壱
私はあんたとは違う(1)
あの最低最悪な一日が金曜日でよかった、と柚子は思った。おかげで学校を休むのは三日間だけで済んだ。
まだ何もかもが片付いたわけではないが、大体のことは終わった。クラスメイトのうち沙也香にだけ母親が死んだということを告げて学校を忌引で休んでいた柚子は、精神的にも時間的にも今日ようやく登校する余裕ができ始めたのだった。
「柚子。大丈夫?」
「うん。ごめんね心配かけて。思ってたよりずっと平気」
久しぶりに学校にやってきた柚子に、沙也香は慌てて近づいてきた。今日は登校するという連絡をしていなかったので、沙也香はかなり驚いているようだった。沙也香以外のクラスメイトたちも理由は知らずとも心配してくれていたようで、柚子は風邪を引いていたということにしてみんなに元気に挨拶を返した。
「……」
沙也香は黙って柚子を見つめていた。柚子は何も言いたくなかったが、そういうわけにもいかないだろうと思い、口を開いた。
「……大丈夫じゃないけど大丈夫だよ」
それだけ言うと、柚子は席についた。沙也香は柚子を見て唇を噛みしめている。沙也香にそんな顔をしてほしくはなかった。彼女は悪くないのだから。
「……あのさ、ちょっと真面目な話したいんだけど、放課後いい?」
柚子が言う。沙也香は真剣な表情で頷いた。
放課後になると、柚子は教室から人がいなくなるのを待った。まだ新入生は部活動が始まっていないため、教室に残ってだらだらと友達と話している生徒も何人かいたが、ホームルームが終わって三十分ほど経った頃にはみんな教室を出て家へ帰っていった。
西日が差しこんでいる教室の中は電気を消しても問題なさそうなくらいには明るい。柚子は黙って窓の外を眺めていた。どこからかジョギングをしている生徒たちの掛け声が聞こえてくる。いいなあ。柚子はそう思った。私はもう、人前では本気で体を動かせないんだもんな。
沙也香の視線を感じた柚子は、思いきって振り向いた。沙也香は隣の席に座って、柚子が口を開くのをずっと待っていた。
「沙也香、妖怪の存在って信じてる?」
「え?」
唐突な柚子の質問に、沙也香は面食らったような顔をした。
「妖怪って、ほんとにいるんだって。だってっていうか、私も見たんだけどさ」
というか私も妖怪なんですけどね。柚子は心の中でせせら笑った。沙也香は、何も言わずに柚子の話を聞いている。
「私のお母さんね、妖怪に殺されたの」
沙也香が息を吸う音が聞こえた。
「今でも信じられないんだけどさ……でも目の前で見たし、事実なんだよね……その瞬間は、見てなかったけど……」
柚子は、流れてきた涙を大急ぎで拭った。あの時リビングに戻ってから電話をかけていれば母親は死なずに済んだのではないかと、柚子は毎日そう思い返しては泣いていた。
「それで私、妖怪がほんとに許せなくて」
柚子は震える声で言うと、深呼吸をしてから、沙也香を真っ直ぐに見つめて続けた。
「陰陽師になることにしたの」
柚子の言葉に、沙也香は大きく目を見開いた。それから、小さく口を開けたまま小刻みに何度も頷く。
「ざっくり言うと、妖怪を倒す人ね。まだ詳しい説明は受けてないんだけど、訓練とかも近いうちに始まるみたい。もちろん学校には普通に来るし、沙也香とも今まで通り一緒にいたいと思ってるから……よろしくね。その、沙也香がよければ、だけど……」
柚子の声が、次第に小さくなっていく。柚子は沙也香の表情を盗み見た。沙也香はポカンとしている。
「一緒にいたくなくなるなんて思うわけないじゃん。え……何言ってるの?」
柚子は沙也香の反応を見てホッとしたように小さく笑い声を上げた。よかった。……よかった。
「あは……だって、なんか胡散臭いじゃん、陰陽師って。信じてもらえるかな、って思って……」
「はは、まあ言いたいことは分かる。でも聞いたことあるよ、そういう職業があるっていうのは」
沙也香はいつも通りの顔でそう言うと、腕を組んだ。
「確かにそういうのは信じてなかったけどね。……でも、柚子がそんな嘘をつく意味なんてないでしょ。信じるよ」
沙也香の言葉に、柚子は微笑んだ。
「ありがとう」
柚子の心からの言葉は、沙也香にも届いたようだった。柚子の顔を見て、沙也香も微笑んだ。
「あ、そうだ」
柚子はあることを思い出して声を上げた。
「陰陽団の寮に住むことになったから、行き帰り別になっちゃうんだけど……」
柚子がそう言うと、沙也香は柚子にぐっと近づいて肩を力強く抱いた。
「私もやる!」
「え?」
柚子が目を瞬く。
「私も陰陽師やるよ!」
「ええっ?」
柚子は大声を上げた。
「ちょ、ちょっと待って、そんな急に決められるもんじゃなくない?」
柚子が慌ててそう言うと、沙也香は激しく首を横に振った。
「大丈夫。知ってるでしょ、兄ちゃん大して厳しくないから。私は柚子と一緒にいたいの」
沙也香は、両親が仕事で忙しく現在は二人とも海外に住んでいるため、社会人の兄と二人暮らしをしている。沙也香の気持ちは嬉しかったが、柚子は戸惑いを隠せなかった。
「な、なんか私が無理矢理させたみたいじゃない……?」
「違うよ、私がやりたいの。気にしないでよ。私、柚子と一緒に頑張りたいだけなんだから」
沙也香の強い口調に、柚子はそれ以上は何も言い返さなかった。
「うん、分かった……ありがとう。私も沙也香がいるならもっと頑張れると思う」
柚子はそう言って、沙也香に微笑みかけた。沙也香も嬉しそうにニッコリと笑う。
「私、ずっと柚子と一緒にいるから」
「嬉しいけどそれやばい人に聞こえる」
柚子はからかうように言った。
「え! ごめんそんなつもりじゃないよ」
沙也香が慌てて大きな声を上げる。
「分かってるって。慰めてくれてるんでしょ」
柚子はそう言うと、少しだけすっきりとした表情で立ち上がった。沙也香も立ち上がって自分の席まで向かい、鞄を取り出して帰る準備をしながら声をかけてくる。
「もう寮に引っ越してるの?」
「うん」
「そっか。陰陽師になるなら必ず寮に住まなきゃいけないの?」
「うーん、多分強制じゃないと思う……」
柚子は引っ越した際に八郎と話したことを思い出しながら言った。確か、群治郎は家から通っていると言っていた気がする。
「寮ってどこにあるの?」
「わりと近いよ。歩いて来れる距離」
柚子の答えに、沙也香は目を丸くした。
「そうなんだ! 全然違うところにあるのかと思ってた。へー、私も引っ越したいな……その方が楽だし、一緒に登下校できるし……」
「……沙也香がいてくれたら私も嬉しいな。無理にとは言わないけどさ」
「……うん。とりあえず兄ちゃんに言ってみる。……じゃあ、今一緒に帰れるのは駅までか」
沙也香が寂しげに言う。
「うん、そうだね」
柚子はそう返して沙也香の方へ向かうと、黒板の横にある教室の鍵を持って廊下に出た。
「窓全部閉まってる?」
柚子が問う。
「うん、閉まってる」
「おっけ」
沙也香が教室を出たのを確認して、柚子は教室の鍵を閉めた。すると、沙也香が朗らかな声で話しかけてきた。
「ね、柚子、ちょっと寄り道しない?」
「あー……」
沙也香の言葉を聞いて、柚子は少し考えた。
「うん。なんか甘いもの食べたい!」
柚子は無理矢理明るい声を出した。沙也香に久しぶりに会って、真面目な話をして気持ちを分かち合って、ほんの少し元気が出た。あともうちょっとだけ、親友と楽しい時間を過ごしてパワーを貰いたい。それくらい許されるはずだ。
「いいねー。私奢るよ」
「えー。悪いよー。ごちそうさまでーす」
「どっちだよ」
そう言って、柚子と沙也香は笑い合った。これからも沙也香と一緒にいられるなら、きっと私は大丈夫だ。どうにかなる。
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