今宵こそいとむつかしげなる夜なめれ(1)

「柚ちゃん何してんの?」

 柚子が熱心にスマートフォンに文字を打ちこんでいると、勝元が尋ねてきた。

「んー? 咲也さんとFINE」

「えっ……なんで?」

 勝元は更に質問を重ねた。心底納得が行かないという表情をしている。

「なんでって……別になんでもいいじゃん」

 柚子がそう言うと、勝元は「それはそうだけど……」と唸る。

「めっちゃニコニコしてるから……」

「えっ? してないよ」

 柚子はドキッとしながら答えた。ちょうど咲也からシマリスの金ちゃんのスタンプが送られてきたところだった。

「ちょっと気になることがあるから、また時間取れるか聞いてるの」

「それって俺も行っていいやつ?」

 勝元の言葉に柚子は一瞬固まった。それから、「なんで?」と先程の勝元と同じ質問を返す。

「だって、俺も柚ちゃんの正体知ってるわけじゃん。話は共有しといた方がいいんじゃないかなー、と思って」

 勝元がのらりくらりと言う。柚子は一瞬考えた。確かに彼の言う通りかもしれない。いちいち報告するより合理的だ。

「そーかも。勝元も来るって言っとくね」

「あ、マジでいいの? ありがとー」

「……あっ、でも勝元甘いもの苦手なんだった」

「……何の話?」



 数日後、柚子は勝元と咲也と一緒にカフェへとやってきていた。以前咲也と行った和風カフェとは異なり、今回やってきたのは基地から少し離れたところにあるこじんまりとしたカフェだ。内装は店の小ささを感じさせない広々とした洗練されたデザインとなっている。空間設計家がプロデュースした店なのだそうだ。

「ここのフローズンヨーグルトがすごく美味しんだよー。フルーツがトッピングされてるんだけど、それだけじゃなくていろんな味があってね……」

「えー、美味しそう! 咲也さんのおすすめはどれですか?」

「うーん……定番のプレーンも好きだし、あとはココナッツが結構好きだな」

「ココナッツ? あんまり食べる機会ないかも! それにします!」

「勝元くんはどうする?」

「……エッ? あー、えーと……」

 咲也はニッコリと笑って言った。盛り上がる二人をぼうっと見つめていた勝元は、咲也に声をかけられてハッとした。

「……俺はコーヒーでお願いします」

「コーヒーだね。分かったよ」

 咲也に奢ってもらい、礼を述べてから席に着く。店内に客は三人の他にはいなかった。

「前は話しすぎて溶けちゃったし、今日は先に食べようか」

 咲也がそう言って眉を下げて笑う。柚子も苦笑して頷いた。

「そうでしたね。そうしましょう!」

「うんうん。じゃあ、いただきます!」

「いただきまーす!」

 柚子は元気に声を上げてからココナッツ味のフローズンヨーグルトをすくい、口に入れた。甘味はあるが、思っていたよりも爽やかな味わいだ。

「美味しい!」

「よかったよー」

 咲也は嬉しそうにそう言いながらスプーンを口へ運んでいく。彼が食べているのもココナッツ味のフローズンヨーグルトだ。

「幸せそうだね、柚ちゃん」

「甘いもの食べてる時は幸せだよー」

 柚子はそう言ってフローズンヨーグルトをパクッと口に入れた。勝元がニヤッと笑う。

「咲也さんがいるからじゃなくて?」

 その言葉を聞いた瞬間、柚子は大きな声を上げていた。

「もー、そんなんじゃないってば!」

 そうは言ったものの、目の前に本人がいるのにそんな風に否定するのは失礼な気がしてきた。チラッと咲也の方を見る。ニコニコと笑っているハンサムな顔が視界に入った。

「……やっぱりそうかも。咲也さん、話しやすいし……」

 柚子はそう言うと、姿勢を正して改めて咲也の顔を見つめた。やはり彼はとてもかっこいい。

「今日もお忙しい中お時間作ってくれて本当にありがとうございます」

 柚子がそう言って微笑む。

「こちらこそ、話しやすいと思ってもらえて嬉しいよ。ありがとう」

 咲也も涼しげに礼を述べた。

「映画のワンシーンかな」

 二人の様子を見ていた勝元は、コーヒーを飲みながら口元を引きつらせた。



 フローズンヨーグルトを食べ終え、落ち着いたところで柚子はようやく話を切り出すことにした。咲也が「用件は何か」と問うことはなかった。こちらから話すのを待ってくれているのだ。

「あの……少し前に、送り拍子木っていう妖怪に会ったんですけど」

「香織ちゃんとありさちゃんの一件だね。どうしたの?」

 咲也の言葉に頷く。柚子は水を一口飲んでから続けた。

「あの時、戦おうとした送り拍子木は……私の顔を見て攻撃をやめたんです。あいつは多分私の正体を知ってて、怯えてた……私の言うことも聞いたんです。でも私のことを姫君とは呼ばずに、あっ、なんか妖怪たちって私のこと姫君って呼んでくるんですけど、今回はそれがなかったんです。それで……戦わない理由も話せない、って感じで……どういうことだろうなって思って……」

 勝元と咲也は黙っている。柚子は勝元の方を見た。

「勝元、気付いてた?」

「まあ、なんとなく……」

 勝元がそう言ってコーヒーを啜る。

「……だよね」

 柚子は溜息をついた。

「……今までに会った他の妖怪たちは、どんな感じだったのかな?」

 咲也が尋ねる。柚子は今までのことを思い出しながら口を開いた。

「えっと……化け狐と、狂骨と、古山茶、奏丸、あと送り拍子木が私のことを白面金毛の娘だと知ってました。送り拍子木は何もなかったけど、基本的にはみんな私を自分たちのところに連れていこうとしてる感じで……」

「なるほどね……」

 咲也が呟く。

「あとは雪女……と、鎌鼬。あの、無理矢理取り憑かれた形になってた人。は、何もなかったです。白面金毛のことは何も言ってこなかった」

 それから、忘れてはいけないのがあの妖怪だ。

「で……あとは腕なし様……腕なし様は、私が白面金毛の娘だって分かってて、それで恨んでる、って感じですね……」

「うーん……」

 咲也は考えこんで唸り声を上げた。勝元は何も言わずに話を聞いている。

「とりあえず、今柚子ちゃんの話を聞いた限りだと、妖怪たちの反応は主に三つに分けられるってことだね」

「そう……ですね」

 柚子はそう言って頷いた。

「柚子ちゃんが何者なのか分かっていて、連れていこうとする妖怪。分かってるのか分かってないのかは分からないけど、柚子ちゃんのことを特別視していない妖怪。そして、柚子ちゃんの正体を分かっていて、かつ嫌悪感を向けてくる妖怪。数が一番多いのは、連れていこうとする妖怪だね」

「はい」

「……うん」

 咲夜は確信したような声を上げた。

「妖怪たちが、組織を組んでいると考えるのが妥当かな」

「えっ?」

 ゆっくりと言葉を紡ぎ出した咲也に、柚子と勝元は素っ頓狂な声を上げた。

「白面金毛は、凄まじい妖力を持ったこの世で最も恐れられた妖怪だった。彼女の支配下にいれば、一種の安寧を得られた妖怪たちがいたとしてもおかしくない。実際に、白面金毛を蘇らせるために柚子ちゃんを連れていこうとしている妖怪たちがいくつも出てきてるんだ。その妖怪たちは、白面金毛をおさとした組織の中の奴らなのかもしれないね」

「あ……確かに……」

「ちゃんと考えたことなかったけど、あいつらはみんな正式に仲間だったってことにするとしっくり来ますね」

 勝元が言うと、咲也はしっかりと頷いた。

「そこで思ったんだけど……その妖怪たちの組織のボスは白面金毛のはずだよね。でも今は白面金毛は殺生石に姿を変えていて何も言わないし動けない。そんな状況の中で現時点の組織のトップに当たるのは……白面金毛の娘である、柚子ちゃんだ」

「……エッ?」

 予想外な言葉に、柚子は面食らった。

「もちろん、白面金毛の代わりに指揮を取っている妖怪は別にいると思うよ。でもその妖怪も多分、柚子ちゃんには逆らえない。そして今柚子ちゃんは人間として生活していて、妖怪たちの元に向かうことを拒んでる」

「……」

「組織を組んでる妖怪たちはそのことを知っていて、今は無理に柚子ちゃんのことを連れていったり、姫君って呼んだりはできないと判断したってことかもしれない。怒った柚子ちゃんに制裁されたり、白面金毛の復活に手を貸さないと断言されたりしたら終わりだから」

「……白面金毛の復活に手を貸すつもりは既にないですけど……」

 柚子はそう言いつつも、咲也の推測に納得していた。今まで出会った妖怪たちの一部が組織を組んでいると仮定して、その妖怪たちの中で柚子に直接危害を加えてきたのは狂骨だけ。その狂骨も、「お許しを」というような言葉を吐いていた記憶がある。彼らは基本的に、柚子に手を出してはならないのかもしれない。

「何もしてこなかった妖怪たちはきっとその組織には属さない妖怪で……鎌鼬の子はちょっと違うね。僕もその子を見たけど、彼はそもそも人間だから白面金毛とは関係ないだろう」

「そして腕なし様は……」

「白面金毛を慕う妖怪がいるなら、白面金毛を恨む妖怪がいることだって想像に難くない。そういう、逆に積極的に危害を加えようとしてくる妖怪もいるってことになるね……」

「……大変だ……」

 俯く柚子を見て、勝元が吐息のような声を上げた。

「……」

 柚子は深く息を吸って、吐いた。やはり、咲也の話は分かりやすい。彼の言ったことは、すべて辻褄が合っている。まったくの的外れであるということはないだろう。

「ううん、納得してる……から大丈夫」

 柚子は目を閉じてそう言った。これから自分の正体を周囲に気付かれないよう、何に気をつければいいのかが分かっただけでも充分だと思った。今後自分がどうするべきかを考える。組織に属さない妖怪たちに攻撃されたり、自分の正体について言及されたりすることがないようにしなければならない。組織の妖怪たちに対しては、今まで通りでいい。

「……柚子ちゃんは、関係がある……かもしれない話は聞きたい? 聞きたくない?」

 ふと咲也が苦しそうに口を開いた。柚子と勝元が顔を上げる。

「柚子ちゃんにとってはちょっとしんどい話かもしれないんだけど……」

 咲也が顔をしかめる。柚子は即答した。

「聞きます」

「……分かった」

 咲也はそう言うと小さく空咳をした。

「前に栃木県の三本槍岳っていう山で、登山客の遭難事故があったんだ」

「あっ……」

 柚子は思わず声を上げていた。勝元が栃木出身であることからなんとなく頭に残っていたニュースだ。

「あー、柚ちゃんが言ってたやつ……」

 勝元も研修旅行の行きのバスでの会話を覚えていたのかそう呟いた。

「実は、その登山客の方々はまだ遺体も見つかってないんだ。警察による捜査は打ち切られて、妖怪の仕業だという結論に至った。今は風隊の人たちが調査してるはずだよ。……三本槍岳は、殺生石のある場所からそれほど遠くないところにあってね」

「……」

「……もしかしたら、組織を組んでいる妖怪たちはその辺りを拠点にしているのかもしれない。柚子ちゃんが現世に現れたこと活発になってるのかも……まあ、これはただの僕の推測だけどね……」

 咲也はそう言うと、何とも言えない笑みを浮かべて肩をすくめた。それから、苦々しい顔へと表情を変える。

「……僕も気になることがあって、最近ちょっといろいろ調べてるんだ。柚子ちゃんがそう言うなら、知っていた方がいいと思ったら伝えることにするよ。……嫌だったら言ってね」

「……はい。大丈夫です。ありがとうございます」

 柚子はそう言って微笑んだ。

「ちょっとすっきりしました。本当にありがとうございます!」

 実際はすっきりなんてしていなかった。柚子の頭の中は、あの三本槍岳の登山客は自分のせいで妖怪に喰われたのだという考えでいっぱいだ。

 私が生まれてこなければ、その人たちが死ぬことはなかった。お母さんと同じ。全部私のせい。

「いいえ。また何かあったらすぐに言ってね」

「はい!」

 柚子は無理に元気な声を上げた。

「うわー、もう四時か。そろそろ準備しないとだよ柚ちゃん」

 スマートフォンの画面を見た勝元が、だるそうに声を上げた。

「お、じゃあそろそろ帰ろうか。何か予定でもあるのかな?」

 咲也が問う。柚子は答えた。

「今日は遅番で、私たちお祭りのパトロールに行くんです」

「わー、もうそんな時期かぁ! 早いねぇ……」

 咲也はしみじみと声を上げた。七月に入り、盆の祭りを開催する街も増えてきたところだ。

「お盆は魑魅魍魎ちみもうりょうが増えるとか団長言ってたけど、マジなんですか?」

「マジだよ」

 疑わしげな勝元の言葉に、咲也は大真面目に頷いた。

「まあ、最近は人も多いし何もしない妖怪たちがほとんどだけどね。だから若い子がパトロール担当なんだろうし……でも基本は自由行動だよね? 楽しんでね!」

 咲也は爽やかに言った。

「えー、でもめんど……」

「私浴衣着たいから急がないと」

 未だに面倒臭そうにしていた勝元だったが、柚子がそう言った瞬間こちらにガバッと顔を向けてきた。

「柚ちゃん浴衣着るの?」

「うん。沙也香と椿も着るって!」

「和服っていいよねー。早く行こうか」

 先程までの態度とは打って変わって、勝元は急に元気になっている。

「和服なんていつも着てるじゃん」

 柚子は呆れてそう言った。

「柚ちゃん、団の制服を浴衣と同じ気分で着てるの?」

 勝元は信じられないという顔をしている。柚子は勝元の真剣な顔を見て少し笑ってしまった。

「着てないですね」 

「ですよね?」

 おちゃらけて言う柚子に、勝元も笑って言葉を返す。

「……楽しんできてね」

 盛り上がる二人を見て、咲也はそう言って優しく微笑んだ。

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