宇宙開発

 管制室の空気はピンと張り詰めていた。針の落ちる音まで聞こえそうな静けさの中で、南原たちと島本の視線がぶつかり合う。


「君たちの敵は私じゃない」

 島本は両手を挙げたまま、ふらふらと後ずさりを始めた。管制卓をするりとかわすようにして、管制室の広いところへ出る。


「動くな!」

 銃を構える南原の声が響き、緊張感が一段と増す。


「ある発明家は言った」

 中央の大型スクリーンを背にした島本は、酔っ払った海賊のような仕草で軽口を言い始めた。管制室中央の緩やかな階段を、ゆっくりと後ろへ降りていく。


 南原は、島本との距離を一定に保ったまま、管制室の階段を一歩一歩進む。照準を覗く目つきは鋭く、銃口の狙う先は変わっていない。引き金には指がかけられている。


 管制室にいる誰もが、二人に注目した。


「昨日の夢は、今日の希望であり――」

 島本は通信担当の卓まで進むと、何食わぬ顔でコンソールに軽く腰掛けた。後ろに回した左手でキーボードに手を掛ける。


「明日の現実である、と……」

 島本はエンターキーを押し込んだ。




『回線が開いた!』


 レンの声に続いて、エリは通信状態を確認する。

『筑波との通信を確保! ISSとの通信も安定!』


 コースケの手元のコンソールにも『Online』の文字が表示された。全ての準備は整った。


 コースケは、シャトルにいるエリとレンを順番に見てアイコンタクトをする。そして、指をエンターキーに振り下ろした。その時、コンソールの画面が青一色に染まった。


『WinosOS:VISTAに更新しますか?』

 機械的な青に浮かぶ真っ白な文字で、コンピューターは問いかける。サーバーがパブリックネットワークに接続されたことで、OSのアップデートを勧めてきたのだ。


『『ストップ!』』

 瞬間的に反応したエリとレンは、大慌てでコースケを制止した。間一髪、その指はもう少しでエンターキーに触れるところだった。


 画面には『更新・後にする』の2つの選択肢が出現している。


 ここまで緊迫したOSのアップデートは初めてだった。コースケは緊張で手を震わせながら、キーボード下のトラックパッドを操作する。カーソルも同じように小刻みに震えていた。トラックパッドの上で指を滑らせ、『後にする』のボタンにカーソルを重ねる。そして、しっかりとクリックした。


 すると、ブルースクリーンは消え、黒いCUI画面が表示された。画面には先ほどのコマンドがすでに入力されているOSのアップデートは無事に見送られ、あとはキーを押すだけだ。


 もう一度、2人の方を見る。コースケは、エンターキーめがけて人差し指を振り下ろした。


 ボタンを押し込んだ瞬間、目の前で眩い光が輝いた。

――なんだ!?


 現れたのは、恒星のような光だった。コースケは思わずそれに手を伸ばす。指先が触れると、光は一気に拡散しコースケたちを包み込んだ。


 目の前が真っ白になったと思うと、眩い光は月面の風景へと変化した。今までコンソールの向こうに見えていたサーバーの筐体やISSは、視界から完全に消えている。そこには月面に降り立った着陸船と梯子を掴んだ宇宙飛行士の姿があった。クルーの搭乗する複雑な形状をした上段のモジュールと、金色のシートに覆われた下段モジュールを構成する4本の支え、その二つが組み合わさった着陸船。動きにくそうな純白の宇宙服。


 宇宙飛行士は、着陸船から月面へと伸びる梯子を降りていく。


「アポロ11号だ……」

 コースケは呟いた。


 宇宙飛行士は最後の梯子をジャンプして、ふわりと着地する。砂埃が舞い上がり、月面に足跡がくっきりと刻まれた。


『これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である』

 ノイズ混じりの音声が聞こえる。


 コースケは伝説的な光景に胸が熱くなって、息を呑んだ。


 無線を通して、少年のように明るく無邪気な声が飛び込んできた。声の主は管制室にいる島本だった。

 『……皆が月面着陸を見てるぞ! この演出は、HALの仕業だな!』


 目の前の風景はHALが生成した3Dホログラムだった。メインフレーム上の膨大な情報を元に、HALは月面着陸の瞬間を再構築したのだった。


『回線は良好!』

 レンは喜びを爆発させ、エリはよし、と静かにガッツポーズをした。


『こちら秋葉原、データの受信を確認した。最初のデータはアポロ11号の映像だ! アーカイバーへの送信開始』

 ニールが言った。


『アーカイバーの数が凄いことになっとる! 1000万、いや5000万。 もっとや!』

 檜山の嬉しい悲鳴が聞こえた。


 秋葉原のネットカフェは拍手喝采だった。用意したPCやサーバーはその全てがフルパワーで稼働していて、轟音を響かせた冷却ファンがものすごい量の熱を吐き出していた。長机の上にあった書類が冷却ファンからの強風で舞い上がり、紙吹雪のように祝福した。地獄のような暑さの中で汗をかきながらも、そこにいる誰もが喜びを分かち合っていた。宇宙空間で起きている出来事は、ISSから筑波宇宙センター、秋葉原のネットカフェを経由し、リアルタイムで全世界へと配信されている。世界中の人々が同じ瞬間を共有していた。


 目の前に広がっていた月面の光景は、渦を巻くように動く幾千もの光の粒へと変化していった。そこ現れたのは、色とりどりに美しく輝くホログラムの銀河。光の粒子をよく見ると、ゼロとイチでできたバイナリデータの集合体で形成されている。HALはメインフレームから読み取った膨大な情報を銀河として解釈したのだ。


 そして、その銀河は、中心に大質量ブラックホールが誕生したみたいに、真ん中の一点へと急激に収縮していく。


 コースケは、ブラックホールが全てを飲み込んだと思った。次の瞬間、中心から眩い光が衝撃波のように広がり、輝く七色の光が渦を巻き始めた。


 光の渦の中から、最初に飛び出してきたのは埃とノイズで燻んだ白黒の映像だった。木陰にいる一人の男性が燃焼する小型ロケットを見上げている。ロケットを支える櫓は細く、どこか心もとない。ロケットが上昇し櫓を離れたと思うと、機体はくるりと向きを変え、真っ逆さまに地面にぶつかった。打ち上げは失敗だった。


 すぐに次の映像が飛び出してくる。ノズルの炎が草木に引火して、半ば火事のようになったエンジンの燃焼実験。櫓に引っかかって爆発するロケット。櫓をするりと抜けて飛び去るロケット。うねりながらも確実に上昇していくロケット。自動車の前で、笑顔でグラスを掲げる4人の男性。


 過去から現在へ向かって、歴史をなぞるように様々な光景が溢れ出てくる。まるで宇宙開発史の走馬灯だ。数々の歴史的記録は超新星爆発のような大きな光の渦を形作りながら、コースケたちを取り囲む。メインフレームに格納されていた情報が拡散を始め、自由な世界へと解き放たれていく。


 コースケはそれら1つ1つを目で追いかけた。時を経るにつれて、打ち上げ施設は大がかりになっていく。しかし、ロケットが予期せぬトラブルに遭遇するのはいつの時代も同じだった。天候不順、エンジン故障、燃料漏れ、緊急停止、失速、爆発、炎上、テレメトリロスト。輝かしい成功の裏には数え切れないほどの失敗や試行錯誤があった。今も昔も、失敗や困難に立ち向かう人々が宇宙開発を、科学を前へ進めてきた。そこには懸命に何かを変えようとする人々がいて、その有象無象の努力の上に今がある。その人々の肩に自分たちは立っている。

 

 やがて、白黒だった映像はカラーに変化していく。溢れる情報はみるみるうちに増加し、視界を覆い尽くすほどになった。コースケは辺りを見回すと、360度に広がる情報は、雑多で多様で彩りに溢れていた。宇宙から地球を撮影した古い写真、サターンVロケットに始まりスペースシャトルやソユーズが打ち上げられる映像、はやぶさの打ち上げ成功を知らせる新聞記事、探査機が撮影した火星の地表、自動車を宇宙空間に打ち上げたニュース記事、民間企業による世界初の宇宙旅行を記録した映像、宇宙船の図面や制御システムのソースコード……。


 情報量は指数関数的に増えていく。科学論文、SF映画のワンシーン、歴史的なニュース映像、誰かの顔写真、掲示板の投稿、文学作品の一節、百科事典の記事。目ではもうその全てを追い切れなくなっていた。宇宙開発の分野を超え、メインフレームにあったあらゆる情報が畝りながら目の前を駆け巡る。もはや個々の画像や映像、テキストは読み取れず、巨大な光の渦の一部となっていた。コースケはその美しさと雄大さにただただ圧倒されるばかりだった。

 

 メインフレームを飛び出した情報は、世界各地へと散らばるアーカイバーの端末に保存されていった。経路は双方向になり、それらの情報はGooplexのメインフレームを経由せずに、直接リンクした。メインフレームにあった宇宙開発の歴史的記録は、Gooplexが全てを管理する中央集権型システムから個々のサーバーが並列する分散型システムへと再構成されたのだった。


 情報の渦はホログラム衛星によって可視化され、その光は地上まで届いていた。2機の宇宙ステーションを取り囲む銀河にも似た巨大な光の渦が、夜空を駆け抜けながら、美しく輝いている。じっちゃんをはじめとする秋葉原陣営の人々や機動隊員から、帰宅途中のサラリーマン、マンションのベランダから空を見上げる少年まで、地上に暮らす多くの人々がその天体ショーを見上げていた。


 全ての処理が終わり、眩い光はだんだんと明るさを失い、星の明かりほどの小さな一筋の光になった。その光は、ゆっくりとコースケの方に向かってくる。


 光は、コースケの胸の前で止まると形を変え始めた。暗号化されていたデータが複合されていくかのようだった。


 胸の前に浮かんでいたのは、ハガキくらいの大きさをしたメモ用紙。いくつもの記号が鉛筆で殴り書きされている。

――何かの図面……?


 ホログラムを手に取ったコースケは、ヘルメット越しに近くでみた。メモの端には、筆記体で『Harry Flux』と綴られていた。


 メモに書かれていたのは、今までにない形状をした宇宙機のエンジン、リアクターの設計図だった。コースケは図面の読み方も詳しい意味も分からなかった。しかし、この一枚のメモが新たな宇宙の時代を作っていく。それだけは確かだった。


「未来――」

 無意識のうちにコースケはそう呟いていた。


 視界の端から太陽が顔を出した。夜明けだ。ホログラムの景色はさらに眩い光にかき消され、頭上には、緩やかなカーブを描いた地球の輪郭がオレンジと濃い青のグラデーションで浮き上がる。ヘルメット表面の微かなくすみに反射した光が、鮮やかなフレアを瞬かせる。にじんだ視界は青かった。

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