火のYO!心(6)

 せりが上がる。「火のYO!心」のイントロに合わせて、三人の姿がステージに現れる。

 歓声に包まれていた会場にどよめきが走った。ルサルカのメンバーは二人。ステージから遠い席にいるファンにも、何かがおかしいということが伝わっているはずだ。

「あれ? 柚ちゃんたちしかいなくない?」

 上手に待機している勝元の驚いた声が聞こえてくる。

 香織より身長が低いありさのために作られた紅色の衣装は、帯の下がチュチュのような腰から広がるミニスカートになった着物になっている。髪型をサイドテールにした柚子は、真ん中に立っていた。

 一方、沙也香と椿が着ているのは香織のために作られていた衣装。それぞれ緑色と藍色に染められた二人の着物は、帯から下はフィッシュテールスカートのようにバックよりフロントの方が裾の長いスカートになっている。ショートカットの沙也香の髪形は普段と変わらないが、椿は耳の下で髪を二つに結んでいた。二人は柚子の一歩下に下がって、それぞれ柚子の左右に立っている。

 三人は、主に身長を考慮して組まれたこのフォーメーションを維持したまま踊ることになっている。始めの振り付けはその場に立ったまま手や腰だけを動かすものになっている。中心に立つ柚子は、ざわめく会場の中で覚悟を決めて歌い始めた。

 ペンライトの光がチカチカとつき始める。だが、観客全員が自分たちを歓迎しているわけではないということはすぐに分かった。

 柚子を追いかけるように、沙也香と椿も意を決して口を開いた。三人は踊りながら声を揃えて続きを歌う。

 会場に、三つの拍子木の軽快な音が鳴り響いた。



 「火のYO!心」のイントロが聞こえてきた瞬間、ありさは耳を疑った。

 慌てて時計を見ると、コンサート開始時間から二十分以上が過ぎていた。何がどうしてそんなことになったのかは分からないが、ルサルカのメンバーである自分たちが不在のままコンサートが始まってしまった。

「んん? あれれぇ」

 送り拍子木が間抜けな声を上げた。力なく立ち尽くすマネージャーからサッと離れて、耳を澄ませる。

「んんー?」

 送り拍子木はわざとらしく声を上げると、小馬鹿にしたような腹立たしい表情を浮かべて香織とありさの方を見た。

「なんだぁ? あんたらがいなくてもあの曲聴けるのかよぉ。まあでも、せっかくだから見に行くぜ!」

 送り拍子木はそう言うと、ぴょんと大きく跳び上がってから素早く楽屋から出ていってしまった。ありさは急いで楽屋を飛び出し、既にかなり遠ざかっている送り拍子木の背中に向かって形代を投げつけた。それから、マネージャーの方へと向き直る。

「大丈夫?」

 慌てて声を上げる。マネージャーは頭を押さえて呻いていたが、大事には至っていないようだった。

 恐らくだが、送り拍子木の持つ妖力はそれほど強くない。ありさはそう悟った。人間に取り憑くにはかなり時間がかかるようだ。ということはつまり、そんな雑魚妖怪にさえ歯が立たない自分の実力もまた大したものではないということになるのだが。

「うっ……何だったんだ今のは……」

「今……取り憑かれそうになって……」

 ありさが説明しようとすると、マネージャーは勢いよく顔を上げた。

「私のことはどうでもいい! なんでか知らんけど始まってる!」

 マネージャーは喚いた。

「早く行きなさい! 香織も行ける?」

 マネージャーの言葉に、ありさは振り返った。ようやく正気に返ったのか、まだどことなくぼんやりとしながらも香織が顔を上げて真っ直ぐにこちらを見つめている。

「香織ちゃん! 大丈夫なの?」

「うん……大丈夫。行かなきゃ……!」

「ほんとにほんとに大丈夫なんだね? 香織ちゃん、風邪引いた時も自分で気付けないんだから信用できないよっ!」

 ありさは涙を堪えながら言った。

 そんなに悩んでいたのなら、もっと早く言ってほしかった。だが、自分一人の力ではあんな低級の妖怪一体すら倒すこともできないのだということを考えると、相談してもらえないのは当然だとも思えた。

 二人でずっと一緒に頑張ってきたはずなのに。何もかも未熟で、本当に情けない。

 でも、ここで立ち止まってしまっては何も変われないままだ。

「大丈夫だよ! ありさちゃんがいるから、私は大丈夫!」

 香織が強い口調で言う。ありさは唇をギュッと固く結んで、頷いた。

「行こう!」

 香織とありさはそう言って駆け出した。



「……あー……」

 楽屋から二人が姿を消したことを確認すると、マネージャーは大きく息を吐き、近くに置いてある椅子を引き寄せてよろよろと座りこんだ。



「え……誰?」

「セトリ違うよね?」

「前座?」

 大音量で流れる「火のYO!心」が霞むほどに、ファンたちの戸惑いの声が会場の至るところから上がっている。はっきり言って居心地は悪い。今すぐこの場所から逃げ出したい。だが、途中でダンスを止めて立ち去るわけには行かない。幸い狐の仮面のおかげで正体はばれていないのだからと自分に言い聞かせて、三人は必死に歌って踊り続けた。

 一番のサビに差しかかった。タイミングを合わせて拍子木を高く鳴らす。その瞬間、柚子は僅かな違和感を覚えた。沙也香と椿は右後ろと左後ろにいるはずだが、少し離れたところからも拍子木の音が聞こえてきたような気がしたのだ。思わず音のした方に視線を向けたせいで、振り付けに隙ができてしまう。柚子は慌てて素早く視線を戻した。柚子の振りつけがほんの一瞬ずれたことには誰も気がついていないようだった。だが、五人の仲間たちもまた、同じように異変を感じ取っていた。



「なんであいつらだけ……?」

 翼がポカンとして言う。

「全然盛り上がってないな……」

 涼介も呟いた。

 勝元たちはハラハラしながら柚子たちの踊る様子を見つめていた。さすがに可哀想に見えてくるな、と勝元が思ったその瞬間。

「頑張れー!」

 会場に野太い男の声が響いた。ただの目立ちたがり屋かはたまた本心からの言葉なのかその真意は分からないが、アウェイな状況で歌って踊る謎の三人の女の子たちを見て居たたまれない気持ちになったのはきっと事実だろう。彼の声を皮切りに、観客席からは応援の声が上がり始めた。まばらだったペンライトの光の数が、次第に増えていく。

「お、おお……なんかすげえ……」

 翼が感動したような声を上げる。踊り続ける柚子たちの動きが、心なしか力強くなった。



「ごめんね、ありさちゃん」

 会場に向かって走りながら、香織が言う。

「私、足引っ張って……本番前なのに……!」

「それを言ったら私もごめんだから」

 ありさは香織の言葉を遮るようにして言った。

「私も一人では香織ちゃんのことを助けられないくらい頼りなくて……」

 ありさがそう言うと、香織は小さく首を横に振った。一旦立ち止まってから、真面目な口調で話し出す。

「私たち、お互いに一人では何もできないんだね」

「……そうだね」

 ありさもその場で足を止めると、やるせない声でそう返して俯いた。自分の爪先を見つめて溜息をつく。私ってほんと、何もできない情けない奴。

「……でもそれって、普通のことなんだと思う……私が言うのもなんだけど」

 ちょっぴり申し訳なさそうな様子で言う香織の言葉に、ありさは顔を上げた。

「でも、私はありさちゃんがいれば何でもできるって思える。ありさちゃんもきっとそう思ってくれてるよね。……だから、一人が一人のために頑張るんじゃなくって、二人で二人のために頑張るのがいいんだって、私やっと分かったよ」

 そう言って笑う香織を見て、ありさは何かがカチリとはまる音が聞こえたような気がした。

「ずっと考えてたんだ。なんでこんな風になっちゃったのかなって。私たち、お互いのことを考えてはいたけど……協力はできてなかったのかもしれないなって……思った。今更グチグチ言ってもしょうがないけどね」

 香織はそう言って、ばつの悪そうな笑みを浮かべた。

 周囲が騒がしい。辺りを見回したありさは、いつの間にかステージの下手までやってきていたということに気付いた。少し首を伸ばせば、一生懸命に「火のYO!心」を踊る三人の陰陽師と、彼女たちを応援するファンたちの振るペンライトの光がよく見える。

「……私たち、こんなにたくさん応援してくれている人がいるのに」

 ありさは声を震わせた。ペンライトの光がぼやけて見える。まるで色とりどりの星が輝いているようで、とても綺麗だ。

「高橋さんだって私たちのために頑張ってくれてるのに……」

 高橋とは、ルサルカのマネージャーのことだ。

「もっと頑張らなくちゃ」

 香織が小さな、それでいてしっかりとした声で言った。

「うん。……燃え尽きない程度に、だね」

 ありさが頷いてそう言う。

「えへへ、『火のYO!心』だもんね」

 香織は小さく笑ってそう言うと、二人は互いの顔を見つめた。そして、衣装を軽くはたいて整え、少しずれてしまったピンマイクを調整する。

 準備は万端。二人は改めて舞台の方を見た。今は、「火のYO!心」の二番に繋がる間奏が流れているところだ。



「みんな、お待たせー!」

「どーも、ルサルカですー」

 KAORIとARISAがステージに飛び出してきた。その瞬間、会場は爆発したのかというほど大きな歓声に包まれる。勝元は「来た!」と声を上げ、バックダンサーの三人も踊りながらホッと安堵の息を漏らした。

「待たせちゃってごめんねー! あったまってますかー?」

「イェーイ!」

 「火のYO!心」の間奏をバックに煽るKAORIに、観客たちが叫んで答える。

「ほんとにー?」

「イェーイ!」

 ARISAが言うと、観客たちの声は更に大きくなった。

「えー、ほんとにぃー?」

「イェーイッ!」

 ARISAがわざとらしくもう一度尋ねると、観客たちは喉が壊れそうなほどに声を上げる。

「ハイハイ分かった、ありがとね。てか遅れてきた私たちがこんなこと言える立場じゃないね」

「みんなほんとごめんね!」

 KAORIが再び謝る。観客席から「いいよーッ!」という声が飛んできた。

「私たち、まだまだ頑張りが足りなくて本当に頼りない情けない二人だけど、でも応援してくれる人たちや一緒に仕事をする人たち、そしてこうやって盛り上げてくれるみんなのためにこの歌を捧げます!」

 KAORIはそう言って、バックダンサーの三人の方に手を伸ばした。

「KAORIちゃん、いいとこ取りしないでー」

 ARISAは間延びした声でそう言うと、香織の顔を真っ直ぐに見つめた。

「今私たちにできることは、これしかないから」

「うん」

 香織はありさの言葉に、強く頷いた。

 二番が終わろうとしている。拍子木の音が大きく響く。その瞬間、ステージの上手から大きな炎が巻き起こった。会場がざわめく。だが、それを掻き消すようにバックで演奏しているバンドのドラマーがアドリブでドラムを激しく叩き始めた。会場が混乱と興奮で沸く中、ドラマーはソロを演奏し終えると、一定のリズムでバスドラムを鳴らし始めた。バンドメンバーも瞬時に状況を理解して演奏を再開する。流れ始めたのは「火のYO!心」のイントロ。ドラマーが機転を利かせて仕切り直してくれたのだ。

 会場のボルテージは、最高潮に達していた。



 「火のYO!心」を最初から歌い始めるルサルカの二人と柚子たちの後ろに、奇妙な男が一人立っていた。男は両手に拍子木を持って、体を揺らしながら喚いている。

「なんだぁ? なんか体が重い……早く動けねぇ!」

「……出たな……」

 涼介が呟く。

「なんか背中にくっついてね?」

 翼が気持ち悪そうに言った。送り拍子木の背中に、人型に切られた白い紙が貼りついているのが見える。

「あれ形代だね。ってことは多分……今送り拍子木はありささんをおんぶしてるような状況になってるんだと思う」

 不知火の術を唱えて送り拍子木や武器を持った柚子たちの姿を観客たちに見えないようにした勝元は淡々と語った。少し過剰かと思ったが、思いつきの演出は上手く行ったようだ。客席からは、突然大きな炎が現れたと思えば謎の三人のダンサーたちがそれに合わせて姿を消したように見えているはずだ。

「めっちゃいいタイミング!」

 興奮している様子の柚子が、そう言って勝元に向かって親指を突き立てた。勝元が同じようにサムズアップを返すと、柚子はニヤッと笑ってから後ろにいる送り拍子木の方に向き直った。

「は? どゆこと?」

 翼がキョトンとした声で言う。

「つまり……ありささんがナイスアシストしてくれたってことだね」

「あなたたち!」

 説明するのが面倒になった勝元がそれだけ述べると、背後からあきらの鋭い声が飛んできた。

「ステージに出ていいから、さっさと送り拍子木を捕まえなさい!」

「え、いいんですか?」

 勝元が問う。

「何のための仮面と半纏よ? それにあなたの不知火もあるでしょう!」

 あきらはバンドの演奏や歓声に負けないように必死に叫んだ。

「コンサートの成功なんてどうでもいいから、被害を最低限に抑えて確実に送り拍子木を捕らえること!」

「い、いいのかよそれで?」

 ステージに向かって走りながら、翼が素っ頓狂な声を上げた。

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