愉しい旅行(7)
「それじゃ、本体は木材と金属でできてるってことでいいすかね?」
勝元はそう声を張り上げると、火ノ壁が消える前に違う印を結び始めた。
「火行為丙壱急急如律令……」
沙也香にやられっ放しでは情けない。これでもプライドはあるのだ。勝元は声に力をこめた。
「丙の壱、螺旋火炎・
瞬間、炎が渦巻いて伐丸の体を覆い尽くした。火の渦は、なんと一つではない。二つの螺旋火炎が、伐丸を燃やし尽くそうと交差するように轟々と回転している。
「あっああああ、あっちぃ! あああ!」
伐丸が絶叫する。刈丸と叩丸もその様子を見て息を呑んだ。やがて、強化された二つの螺旋火炎が消えると、胸元から上が焼け爛れてドロリと溶けている伐丸の姿が見えた。
「うわ! グロ!」
「きめえ!」
自分で攻撃をしておきながら勝元が叫ぶ。翼も大声を上げた。
「あああ……あちい……あちいよォ……」
伐丸はそう呻きながら、まだ溶けていない手でドロドロに溶けた顔を触った。その顔が焼けるように熱かったのか、伐丸は再び苦痛の声を上げる。
次に椿が動いた。現在彼女の手元に残っている矢はあと三本だけ。本当は床に落ちている矢を回収しに行きたいところだが、迂闊に動いても彼らに攻撃の隙を与えてしまうだけだろう。それよりも、まずは確実に伐丸を討つ!
椿は素早く矢を番えると、伐丸の横腹を狙って弓を引いた。
「うがぁ!」
伐丸が叫んだ。顔が溶けて目が見えなくなっているために、周囲からの攻撃を防げずにいる。椿は急いで次の矢を準備した。
「この野郎……」
刈丸が動いた。素早く桐真が反応し、前に出て刈丸の鎌を刀で防ぐ。鎌は弾かれ、遠くへ飛んでいった。
「クソ!」
椿がもう一度矢を放つ。狙い通り、矢は伐丸の横腹に刺さった。伐丸が痛みに悶えながら絶叫する。椿は必死の形相で最後の一本を
椿の放った矢は、真っ直ぐに飛び、伐丸の横腹に刺さった二本の矢のちょうど中間に食いこんだ。
「ぐあっ! アアアアッ……」
伐丸は最期に喉の奥から苦しそうな声を上げ、グルッと回転してからその場に倒れた。最後の最後で人間に化ける余裕がなくなったのか、そこに伐丸の姿はなく、床には刃がドロドロに溶けた斧が落ちていた。
「よっしゃぁあこのまま行くぞ!」
翼が刀を構えて前線に向かった。それを追いかけるように涼介が駆け出す。
「伐丸の仇……!」
「許さねえ!」
叩丸が怒り狂いながらこちらへと向かってくる。叩丸は刈丸の体を足場にして大きく飛び上がった。それを見た涼介は残りの二枚の手裏剣を手に持つと、叩丸の目を狙って投げつけた。
「うわああ! 目が、目がぁー!」
叩丸は宙に浮かびながら血の涙を流して叫んだ。
「おい!」
刈丸が声を上げて、叩丸の体が落ちないようにその下へと滑りこむ。その隙に涼介はちょうど近くに落ちていた椿の矢を一本持って仲間たちの元へ戻った。
「一橋くんそこにいて!
沙也香が大声を上げる。
「え? お、おう」
「癸の参、滝登り!」
沙也香の結んだ印によって、翼の足元から勢いよく水が噴出した。水は翼の体を押し上げて上昇していく。その姿は、さながら龍になるための厳しい試練を乗り越えようと滝を登っていく鯉のようだ。
「届くぜ!」
翼はニヤッと笑った。無事に刈丸の上に着地し、肩車されているような状態で目に刺さった手裏剣を抜いて痛みに悶える叩丸の腹部へ、迷いなく刀を突き立てる。
どさりと叩丸の体が落ちた。刈丸の悲痛な声が響く。ゆっくりと勢いを弱めていく水と共に翼が戻ってくる。その背後から、鎌を取り戻した刈丸が叫びながら大きく振りかぶってきた。
桐真が慌てて飛び出し、再び刈丸の攻撃を弾こうとした。しかし、刈丸はにやりと笑って桐真の刀を避けた。
「あっ……」
桐真が気の抜けた声を上げた。刈丸は素早く体を捻らせて方向転換すると、横から桐真の体を引き裂こうと鎌に力をこめた。
「ふんッ」
あきらが、若い男性の体を思いきり蹴り上げる。
「……」
群治郎は、目を逸らして若い女性と小さな女の子を銃で撃った。
攻撃された人々の体が煙のようにかき消え、幻術でそれぞれ二人にとって馴染みのある風景と化していた森が本来の姿を現した。あきらが溜息をつく。
「
群治郎が怒ったような声で呟いた。
あきらは口を開いて何かを言おうとしたが、ドサドサと何か複数のものが落ちた音がして二人は同時に前を向いた。目の前にそびえ立つ高い木から、体を二等分に切り裂かれた妖怪が落ちてきたようだった。
あきらと群治郎は顔を見合わせた。再び何かが地面の上に落ちる音がする。二人はもう一度前を見た。予想通りと言うべきか、天叢雲剣を持った柚子が木の上から降りてきて華麗に着地を決めたところだった。
「……」
あきらが何とも言えない表情を浮かべる。
「柚子ちゃん……また……」
群治郎の声に気付いた柚子が、振り向いた。
「あっ! あきらさんとぐっさん!」
柚子は笑顔で二人を呼んだが、その目は酷く腫れている。
「倒しました! 篠笛の付喪神です」
柚子は異様なほど明るい声でそう言って、バラバラになった妖怪を指差した。あきらと群治郎は黙っていた。
「今向こうに三体妖怪がいるそうです。私、先に行ってますね」
柚子は早口に言うと、くるりと踵を返した。群治郎が「え?」と声を上げる。
「どういうこと?」
あきらも慌てて尋ねた。今にも走り出そうとしていた柚子は、顔だけ振り向いて口を開いた。
「こいつが、三人の弟を施設に向かわせたって言ってたんです。早く行かないとやばいかも」
柚子は早口に言うと、前を向いて凄まじいスピードで駆け出した。柚子の姿はすぐに見えなくなった。
「……」
あきらはもう一度大きな溜息をつくと、妖怪の死体に近づいた。膝を地面についてその姿をよく観察する。
「……妖怪としての力を解き放つと、グロテスクな殺し方も厭わないようになるのかしら。化け狐にびびってた時と同一人物だとは思えないわね」
あきらが嫌味っぽく言う。群治郎はよっこいしょと声を上げながらその隣にしゃがみこんだ。
「そりゃ、武器は剣だからな。こうなるだろ」
群治郎は奏丸をじっと見つめて呟いた。
「それはそうだけど」
あきらはぶっきらぼうに返して立ち上がった。
「ま……確かに、妖怪だって自覚がなかった頃よりグロ耐性がついてる可能性はあるかもな。大体みんな徐々に慣れてくもんだけど、既に抵抗なさそうだし」
群治郎もそう言いながら立ち上がった。
「そう言いたかったの」
「ほんとかぁ?」
あきらの言葉に群治郎は呆れたように返したが、ギロリと睨みつけられて押し黙った。
「……急ぐわよ」
あきらが鋭い目つきで言う。
「おう」
群治郎は頷いた。
割れた窓から何かが入ってきた。それは瞬時に状況を理解し、窓枠から飛び降りると、重そうな剣で目の前にいる刈丸の首を斬り飛ばした。
「……え?」
今にも殺されそうだったということと助けられたのだということを同時に悟った桐真は、情けない声を上げた。
「うわー、間に合ってよかったぁあー!」
顔を真っ青にして声を上げる柚子が視界に映る。桐真はしばらくポカンとしていたが、次の瞬間、ギュッと柚子を抱きしめた。
「あー! 助かったわ柚子ありがとうーっ!」
柚子が驚いて声も出さずに目を瞬いていると、桐真はハッとして慌てて手を離した。
「やだ、セクハラになっちゃうわね。ごめんなさい!」
柚子はまだ驚いていたが、やがて吹き出した。
「全然大丈夫です。無事でよかった!」
「ほんとよー!」
桐真はそう言うと、柚子の言葉に甘えることにしたのか、もう一度柚子を抱きしめた。
「マ……マジで死ぬかと思ったぜ……」
翼が荒い息を吐きながら言った。
「二人がかりで襲ってきた時は俺も死を覚悟したね……」
翼に感化されたのか、勝元もしみじみと言う。
「……生きてる……」
涼介がそう呟いて、胸元に手を当てた。
「よかったぁ。柚子も無事で……」
沙也香もそう言って脱力している。
「こ……怖かったわ……」
椿も正直な気持ちを吐露して、沙也香の体に寄りかかった。沙也香もそれに応える。
「桐真……っ」
和泉が、涙を滲ませて掠れた声でパートナーの名を呼ぶ。桐真は力なく微笑むと、柚子を抱きしめたまま片腕を広げた。和泉は弾かれたように駆け出して二人に抱きついた。
「ほんと……ほんとにみんな無事でよかった……!」
「よかったよぉー……」
柚子もホッとしたようにそう言った。椿は顔を上げると、柚子の方を見た。
「柚子、い……一体何があったの……?」
椿がおずおずと尋ねる。
「あ……えと、なんか妖怪に攫われちゃって。あきらさんとぐっさんが助けてくれたから平気。二人も後から来るよ」
柚子はそう言って微笑んだ。
「みんな、よく頑張ったわよ! 本当に!」
桐真はそう言うと、柚子の頭を何度も撫でた。柚子は一瞬目を丸くしたが、髪がボサボサになっても嫌がる素振りは見せなかった。
「普段前線に出ない陰陽師なんて頼りなかったでしょ……ごめんなさいね。本当によくやったわ。まだ正式に陰陽師になったわけでもないのに、同時に三体と戦って……」
桐真は柚子を放すと、壊れたテーブルや椅子が散乱した食堂を見回した。溶けた斧の姿に戻ってしまった伐丸に、目が潰れたまま絶命している叩丸、それから刈丸の頭と体がそれぞれ別に床に落ちている。
「……柚子も、頑張ったんでしょう?」
桐真の声に、柚子は黙って笑顔を浮かべた。その瞳は、微かに潤んでいる。
「全員すごいわ! 生きててよかった!」
「よかったー!」
桐真に続いて、和泉も叫んだ。
「……」
窓の外から、遅れてやってきたあきらと群治郎が食堂の中を見つめている。二人は困惑したように一同を眺めていたが、やがて群治郎が疲れたように口を開いた。
「なあ……もう実戦とかテストとかいいから、中止にしてさっさと帰ろうぜ」
群治郎の言葉に、あきらは何度目か分からない溜息をついた。今後のことを考えると、頭が痛くなってくる。あきらは額を押さえて呟いた。
「柚子の正体を隠し通せるかどうか、今から不安しかないわ……」
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