リブースト
軌道上の1日は極端に短く、昼と夜は45分ごとに目まぐるしくやってくる。先程までの夜は過ぎ去って、コックピットには明るい日差しが差し込んでいた。
「ISSは、Goopleステーションを追いかけるように地球を周回してる。軌道はここから15km下」
エリはコンソールのキーを叩いて、ISSの位置を航法コンピュータに入力した。コックピット正面のHUDに、ISSの位置と方向が表示される。
「その分、リブーストが必要ってわけか」
そう言ってレンはシャトルの軌道を確認すると、操縦桿を倒し、シャトルを180度反転させた。
「最短距離で行く」
「しくじらないでよ」
「シミュレータは一番上手かった」
レンはスロットルを前に倒した。機内に響くエンジン音が大きくなる。機体は小刻みに振動し、コンソールのあちこちから軋む音が聞こえてくる。シャトルはISSの進行方向と正対するように減速していく。
「ISSまで25km、PROX通信圏内に入った。起動コマンド送信。うまくいってくれればいいけど」
エリはラップトップのエンターキーを叩いた。
レンは唾を飲んだ。ISSとの距離がどんどんと詰まっていき、HUDに表示される数値が小さくなっていく。スロットルを握りながら、逆噴射のタイミングを計る。ISSの機影はどんどん大きくなっていく。
シャトルがISSの真横を通り過ぎようとするその瞬間、レンはフルパワーで逆噴射をかけた。機体が減速し、ガクンと体が前方に飛ばされる。そこでレンは操縦桿を横に倒し、シャトルを転回させた。コーヒーカップに乗っているようなGがかかり、2人はシートに押し付けられる。目の前の景色がぐるりと周り、コックピットの窓枠から伸びる影が移動していく。シャトルは曲芸飛行のような軌道を描いて180度ターンした。ISSの方位とシャトルの方位が一致する。
シャトルがISSのすぐ後ろにピタリとついたところで、すぐさまレンはスロットルを前に倒した。シャトルは加速し、ISSの真下にあるドッキングポート前へと潜り込んでいく。コックピット後方の天井にあるハッチとドッキングポートのハッチが直線に並んだところで、制動噴射をかけて速度を合わせる。シャトルがもう一度ガクンと揺れた。
「5メートル、4.5、4メートル」
エリはドッキングポートまでの距離を読み上げる。
レンはシャトルの天窓から真上をみる。シャトルがドッキングポートに近づいていく。
「もう少し」
「2メートル、1.5、1メートル」
「捕まえた!」
ガチャンという音ともにシャトル全体が振動し、ピピッと電子音がなる。コックピットの天井にあるドッキングポートはがっちりとISSをホールドし、ロックがかかった。
「エンジンカットオフ」
「お見事」
エリはシートベルトを外して、シートから立ち上がるところだった。その動作がピタリと止まる。
「忘れてた! 筑波にスタンバイの連絡をしてない」
「TDRSなしじゃ、ここから信号を送れないじゃん!」
レンが焦るように言った。
エリは、打開策を思いつなかったようで、助けを求めるようにレンの顔を見る。
「いや、待てよ? 端末があるじゃん」
レンは宇宙服のポケットから携帯端末を取り出した。ボタンを長押しして電源を入れる。画面の上部に表示されるステータスアイコンのうち、右上にある電波の強度表示を見た。
「バリ3」
レンはニヤリと笑った。
「ちょっと見直したかも」
「なんだそれ」
「見てください、これ!」
管制官の一人が、スマートフォンを片手に、島本とケイトの元へ駆け寄った。
スマートフォンの画面に写っていたのは、SNSの投稿だった。シャトルの窓から地球を写した画像に、『宇宙なう。隼→筑波 スリープモードのきぼうをリブースト』というつぶやきが添えられている。拡散された回数は、1万を突破していた。
島本は一瞬でその意味を理解した。
「ステーションの位置は?」
管制官は、すぐさまコンソールを操作して確認する。
「まもなく日本上空です!」
「急いで準備しろ! 通信回復だ!」
島本の一言で、管制室は再び忙しく動き出した。
ISSのハッチがゆっくりと開く。すると天井の蛍光灯は自動で点灯していった。レンは、壁に備えつけられたコンソールで酸素供給をチェックした。ステーション内部の空調と生命維持装置は問題なく作動している。安全を確認して、2人はヘルメットを脱いだ。
「「臭い……」」
閉めきった部室のような匂いに、エリとレンは顔をしかめた。
ロシアモジュールまで移動したエリは、設置されたラップトップを操作して、ISSとドッキングされた各宇宙機のスラスターをテストした。全てのエンジンに異常が無いことを確認すると、リブーストのためのコマンドを入力した。
シャトルがドッキングしたことで、ISSのドッキングポートは全て埋まった。ISS計画に参加していた歴代の宇宙機が勢ぞろいし、プログレス補給船、ソユーズ宇宙船、ドラゴン宇宙船、オリオン宇宙船、ATV2、HTV2、スペースシャトルが一堂に会した。
準備を終えた2人はシャトルに戻り、ベルトをきつく締める。
「歴史的瞬間だな」
レンは残り時間が表示されたタイマーを確認して言った。
「準備は?」
エリが訊く。それに対してレンは静かに頷いた。
「2、1、噴射」「噴射」
2人が息を合わせて言った。シャトルのメインエンジンが点火し、機体が振動を始める。同時に、歴代の宇宙機のエンジンがフルパワーで噴射された。ISSとシャトルは地球の影へと進路をとり、コースケの待つGoopleステーション目掛けて、速度と高度を上げていった。
「繋がった!」
カチッという手応えと共に、HALとコンソールがUSBケーブルで繋がる。するとHALが何やら自動処理を開始し、コンソールの画面には自動的に入力されたコマンドが次々と表示されていく。コースケがコンソールの向こう側に目を向けると、いくつもの大きなタワー型サーバーが、宇宙ステーション内部からせり出してくる。1つ1つのサーバーは、宇宙ステーションのドライブベイから取り出され、宇宙空間に筐体を露出させた。
Gooplexのメインフレームが姿を現した。機器の動作を知らせる数々の小さなランプがサーバーのあちこちで鮮やかに光っていて、荘厳な美しさを醸し出している。巨大な柱が連なるように並んだその光景は、言うまでもなく圧巻だった。
「これが、メインフレーム」
コースケの頭上に夜景が輝く地球が見え、日本との通信圏内に入る時刻が迫る。残り時間はあと僅かだ。
ヘッドセットから聞こえたのは、レンの声だった。
『待たせた!』
その直後、いくつも連なるサーバー群のすぐ向こうから、ISSが垂直に上昇してきた。それはまるで、地平線から太陽が昇ってくるかのようなランデブーだった。Goopleステーションからのライトに照らされ、ISSの船体が闇の中から浮き上がる。増築を繰り返した中央のモジュールと左右に羽ばたいた翼のような太陽光パネル、勢揃いした歴代の宇宙機。サッカーコートと同じくらい大きな人工物が、機能を維持したまま50年以上も宇宙を飛行し続けている、そのことにコースケは刮目した。
ISSにドッキングしていたシャトルは切り離され、こちらへと低速で向かってくる。
コースケのすぐ隣、手を伸ばせばあと少しで届きそうな距離でシャトルは静止した。コースケが斜め後方を振り返ると、すぐそばにはコックピットの窓があり、エリとレンの姿がはっきりと見えた。
『こっちは準備OK!』
エリが言う。その言葉にコースケはアイコンタクトをして頷いた。3人は、筑波からの交信を固唾を呑んで待った。回線が開けば、地上へとデータを送信できる。
「ISSとの接続準備完了。あとはコマンドを送信するだけです」
通信担当の管制官が言った。管制官の手元にあるコンソールのCUI画面では、入力されたコマンドが送信の時を待っていた。
次の瞬間、背後から激しい爆発音が轟いた。とっさに島本は音の方を振り向く。管制室後方の分厚いドアが吹き飛ばされ、宙を舞うのが見えた。白い煙とともに、火薬の匂いが辺りに漂う。
「動くな! 両手を上げろ! 何にも触るんじゃない!」
銃を構えた南原と森田が、機動隊を率いて管制室に飛び込んできた。大勢の足音が管制室内に響く。盾を持った機動隊員たちが、後方の出入り口を封鎖するように素早く配置についた。
管制室の後方中央にある卓は、あっという間に機動隊員と2人の刑事に制圧された。南原と森田は、そこに立つ島本に銃の狙いを定めている。
島本の隣に立つケイトは、今にも刑事に飛びかかって銃を取り上げてしまいそうな気迫だった。間合いを見計らうように、2人の刑事を交互に睨みつけている。
彼女に対し島本は、指示に従え、と目で合図した。
ケイトは、唇を噛みながら両手を挙げる。それを見て、他の管制官もコンソールを背にするようにして、両手を頭の後ろに掲げた。
銃を構えた南原は、島本の前に一歩出た。お前もだ、と銃の先を動かして指示する。島本は大人しく従った。
「やっと会えたな、シマモト」
南原が高圧的に言う。
「作業を中止して下さい。ここにあるものは全て我々が押収します」
南原の隣に立つ森田は、落ち着いた口調で言った。
「筑波から信号が来ない!」
シャトルの機内にいるレンは、不安の色を隠せなかった。コンソールで信号の受信感度を睨むも、変化はなかった。
「チェックアウトは?」
エリが訊いた。GoopleのステーションとISSは、日本との通信圏内にさしかかるところ。テスト通信が届いていてもおかしくはない頃だった。
「まだ!」
その時、開放してあったチャンネルに音声通信が割り込んできた。管制室で話す声が雑音に紛れて聞こえてくる。島本に詰め寄る男の声。そこで3人は管制室が包囲されていることを知った。
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