再起動

 午後の講義を済ませたコースケは、格納庫を目指して自転車を漕いでいた。大学のキャンパスは、東京ドーム55個分の敷地を誇り、学校というよりは森林公園の様相をしている。自然豊かな景観は、郊外の大学ならではだった。キャンパスがあまりに広すぎるため、その移動時間に不満を抱く学生は数多くいたが、コースケはその逆で、木々の間を自転車で駆け抜けていくのが楽しかった。夏の暑さも幾分か和らぎ、どこか懐かしい草木の香りが鼻をつく。季節ごとに変わる空気は、新しいアイデアの種になるような気がした。


 自転車を格納庫脇にとめ、正面のシャッターをくぐって中に入る。中央のテーブルには、黙々とラップトップを叩くエリと、どこか暇そうなレンがいた。


「はい、飲み物。キリンガラナでよかったんだっけ?」

 コースケは、途中の自販機で購入した3本の飲料をバックパックから取り出し、テーブルの上に置いた。キリンガラナの他に、お茶とエナジードリンクが並ぶ。


「ありがと」

 ラップトップに目を落としたまま、エリが言う。そして、ペットボトルの蓋を開けると、キリンガラナをぐいっと喉の奥に放り込んだ。


「それ何?」

 パイプ椅子に深く腰掛けたコースケは、首を傾げながら尋ねた。レンは、野球ボールよりふた回りほど大きいボールを、片手でポンポンと遊ばせている。よく見るとボールの表面には7色のストライプが入っていて、上部には丸い安全ピンが付いていた。


「あ、これ?」


「また危ないもの買ってきた?」

 エリが咎めるような口調で訊いた。ラップトップで作業を続けながら、片手間に話に加わる。


「まだ何も言ってないじゃん。これはレインボー爆弾」


「爆弾!?」

 コースケは思わず声を上擦らせた。


「いや、それは商品名。人に危害を加えるもんじゃない。一応、反応の過程でほんの少し毒性は出るんだけど、影響はほとんどない。アキバで偶然見かけて思わず」


 レンは愉快そうに説明を続けた。

「強化版ゾウのハミガキ粉。ピンを抜くと5秒で化学反応が起きて巨大な泡の塊になる。ここで使ったらそこらじゅうが一面レインボーの泡だらけになるってわけ」


「それ何に使うの」

 エリは目を細める。


「使い道はない。それがいいんじゃんか〜」


「片して。嫌な予感がする」

 エリは低い声で言った。


「別にいいじゃん」


「片して」 


「分かりましたよ」

 レンはボールを手に持つと、格納庫奥のプレハブ小屋に向かった。


 その様子を見たエリはすかさず言う。

「そっちじゃなくて、バッグに」


「はいはい」

 レンは、渋々そのボールをバックパックの中に入れた。


「よし、直った」

 エリが呟く。

 

「直ったってHALが?」

 コースケが問いかける。


「うん」

 エリはキーボードのエンターキーを叩く。するとHALの頭部にあるディスプレイが徐々に明るくなり、2つの白い丸が映し出された。


 HALは短くビープ音を鳴らす。


「おはよう」

 エリが言った。HALは手足を展開させて、大きく伸びをした。


「元気そうだね」

 コースケもHALに声をかけた。それに対してHALはビープ音で応える。


「ロボットに風邪も元気もあるかよ」

 レンが呟くように言う。


「そういやジャイロの件。考えたんだけど、安いセンサーを複数搭載するってのはどう?」

 コースケは話を切り出した。バックパックから自分のラップトップをテーブルに広げると、ジャイロセンサーのカタログが載ったWebページを開いた。


「アイデアとしては悪くない。でも、正しい加速度情報を複数のデータから抽出できるかどうかがわからない。出来なくもないけど技術的にはかなり難しい」

 エリは言った。


 そして、付け加えるように呟く。

「当てにならないデータを勝手にソフトウェアが弾いてくれるならいいんだけど」


「・---・・-・-・・・-・-・」

 HALは伸びのあるビープ音を鳴らした。


「なっ……!?」

 コースケは手元のラップトップを見た。画面のウィンドウが切り替わり、論文のPDFファイルが開く。その間、PCには全く手を触れていなかった。


 その見出しには『ニューラルネットワークを用いた複数センサの統合処理と入力値の推定およびアップサンプリング手法』と書かれている。


 コースケは本文を流し読みすると、興奮した様子で言った。

「これだ!」


 エリとレンも、コースケのところに駆け寄って論文を確認する。


「HALが見つけたのか?スゲー賢くないか?」

 コースケの肩に手を当てながら、レンが言った。


 エリはすぐ自席に戻ると、ラップトップを叩いてHALの動作状況を確認した。CUIのウィンドウにはHALの動作履歴がリアルタイムで表示されている。

「そうみたい。少なくともレンよりは利口」


「一言余計だよ」


 2人が話す間に、コースケは夢中でコピー用紙にペンを走らせていた。

 

「これでいけるはず!」

 コースケは1枚の紙を2人に見せた。それは、プログラムの仕様書と動作実験の概要が記されたメモだった。3人はその仕様書に沿って、すぐさま実験の準備に取り掛かった。




「準備OK」

 エリは言った。


 用意した実験装置は簡素だった。実験装置は、プレハブ小屋にある洗濯機の蓋に、ジャイロセンサーを5つ横に並べ、それらを100円ショップで買ってきたダクトテープで蓋にしっかりと固定したものだった。一番右の1つが緑色のテープ、残りの4つが赤色のテープという風に色分けがしてある。各センサーからはケーブルが伸び、洗濯機隣のパイプ椅子の座面に置かれたラップトップPCへと接続されている。そして、そのラップトップPCからさらに伸びたケーブルが床に立っているHALへと繋がれていた。


 HALは興味深そうに3人の様子を見上げている。


「左4つのジャイロセンサーに対して、コンピューターがランダムにノイズを乗せる仕組みになってる。そのノイズを除去して正しい値が出てくれば成功。右の1つがノイズなし、左の4つがノイズあり」

 エリが説明した。


「緑と赤で左右の値が同じになればいいってことか」

 PC画面を見ながら、レンが言った。


「実験開始」

 コースケが洗濯機のスタートボタンを押した。ピッという電子音とともに洗濯機が大きな音を立てて、ガタガタと振動し始めた。すぐに回転数は安定し、洋服と一緒に洗濯槽が高速回転している。


 正座をした3人は、肩を寄せ合ってラップトップPCの画面を睨んだ。左右の値がバラバラに表示されている。


 エリは、ぱちっとエンターキーを叩いた。すると、赤のセンサー値が緑のセンサー値へとどんどん収束していく。そして、2つのセンサーの値が一致した。


「成功じゃない?」

 コースケがエリに訊いた。


「改良の余地はあるけど……成功」

 エリが答える。3人は小さくガッツポーズをした。


「それにしても、どうしてHALがこれを?」

 レンが疑問を口にした。


「詳しく調べてみる」

 そう言ってエリはプレハブ小屋を出ると、テーブルに戻ってキーボードを黙々と叩き始めた。コースケとレンも今できる作業をしながら、エリの解析が終わるのを待った。次にエリが口を開いたのは、2時間後のことだった。


「HALの記憶領域に様々なデータが保存されてるみたい。だから、ノイズの解決法が分かったんだと思う。内部にはシミュレーター機能も実装されてるみたいだし、宇宙機の自律点検AIなのかもしれない。それと、内部のセキュリティが厳重すぎる。暗号化されて閲覧できない部分がある」

 エリはラップトップPCを操作しながら説明した。


「わかった!」

 コースケは大声をあげた。格納庫にその声は響き渡り、エリとレンはびっくりした様子でコースケを見る。


 コースケは2人に向かって言った。

「ロケットにHALを搭載して、飛行を制御してもらうってのは?」


「AI搭載ロケットか!」

 レンは興奮した声で言った。


「その発想はなかった」

 エリは感心したように話す。


「技術的にはどう?」

 コースケはエリに訊いた。


「ジャイロセンサーの制御もニューラルネットだし、それらの処理をHALにやってもらえばさらに精度が上がるかもしれない。技術的には十分可能だと思う」


「決まりだね」

 コースケは明るい声で言った。


「あっでも、HALにも一応許可もらわないとダメだよな……」

 レンが言った。


「HAL、手伝ってくれる?」

 コースケはHALの方を見て言った。HALは首を傾げている。


「言い方がダメなんじゃないか?」

 レンはコースケの隣に来ると、耳打ちするように言った。


「ダメってどういうこと?」

 小さい声でコースケは言った。


「もっと取引先に言うみたいに」

 レンが囁くように言った。コースケは、それが冗談なのか本気なのか分からなかったが、仕方なく従うことにした。


 コースケはHALの前で正座をすると、深々と頭を下げた。

「このままだと僕ら廃部の危機なんです。どうかお力を貸していただけないでしょうか?」


「----・-」

 HALは上機嫌なビープ音を鳴らして、コースケの頼みを快諾した。


「ここまでする必要あった?」

 コースケは迷惑そうにレンに訊く。


「あった」

 レンは悪戯っぽい笑みを浮かべた。


 HALをPCに接続すると、足と羽が畳まれ白い箱型の形状になった。セーフモードに移行したようだった。


「内部の暗号化が解除されたみたい。一部だけど」

 エリが言った。


 すぐに3人の間で、HALをロケットに搭載するための検討が始められた。いいアイデアを思いついたらすぐに試す、それが3人の持ち味だった。

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