宇宙空間

『どうやら我々の通信衛星に対して、大規模なサイバー攻撃が行われたようです。多数のスカイリンク衛星を経由し集中的に行われたことから、攻撃はGoopleの協力者によるもので間違いありません。衛星内部のコンピュータをDDoS攻撃でハングさせた後、セキュリティを突破し、停止コマンドを入力したものだと思われます』

 ビデオ通話を介してニールが説明した。


「TDRSが乗っ取られたということか?」

 島本は訊いた。


「はい」

 

 管制室全体に動揺と落胆がざわめいた。シャトルからの通信を中継するTDRSは一機だけで、バックアッププランは存在しなかった。


「雲行きは怪しいですね」

 ケイトは不安をこぼした。


 島本が見つめる先の正面モニターは、電波強度の不足を知らせている。

「あとは彼らに任せるしか」




 軌道上のコースケたちも管制室と同じ結論に達していた。

 

「データを見る限り、通信衛星のトラブルが有力だと思う。念のため、全チャンネル開けとく」

 レンは淡々と言うと、コックピット壁面の計器を操作する。


「もう一つ悪い知らせが、ステーションとのドッキングが不可能になった。ドッキングポートのキーが書き換えられたみたい」

 エリが静かに話した。


「通信の方だけど、TDRSなしでは? シャトルから直接地上へ送信するとか」

 コースケはレンに尋ねた。


「それは難しい。通信は機体姿勢の影響を大きく受ける。大容量データの送信には不安定すぎるし、通信可能エリアはとても狭い」

 

「どうする?」

 エリは、呟くように問いかける。


 何か方法はないか?、と必死にコースケは考えを巡らせた。焦りと不安で体じゅうから血の気が引いていくのがわかった。


「ここまで来て、何もできず帰還か」

 窓の外を見ながらレンが言った。嫌な沈黙が流れる。


 その時、コースケの脳裏にあるアイデアが閃いた。


「ISSが残ってる」

 コースケは確かな声で言う。そのまま、壁面パネルに取り付けられたラップトップに飛びついた。


「ISSには通信モジュールがあったはず。それを衛星の代わりにできれば!」

 ラップトップの画面に2つの宇宙ステーションの軌道を表示させる。Gooplexのステーションを追いかけるようにして、ISSが飛行している。


 3人は機内の手すりに掴まりながら、ラップトップを囲んだ。


 コースケは、ISSの軌道を指差して説明した。

「あと40分でステーションが日本上空を通過する。地上と直接通信できるのはそのタイミングしかない。それに合わせて、ISSとGoopleステーションをランデブーさせて回線を繋ぐ。そのあと、HALをメインフレームに接続。データを地上に送信する」


「だけど、ドッキングは?」


 エリに対してコースケは言った。

「ドッキングできないなら、外からアクセスすればいい。HAL、外部から接続できるコンソールは?」

 シャトルのモニターには、Goopleステーションの図面と、コンソールの位置が表示された。


「外からって」

 レンはコースケの顔を見た。


「EVA」


「まともな訓練もなしに危険すぎる。命綱もシャトルもないのに!」

 反対するエリは、今までにないほど強い口調で訴えた。


「大丈夫、HALが付いてる」


「大丈夫って」


「……わかった」

 少し考えた後でレンは言った。俯いていたエリは、ハッと顔をあげる。レンの眼は真剣そのものだった。それを見たエリは、堪忍したように首を縦に振った。


 エアロックのハッチがゆっくりと開くと、その向こうにはどこまでも続く真っ暗な宇宙空間が待ち構えていた。この先に光を反射する物体は何もない、それは真空が作り出す本物の黒だった。コースケは慎重に船外に出る。今の時代、EVAは特別なことじゃない。そう何度も言いきかせて、宇宙空間に身を委ねた。


 コースケは、自分を支えるものが何1つないという初めての感覚を味わった。シャトルと宇宙服を繋ぐ命綱はなく、宇宙服に取り付けられた小さなスラスターだけが頼りだった。前に進んでいくにつれて、目の前の視界が狭くなっていくような緊張感と恐怖感が大きくなる。すぐ足元で動く地球を見ると、落ちていくはずはないのに、そこに向かって引き込まれてしまうのではないかと不安になった。宇宙空間特有の錯覚だと分かっていても、それに呑まれそうになる。コースケは集中力を切らさないよう深く息をした。シャトルとの距離がだんだんと開いていく。


 スラスターの力を借りながら、ステーション表面のパネルを目指す。HALもふわふわと浮かびながら隣についてきている。HALは目標位置がわかるよう、目指すパネルをライトで照らしてくれていた。シャトルとステーションのちょうど中間に来ると、コースケは後ろを振り返った。シャトルの機影が遠くに見える。


『30分で戻る』

 無線越しにレンが言った。


「わかってる」


 逆噴射を始めたシャトルは、滑らかにステーションの後方へと離脱していった。無線機は、コックピットの空調装置が動作する雑音を拾っていたが、その音も徐々に小さくなっていく。程なくするとヘッドセットからは何も聞こえなくなった。


 シャトルが通信圏外に出た。地球の外側で、ポツンと自分一人が浮いている。真空でも息ができるのは、生命維持装置が宇宙服内部に酸素を供給しているから。体が宇宙空間に曝されないのは、何層にも重ねられた宇宙服の防護層があるから。広い宇宙空間で迷子にならずにいられるのは、GPSが現在位置を常に割り出しているから。宇宙服が回転せずに浮いていられるのは、スラスターが常に姿勢制御をしているから。開発した人物も詳しい仕組みもわからない機械のおかげで、自分は極限の宇宙でも生きていられる。コースケは過去の技術を信じて、背中を預けるしかなかった。


 それから程なくして、とてつもない孤独感がコースケの胸を襲ってきた。無音になったことも相まって、はじめて経験する宇宙空間に脳が混乱しているようだった。冷静さを保とうとする意志に反して、胸の鼓動が高まっていく。このままだとパニックを起こすかもしれない。コースケは、孤独感の大波に飲み込まれそうになるのをこらえて、HALを見た。HALは首をかしげるような動作で応える。地上では気にも留めないような何気ない仕草が、どういうわけか安心感を感じさせてくれた。コースケは手を伸ばしてHALを撫でる。たとえロボットであっても、自分以外の存在がそばにいてくれるというのは心強く、だんだんと気持ちが軽くなった。


 宇宙ステーションの外側パネルには、メンテナンスを想定していくつもの取っ手が設置されている。コースケはそこに手を伸ばし、引き寄せるようにして体をパネルに近づける。


「これか……」


 矢印が印字されたハンドルがあった。取っ手を持って体勢を維持しつつ、残りの片手でハンドルを掴む。そして、『Lock』から『Unlock』側へと回した。


 すると、パネルがハンドルごと手前にせり出してきた。掴んでいるハンドルに押し上げられるようにして、徐々に体が持ち上がっていく。パネルがステーションから飛び出すように1mほどスライドすると、ハンドルの横にあったカバーがバタンと開き、モニターとキーボード、大きなトラックパッド、USB端子がついたコンソールが現れた。それは重厚かつ堅牢なラップトップPCに似ていて、メインフレームを保守するためのインターフェースになっていた。


 コースケは宇宙服の腰部テザーを伸ばして、フックをコンソール脇の手すりに繋いだ。そして、手すりを掴んでコンソールの側面下部へと移動する。そこにはコンソール内部にアクセスできるパネルがあった。目的の基盤はその奥だ。


 次に、ピストル型パワー・ツールを取り出し、パネルの四隅に取り付けられたネジを1つ1つ丁寧に外していく。


 カバーを外すと、数々のケーブルに隠れるようにして、目的の基盤があった。マザーボートに似たその基盤は、クリスマスツリーのようにあちこちでランプが光っている。基盤の中央には、交換しなければならない四角いチップが取り付けられていた。


 続いて、棒状の工具を持つ。工具の先には、チップを掴むソケットのようなツメが取り付けられている。


 基盤のチップに向けて慎重に腕を伸ばしていく。誤って他の電子部品や回路に触れてしまえば、ショートを起こしてしまうかもしれない。この作業は、夏休みの自由研究の定番であるイライラ棒を思い出させた。電極棒を金属製のコースに触れないよう動かすゲーム。そういえば、あれは失敗したら感電する仕掛けだったのだろうか。だんだんとコースケは、宇宙空間で爆弾処理をしているような気持ちになってきて、額に汗が滲んだ。


 工具の先がチップを掴んだところで、コースケは工具を手前にひく。パチっという感触とともに、チップは基盤から外れた。


 作業は折り返し地点だった。今度は換えのチップを基盤に取り付けなければならない。コースケは、工具の先に替えのチップを掴ませると、先程と同じように注意深く基盤へと近づけていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る