火のYO!心(7)
すぐ横でルサルカが「火のYO!心」のイントロに合わせて踊っている。あきらに何かを指示されて、勝元たちがステージの上へとやってくるのが見えた。
柚子は天叢雲剣を構えて送り拍子木を睨みつけた。いつの間にか会場へとやってきたこの妖怪は一見ただのお調子者の人間の男性のようだが、身のこなしの軽さは人間の比ではない。だが、送り拍子木は「何かが体にへばりついてて重い!」と苦しそうに喚いていた。
「何かがへばりついてるってどういうこと?」
柚子はそう呟いて首を傾げた。
「とにかく送り拍子木の動きを止めないと!」
椿が切羽詰まった声で言った。
「螺旋火炎だと形代燃やしちゃうかもしれないからなー……」
勝元がぶつぶつと呟く。それを聞いていた沙也香が素早く動いた。
「燃やしちゃいけないなら私がやるよ」
「濡らすのもよくない」
そう言って螺旋水流の印を結ぼうとした沙也香に勝元が返す。
「えっ……じゃあこっち。水行為癸壱急急如律令……」
沙也香は慌てて結ぶ印を変えると、高らかに声を張った。
「癸の壱、包潤!」
その瞬間、ぷっくりと膨らんだ大きな泡が現れ、ちょうど大きく跳び上がった送り拍子木の体を包みこんだ。送り拍子木は泡の中で何かを喚いているが、柚子たちの耳には届かない。
「形代って何?」
柚子が尋ねる。
「送り拍子木の背中に人の形した白い紙が貼りついてるの見えた? あれが形代。ありささんの家系の人が使ってる武器だよ」
丁寧に説明する勝元を、翼がなぜか非難がましく見つめている。
「簡単に言うと身代わりみたいなもので、俺も詳しいことは知らないけどいろんなことができる代わりに使用者と痛みを共有する」
「……どういうこと?」
柚子は首を捻った。
「んー、例えば破れたら紙の破れた部分と同じ場所が痛くなるとか」
「そんな、ありささんが危険じゃない!」
話を聞いていた椿が悲痛な声を上げた。その後ろでは、KAORIとARISAが「火のYO!心」の一番のサビを歌っている。
「だからそれなりの覚悟を持ってあの形代をくっつけてくれたんだと思うよー。ほら、背中に形代がくっついてるってことは、あれはありささんの身代わりだから、多分あいつはありささんをおんぶしてるような状況になってる」
「……なるほどね」
沙也香が納得したという顔で頷いた。
「燃やしたり濡らしたりしちゃいけないってのは?」
涼介が続けて尋ねた。
「形代を正しく処分するには燃やさなくちゃいけないからだよ。濡れたら多分破けちゃうし、今燃やしたらありささんに被害は行かない代わりに形代の効果もなくなっちゃうからねー」
「そういうことか。……それにしても……」
翼がそう言って、送り拍子木の方を見る。包潤に体を捕らえられている送り拍子木は、先程から智陰陽師たちに向かって何種類もの変顔を披露し続けていた。
「……なんなんだあいつ」
翼が低い声で唸る。
「泡を割ろうともしてないけど……」
沙也香も困惑したような声で言った。
「……割る手段を持っていないのかしら。考えてみれば、拍子木を鳴らす以外彼が何をするのか想像もつかないわ」
「……もしかして、あいつ、めちゃくちゃ弱いんじゃないか……?」
涼介がそう言いながら、送り拍子木を見つめた。バックで流れる「火のYO!心」の間奏が終わって、KAORIが二番の歌詞を歌い始める。そろそろ術の効果が消えるところだったのか、勝元が再び不知火の術を唱えると、ちょうど炎が現れたのと同じタイミングで包潤がパチンと割れた。送り拍子木の体がステージに落ちる。
「もーっ、何すんだ! おいらはただこの『火のYO!心』って曲をずっと聴いてたいだけだってのによぉ!」
「え……そうなの?」
椿が食いついた。その声は心なしか少し嬉しそうに聞こえる。
「だって、火の用心、て言ってるだろ? おいら火消しの妖怪だし、こういう軽快な音楽も好きだし、最高の組み合わせじゃねぇか!」
「ええ……確かにこの曲は最高よ」
「おい、一旦落ち着け」
何度も首を縦に動かす椿を見て、翼が呆れたように言った。
「帰り際にちょいと悪戯しちまったけどよぉ、おいら盛り上がって楽しくなっちまっただけなんだよ」
「まあでも……実際大した被害も出てないし……」
沙也香も仕方ない、という声音で言う。それを聞いて送り拍子木は「だろぉ?」と声を上げた。
「……でも、じゃあなんでありささんの形代が背中についてるんだ?」
涼介が言う。へらへらと笑っていた送り拍子木の動きが止まった。
「おかしいよねー。香織さんとありささんが遅れてきたのに、何か関係があるんじゃないの?」
勝元が更に追撃する。送り拍子木はダラダラと冷や汗を流していた。
バンドの演奏が一際激しくなった。二番も終えて、最後のサビの前の長い間奏へと入ったのだ。演奏に合わせて踊るKAORIとARISAの動きも、更に勢いを増していく。
「やっぱり二人に何かしたのね!」
椿は鬼の形相で声を上げると、送り拍子木を狙って弓を構えた。
「ヒエーッ、大したことはしてねぇよ!」
送り拍子木が尻餅をついて悲鳴を上げる。
「あの歌を歌ってる髪の長い方の姉ちゃんがビクビクしてんのがおいらにとって都合がよかったんだよぉ!」
「都合がいいってどういうことよ!」
椿は激しい口調でそう言って、弓を構えたまま一歩前に踏み出した。
「二人の歌は聴きたいけど、せっかくだからって香織さんの負の感情を糧にしたのね。そんなあなたにルサルカの歌を好きだなんて言う資格はないわ!」
椿は今までに見たこともないほど怒り狂っている。大声を出した反動で仮面がずれる。椿は鬱陶しそうに仮面を直そうとしたが、結局面倒になったのか仮面を額の上までぐいっと上げた。
怒りの顔を見せる椿に若干気圧されながらも、弱っていたところを妖怪に取り憑かれそうになったことがある彼女なりに何か思うことがあるのかもしれないと柚子は思った。ただファンとして許せなかっただけかもしれないが。
「……黙って聞いてりゃ、好き放題言ってくれるぜぇ」
激昂する椿を見て呆然としていた送り拍子木は、そう言ってのっそりと立ち上がった。
「いや、黙ってはなかったよね」
沙也香が小さな声でツッコミを入れる。
「あんた、おいらが何者なのか分かってんのかぁ? おいらは妖怪だぜ。人間の都合なんて知ったこっちゃねぇ!」
開き直った送り拍子木がそう言って、大股でこちらにぐんぐん近づいてくる。
「……どうせ見えないからもういっか。邪魔だし」
もう一度不知火の術を唱えている勝元を見てそう呟くと、柚子は椿に倣って仮面をグイッと頭の上まで引っ張った。後ろでは、ルサルカが最後のサビを歌い始めている。
「おいらの本気、見せてやらぁ……っとっとっと!」
すっかり好戦的な表情になっていた送り拍子木が、柚子の顔を見るなり怯えた表情を見せた。
「え……何?」
「うわっ、おいら……いや、何でもねぇっ! やっぱり降参だ! もうわりぃことはしねぇから許してくれよぉ!」
送り拍子木は唐突に態度を豹変させて、その場に座りこみ、なんと土下座してきた。
「えっ……何急に……」
同じように仮面を上げた沙也香が、気味が悪いと言いたげな顔で言う。送り拍子木はまだ頭を下げたままだ。
「なんでいきなり……?」
涼介が首を捻った。男子たちも仮面を外して怪訝な顔をする。顔を上げた送り拍子木は、ブンブンと音が鳴りそうなほどに首を横に振った。
「い……言えねぇ……っけどよぉ、やっぱり戦うのはやめだ! おいら、死ぬほどよえぇしな!」
「……」
柚子は無言のまま送り拍子木を見下ろした。
こいつは、私の正体を知ってるんだ。柚子はそう確信した。
多分、私に歯向かって制裁されることを恐れてる。でも、なんでか知らないけど、私のことを知ってるってことをみんなにばらすつもりはない。
「……どうする?」
沙也香が困ったように言う。
「やばい、曲が終わる」
涼介が声を上げた。一同はハッとした。二人は既に「火のYO!心」を歌い終えており、会場にはアウトロが響いている。柚子は一瞬考えてから、送り拍子木に向かって口を開いた。
「後ろに歩いて」
柚子が想像していた通り、送り拍子木は立ち上がると指示に従ってこちらを向いたまま素直に下手へと向かってノロノロと歩いていった。それを追いかけるようにして六人も歩き出す。会場には違う曲のイントロが流れ始めた。耳を澄ませてみるが、混乱が起こっているような様子はない。上手く行ったと考えていいだろう。
「まあ、賢明な判断かな」
ステージから完全に姿を消した柚子たちが立ち止まるなりそう言って話しかけてきたのは、いつの間にかやってきて下手で六人の様子を見ていた八郎だ。
「あれっ?」
「団長?」
「来てたんですか?」
一同は振り向いて驚きの声を上げた。八郎は頷く。
「やっぱり、望月くんの感情に吸い寄せられてたんだねえ。まあ、曲も理由の一つではあるんだろうけど」
「えっ……?」
八郎の言葉に、椿が唖然とする。
「え、団長分かってたんですか?」
柚子も思わずそう口走った。
「もちろん。ちょっと細工もしたよ。彼女には後で謝っておかないとね」
「そんな、分かっていてどうして……」
自信たっぷりにそう言った八郎に、椿はショックを受けたような声を上げた。そんな椿に、八郎は苦笑してから腹の立つほどに爽やかな表情を浮かべてウインクする。
「敵を欺くにはまず味方から、って言うでしょ?」
「……ほんとかぁ?」
翼が呆れきった声で言った。
「なんかそれっぽいこと言ってるだけじゃないんですか?」
沙也香もドライに言い放つ。
「君たち、結構言うよねえ……僕、一応君たちのボスなんだけど。誰の影響かな……」
そう言って八郎は反対側の上手を見つめて目を凝らした。その視線の先にはあきらと群治郎の姿が見える。
「さて。大した悪さもしてないけど、やられっぱなしも癪だし……」
「もう充分やり返されたっての!」
わざとらしく考えこむ八郎に送り拍子木は吠えた。八郎はそんな送り拍子木に向かってふうっと息を吹きかける。
「ん……? なんだぁ?」
送り拍子木は煩わしそうに払いのけるようなジェスチャーをしながら言った。
「君にちょっとした呪いをかけさせてもらったよ。これで僕はいつでも君の居場所が分かる」
八郎の説明を聞いた送り拍子木の顔が、みるみる曇っていく。
「はぁーっ? なんだよそれ! 外せよ!」
「嫌だよ」
拍子木はにべもなくそう言うと、涼介の方を向いた。
「都くんのお姉さんのお母さんにもこの呪いをかけてたんだ。君のお父さんのところに秘密で会いに行くことがないようにね」
「……そうですか」
涼介は表情を一切変えずに答えた。
「今度何か大きなことをやらかしたら、その時は僕たち陰陽団が容赦しないよ」
八郎は送り拍子木を見つめてそう言った。送り拍子木は「くそ……」と呟いている。
「あーっ、もう! 仕方ねぇ! 分かったよ! ったく、おいらは楽しんでただけなのによぉ。さっさと出てくから背中のこいつ剥がしてくれよ。何かついてんだろ?」
送り拍子木がそう言ってくるっと方向転換し、こちらに背を向ける。その背中には一枚の形代がしっかりと貼りついていた。
「その前に、懐に入れた形代を出してもらおうかな。破いたら承知しないよ」
「……なんで分かるんだよあんた、気持ちわりぃな」
淡々と言う八郎に不満げにそう言いながら、送り拍子木は懐から何かを取り出した。頭の部分がほんの少しだけ破れてしまっている形代だ。送り拍子木が振り返って八郎にその形代を手渡すと、八郎は満足げな笑みを浮かべて柚子たちに向き直った。
「さてと。君たちはもう上がっていいよ。せっかくだからコンサートを最後まで観ていったらどうだい?」
柚子たちは、下手に立ってルサルカの活動休止前の最後のコンサートを楽しんだ。快適な席とは言えないが、歌って踊るKAORIとARISAとの距離はほぼゼロに等しい特等席だ。コンサート中、椿が涙を流しているところを何度か見たが、柚子は何も言わないでおいた。
ルサルカの曲にはいろいろな種類があった。元気の出る曲、キュートな曲、ロック風のかっこいい曲、切ないメロディのバラードまで様々だ。
最後にはダブルアンコールまで行い、たっぷり三時間かけたコンサートの終了後、片付けに追われるスタッフたちの間を縫って帰ろうとしていた柚子たちは次の仕事に向かおうとしている二人の姿を見ることができた。スタッフが言っていた通り、これから二人は活動を休止する前に最後のインタビューとその撮影に向かうところなのだろう。
「声かけねえの?」
翼が問う。
「忙しいのよ。悪いわ」
椿はそう囁いて首を横に振った。
「そうだね。どうせまた会えるんだし今度にしよ」
柚子も言う。しかし、他の陰陽師たちと共に裏から出ようとする六人を見てマネージャーが大きな声を上げた。
「子供たち! 二人からちょっと話があるそうなのでよければこっちに来てくれる?」
「えっ、呼んでくれてるよ?」
沙也香が驚いた声を上げた。
「二人とも、二十分押してるので手短にお願いよ」
マネージャーのキビキビとした声が聞こえてくる。一同はなんだか申し訳ない気持ちになりながら二人の元に近づいた。
「あのっ、わざわざすみません……!」
香織とありさの前にやってくるなり、椿がそう言って頭を下げる。
「なんで謝るの? 私たち、お礼が言いたくて」
ありさが言う。椿は顔を上げた。
「うん。迅速に、一人も被害を出さずに送り拍子木を捕まえてくれて本当にありがとう!」
香織は満面の笑みでそう言った。
「いえいえ、そんな……」
沙也香が苦笑する。
「実際はめっちゃ弱かったので私たちほとんど何もしてないんです」
柚子がばつが悪そうにそう言うと、ありさはなぜか曖昧な笑みを浮かべた。
「ありささんが形代貼りつけといてくれたおかげですよー」
勝元がニコニコと笑ってそう付け加える。
「私たち、みんなに勇気を貰ったんだ」
香織の言葉に、六人は目を瞬いた。
「みんな、すごく優秀な子たちって聞いてたの。ちょっと悔しいなとも思ってたんだけど、当然だよね。こうやってあっさり解決しちゃうんだもん。全部は見えなかったけど、かっこよかったよ!」
「上手く言葉にできないんだけどさ……頑張ってる人を見ると、力が湧くんだなって思った」
香織とありさが真面目な声で言う。その様子に、椿が堪らず口を開いた。
「今更何を? こちらこそです!」
「へ?」
香織が首を傾げる。
「だって……私はいつもお二人の歌と踊りにずっと元気を貰っていたから……他のファンの方々だってきっとそうです」
「……」
香織とありさは、一生懸命に言葉を紡ぐ椿を黙って見つめていた。
「……最高のコンサートでした。オーラスを見られるなんて夢にも思っていなかったので本当に……」
椿が言葉を詰まらせる。何をどう言えばいいのか分からなくなっているようだった。椿は唾を飲みこむと、目に大量の涙を溜めて続けた。
「ありがとうございます……あの……大好きです……」
そう言ってとうとう涙を零してしまった椿に、二人は優しく微笑む。
「ありがとう」
「何がそんなに嫌だったんだよ」
電車に乗って帰宅している間、ずっと俯いている椿に痺れを切らした翼が声を上げた。
「だって……私、お二人になんてことを……おこがましいわ……!」
椿は両手で顔を覆って嘆いた。
「好きなアイドルにあんな風に言ってもらえてよかったんじゃないのか?」
涼介が不思議そうに言う。
「もちろんこうやって話せることは本当に嬉しいけど……二人には何とも思われなくていいのよ……私が勝手に二人を好きなだけなんだから!」
「わ、分かんない……」
苦しそうに語る椿に、沙也香が顔を引きつらせる。
「難しいなー」
柚子も唸った。
「やっぱりオタク心ってのは複雑なんだねー……」
未だに思い悩んでいる椿を見て、勝元はしみじみと呟いた。
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