春に溶ける(2)
柚子たちは、群治郎が運転する車に乗ってあきらと共に八郎に教えられた場所へと向かっていた。
車の中も寒い。団服の上や下に多少着こんでマフラーを巻いてはいるものの、それだけでこの寒さを凌ぐのは無理そうだ。
「あなたたち、手袋はつけないの?」
後部座席で震えている高校生たちを見かねて、助手席に座るあきらが尋ねた。
「スマホいじれないし……」
勝元が答える。
「……一応言っておくけど、仕事中よ」
あきらはじっとりとした目つきでそれだけ言うと、前に向き直った。
「んー……」
運転席の群治郎が何とも言えない声を上げた。バンパーを動かして何度も窓を拭いているが、視界は一向に良くならない。
「ここまでが限界だな」
群治郎はそう言うと、車を道路の脇に寄せて停めてしまった。
「これ以上の運転は危険だから、あとは歩きで頼むよ」
「エーッ!」
高校生たちは悲痛な声を上げた。せっかく車内の気温に慣れてきたところだったのに、ここに来て雪の降り積もる外を歩かなければならないなんて!
「文句言わない。行きますよ」
あきらがきびきびと言って素早く降車する。柚子たちは震えながら車から降りた。やはり寒い。雪の止む気配はなく、未だに降り続けている。体に小さな氷を何度もぶつけられているような感覚だ。地面には雪が数センチ積もっている。群治郎が車の鍵を閉めたところで、一同は歩き始めた。
拳を握りしめて両腕をぴんと伸ばし、歯を食いしばってどうにか寒さに耐えながら歩く。八郎に伝えられた雪女が隠れていると思しき場所までやってきた頃には、頭の先から爪先まで冷え切っていた。全員、鼻の頭や耳を真っ赤にさせている。
「ここ……」
柚子は、目の前の建物を見上げてほとんど吐息だけで声を上げた。
「マンションだな」
涼介が続けて言った。辺りには一戸建てや、同じようにそれほど階層の多くないマンションが建ち並んでいる。至って普通の住宅街だ。
「こんなとこにいんのかよ。森とか公園の方が身を隠せそうな気がすっけど」
翼が言う。
「なんでここにいるんだろうね?」
沙也香も不思議そうに声を上げた。そんな智陰陽師たちの様子を見たあきらが口を開く。
「雪女の居場所は六人で協力して突き止めてください。私たちは基本的に口出ししません。戦闘になり次第参加します」
「はい」
柚子たちは不安を感じながらも返事をした。
「頑張ってねー」
群治郎もそう言ってヒラヒラと手を振る。一同は小さく頭を下げて返事をしてから、揃って顔を見合わせた。
「えっと……雪女ってどんな妖怪なの?」
柚子はとりあえず聞いてみた。
「大抵の記録では……美しい女性に化けて、人間の男性の元に現れているわ」
椿の説明に、柚子は唸り声を上げた。
「早速男を誘惑する系妖怪が出たってこと?」
柚子の質問に椿はコクリと頷いた。
「まあ、そうなるわね」
「じゃあ……恐らくこのマンションのどこかに住んでる男の人のところに雪女がいる……ってことだよね」
沙也香が言う。柚子は黙って再びマンションを見上げた。三階建ての小さなマンションだ。白い壁の色はうっすらと汚れている。新築ではなさそうだ。
「それにしてもこんなに雪を降らせる必要があるかね」
勝元が老人のような声で言った。凍え死にそうな顔をしている。
「こんな雪じゃ外も出歩けないしな……」
涼介がボソッと言った。その言葉に、柚子はハッとひらめいた。
「もしかしてそれが狙いなんじゃない?」
柚子の言葉に、一同は首を傾げる。
「誰も寄せつけたくない的な!」
「あっ……なるほど?」
勝元が声を上げる。
「誰にも邪魔されずに人間の男との蜜月を楽しみたいと……」
「なんか嫌なんだけどその言い方……」
沙也香が顔をしかめた。
「寄りつかせないどころか、むしろ俺たちにとっては分かりやすい目印になってくれてるけどな」
涼介が呆れ気味にそう言った。
「じゃ、人間に化けてこのマンションのどっかの部屋にいるってのはやっぱほぼ確定か」
翼がニヤッと笑って言った。
「よっしゃ! とっとと探しに行くぞ」
翼は気合いたっぷりにそう言うと、さっさとマンションの中に入っていく。柚子たちも翼を追いかけた。
マンションの中にはフロントと呼べるようなエリアはなく、ポストが並ぶ壁のすぐ近くに階段が続いていた。一階に部屋はなく、ポストを見る限り二階と三階にそれぞれ四つずつ部屋があるようだ。恐らく家賃は安値なのだろうが、現代においてセキュリティ面では少々不安の残る構造である。新築でないどころか、建築されてからそれなりの年数が経っているのかもしれない。
「どうやって探すの?」
柚子の質問に、翼は当然だろうという顔で言った。
「んなもん順に聞いてきゃいいだろ」
「聞いただけじゃだめじゃないかなー」
勝元がのんびりと言う。しかし、翼は不敵な笑みを浮かべた。
「考えならあるぜ。俺に任せろ」
「なんか仕切ってるし……」
沙也香が面倒そうに言った。
「いいだろ。刀が武器だぜ? 俺が一番先陣切って突っこむのに向いてる」
「それ言ったら柚子もじゃない?」
誇らしげに言う翼に対し、沙也香はそう言って柚子を見た。柚子は思わず目を見開いた。
「私?」
「藤原は……」
翼は柚子を見て目を細めると、考えるように唸った。それから、バッチリ決めた表情で言う。
「
それだけ言うと、翼はくるりと背を向けて階段を上り始めた。
「え……殿って……」
柚子は困ったように声を上げた。
「武士?」
勝元がツッコミを入れる。
「殿って一番危険なポジションだよな」
涼介が畳みかけるように言った。
「一橋くんってあんなキャラだったっけ?」
階段を上りながら、柚子は小声で前を歩く椿に尋ねた。椿はちらりと翼の方を見てからこっそりと返す。
「刀を武器にするからって、最近家でよく時代劇とかを観ていたけど……」
「影響を受けすぎでは?」
隣で話を聞いていた勝元が呟いた。
二階に辿りつくと、翼は迷わず二〇一号室のインターホンを押した。
「えっ、ちょっ待……」
勝元が顔を青くする。短いチャイム音が鳴り、「はい」という声が聞こえてきた。
「こんちは。陰陽師です。この辺で妖怪が出たって言われてるんで目撃情報を探してます。何か知りませんか?」
仲間たちの制止を振り切って淡々と語る翼に、インターホンの向こう側にいる住人は不信感を露わにした声で返してきた。
「……はい?」
「だからー、妖怪が出たんすよ。何か知りません?」
「いや……あの、やめてください」
ブツッ。通信が途切れるような音がして、それ以上は何も聞こえなくなった。
「ちげーな」
翼はそう言うと、次の部屋へ向かおうとする。
「いやちょっと待とう?」
勝元がそう言って、慌てて翼の腕を引っ張った。一同は一旦階段の踊り場まで戻ると話を始めた。
「そりゃこんな反応されるに決まってるじゃん。妖怪なんてみんな普通知らないんだからさー」
沙也香が非難がましく言った。しかし、翼は笑っている。柚子はその反応を見て首を捻った。
「だろ? それが狙いなんだよ」
「どういうこと?」
沙也香が少し苛立ちながら聞いた。
「一橋くん、作戦は共有しないと作戦にならないよ」
「……」
勝元の
「……確かに。大将失格だな……」
「あ、やっぱりそういうつもりだったんだ」
腕を組んで悔しそうに言う翼に、柚子は小さく呟いた。
「まあ、簡単な話だよ。雪女を匿ってるんだったら、こんな反応はしねえだろ。多分もうちょっとわざとらしく否定するぜ。それか聞いてもないことを先に話す。嘘ついてる奴って大概そうだろ?」
「……確かにそうかも。妖怪なんて言われても、実物見たことなかったらピンと来ないだろうし」
翼の説明に納得した柚子は、少し前の自分を思い出しながらそう言った。かつて化け狐に襲われて妖怪の存在を知ったが、それでも信じられない思いをしたものだ。
「人を騙すプロでもない限りなんか引っかかる反応すると思うぜ」
「でも、雪女は人間に化けてるんじゃないかしら。妖怪だって知らないかもしれないわ」
椿が言うと、翼は首を横に振った。
「こんなに雪降らしといて正体知られてないってことあるか?」
「うーん、どうだろう……」
勝元はそう言って考えこんだ。
「雪女とかってさ、男の人を誘惑してどうするの?」
柚子は、ふと頭に浮かんだ疑問を口にした。
「その……白面金毛は、国を崩壊させるために権力者を魅了してたらしいけど……そういうんじゃない場合って、何のために誘惑するの?」
柚子の質問に、涼介がさらっと答えた。
「大概、喰うためだと思う」
「喰う……か」
柚子は必死に頭を巡らせた。妖怪の思考など理解したくもないが、考えなければならない。雪の妖怪で、男の人を誘惑する……。
「……だったら、雪とか降らせてないでさっさと食べればいいのに、しないんだ」
柚子は小さく呟いた。それから、「いや、ほんとに食べちゃだめだけどね?」と慌てて付け加えた。
「でもそうだね。そこそこの範囲で雪を降らすことなんかに妖力使うより、その男を懐柔する方に力を入れた方がいいと思うな」
勝元が言った。
「既に誘惑は終えてて、もう男の人は油断してるってことかな? タイミングを見計らってるとか」
沙也香が言う。柚子は「それか……」と声を上げた。
「最初から油断しててそんなの必要ないとか? もしかしてさ、ほんとに両想いだったりしない? 妖怪がそんな感情持ってるか知らないけど」
「ええっ?」
柚子の発言に、沙也香と翼が驚愕の声を上げた。しかし、椿は真面目な表情で口を開いた。
「ありえると思うわ。雪女に限らず、そういう心を通わせた人間と妖怪の悲しい伝承は多いから……すべてが事実かどうかは分からないけれど」
「葛の葉と
勝元が言った。涼介は黙っている。
「だったら尚更……雪女は自分の正体を人間の男の人に伝えてるんじゃないかな……その上でお互い愛し合ってるんじゃ……」
柚子はそう言うと、いきなり沙也香に抱きついた。
「わっ」
沙也香が驚いて素っ頓狂な声を上げる。柚子は至って真面目な顔をしていた。みんな、大切なことを忘れている。
「だって、溶けちゃうんでしょ? 触れないじゃん。騙してらんないよ!」
悲しげに言う柚子に、男子たちが三人ともカッと目を見開いた。
「確かにイチャイチャできないのは深刻な問題だね」
「付き合ってんのに触れねえのか……それはちょっとな……」
「それでもいいって、すごいな……」
「みんな素直だね」
それぞれ正直に感想を述べる勝元と翼と涼介を見て沙也香は冷静にそう告げた。
「でもまあ、相手が妖怪でもよくて、触れなくてもいいって確かにすごいかも」
沙也香はドライに言い放った。あまり興味がなさそうだ。
「イ、イチャイチャって……」
椿は顔を真っ赤にして呟いている。
「まあ、
「付き合う前からイチャイチャする人もいるけどねー」
「今はそういうのはいいです」
どうでもいいことで言い合う沙也香と勝元を四人は無視して続けた。
「それじゃ、男は相手が妖怪だって分かった上で好きで雪女を匿ってて、んでこうやって妨害されねえように雪を降らしてる可能性がたけえってわけだな」
翼がいましがた出た結論をまとめる。
「ありえなくはないんだよね?」
柚子が言う。椿が頷いた。顔はまだ少し赤い。
「その雪が陰陽師には目印になっちまってるってわけだけど、これ以上降り続けたら危ねえしな」
「早く探そう。とりあえず、一橋くんの言ってた作戦で!」
「おう!」
翼が頷く。一同は再び歩き出して、次の二〇二号室のインターホンを押した。
二階の住民にはことごとく不審者扱いされてしまった。面倒事を避けるためにも、柚子たちはしつこく質問はせずに素早く引き下がって三階へと向かった。三〇一号室の住民の女性に気を遣われて近所の精神科医を紹介された頃には、一同はそろそろ疲れ始めていた。
「分かってはいたけど、実際に怪しまれると結構ショックだなー」
勝元が嘆く。
「あと少し……もしだめだったらまた考えましょう……」
椿も溜息混じりにそう言った。
「……よし、次行くぜ」
翼は思いきり体を伸ばしてからそう言うと、三〇二号室のインターホンを押した。チャイム音が鳴って数秒してから、男性の声が聞こえてきた。
「はい」
「すんません。この辺で妖怪が出たって噂があるんすけど、妖怪見てないっすか?」
疲れからか、翼の質問もだいぶ雑になってきている。
「妖怪……? そんなのいるんですか? 見たことないです」
男性の言葉を聞いた一同は大きく目を見開いて互いに顔を見合わせた。明らかに他の住民と反応が違う。まるで事前に台詞を考えていたのかと思うほど落ち着いている。翼は少し考えてから、再びインターホンに向かって声をかけた。
「随分落ち着いてるんすね。ほんとは妖怪の存在を知ってるんじゃねーの? いつ頃知ったんすか?」
「……」
男性は何も言わなかった。微かに呼吸音が聞こえる。やがて、通話を切られる音がした。
「おい!」
翼が突然大声を上げた。
「妖怪いるんだろ! 危ねーからさっさと出せ!」
翼はそう言いながら、玄関の扉のドアノブをガチャガチャと鳴らし始めた。
「ちょっ、近所迷惑……!」
沙也香が翼を止めようとしたが、翼は沙也香の手を振り払った。
「んなことより大事だろーが。何かあった後じゃおせえんだぞ」
「それはそうだけど……!」
沙也香は困ったように声を上げた。
「翼! 無理にそういうことをするのは……」
ずっと黙って見ていたあきらも声を上げて止めようとする。しかし、その時扉が開いた。急にドアノブが動いたことで姿勢を崩してその場に倒れそうになった翼が慌てて体を起こす。扉にはチェーンがかかっており、少ししか開いていない。
「あの、やめてください! 迷惑です!」
男性が僅かに顔を見せてそう言った。翼が低い唸り声を上げる。
「でもよぉ、そこにいるんだろうがよ……」
「いません。妖怪なんていません! 見たこともない!」
男性は何度も頭を横に振った。その反応はどう見ても「いる」と言っているようなものだ。
「帰ってください! け、警察を呼ぶぞ!」
男性はそう言って扉を閉めようとした。その瞬間、柚子は門の札から天叢雲剣の鞘を出して隙間に素早く差しこんだ。
「あの! 私たちは陰陽師です。妖怪から人々を守るのが私たちの役目なんです!」
押し返されたり、逆向きに引っ張られたりしても大丈夫なように柚子は力をこめて鞘を握った。男性は鞘をどかそうとしているが、柚子の力を凌駕できずにいる。
「被害が出てからでは……」
「被害なんてない! 俺と
「
日盛と呼ばれた男性の向こう側から、女性の高い声が聞こえてきた。日盛は顔を真っ青にして振り向いた。
「り、六花は関係ないよ! 戻ってて!」
日盛が必死に女性に声をかける。その六花とやらが雪女なのだろう。柚子は更に手に力をこめた。どうにかして彼女をここから出さないと!
「……妖狩りが来たのね。迎え撃ってやるわ……」
六花の声が低くなった。日盛は抵抗をやめて、呆然と後ろを向いている。
「日盛くん、下がってて……」
六花がそう言ったかと思えば、ゴオッと冷たい強い風が部屋の中から吹いてきてチェーンを破壊した。玄関の扉が内側から大きく開く。玄関で青ざめた顔をして腰を抜かしている日盛の横には、一人の女性が立っていた。お団子にした黒髪が目を引く、綺麗な女性だ。
「人を愛することを悪だと言うのなら、なんだってしてみせる」
六花はそう言うと、結い上げていた髪を解いた。すると、六花の黒い髪が雪のように白く染まっていく。彼女が右腕と左腕を順にぴんと伸ばすと服の袖が伸び、彼女が歩き始めると着ていた春らしい色合いの洋服は白い着物へと変化していった。やはり、妖怪だ。
「勝元! パパッとやっちゃって!」
柚子はそう言ってパートナーの方を振り向いた。しかし、勝元はなぜか申し訳なさそうな顔をして止まっている。
「何? どうしたの?」
「非常に言いにくいんですけど……手がかじかんで早く動かせないので印を結べる気がしません」
「はあ?」
両手を擦り合わせながらそう言った勝元に、柚子は大声を上げた。
「ご、ごめん、私も……」
沙也香が指先を温めながら遠慮がちに言う。
「お前もかよ?」
翼が叫んだ。
「わ、私もちゃんと考えてなかったわ……ごめんなさい」
椿も、指にはあっと息を吐きかけながらそう言った。
「マジか」
涼介も呆然と呟いた。
「だから手袋はって聞いたのに」
あきらが柚子たちを眺めて呆れたように言う。
「寒い時は体の動きも鈍るからなー、問題は指だけじゃないよな」
群治郎もそう言った。未だに動きはしないものの、二人はいつでも飛び出せるように準備は済ませているようだ。
六花、もとい雪女が再び冷気を吐く。その凍えそうな冷たさに柚子たちが縮こまっている間に雪女は滑るようにして玄関から移動し、マンションの廊下から飛び降りて地面へと降り立った。
翼が雪女を見下ろして様子を観察する。雪女は柚子たちを待つかのように立っており、挑戦的な表情でこちらを見上げていた。
「よし」
翼はにやりと笑った。刀を抜いて、大声を張り上げる。
「しばらく大将と副将と忍者でどうにかすっからよ、お前ら手ェあっためとけ!」
翼はそう言うといきなり駆け出した。
「ちょっ……勝手に決めないでよ!」
柚子がそう言いながら大慌てで翼を追いかける。
「まあ、そうするしかないけど……」
涼介はそう言うと、両手に苦無を構えて走り出した。
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