カウントダウン

 車が停止すると、外には島本が立っていた。

「あまり時間がない。巻きで行くぞ」


 ワンボックスカーを降りたコースケは、HALを地面に下ろして辺りを見回した。心地よい風が頬を撫でていく。


 「ここって……」


 そこに広がっていたのは見慣れた風景だった。目の前には、開放感のある透き通った青い空を背景に、赤く錆びついた発射台がそびえ立っている。その周りにはガラクタの山と、放棄された数々の燃料タンクやロケットが転がっている。霞ヶ浦のほとり、筑波宇宙センターの発射場だ。


 エリとレンも続いて車の外に出てきた。景色を見て、驚きの表情を浮かべている。


「ノスタルジーに浸るのはやめてくれ。この発射台は今日で見納めなんだから」

 島本は得意げに言うと、発射台の方を向いた。


 コースケは言葉の意味を尋ねようとした。しかし、発射台を真っ直ぐに見る島本を見て、思わず言葉を飲み込んだ。その直後、大音量のサイレンが発射場に鳴り響く。


 無線機を取り出した島本は、「発破」と静かに指示した。


 次の瞬間、目の前の発射台で、バババっという短い破裂音とともに爆発の連鎖が起きた。鉄骨の櫓のあちこちが切断され、赤く錆びついた発射台は音を立てて崩れていく。金属の塊が地面にぶつかると、茶色の土煙が勢いよく舞い上がった。


「如何せんボロすぎた。この際だ」

 島本はニヤリと笑った。


 射場に静寂が訪れたと思うと、またサイレンが響き渡った。


「今度はなんだ?」

 レンがそう言い終わるのと同時に、地面が揺れ始める。状況を把握できなかったコースケは、後ずさりをしながら周囲を見回した。


「あれ!」

 エリが正面を指差す。


 初めて見る光景に3人は釘付けになった。茶色の砂埃をかき分けるようにして、オレンジ色の外部燃料タンクが地面から頭を覗かせ、下からせり上がってくる。続いて、重厚なトラス構造の発射台と2本の白い固体ロケットブースター、それにスペースシャトルの機体が見えてくる。地下の打ち上げ施設は、地上へと伸びるカタパルトの上に作られていたのだった。魔法でもかけられたかのように、古びた発射台が真新しい発射台へと変わり、天を仰ぐスペースシャトルが目の前に姿を表した。


『コースケ、エリ、レン! 聞こえるか!』

 聞き慣れた声が、島本の無線機から聞こえてきた。


「「「じっちゃん!」」」

 その声を聞いて、3人は大声を出していた。


『背中はまかしとけ! 仲間をぎょうさん連れてきたで!』

 じっちゃんは頼もしい声で言った。その後ろから、無線に声援と騒ぎ声が入り込む。コースケたちを応援しようと、口々に皆何かを叫んでいるのだった。その声量から相当な数の人々が集まっていることが分かる。一人ひとりの声は聞き取れなかったが、無線機を通してその熱気は3人に十分伝わっていた。コースケは声援を受けて胸が熱くなった。


 じっちゃんは、秋葉原の商人たちをかき集めて、筑波宇宙センターの正門に集結させた。正門にある『ISA』と書かれた青いゲートは閉じられ、そこには、トタンや余った鋼鉄の板、安全第一と書かれたオレンジ色のガードフェンス、使い古しの軽バンや軽トラ、企業名の入った社用車などを並べた急ごしらえのバリケードが作られていた。敷地の入り口には『特別警戒中、立ち入り禁止』と書かれた看板が掲げられている。


 島本はコースケたちの前に出て、発射台に背を向けた。そして、3人の目を順番に見ると、穏やかに言った。

「さあ行け、宇宙飛行士」


 全ての準備は整っていた。コースケ、エリ、レンの3人はゆっくり頷くと、発射台に向かって全力で走った。HALも飛び跳ねるようにしてその後を追う。


 コースケは走りながら、目の前に聳える発射台とシャトルを見上げた。機体の下部からは、白い蒸気がもうもうと立ち上がっている。白い耐熱パネルを両翼のシルエットに沿って黒く縁取った伝統的なカラーリングは、記憶の中にあるシャトルの姿とまったく同じだった。外部燃料タンクと2本の個体ロケットブースターを抱えた流線型の機体は、眩しいくらいに太陽の光を反射していて、左翼の真ん中に刻印されたISAのロゴマークがキラリと瞬いていた。胸が高鳴り、全身の毛が逆立っていく。




 つくば市内では、2人の刑事がコースケたちの行方を追っていた。覆面パトカーを道路脇に止め、他の捜査員から集まってくる情報を無線や電話で確認している。尻尾を掴むことができないまま時間だけが過ぎていく。南原は焦燥感から苛立ちを隠せずにいた。


「ったく……」


 その時、防災無線が起動し、独特の反響音とともにアナウンスが街中に流れ始めた。

『こちら筑波宇宙センターより発表いたします。本日、スペースシャトルはやぶさは、予定を早め、16時00分に打ち上げられることが決定いたしました』


「これ見てください! 動画サイトで発射台がライブ中継されてます。あの白いワンボックスも映ってます!」

 森田は、ダッシュボードに載せたノートPCの画面を指差した。

 

「一体どういうことだ?」


 さらにアナウンスは続く。

『シャトルの打ち上げに伴い安全を確保するため、射点を中心とした半径4000メートル警戒区域内の周辺道路、周辺水上を只今より立ち入り禁止とさせていただきます』


「打ち上げ許可は取り消されていません」

 スマホを耳に当てながら、森田が言った。


「何!?」


『皆様のご理解とご協力をよろしくお願いいたします』

 丁寧な言葉でアナウンスは締めくくられた。


 南原は無線に向かって唾を飛ばしながら叫んだ。

「応援要請! 捜査員は二手に分かれて、発射台へ向かえ! 残りは筑波宇宙センターだ! 管制室に踏み込む。絶対に打ち上げは阻止するんだ!」




 地下の管制室では、ISAの元職員たちが忙しく働いていて、打ち上げの最終確認が行われていた。組み立て施設を見下ろすガラス張りの窓の前には3つの大型のスクリーンが降ろされ、発射台とシャトルを映した定点カメラからのライブ映像と機体の状態を示す各種データが映し出されている。地下に戻った島本は、管制室の後方中央にある卓で全体の指揮を執っていた。


『こちら秋葉原、準備完了』『こちら正門前、大丈夫だ』

 ニールとじっちゃんが、無線を介してゴーサインを出した。


「了解。スタンバイ」

 島本はヘッドセットを押さえて返事をする。


「漁協への確認取れました。打ち上げコース周辺海域もクリアです」

 受話器を耳に当てた管制官は、振り返りながら島本に報告した。


「了解」


「間に合いますか?」

 ケイトはカウントダウンの数値を確認して言った。


 島本が答える。

「チャンスは今しかない、このまま続行する。HAL、あとは頼んだ」


『・・・-・』

 HALは朗らかなビープ音で応えた。


 管制官がコンソールを操作する。

「打ち上げ9分前、モバイル管制システム起動。自己診断最終フェーズ」


「各管制官、最終確認!」

 フライトディレクターのケイトは力強い声で言った。その声ははっきりと響き渡り、管制室の空気が一気に引き締められる。管制室の人員は全盛期の半分以下であったが、その熱量は当時と全く劣っていなかった。ケイトの声に続いて、各管制官が担当セクションを確認し、打ち上げの可否を答えていく。

 

「レトロ!」


「Go!」


「ブースター!」


「Go!」


「飛行管制!」


「Go!」


「ガイダンス!」


「Go!」


「計測」


「Go!」


「GNC!」


「Go!」


「軌道管制!」


「Go!」


「ネットワーク!」


「Go!」


「キャプコム!」


「Go!」


 ケイトが報告する。

「全システム異常ありません」


「よーし、打ち上げだ」

 管制室を見渡して島本は言った。そして、正面のスクリーンに映るシャトルの背中をじっと睨んだ。




 筑波宇宙センターの正門前は大騒ぎになっていた。機動隊と警察官、捜査員たちが乗る警察車両の列が敷地の前まで飛び込んできて、突入作戦のための陣地が作られた。宇宙センター正門に面した学園東大通りは封鎖され、数十台ものパトカーと警察車両、機動隊の人員輸送車である大型バスが多数集結している。騒然とした雰囲気が漂う中で規制線が張られ、その向こうからは、騒ぎを聞きつけて集まった一般の人々が顔を覗かせていた。


 急ごしらえで作られたバリケードを境にして、敷地内への侵入を阻止しようと集まった秋葉原陣営と、管制室を制圧しようとする機動隊の間でにらみ合いが始まった。両陣営は共にポリカーボネート製の透明な盾を構える。


 上空では、数機の報道ヘリがぐるぐると旋回していた。インターネットを通じ、筑波宇宙センターの様子は全世界に配信されている。


「ネットはどこもこの話題で持ちきりです」


「どれ」

 陣営の後方にいるじっちゃんは、携帯端末を受け取り画面を確認した。


『打ち上げ5分前、補助動力ユニット作動』

 バリケードの内側に置かれた無線機の1つからは、管制室からの打ち上げシーケンスが流れている。


「いよいよだな」

 一触即発の空気が漂う中、じっちゃんはバリケードの隙間から前方の機動隊を睨んだ。


 秋葉原の商人たちは宣伝用の巨大な旗やパネルを掲げ始めた。『秋葉無線』『トーキョー電子商会』『安曇ロケット』『明成電機』『Rocket Boys Technologies Inc.』など、それぞれの店名や組織名が記されている。中には、アニメキャラクターがウインクをしているデザインものもあった。それらは、警察に対してではなく、Gooplexに対する反乱の意志を表していた。


 秋葉原陣営は、機動隊の無線を傍受して様子を伺う。様々な会話が無線機から聞こえている。


『様子を見よう、カメラも多い。上の指示を仰ぐ』


『了解しました』


『こちら第二班、4キロ地点では県警が警備をしています。土浦警察署です』


『指揮系統はどうなってるんだ。早くどかせろ』


『了解』


『突入は合図を待て』


 無線を聞いて、盾を構える秋葉原陣営の誰かが小声で話す。

「警察は警察で大変そうですね。あっちもこっちもお互い様というか」


「むこうだって仕事だろう。そんなもんだ」


 打ち上げの時刻が近づくにつれて、バリケード内の緊張感は徐々に高まっていった。じっちゃんは、集まった人々を鼓舞するように呼びかけた。

「打ち上げに際して、部外者を敷地に入れない。これは鉄則だ! 皆、しっかりと守り抜け!」


「「「おう!」」」

 バリケード内には力強い声が響いた。


 その掛け声を聞いて、機動隊の指揮を執る南原も腹を決めたようだった。トランシーバーを手に取ると、大きく息を吸って叫んだ。

「突入! 繰り返す、突入だ!」


 突入指示が出され、事態は一気に動いた。透明の盾を持った機動隊が、隊列を組んでバリケードに進行していく。激しい衝撃音とともにバリケードの最前列に並んだオレンジ色のガードフェンスがなぎ倒され、集まった人々と警察が衝突する。機動隊に対して、秋葉原陣営も盾で応戦し、盾と盾がぶつかる鈍い音が響いた。

 

 規制線の向こうでは、集まったカメラマンが一斉にシャッターを切り始める。マイクを片手に持った記者たちは、カメラに向かってリポートを開始する。一般の人々も思わずスマートフォンや携帯端末を掲げて、動画や写真を撮影し始めた。




 両陣営の衝突が始まった正門前とは対照的に、シャトルのコックピットは落ち着いていた。


「本当に行くのか」

 操縦席の左側に座るレンが、強張った声で言った。


「ここからたったの10分。そう思うとなんてことない」

 後ろに座るエリは握っていた拳を緩める。


 宇宙服の下で、コースケは全身が震えていた。しかし、その震えは、恐怖を感じた時のものとは少し違っていた。それは奇妙な感覚で、この先に何が見えるのだろうという期待と未来が予測できない不安が拮抗していた。住み慣れた安全圏を離れ、未知の領域に足を踏み入れる時の期待と不安。これを武者震いと呼ぶのかもしれない。


『打ち上げ30秒前、オート・シークエンス・スタート』

 管制室からのカウントダウンが、スピーカーを通して発射場にこだまする。


 その時、立ち入り禁止の看板が掲げられたフェンスを突き破って、5台の覆面パトカーが射場に突入してきた。大音量でサイレンを鳴らし、赤色灯を回転させている。一面に生える低い草木をなぎ倒し、タイヤは勢いよく砂埃を巻き上げている。その車列は、遠くに見える打ち上げ直前のシャトルと発射台を一直線に目指していた。カウントダウンは続く。


『17』


『16』


『15』


『14』


『13』

 

『12』


『11』


『打ち上げ10秒前』


『9』


『8』


『7』


『6』


『5』


『4』『メインエンジンスタート!』

 シャトル後部に取り付けられた三基のエンジンが点火し、青白い光を放った。機体がガタガタと小刻みに振動し始め、コースケたちが感じる揺れはどんどんと大きくなっていく。


『3』


『2』


『1』


『0』『ブースター点火!』

 耳を擘く轟音とともにブースターに火が灯り、眩い閃光が辺りを明るく照らし出した。ブースターと発射台を繋いでいたボルトが爆薬によって吹き飛ばされ、機体に電力を供給していたアンビリカルケーブルが切り離される。


『リフトオフ!』

 シャトルは、真っ赤な炎と真っ白な煙を勢いよく噴き上げながら、ゆっくりと上昇を始めた。重力に逆らうためのエネルギーは、発射台の左右に入道雲のような巨大な噴煙の塊を作り出し、それはみるみるうちに辺りを飲み込んでいく。3500トンのとてつもない推力で押し上げられたシャトルは、一気に空へと加速していった。


 コースケは、自分よりも遥かに強力な何かに押し上げられる感覚を体験していた。あまりの激しい揺れで目の前の計器はぶれて見える。背中を押す大きな力に圧倒されているうちに、不安や恐怖感は全て吹き飛んでいた。

 

 発射台に向かっていた覆面パトカーの車列は、ブースターが勢いよく点火するのを見て急停車した。衝撃と轟音で車のフロントガラスがびりびりと震える。ロケットエンジンの噴煙を目の当たりにした森田は、思わずドアを開けて車を降りると、上昇していくシャトルを目で追った。それから数十秒後、正面から迫ってくる砂埃が強風とともに一気に吹き荒れて、辺りは一面茶色の砂嵐に包まれた。目を開けていられなくなった森田は、上半身を屈め腕で顔を覆った。


 打ち上げの轟音と衝撃波は一瞬にして大地を駆けた。その凄まじいエネルギーは、水や空気、辺りの木々から民家の瓦まで、そこにある全ての物体を揺るがしながら同心円状に拡散していく。




 バリケード前では衝突ともみ合いが続いていた。そこに打ち上げの衝撃波が到達する。バリバリと心臓を揺らすような鳴動が遠くから聞こえ、秋葉原陣営の面々も、機動隊や警察官も、記者やカメラマンも、その場にいた誰もが音のする方向へと目を向けた。すると、街路樹の向こうから、白い煙を噴き上げて上昇するシャトルが姿を現した。


 すると、秋葉原陣営と集まった見物人たちから一斉に、わーっ!という歓声があがった。じっちゃんは感慨深げに空を見上げる。目を潤ませながら、上昇していくシャトルの背中を目に焼き付けていた。




「最大圧力、異常なし」

 管制官が言った。


 管制室正面のスクリーンに映る機影は、徐々に不鮮明になっていく。シャトルは宇宙へと向かって、順調に高度を上げていた。島本は腕を組んで、その様子をじっと見つめている。隣に立つケイトも同じだった。




「空の青が濃くなっていく」

 コースケが言った。空の色が変わるにつれて、体はだんだんと軽くなっていく。しかし反対に、体にかかる力はどんどんと重くなっていく。


 窓の外をみると、そこには青く輝く地球が広がっていた。海の青を背景に、白い雲がまるで静止した白波のように不規則な模様を描いて畝っている。何度も何度もテレビやインターネットで目にした光景だが、コースケたち3人は、すぐにその幻想的で夢のような景色の虜になった。


『外部燃料タンク、SRB切り離し』


 次の瞬間、ガクンと機体が揺れた。爆薬が外部燃料タンク、左右の補助ブースターとシャトルを繋ぐボルトを吹き飛ばした。すると、3つの巨大な金属の塊はシャトルからするりと外れ、重力に引かれながら地球へと落下していった。機体の振動が小さくなる。


『メインエンジンカットオフ』

 管制官の声と同時にシャトルの振動はすっかり消えて、コースケの体が僅かに浮いた。


 宇宙だ……、声になっているかどうか分からない息が思わず零れる。


 周回軌道に達したシャトルは、地球の影に入っていった。昼と夜の境界に浮かぶ雲と大気と海が、淡い赤に染まっている。シャトルの中に差し込んでいた日差しは徐々に明るさを失っていき、薄暗くなったコックピットにぼんやりと計器の光が浮かび上がった。

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