逃走

 翌日は台風一過で晴れ晴れとしていた。黒く重たかった昨日までの空は消え、夏の終わりらしい白い雲がふわふわと呑気に浮かんでいる。バケツをひっくり返したような深夜の土砂降りが嘘のようだ。雨風のピークは未明頃で、吹き返しも明け方から朝にかけて収まっていった。


 時間は午後1時前、アラームの音でコースケは目覚めた。


 おもむろに部屋のテレビをつける。

『行方不明になっている3名の学生ですが、エクストラクターの首謀者であるサトシ・シマモトとの繋がりが判明しました。防犯カメラには、爆発のあと現場を立ち去る学生とサトシ・シマモトとみられる男の姿が記録されており……』


 コースケは手早く着替えを済ませると、下の階へと急いだ。作業スペースでは、檜山たちがプログラムの確認を行っていた。

 

「状況は芳しくないな」

 先ほどと同じチャンネルが流れるブラウン管モニターの前で、ニールが腕組みをしている。その隣にはエリが立っている。コースケはエリの隣に行って、モニターを見つめた。


『警察は以前より男の行方を追っていましたが、つくば市で発生した爆発事件の重要参考人として浮上し、大規模な捜査に踏み切りました』

 アナウンサーがそう伝えたところで画面が切り替わり、島本の顔写真と氏名が映し出された。『元ISA職員 島本聡』とテロップが出ている。


『学生たちがテロリストと繋がっていたとすれば、事態は一層深刻さを増したと言えるでしょう。警察は、捜査員の数を増員して行方を追っています』


 コースケは呆然と画面を見つめるしかなかった。


『警察が学生の自宅とみられるマンションに家宅捜索に入りました』

 アナウンサーの言葉とともに、ダンボールを抱えた捜査員たちが、マンションの入り口へと入っていく。


「私の家!」

 エリが言った。


「こっちもだ!」

 コースケも大きな声を出した。カメラが切り替わり、アパートの様子が写っている。閑静な住宅街は報道陣と捜査員の姿で物々しい雰囲気だった。


 また、カメラが切り替わる。画面に映し出されたのはコースケの実家だった。


『子供には旅をさせるべきです!』

 玄関先では報道陣に囲まれた母親が堂々とコメントしている。眩いフラッシュが焚かれ、数々のマイクとカメラを突きつけられても、母親は物怖じせずにどっしりと立っている。その姿は、母は強しという言葉の通りだった。最初は感心してその様子を見ていたコースケだったが、だんだんと恥ずかしくなってきて、モニターから視線を逸らした。


 その時、レンが大声を出しながら、室内に飛び込んできた。

「2人の男が外を聞き込みして回ってる! 刑事かも!」


 彼の一言で、ネットカフェの空気がピンと張りつめた。


「おい、なんだよこれ!」

 モニターを見るや否や、大声を出すレン。彼の自宅にぞろぞろと捜査員が入っていく様子が中継されている。彼は、部屋に入ってきたそのままの足でコースケとエリの前を素通りすると、モニターに飛びついた。


「PCの、PCの中身だけは見ないでくれ!」

 ブラウン管モニターにすがりついたまま、レンは悲痛な叫びをあげる。どうやら彼の関心ごとは、刑事より家宅捜索の方らしかった。その様子をエリは冷ややかに眺めていた。


 レンを残して、コースケ、エリ、ニールの3人は、通りに面した窓に駆け寄った。ブラインドの隙間から通りを見下ろすと、路地の先に不審な二人組の男が見えた。2人は、通行人に話しを聞くと、通りに面した店に入っていく。レンの言う通り、刑事だった。


 コースケは、電話で刑事のことを島本に伝えた。短い通話が終わると、秋葉原と筑波を繋いだ緊急のビデオ会議が開かれた。


 画面に映る島本が話す。

『計画を早める。新たな打ち上げ時刻は16時00分。ニール、それまでにシステムの最終チェックを。コースケたちは今すぐ筑波に』


「分かりました」

 コースケは、壁にかかった8桁の7セグメントディスプレイを見る。値が更新され、打ち上げまでは残り3時間を切っていた。3人はすぐさま荷物をまとめて、バックパックを背負った。


「コースケ」

 背後から檜山の呼ぶ声が聞こえた。コースケは後ろを振り返る。


 頼もしくはにかんだ檜山は、HALをコースケに渡した。

「準備万端や。受信の方は任しぃ!」


「ありがとう」

 コースケはHALを受け取ると、大きく頷いた。


「コースケ、行かないと」

 レンが声をかける。


「こっちだ」

 ニールが3人を案内した。


 階段を上ったコースケたちは屋上に出た。目の前には、空調設備の室外機が稼働し、その横には錆の目立つベージュのFRP製貯水タンクが設置されている。ガヤガヤとした裏通りの雑音や電車の走る音、車の行き交う音が遠くに聞こえ、空からは太陽の光がジリジリと照りつけている。明るい日差しにコースケは目が眩んだ。


 3人は、屋上のふちから欄干越しに通りを見下ろした。2人の刑事は、賑わう買い物客に紛れて、手当たり次第に店を訪ねている。そこでコースケたちはニールの意図を理解した。秋葉原の裏手、外神田一帯には、1ブロックごとに背丈の近い雑居ビルが隙間なく密集している。ビルの屋上をつたって行けば、刑事から離れて通りに出ることができる。




「必ずうまくいく」

 ニールはそう言って3人を見送った。


 室外機を足場に、VHF・UHFアンテナのポールを掴んで、階段室の屋根によじ登る。そして、1m程度の隙間を飛び越えて、隣のビルの屋上へと飛び移った。ロッカーを並べたような灰色の電気設備や背の高い空調設備、物置の間を足早に進んでいく。


 3人は、PCパーツを扱う店舗の一階売り場に出た。天井のスピーカーからは乾いた音で陽気な有線放送が流れ、壁際には値札やPOPの付いたPCとモニターがずらりと並んでいる。店員と何人かの客がいたが、何処からともなく現れた3人の学生を気に留めはしなかった。コースケは刑事がいないことを確認し、裏通りへと歩を進めた。


 ポケットで携帯端末が鳴る。コースケは端末を耳に当てた。


『今どこだ?』

 電話の相手は島本だった。


「秋葉の裏通りです」


『電気街口に車を手配してある。位置は端末に』


「わかりました」

 

 通話を終えたコースケは、携帯端末の画面をエリとレンに見せた。画面には車の現在位置と目的地が表示されている。車は秋葉原駅電気街南口に向かっていた。


「つけられてる」

 エリは携帯端末を使って、路上に設置された監視カメラの映像を見ていた。 2人の刑事は、50mほど後方から早歩きでコースケたちを追っていた。


 それを聞いて、先を急ごうとするコースケ。エリはその腕を掴んで言った。

「走らない、これ逃走の基本」


 平静を装って、3人は裏通りを歩く。しかし、コースケが後ろを振り返った時、後ろを歩く南原と目が合った。その距離は20mほどに詰まっていた。


「待て!」

 南原は声を張り上げる。


 静止を無視したコースケは、進む方向を2人に目で指示した。小走りをしながらビルとビルの間の細い路地に入る。日陰になっている道の左右には、段ボールの空き箱やゴミ袋が山のように積まれた台車が置かれている。


 狭い路地を通り抜けると、視界が一気に開けた。秋葉原のメインストリート、中央通りだ。両側の歩道は行き交う人でごった返している。人通りの数に驚いた3人は、思わず足を止めた。


 レンは、今通ってきた来た路地をちらりと振り返った。2人の刑事が全速力でこちらへ向かってくる。

「ヤバっ!」


「走れ!」

 コースケは大声で言った。


 3人は中央通りの歩道を夢中で駆けた。通りを歩く人と肩をぶつけながら、人混みをかき分けるようにして進む。客を呼び込もうと声を張り上げる店員や商品のプロモが流れる店頭ビジョン、安売りのPOPには目もくれず、ただひたすら秋葉原駅前を目指した。


 緑色に塗装された総武線ガードとその下の横断歩道が目の前に迫る。横断歩道脇の歩行者信号の表示は点滅している。


「突っ切る?」

 エリの問いかけにコースケは「うん」と頷くと、走る速度を緩めずに横断歩道に滑り込んだ。


 コースケたちは、信号が赤に変わる寸前で横断歩道を斜めに渡り、そのまま総武線のガード下に伸びる秋葉原ラジオ横丁へと入っていった。





 ガード下の歩行者信号は赤へと変わり、2人の刑事は行き交う車に行く手を塞がれた。足を止めているうちに、コースケたちの姿は人混みに紛れて見えなくなった。

 

 左右には露店のような店舗が軒を連ねている。小分けされたトレーの上ではLEDや豆電球、細かな電子部品、工具などがバラ売りされ、天井からは値札のついたケーブルや電飾がぶら下がっている。店先は数えきれないほどの商品で埋め尽くされていた。コースケたちはその間の狭い通路を走っていく。3人が横に並べば肩をぶつけてしまうくらいの幅だった。店番をする店主や品定めをしている客たちは、必死に走り抜ける若者の姿を不思議そうに見ていた。


「その先を右でラジ館前!」

 息を切らしながら、エリが言った。


 通路の突き当たりを右に曲がって少し進むと、ラジオ会館前に出た。『世界のラジオ会館秋葉原』と書かれたネオンが目に飛び込んでくる。秋葉原駅の電気街口はすぐそこだった。


「車は?」

 レンは疲れた様子で膝に手をついた。その隣にいるエリも肩で大きく息をしている。


 コースケは、ホノデンの巨大看板とその下にあるGooplexの広告を背にして、秋葉原駅の方を見た。電気街南口のすぐ横、東西自由通路の前には、ハザードランプをつけた白いワンボックスカーが停車している。

「あれだ!」




 2人の刑事は、少し遅れて電気街口前へたどり着いた。改札の前で周囲を見回すが、すでに3人の姿はなかった。


「逃げられました」

 森田は額の汗を腕で拭いた。

 

 スマートフォンを耳に当てて、南原が叫ぶ。

「都内全域を緊急配備だ!」

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