春に溶ける(4)

「うわ? さっきより雪やばい!」

「何これ、吹雪?」

 勝元と沙也香の声が聞こえてきて、柚子は急いで振り向いた。

「あー! やっと来たー!」

 柚子が大声を上げた。涼介と協力して、氷柱を弾きながら全員の足の氷を砕き終えたところだった。

「どれだけ増えても同じことよ……!」

 雪女が唸った。五本もの氷柱の刃が放たれる。

「水行為壬弐急急如律令」

 沙也香が素早く印を結ぶ。

「壬の弐、白波!」

 その瞬間、高い波が雪の中に現れた。白波は氷柱の刃を飲みこむと、そのまま雪女を押し返すようにして流れていった。その隙に勝元が術を唱える。

「火行為丁弐救急如律令、丁の弐、不知火!」

 炎が列になって現れる。勝元は振り向いた。

「お待たせしてすみません」

 椿がしっかりと頭を下げて申し訳なさそうに言う。

「ごめんなさい」

 勝元と沙也香も謝った。

「いいよ、気にしないで」

 柚子は早口に言った。

「俺たちも何もできてねえ」

 翼が悔しそうに言った。

「あの……これで暖房代わりになるか分からないけど……」

 沙也香はそう言うと、急いで印を結んで術を唱えた。

「癸の壱、泡盾!」

 途端に、五人の体が大きな泡に包まれる。すると、次に勝元が術を唱えた。

「丙の壱、螺旋火炎」

 柚子たちの体を包む泡の周りを、炎の渦が覆った。

「あ……ちょっとあったかいよ!」

 柚子はぱあっと顔を輝かせて声を上げた。

「ちょうどいいわ。お湯のようなものだから……足を重点的に温めてください。凍傷になりかけてる」

 あきらが、自分の足を覆っていた氷が溶けていくのを見つめて言った。

「凍傷?」

「何があったんですか?」

「さっきまで足を凍らされてたんだよ」

 素っ頓狂な声を上げた勝元と椿に、翼が答えた。

「濡れた靴や靴下を脱いで、濡れていない布で覆って。袴の内側とかどうかしら。患部はさすったり叩いたりしないように」

「はい」

 柚子たちは、あきらの指示に素直に従った。

「とりあえず大丈夫そうでよかったね……」

 群治郎がホッとしたように言う。

「そうですね」

 柚子は足先を温めるふりをしてそう言った。

「これからどうするつもりですか?」

 あきらが泡盾の中から勝元たちに声をかける。

「私が弓で気を引きます。その隙に、宗くんに彼女を溶かしてもらっていいですか?」

「はい、了解」

 椿の言葉に勝元が素早く頷いたその時、不知火の炎が消えた。怒りに体を震わせる雪女が滑るようにしてこちらに近づいてくるのが見える。

 椿が一本矢を放った。矢は雪女の体に当たる前に冷気によって凍り、雪の上に落ちた。雪女は真っ直ぐに椿を見つめている。弓を持つ椿を一番の脅威と見なしたようだ。それを見て勝元がほくそ笑んだのが分かった。雪女は、こちらに火を操る者がいることにまだ気がついていない。

「そうだ、強化バージョン柚ちゃんは見てないでしょ? よく見ててねー」

「えっ、強化バージョン? どういうこと?」

 柚子は思わず聞き返したが、勝元はニヤッと笑うだけで答えなかった。

 椿が矢を放つ。やはり、矢は途中で凍って落ちてしまった。その間に、勝元が印を結ぶ手に力をこめる。

「火行為丙壱急急如律りょ……」

「やめてくれえーっ!」

 雪女の体を溶かさんと勝元が螺旋火炎を放とうとしたまさにその瞬間、辺りに大声が響き渡った。見れば、雪女の前にあの日盛という青年が立ち塞がっている。

「ちょ、危な……お兄さんどいて!」

 勝元が慌てて言ったが、日盛は首をブンブンと横に振った。

「やめてください……六花は、六花は……俺はとって恩人なんです!」

 日盛がそう言ったその時、柚子たちを包んでいた泡盾が弾けた。

「仕事をクビになって、親からも縁を切られて……俺にはもう何もなかった。そんな時に六花が現れたんだ。妖怪でもいい、触れなくてもいい……六花は俺のことを、ただ認めてくれたんだ。冷え切った俺の心を溶かしてくれた……」

 一同は、息を詰めて日盛を見つめている。すると、雪女はそっと日盛の肩に触れた。

「日盛くん……」

「お、おい六花、溶ける!」

「少しなら大丈夫だから」

 雪女はそう言って微笑むと、日盛から手を離した。

「私も、そんな日盛くんに救われました。こんな私に、愛することを許してくれた……認めてくれた……。私は日盛くんを支えたい。私は、日盛くんの悲しみを断つためなら何でもすると決めたんです」

「六花……」

 雪女と日盛は見つめ合った。あの妖怪と人間の間には確かに絆が存在するのだと、そう悟った柚子は身じろぎ一つできずにいた。仲間たちも同じ思いを抱いていたのだろう。誰も動かない。愛し合う二人を引き裂いてまでして彼女を殺さなければならないのだろうか?

「きゃあっ」

「り、六花!」

 突然雪女が悲鳴を上げた。いつの間にか雪女の元まで駆けつけていたあきらが、勢いよく彼女の体を蹴り飛ばしたからだ。

「何を都合のいいことを」

 あきらは仰向けに倒れた雪女に馬乗りになると、歯を食いしばって唸った。そして、自分を雪女の体から引き離そうとする日盛に向き直る。

「日盛さんと言いましたね。あなたは気の毒ではありますが、同情するまでには至りません。なぜなら罪の意識がないから。あなたたちには、自分たちのために豪雪を降らせて多くの無関係の人間に被害を与えたことに対する反省の色がまったく見えない」

 無表情でまくし立てるあきらに、日盛はたじろいだ。

「ご存知ですか? この雪のせいで鉄道会社は電車の運行を休止せざるを得なくなり、車もまともに走れず、交通機関は多大な被害を受けました。それだけではありません。この雪での死傷者が既に四名出ています。これはすべて雪を降らせた張本人である雪女と、それを止めなかったあなたのせいによるものです」

 日盛は愕然としている。あきらは追い討ちをかけるように続けた。

「我々陰陽師は、人々の生活を脅かす妖怪を滅することを生業としています。この雪女は、人間にとって間違いなく有害な存在。あなたには悪いですが、こうするしか——」

「日盛くん」

 あきらの言葉を遮って、雪女が日盛の名を呼んだ。呆然と自分を見下ろしている日盛の頬に、雪女はそっと手を伸ばす。

「り、六花! 手を……手を離せ!」

 日盛が涙を流しながら叫んだ。雪女の指が、日盛の体温によって溶けていく。あきらの下敷きになっている胴体も、溶け始めていた。

「やめ……やめろ! やめてくれ!」

 日盛は絶叫していた。触れてはいけないはずなのに、自分の体から離そうと無意識に雪女の手首を掴んでしまう。日盛は慌てて手を離した。雪女の腕が溶けてだらりと落ちる。

「ああっ! ああ……ああ……やめろ! 六花……やめろ……!」

 日盛はやがて喉の奥を震わせると、項垂れてしまった。

「やめてくれぇ……」

「日盛くん」

 上半身と顔だけになってしまった雪女が、力なく恋人の名を呼ぶ。日盛はぐしゃぐしゃになった顔を上げた。

「私は負けます。……でも、どうせ溶けるのなら、最期はあなたの熱で溶けたい」

 雪女は、ポツリポツリと呟くように言う。

「……はる、しげく……」

 雪女の声は、次第に薄れていった。ドロドロに溶けた雪の中に、唇のようなものが見える。それは確かに動いていた。唇は五回動くと、グニャリと崩れてなくなった。

 地面に落ちた白い着物が、雪解け水で濡れている。声にならない声を上げて喘いでいた日盛は、やがて嗚咽を漏らして大きな声で泣き始めた。

「……」

 柚子たちは、目の前の光景に圧倒されて、何も言えずにただその場に立ち尽くしていた。



「反省点がいくつかあります。分かりますか?」

 あきらが言った。初めての任務から帰った柚子たちは暖かい服装に着替え、怪我した者は手当てを受けた上で、熱いお茶を飲んで芯から冷えきった体を温めていたところだった。柚子と翼と涼介、それから群治郎はお湯の入った桶の中に足を入れている。つい先程まであきらもそうしていたが、今はもうやめて立ち上がっていた。

「パートナーと分かれたこと……」

 翼が呟いた。

「そうです。接近戦を得意とする三人が向かっても、接近できないのであればそれは何の意味もありません。あなたたちはなぜペアを組んだのか、覚えていますか?」

「はい……」

 一同は縮こまった。

「それに伴ってもう一つ、重大な問題がありますね」

「……防寒を怠ったことですね」

 椿が言うと、あきらは重々しく頷いた。

「これほどの雪なのだから、凍えるほど寒いことは想像に難くありません。まあ、仕方のない点もあったでしょう。ですが、防寒具が必要であること自体は分かっていたはず。特に勝元と沙也香と椿!」

 あきらはそう言って、三人を鋭く睨みつける。勝元たちは飛び上がった。

「あなたたちの武器は指と、それから口です。しっかり管理しなさい。繊細な動きが必要となるのだから、常に万全の状態を維持しておかなければいけません。必ずしも万端に準備できるということはないでしょうが、想像しうることに関してはそのための対策が必要です」

「はい……」

 一同は更に小さくなった。

「そしてもう一つ」

 既に険しかったあきらの表情が、一層曇った。

「情を利用して騙し、惑わせるのは妖怪の本分です。隙を見せてはいけない。……たとえもし本心だったとしても、それは偶然です。妖怪の言うことは一切信じないように」

 柚子は思わず息を呑んだ。あきらの視線は、真っ直ぐ柚子に向けられている。

「先程も言った通り、私たちの仕事は人々の平和を脅かす妖怪を狩ること。もう分かったとは思いますが、気持ちのいい任務ばかりではありません。今回は少々レアなケースでしたが、それを肝に命じておいてください」

 柚子たちは黙っていた。初めての正式な任務だというのに、後味の悪いものになってしまった。だが、ここで傷ついていたら陰陽師など務まらないのだろう。

「陰陽師は、必ずしも正義のヒーローってわけじゃないからね」

 群治郎がそう言って、茶を啜った。

「日盛さんに関しては、とりあえずあなたたちが気にすることはありません。陰陽団は、妖怪に傷つけられた者のアフターケアも行います。まあ、彼にショックを与えたのは主に私ですが」

 あきらは毅然としてそう言うと、ぐるっと柚子たちを見渡した。

「初めてですから、課題があるのは当然。今後に生かしていきましょう。今回のこの三つの問題点は、どんな任務にも共通することです」

「はい」

「繰り返します。最低でもパートナーとは常に共に行動すること。万全の状態で戦えるよう準備を怠らないこと。そして、妖怪の言葉に惑わされないこと。いいですね?」

「はい」

 暗い面持ちで返事をする一同を見て、あきらは溜息をついた。

「それでは、今日は解散。ゆっくり体を温めて、落ち着いたら帰宅してください。それでは」

 あきらはそう言うと、素早く部屋から出ていった。柚子はその姿を目で追ってから、そっと目を伏せた。

 あきらが自分のことを一切信用していないということが分かった。白面金毛の娘の過去の所業を考えれば、当然のことだろうと思う。ただ、酷く惨めな気分だった。

「よっこいしょ……それじゃみんな」

 足を拭いて立ち上がった群治郎が、一同に声をかける。

「誰だって失敗はあるし、そんなに落ちこまなくていいからね。次頑張ろう、次」

 群治郎はそう言うと、桶を持って部屋から出ていった。

「……妖怪でも、本当に心から人を愛することがあるのね」

 椿が疲れきった声で言う。柚子は顔を上げた。

「そういった物語はいくつも読んだけど、いざそういう妖怪を見たら何もできなくなってしまった……」

 椿は悔しそうに言った。自分を責めているようだった。

「まあ、気にすんなよ」

 翼がそう言って、椿の肩を叩く。

「俺もビビったし……」

「獣と同じようなものだな。人間の尺度で危険度を判断して、必要な場合は殺す。人間が人間にとって豊かな生活を送るために……」

 涼介も、考えながら慎重に言った。椿はすうっと息を吸った。

「そうね……」

「人間にとって、ね……」

 柚子が呟く。勝元が自分の方を見ているのが分かった。

 妖怪として生きるつもりなんて毛頭ない。陰陽師になったのだ。人間として、人間のために妖怪を狩ると決めた。その覚悟はできている。

「よかったー。もうだいぶあったかくなってきたよ」

 勝元が立ち上がって、窓際まで歩いていった。窓の向こうを眺めながら、ホッとした口調で言う。それを見た椿も、穏やかな声で言った。

「……春ね」

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