声で呟いた。

「てか、肝心の出てきてない人たち見つかってないし、早く探さなくちゃ」

 柚子は強い口調で言った。本来客が入ってはいけないスペースなども確認しながら進み、六人のスタッフたちには会うことができたが、屋敷から出てきていないというカップルの客はまだ見つけられていない。

「しょ、正直探す余裕ないけどそうだね……」

 勝元が疲れきった声で言う。

「もっと怖い思いをしてるかもしれないし、怯えてる場合じゃないわ……」

 椿もそう言い、六人は再び前を向いて狭い廊下を歩き始めた。辺りは完全に真っ暗で、何もない。もしかしたら、もう少しで出口に辿りついてしまうのかもしれない。

「ねー、これ落ち武者から逃げてる時かなんかに入れるところとかあったんじゃ……ん?」

 先頭を歩いていた沙也香はそう言いながら振り返ったが、いきなり口を噤んで立ち止まった。

「こっちだよー」

 どこからかか細い声が聞こえてくる。見れば、沙也香の足元に腹くらいまでの背丈の人形が立っていた。人形はギョロッとした大きな一つ目が特徴的で、子供のような姿をしている。一つ目小僧だ。

「わ、喋った。っていうか何これすごいリアル」

 柚子はそう言って、一つ目小僧の人形の顔を覗きこんだ。

「今までに出てきた人形、みんな色白くて硬そうだったのにこれだけすごいよ」

「いや、今まで出てきた人形をそんなじっくり観察する余裕なんてなかったよ」

 すっかり感心しきっている柚子に、勝元がツッコミを入れる。

「……でも確かに質感すごいな」

 涼介も言った。肌のきめ細かさや目玉の輝きが、ただの人形のそれではない。一同は一つ目小僧の前に群がった。

「蝋人形的な? なんかこういうリアルなのあるよね」

「力入れるところ間違ってんだろ」

 勝元が呑気に言うと、翼が至極冷静にそう返した。そこで、椿が怪訝な表情をして首を捻る。

「さっき都くんもコンセプトがよく分からないって言ってたけど……なんだか不思議なお化け屋敷ね。さっきまでは幽霊ばかり出てきたのに、ここに来て一つ目小僧ってちょっと雰囲気違うわよね」

「確かに。一つ目小僧って妖怪だし、どっちかっていうと面白系だよね」

 沙也香もそう言って頷いた。仲間たちの会話を聞きながら、柚子はしばらく一つ目小僧をじっと見つめていた。なんだかモヤモヤする。この人形から、何かを感じる……。

 その時、一つ目小僧の人形の目が揺れた。なんともおかしな話だが、確かにそう見えたのだ。柚子はとうとう確信して、口を開いていた。

「ねえ、これ本物じゃない?」

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