レンタルオフィスとネットカフェ

 ニールとエリは作戦を後方支援するための第二拠点を探して、秋葉原駅の電気街北口前に聳えるオフィスビルを訪れていた。透明感のある全面ガラス張りの高層ビルで、秋葉原の駅前広場とはペデストリアンデッキで接続している。


 カジュアルな服を着た若い女性の担当者に案内され、2人はエレベーターを出た。エレベーターホールは白を基調とした壁面に、灰色のカーペットが敷かれている。40年前に建てられた一般的なオフィスビルの内装だ。


「ワンフロアの半分の広さがあるオフィスとなっております」

 担当者は首から下げたIDカードをドア横にタッチし、入り口を開けた。


 オフィスのインテリアは新興IT企業をターゲットにしたもので、木目調の天井や床をベースにしつつ、あちこちに大きな木や観葉植物が大胆に配置されていた。椅子と机はオフィスの雰囲気に馴染んだシンプルなデザインで、洒落た北欧スタイルの間接照明がそれらを温かい色で照らしている。オフィスの中央にはたくさんのワイングラスが置かれた大きなアイランドキッチンが備え付けられている。横一面に広がる大開口のガラス窓からは、太陽の光がぽかぽかと差し込んでいた。


「ここのチェアとデスクは全てデンマークのデザイナーに監修してもらったんですよ」


 エリは、チェアとデスクという言葉に若干の引っかかりを覚えつつ、なんとなく窓際まで歩いた。ふと外に目をやると、眼下には秋葉原だけではなく東京都内が一望できる大パノラマが広がっていた。大手町の超高層ビル群はまるで巨大な壁のようで、雑居ビルの林立する神田周辺との境界線をはっきりと作り出している。中央通りはいつものようにたくさんの人が行き交っていて、すぐ下の秋葉原駅では電車がひっきりなしに動いているのが見えた。


 エリの後方では、ニールがうんうんと頷きながら、担当者の説明を聞いている。


「ここは、クリエイティブな作業に最適な空間です。自宅にいるみたいでしょう? 飲食代金もプランに含まれているので、冷蔵庫にあるお好きなジュースや軽食を自由にご利用いただけます」


「ここにしよう、広さは十分だ。植物やバーカウンターは必要ないが」

 ニールはきっぱりと言った。


「しょ、書類はこちらに、そちらに座って契約内容の確認をお願いします」

 担当者は一瞬顔を曇らせながらも、ニールを中央のキッチンに案内した。


「念のため、ネットワークの通信速度を確認しておきます」

 エリはニールにそう言うと、アイランドキッチン横に備え付けられたハイスツールに座り、ラップトップPCを開いた。


「インターネットをご利用の場合はこちらをご覧ください」

 担当者は『ネット利用の手引き』の冊子を手渡した。


 エリはその冊子をパラパラめくったあとで尋ねた。

「Wi-Fiではなくて、有線LANはありますか?」


 担当者はポカンとしている。その意味が分からなかったようだ。


 エリは仕方なく聞き方を変えることにした。

「Wi-Fiってありますよね?」


 ルーターの場所まで案内されたエリは、壁からルーターへと伸びるLANケーブルを引き抜き、自分のラップトップPCに繋いだ。そして、通信速度の検証用ソフトを立ち上げる。慣れた手つきで速度テストと負荷テストを行った。


「ここのネット、絶望的に遅いです」

 エリはニールに真顔で告げた。


「す、少し前まではGoopleがここに入居していたんですよ」

 取り繕うように顔を引きつらせた担当者は、思いついた言葉を口に出した。Gooplexも入居するほど良いオフィスであると言いたかったのだろう。しかし、それが決定打となった。


「すみませんが……キャンセルで」

 もう少しで契約書にサインするところだったニールは、静かにペンを置いた。


 帰りのエレベーター内、ニールは携帯端末で電話をしていた。その相手は秋葉原電脳商工会に所属するネットカフェの店主だった。


「拠点が欲しいならウチの店を使いな。内装はボロいし好き勝手にやってもらって構わない。バイトには大口の客が来るって伝えておく。ただし、作業内容に関しては一切関知しないからな。あと、金は出せよ」

 気前のいい声でネットカフェの店主は言う。


「ありがとうございます」

 ニールは礼を言うと電話を切った。


 ビルを出た2人は、指示された場所を目指した。目的のネットカフェは秋葉原の裏通りに位置していた。


 レトロな雰囲気が残る老朽化した階段を登る。長らく掃除がされていないようで、あちこちに埃が溜まり蜘蛛の巣も張っている。年季の入った雑居ビルの3階と4階がネットカフェになっていた。


 磨りガラスの扉を開けて中に入ると、先ほどの洒落たレンタルオフィスとは対照的な光景が広がっていた。天井の蛍光灯はチカチカと点滅し、青白く冷たい雰囲気が漂っている。2人は受付の前を通って個室エリアに向かう。壁紙はあちこちが破け、各ブースを分ける木製のパーティションは所々小さな穴が空いている。経年劣化の目立つ室内だった。


 早速、エリはラップトップPCを叩いて、回線のテストをした。PCの画面には、軍用レベルの回線速度が表示されていた。

「ここのネットめちゃくちゃ速いです」


「さっき電話で『世界最速の回線がウチの売り』って言ってたからな」


「このPCなんか32コアでグラボ付きですよ」

 みすぼらしい見た目の店内であったが、ネットサーフィンをするには十分すぎるスペックだ。その設備に2人は文句なしだった。


「あの、連絡はいってますよね」

 ニールは本棚の整理をしていた店員に尋ねた。


「はい、社長からさっき電話ありました。えと、何時間貸し切られますか?」


「今日から1週間で」


「1週間……わかりました」

 少し考えた後で、店員は受付に戻ると、手際よくレジを打ち始めた。


「代金はこちらになります」


 レジには見たことない値段が表示され、エリはギョッとした。しかし、ニールは顔色1つ変えずに、あっさりと現金で支払った。

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