訓練

 組み立て施設に駐機するシャトルの前には、パイプ椅子と長机、それにホワイトボードが用意された。3人は椅子に座って、島本の話を聞いている。


「君たちが宇宙へ行くことは十分可能だ。だが、それは何も問題が起こらない、という前提の上での話。問題が起きれば、君たち自身でシャトルを飛ばさなければならない」

 はっきりとした口調で話した島本は、マニュアルを長机の上にどさっと置いた。紙の辞典くらい分厚いマニュアルが何冊もある。


「マジできついって、打ち上げまであと数日ってところで」

 レンは顔を引きつらせていた。


「そう?」

 レンとは対照的に、エリは涼しい顔をしていた。どちらかと言えばコースケも同じだった。


「これを熟読しとけと言いたいところだが、打ち上げまで時間がない。ということで、今からこの内容を要約した講義を受けてもらう」




 島本の講義は4時間に及んだ。レンは魂が抜けたかのように疲れている。

「いや〜座学はキッツいよホントに」


「僕は案外楽しかったけど」


「私も」


 講義の内容は、生命維持システムの仕組みや宇宙服の使い方、基本的なシャトルの操縦方法、ドッキングの手順、緊急時の対処法など幅広い範囲を押さえていた。宇宙飛行士が学ぶ事柄から、最も重要な部分を抜き出しこれでもかと圧縮したものだった。


「諸君、次は操縦訓練だ。HALに特別な訓練プログラムをインストールしてある」

 島本が3人をシャトルの機内へ案内する。


 進行方向左側のシートにコースケが、右側にレンが、その後ろにエリが座った。島本はHALをシャトルと接続し、その筐体はセンターペデスタルの窪みにぴったり収まった。


 シャトルの内部には若干の改良が施され、エリが座るシートの横には、彼女が愛用するラップトップPCを固定できるマウントが設置された。


 コースケはシートに腰掛けると、深呼吸をして機内の匂いを嗅ぐ。整備のため、何度もコックピットには出入りしていたが、操縦訓練となると一段と気が引き締まった。


 正面のコンソールには、小さなブラウン管モニターと数々のスイッチが配置されている。博物館に展示されていそうな古い宇宙機より、そのデザインは幾らか洗練されているものの、コックピットにはレトロな雰囲気が残っていて、過去の宇宙機のDNAを確かに引き継いでいるように感じられた。


 コースケは窓の外を見た。そこには、ごく普通の白いスクリーンが張られていた。スクリーンは僅かにゆらゆらと揺れていて、天井のクレーンから伸びるワイヤーの先にぶら下がっている。


「実機で訓練って、窓の外にスクリーンを張っただけ!?」

 コースケは、あまりのチープさに拍子抜けした。


「精巧なシミュレータを作る金は無いんでね。外の景色は飛行にあまり関係がない。ヘッドセットをつけてくれ」


 島本がコックピットを出て行く。ハッチが閉められ、組み立て施設の電気が消えた。同時にコックピットのモニターに明かりが灯り、窓の外のスクリーンにはコンピュータグラフィックスで描画された地球が映し出された。シャトルが地球の軌道上にいる設定のようだ。3Dモデルの解像度は低く、地球の輪郭はカクカクしている。


「なんだこれ、ただのゲームじゃん!」

 レンが興奮した声で言った。


「単純……」

 その様子を見たエリは、低い声で呟いた。


『はやぶさ2、聞こえるか?』

 ヘッドセットから島本の声が聞こえてくる。


「聞こえます」

 コースケが答えた。


『音声通信はこんな感じだ。画質や安定性はまちまちだが、映像で通信もできる』

 管制室にいる島本がコンソール中央のメインパネルに映し出された。


『まずは、適当に操縦桿を操作してみてくれ』


 コースケは足元から伸びる手元の操縦桿を握った。そして、ゆっくりとそれを右に倒す。目の前の地球が、ゆっくり左へと流れていくのがわかった。シャトルの姿勢が変わると、それに合わせて計器の表示も変化する。


『では、早速はじめようか』

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