春に溶ける(1)

「……というわけで、これ以上は安全に研修旅行を続けられないと判断して中止を申し出た次第です」

 あきらは、つい昨日の出来事を真顔で淡々と八郎に報告しているところだった。八郎は威圧感のあるあきらの無表情を物ともせずに、頬杖をついて黙っている。たっぷり一分を置いてから、八郎はゆっくりと口を開いた。

「柚子くんが施設に入ったことで僕の張った結界が破れてしまったんだろう。だから付喪神たちも中に入りこめた。……なんにせよ、大変だったねえ。ご苦労様」

 八郎は重々しい顔をしてそう言ったかと思えば、パッと表情を変えた。

「それにしても、七瀬くんと桜庭くんの報告も聞いたよ! 今年の新人たちは優秀だねえ。ペアもあれで決定でいいんだね?」

 八郎の嬉しそうな声に、あきらは頷く。

「……問題ないと思います。二人から聞いただけですが、ある程度の連携が取れていたようなので」

「いいねえ。それじゃ、みんなが集合したら予定通りペアを発表しよう。団服と免許証の支給も頼むよ」

「かしこまりました」

 返事をするあきらの表情を見て、八郎はピクリと眉を動かした。

「何か問題でもあるのかい?」

 八郎の質問に、あきらはおおげさに溜息をつく。

「……柚子の正体を隠すことに、既に限界を感じています」

 あきらは顔をしかめた。

「何か、対策を考えないと……」

 あきらの呟きに、八郎は肩をすくめた。

「正直、永遠に隠し通せるなんて思ってないよ」

「は……?」

 あきらは八郎の言葉を聞いて絶句した。

「他の団員に知られたらとんでもないことに……」

「それは分かってるよ。だから、タイミングは重要だよねえ」

 慌てふためくあきらとは対照的に、八郎は至って冷静だ。

「とりあえず、現状維持だ。それじゃ、僕も後で行くから、先にみんなに適当に説明を頼むよ」

「適当に」

 八郎の言葉に、あきらは無感情に繰り返した。八郎がニッコリと笑って頷く。あきらは呆れたようにぐるっと目を回した。

「……承知しました。それでは、失礼いたします」

 八郎の無茶振りには慣れている。決して慣れたいわけではないのだが。あきらは苛立ちを隠さずに挨拶をすると、立ち上がって八郎の部屋を出て襖を閉めた。

 部屋を出て溜息をつく。もう、この二日間でどれだけ溜息をついたか分からない。溜息をつくと幸せが逃げていくとはよく言ったものだが、そんなことを言われてもそもそも幸せなんてものは始めからないので知ったことではない。

「……ん?」

 あきらは目を凝らした。目の前で、白くモヤモヤしたものが浮いている。今しがた吐いた息が外の空気によって急激に冷やされて、細かな水滴となっているのだ。

 そういえば、今日は妙に寒い。ここしばらくは暖かい日と寒い日が交互にやってきていたが、今日はまるで真冬のような寒さだ。

 近くの窓に目をやる。すると、窓ガラスが結露していることに気がつき、あきらは慌てて窓を開けた。そして、外の様子を見て素っ頓狂な声を上げる。

「……雪?」



 季節外れの雪が降りしきる中、本日から陰陽師となることが正式に決まった六人の高校生たちは陰陽団基地東京支部へと集合した。全員、五月の上旬とは思えないような服装に身を包んでいる。

「さーむ……」

 柚子が自分で自分の体を抱きしめながら言う。

「五月に雪て。山?」

 勝元もぶるぶると震えながら呟いた。

「寒い時は暑いって言えば多少ましになるって兄ちゃん言うけど……馬鹿としか思えん……」

 沙也香は机に突っ伏して、唇を紫色にして言う。

「むしろ冬でも東京じゃこんなに降らないって言うのに……」

 椿が窓の方を見ながら言った。

「……冬眠しそう……」

 涼介は今にも眠りにつきそうな勢いだ。

「暖房ついてんのかよ?」

 翼が叫ぶ。

「今つけたばかりです」

 そう言いながら、あきらが部屋に入ってきた。一同は静かになって前を向いた。あきらは教卓の元までやってくると、柚子たち全員を見回した。

「では、改めて。昨日までの研修旅行、お疲れ様でした。予想外のアクシデントもありましたが、よく乗り切りました。今後のあなたたちにはとても期待しています」

 あきらは口調こそ厳しかったが、その声色にはどこか温かみを感じた。きっと五人に対しては本心からの言葉なのだろうと柚子は思った。彼女が自分に対してどう思っているのかはまったく分からなかったが。

「本来ならば三日目に実戦、四日目にテストを行う予定でしたが、安全性の問題、それからあの戦いがそれを兼ねたということで旅行は中止となりました。あの妖怪たちが何のためにどこから現れたのかは現在もまだ調査中です」

 あきらは平然として言った。柚子はじっとあきらを見つめた。

「あなたたちを不安にさせて申し訳ないけど……新人の陰陽師を狙ってやってきたのかもしれません。若い芽を潰そうとしたのかも」

 勝元が一瞬変な顔をした。「上手く誤魔化したな」とでも思っているに違いない。

「もちろん、そんなことは私たちが許しません。ですが、これからは自分で自分の身を守れるよう、もっと強くなってください」

 あきらはしっかりとした口調でそう言った。

「皆さん全員、今日から正式に陰陽師です。よろしくお願いします」

「よろしくお願いします」

 あきらが礼儀正しく頭を下げる。一同は緊張気味に返した。

「……では、今からペアを発表します。それぞれの能力を考慮しての判断です。また、五人の戦いぶりを桐真と和泉から聞いて参考にしました」

 あきらはそう言うと、一呼吸置いてから続けた。

「まず一組目。天野沙也香、一橋翼」

 名を呼ばれた沙也香は、驚いたように目を見開いた。そして、翼の方を見る。

「おー、よろしくな」

 翼が呑気に言う。

「……うん。よろしく」

 沙也香はやはり柚子とパートナーになれなかったからかちょっぴり残念そうだったが、小さく笑みを浮かべて頷いた。

「二人は特に連携が取れていたと聞きました。沙也香は機転が効くようですね。刀と五行の術で前衛後衛の相性もいいので、問題なく決定です。これからも頑張ってください」

「はい」

 二人が返事する。あきらは続けた。

「二組目。一橋椿、都涼介」

「都くん、よろしくお願いします」

 椿は涼介とペアを組むことになると予想していたのか、特に驚く様子もなくそう言った。

「うん。よろしく」

 涼介も返す。

「二人も前衛と後衛の相性がいいですね。昨日の戦いでは、涼介が椿の矢を拾ったと聞きました。一番隙を作らずに椿のサポートができるのは涼介でしょう。これからもっと連携が取れるよう訓練してください」

「はい」

 二人は真面目に返した。

「三組目。宗勝元、藤原柚子」

 柚子と勝元は顔を見合わせた。一ヶ月ほど前から知っていたので何の感情も湧いてこないが、ここは八郎に言われていた通り上手くやり過ごさなければ。

「……よろしく」

 柚子は無難にそう言った。

「よろしくねー」

 勝元もいつも通りの笑顔で言う。

「柚子と勝元も相性がいいです。柚子は昨日あの場にいませんでしたが、二人は陰陽師になる前に協力して二体……恐らく実際は三体の妖怪を討伐しているという前科があるので問題はないと考えています」

「前科って……」

 柚子は口元を引き攣らせた。化け狐に関しては、柚子が一人で殺したので換算されていない。

「ばれてる」

 勝元が無念そうに言った。

「そんなに倒してたのか?」

 涼介がびっくりしたように言った。

「それでは、これから団服を支給するので男女別に部屋を移動してください。装備品があれば、それもすべて着用してもらいます。男子は隣の部屋、女子はその隣の部屋です」

 柚子たちは、あきらの指示通りに動き始めた。



 三十分ほどして、柚子たちは寒さを堪えながら支給された団服に着替え、その上にそれぞれ必要なものを身につけて部屋に戻ってきた。基本の装備は白衣びゃくえと紺色の袴だ。一般的な着物より袖が少し小さく、多少動きやすいようにできている。一見すると弓道着を着用しているような姿だが、特殊な繊維でできており、低級の妖怪の攻撃なら耐えることができるらしい。

 柚子は腰の左側にパスケースのようなものをつけていた。そこには門の札が収納されている。いちいちどこかにしまいこんだ札を取り出す手間を省くためのものだ。

 勝元や沙也香は特に変わった装備はなく、白衣と袴のみを着用している。翼も、帯刀している以外に変わったところはない。

 椿は胸当てと弽の他に、矢を入れた大きな筒状のホルダーを左肩に担いでいた。先の戦いで五本だと少ないと考えたのか、矢は六本入っている。これ以上常備したら重くて素早く動けないと判断したようだ。また、右肩には梓弓の入った黒い弓袋を持っていた。

 一方、涼介の出で立ちは他のメンバーとは少し異なっていた。腰には以前と同じように苦無を装備している。両手には黒い指貫グローブがはめられ、右手の甲には手甲鉤が、左手首には手裏剣が収納されている。手裏剣の装備場所が変わったようだ。そして、それらの装備品を目立たないようにするためか、白衣と袴の上に濃い色の羽織を着ていた。

 部屋に戻ると、六人は陰陽師免許証を受け取った。これを持ち歩いていることで、現時点で柚子たちが花隊所属の智陰陽師であるという身分証明になる。免許証には文字以外に、入団希望の手続きの際に提出した顔写真と桃の花らしきシルエットがうっすらとプリントされていた。この模様は所属の隊によって変わるらしい。

「やあ、みんな調子はどうかな」

 八郎が部屋に入ってきた。衣装や免許証を見せ合っていた智陰陽師たちが前を向く。

「それが基本の装備ってことだね。様になってるよ」

 八郎は軽く笑いながら言った。

「今日から君たちは花隊所属の智陰陽師だ。よろしくね」

 八郎はそう言うと、柚子たちを歓迎するように満面の笑みを浮かべた。

「これからしばらくの間は、勤務時間中に座学を受けてもらうよ。座学以外の時間はそれぞれ訓練。パートナーや他の仲間たちと一緒にやってもいい。たまに先輩陰陽師と顔合わせの時間を作るから、上手く行けば誰かに師事するのもいいね。その辺は自由だ」

 柚子は、あきらに貰ったメモに剣術において何かあれば八郎に聞くように書かれていたことを思い出した。八郎が師となってくれるのだろうか?

「勤務時間内に簡単な任務が発生したら、最初のうちは先輩陰陽師と共に出動してもらうよ。基本赤塚くんと高杉くんが一緒かな。昨日みたいにいきなり三人の妖怪と戦うことになる、ってことは極力ないようにするので安心してねえ」

 八郎はのんびりとした口調で続けた。

「陰陽師の仕事として、パトロールのようなことをすることはほとんどない。妖怪は探せば見つかるってものでもないからねえ。基本は通報待ち。でもみんなも知っている通り陰陽団は知名度が低いから、妖怪の気配を感知できる者が必要とされる」

「そんなのいるんすか?」

 翼が質問した。八郎が頷く。

「あんまりいないけどね。でも、他でもない僕がそうさ」

 八郎の言葉に、一同は驚いた声を上げた。

「山川家に受け継がれる能力は戦いに向いていない。その代わり、団員たちをサポートする力に長けている。僕の家系が代々団長を務めているのは、そういう理由もあるんだよ」

 八郎はそう言ってニヤッと笑った。

「さて。今から座学の時間……と言いたいところだけど」

 八郎はそう言うと、窓の方に歩いていった。そして、相変わらず降り続けている雪を見つめる。

「寒いねえ。新葉区の一部だけで季節外れの大雪が降っている。異常気象だよ」

 八郎は意味ありげな口調でそう言うと、新人陰陽師たちの方を向いた。

「十中八九、雪女の仕業だね。さあ、君たちの最初の仕事だ」

「雪女?」

 柚子は仰天して声を上げた。昔話で知っていた架空の生き物が実在するということを改めて思い知らされると、なんだか不思議な気分になる。

「そう」

 八郎は頷いた。

「まだ白面金毛の話くらいしか聞いてなくて雪女の倒し方は知らないだろうから、僕が教えてあげよう。簡単だよ。雪女の体はその名の通り雪でできている。だから溶かせる」

 柚子は目をぱちくりと瞬いた。そんなに簡単なの?

「もちろん、溶けてくださいって言ってもハイ分かりましたとはなってくれないだろうね。雪女はこうやって局地的に雪を降らせられるし、他にも冷気を操ることができる。そこの辺は君たちの力で上手くやるんだ」

 一同は真剣な表情になった。それを見て八郎は笑う。

「三体の付喪神を倒した君たちならきっとできるさ。雪女の大体の居場所は掴んである。それじゃ、行ってらっしゃい」

 八郎はそう言って、陽気に手を振った。

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