春に溶ける(3)

 柚子は階段を駆け下りながら鞘を門の札に戻すと、天叢雲剣を取り出した。あきらと群治郎もついてくる。マンションから出たところで、道路の真ん中に佇んで陰陽師たちを待ち受ける雪女と目が合い、柚子は剣を握る手に力をこめた。

「まずは俺が行く!」

「はいはい!」

 翼が声を張る。柚子が返事をすると、翼は刀を斜め前に構えて雪女めがけて走っていった。しかし、雪女は迫りくる翼を見ても顔色一つ変えず、口の前に両手を添えてふうっと息を吹いた。

「うわ? ささささみい!」

 翼は叫んで、歯をガチガチと鳴らしながら立ち止まった。

「いや寒いってか冷てえ!」

「冷気……!」

 柚子は八郎の言っていたことを思い出しながら雪女を睨みつけた。どうにかして隙を衝けないものだろうか。

「……俺たちには相性の悪そうな奴だな」

 涼介が呟いた。

 雪女が両手を掲げた。すると、辺りの雪が激しく舞い始め、更に強さを増していく。

「ううっ……」

「さーむっ……」

柚子たちは呻き声を上げた。もはや雪が降っているというより吹雪いているといった感じだ。激しく体を打ちつける雪に耐えながら片目を開くと、柚子はハッと息を呑んだ。目の前に刃物のようなものが三つ飛んできていたのだ。

「危ない!」

 柚子は慌てて叫んだ。柚子の声で刃物に気がついた翼と涼介も武器を構える。天叢雲剣で刃物を弾くと、刃物はパキッと音を立てて割れた。柚子はその破片を見て、目を剥いた。

氷柱つららだ!」

 柚子は大声を上げた。雪女が腕を伸ばすと、指の先から五つの氷柱が現れて柚子たちめがけて勢いよく飛んでくる。柚子たちは再びそれぞれの得物で氷柱の刃から身を守った。三人よりも雪女から距離を取っていたあきらと群治郎も、素早く体を動かして氷柱を避ける。

 柚子は雪女との距離を縮めようとゆっくりと歩みを進めたが、気付かれてしまった。雪女が、先程と同じように冷気を吹く。

「うう……寒いっ……!」

「し、ししし死ぬ」

「これ以上近づくのは無理だ……!」

 パン! 銃声が響いた。群治郎が雪女を撃った音だ。群治郎の撃った弾は雪女の額を貫いた。穴の空いた部分から彼女の顔が溶け始めたが、それよりも速いスピードで氷のようなものが傷を覆い、すぐに元の白い肌に戻ってしまった。

「んー……まあやれなくはなさそうだけど俺が一人でゴリ押しで倒すのも違うしな」

 群治郎はブツブツと呟いた。

「勝元早く来てよぉー!」

 柚子は思わず叫んだ。



「だめだ。膝の裏に手挟んでも全然あったまらない」

「てかなんかさっきより寒くなってない?」

「は……早く行かなくちゃ……」

 階段の踊り場まで戻った勝元と沙也香と椿が、早くパートナーたちの元へ向かうために手を温めようと躍起になっている。すると、椿は諦めたように溜息をついた。

「手を素早く温める方法を探すべきね」

 そう言って、スマートフォンを取り出す。

「それだ」

 勝元と沙也香は同時に声を上げると、二人もスマートフォンを取り出した。

「普段使いまくってるはずなのにこういう時に限ってそういう発想に至らないんだよねー……」

 勝元がそう言いながら、震える手で画面をタップする。

「それね」

 沙也香はそう言って鼻で笑った。しかし、すぐに表情を曇らせる。

「て、手がかじかんで文字が上手く打てない……」

 沙也香が呻くように言った。

「ってか充電やばいなー」

 勝元が言う。

「寒い日ってすぐ充電減るわよね……」

「ねー。……いやいや、冷え性対策じゃなくてさ……そういうんじゃないんだよ……」

 勝元は、赤くなった鼻を啜りながらスマートフォンの画面を見て不満げにそう言った。



 凍え死にそうなほどの寒さに耐えながら氷柱攻撃を防いでいるうちに、足の先が冷たくなってきた。上手く足を動かせない。大きく脚を上げようとしてパキパキという不自然な音が聞こえてきたところで、柚子は足元を見て大きく目を見開いた。なんと、足の先が凍っている。

「うわっなんだこれ?」

 ちょうど同じタイミングで異変に気付いたらしい翼も素っ頓狂な声を上げた。

「ちょっと待て……どんどん体が凍っていってないか?」

 涼介も声を張り上げた。見れば、爪先を覆っていた氷の範囲が徐々に広がっている。

「早くどうにかしないと、最悪凍っていた部分が壊死するわよ!」

 あきらが大きな声を上げた。すると、群治郎が柚子の足元に銃口を向けた。それから、何かに気付いたように小さく表情を変えると、翼の足元へと銃の向きを変えた。

「翼くん! ちょっと痛かったらごめんね!」

「えっ? 俺に向かって撃つのかよ?」

 翼は動揺して絶叫した。乾いた銃声が二発響いて、翼の足を覆っていた分厚い氷に穴が開いた。よく見ると、銃弾の周りが溶けていっている。

「次、涼介くんね!」

 群治郎はそう言って再び二発の弾丸を放った。足首まで浸蝕していた氷に二つの穴が開き、ゆっくりと溶けていく。

「どういう……?」

「これはね、団長に貰った火の効果をもたらす弾だよ……前にも言った通り、厳密には銃弾じゃないけどね……うおっと!」

 銃に弾をこめながら説明をしていた群治郎は、飛んできた氷柱の刃を慌てて避けた。柚子たちも充分に足を動かせないままどうにか刃を防ぐ。群治郎は次に柚子の氷に弾を放ち、あきらの足元にも銃弾を撃つと、最後に自分の足元の氷にも一弾撃った。

「三人はまだかね」

 群治郎は装填しながらボソッと独りちた。



「えーと、手をグーとパーにして交互に繰り返すといいって。グーの時は親指を中に入れて……」

「それ私も見つけた。こうかな」

 勝元が言うと、沙也香が片手でギュッと拳を握ってから、大きく手を開いた。

「あー、多分そんな感じ」

「他にもあったけど、それが一番簡単そうだわ。グー、パー、グー、パー」

 椿はそう言って、両手で拳を握っては、指が反るほど大きく手を開く動作を続けた。

「グー、パー、グー、パー」

「グー、パー、グー、パー……」

「……まるで何かの儀式ね……」

 椿が呟いた。



「みんな、足動く?」

 群治郎が大声を上げた。

「いやきびい!」

 翼が答えた。

「凍っていく方が早い……!」

 涼介も苦しそうに言った。

 柚子は足にぐっと力をこめた。氷がミシミシと音を立てる。柚子は確信した――私は動ける。

 この場で一人だけ動くことができたら怪しまれるだろうか? 柚子は考えた。だが、この状況でずっと止まっているわけにはいかない。柚子は意を決して口を開いた。

「私は大丈夫そうです!」

 柚子はそう言うと、思いきり脚を上げて氷から無理矢理引き離した。少し痛いが、これくらいなら大丈夫だろう。あきらと群治郎は一瞬ギョッとした顔をしたが、何も言わないことにしたようだった。

 雪女が驚いた顔をしてこちらを見ているのが分かった。柚子は少し考えてから、涼介の元へと向かった。刀より苦無の方が氷を砕くのに向いているだろう。一同が困惑した顔で自分を見守っていることに気がつくと、柚子は慌てて声を上げた。

「あのっ、氷柱は各自で避けてくださいね!」

「へ? あ、危ねえっ」

 翼が声を上げて、いつの間に目の前まで来ていた氷柱を弾いた。

 柚子は涼介の近くまでやってくると、不安げにこちらを見下ろす涼介の足首の上まで凍らせている氷に狙いを定めて、天叢雲剣を力強く突き立てた。

「くっ……よいしょ!」

 氷を引き剥がすようにして思いきり剣を引っ張る。涼介の足元を覆っていた氷が、勢いよく剥がれた。

「う、動ける?」

「うん。動かす」

 心配そうに柚子が尋ねると、涼介はそう言って苦無をしっかりと持ち直した。



「グー、パー、グー、パー」

 三人は必死の形相で手を温めていた。一心不乱に手を開いたり閉じたりを繰り返して、呪文のように呟く。やがて、手の先がじんわりと温かくなってきたのが分かった。

「グー、パー、グー、パー……あ、結構いい感じ!」

 沙也香が両手を擦り合わせ、指先を握りしめて嬉しそうに声を上げた。

「ちゃんと動くわ」

 椿もそう言って、指をバラバラに動かした。外していた弽を指に装着する。

「意外とあったまるもんだね……よし、行こうか」

 勝元が言うと、二人は頷いた。三人は仲間たちに協力するため、急いでマンションの外へと向かった。

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