HALとロケット

「各種センサーのデータをHALに送れるようにするのか」

 レンは、テーブルの上にロケットの回路図を広げた。


「制御コンピュータとHALを接続する」

 エリは回路図に描かれた制御コンピュータを指差す。


「ロケットの状態をHALが俯瞰して管理するイメージだよね。それこそ本当に宇宙飛行士が乗ってるみたいな」

 コースケは回路図の隣に立つHALを眺めた。3人の話を理解しているのかしていないのか、HALは首を傾げたまま話を聞いている。


「その通り。ざっとプログラムを調べたかんじだと、高度な判断システムが実装されてる。ロボット三原則に沿った強力な安全装置もね」

 エリが言う。


「それってアイザックアシモフの?」

 レンは察しが良かった。


「そう」

 エリはキーボードを叩いて『ロボット3原則』と検索した。検索結果の一番上にあったオンライン百科事典のWebページを開く。


「簡単にいうと、ロボットは人間を傷つけるな、人間の命令に従え、前2つに反しない限り、自分を守れってやつ」

 ラップトップの画面を2人に見せながら、エリはWebページの内容を要約した。


「これがロケットの安全装置にそのまま使えるってわけか。で、これからどう作業する?」

 レンはそう話すと、コースケに意見を求めた。


「システムの作業工程はエリに任せる。残りのスケジュールはそれに合わせて練り直すよ」

 コースケがエリの方を見る。


「作業は手探りになるだろうし、とてつもない量のプログラムを書かなきゃならない。私一人じゃ手に負えないから、2人にも手伝ってもらうことになる。ちょっと待ってて」

 エリはそう言って立ち上がると、テーブルの横にホワイトボードを引っ張ってきた。ペンを手に取り、おおよその作業内容とその見通しを記す。


 エリはペンの先端でトントンとホワイトボードを叩いた。

「ロードマップにHAL搭載の計画をねじ込んでみた。相当きついけど、予算獲得のためにはやるしかない」


「たったこれだけ?」

 レンは椅子から身を乗り出して声をあげた。


「あとひと月で、ロケットを高度100kmまで飛ばさなきゃならない。それが予算の条件だし」

 ペンに蓋をしながらエリが話す。


「こりゃ当分うちに帰れそうにないな」

 顔を引きつらせたレンの一言に、エリは「当然でしょ」と涼しい顔で返す。


「やろう」

 2人の目を見て一呼吸置くと、コースケは真っ直ぐに言った。その言葉に対し、2人は深く頷いて応えた。


 格納庫の片隅には、ブルーシートに包まれたロケットの外装パネルやパーツが置かれている。ロケット開発は、真っ白なパズルのピースを1つ1つはめていくような途方もない作業だ。予期しないトラブルやバグを地道につぶしていく根気強さが求められる。過酷な日々になるのは明らかだったが、3人は本気だった。


 こうして、本格的にロケット開発がスタートした。ロケット本体の組み立てだけでなく、新たにHALを利用した自己診断機能と安全装置、飛行制御の実装が必要になり、作業量は膨大になった。コースケたちは格納庫奥のプレハブ小屋に寝泊まりし、起きている時間のほとんどを開発に捧げた。夜明けとともに寝袋を抜け出すと、そのまま格納庫中央のテーブルに集まって作業を始める。大学の講義は必要最低限まで出席を減らし、その最中もラップトップで図面やソースコードと向き合った。そして、格納庫に戻って作業を続け、日付が変わってから床に就く。その繰り返しだった。


 開発が佳境に入るにつれて、1日の作業時間は伸びていった。寝色を忘れて没頭することもしばしばで、徹夜も珍しくなかった。しかしそれは、納期に強いられた長時間労働というより、もう少しだけやってみようという探究心を積み重ねた結果だった。


「だめだ。エラーばっか」

 コースケはラップトップの画面を前にして、ため息をついた。新たに処理を書き加えればプログラムは複雑化していく。手を動かした分だけ、新たなバグが生まれる。


「おつかれー」

 ラップトップの向こうでレンが言う。作業が捗っていないのは彼も同じだった。


「こんな時間まで」

 格納庫の高い位置に取り付けられた窓は、おぼろげに青白くなっている。


「コースケもじゃん。美しい自発的ブラック労働だよな」


「エリは?」

 コースケは小声で訊いた。


 2人の声が聞こえた上で無視しているのか。それとも、そもそも聞こえていないのか。耳を貸さずに没頭するエリの集中力には、目を見張るものがあった。彼女は時々髪を手でくしゃっと弄りながら、黙々とキーボードを打ち続けている。そのせいで、重たいショートの髪は毛先が跳ね、ひどい寝癖のように大きく乱れていた。言葉こそ発しないが、作業の進捗具合はその表情でわかる。眉間にしわを寄せ、殺気を帯びた目で、ラップトップの画面を鋭く睨んでいる。


「あっちも苦戦してるみたいだ」

 レンが囁いた。


「話しかけないでおこうか」


「邪魔すると後が怖いし」

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