秋葉原

 正面に『ホノデン』と書かれた大きなネオンサインが見える。秋葉原の街並みは独特で、周りのどのビルにも、建物の外壁を覆い隠す勢いで派手な色彩の広告や看板が張り出されていた。アニメキャラクターが描かれた巨大広告、店のロゴやキャッチコピーが書かれたパネル、商品名や企業ロゴが敷き詰められた横断幕、大きな写真で新製品の発売を知らせる垂れ幕など、そのバリエーションは豊かだった。どの看板も何とかして通行人の注意を惹こうと競い合っていた。


 3人は、総武線高架下の横断歩道を渡り、中央通りの歩道を末広町方面に進む。鋼材を格子状に組んだ足元の換気口からは、埃っぽさをはらんだ生温い風とともに焦げた鉄の匂いが流れてくる。


「今日めちゃくちゃ人が多いな」

 レンは街行く人々を見渡して言った。今日の秋葉原は、いつにもまして観光客や買い物客でごった返していた。


「あれ」

 エリはすぐそこの家電量販店を指差した。


 家電量販店の店頭には『WinosOS:VISTA発売!』と書かれた広告が掲げられている。その前には、歩道を埋め尽くし車道にはみ出るほどの人だかりができていた。Gooplex製の最新マルチプラットフォームOSが発売されたばかりだった。


 商品が山のように積まれたワゴンを目指して、もみ合いになる客であたりは大騒ぎだ。その渦に押しつぶされながらも、拡声器とOSのパッケージを両手に掲げた店員が「今買えばお買い得ですよ! Gooplexの最新OSついに日本上陸!」「押さないでください! 押さないでください!」と高い声で叫んでいる。やっとのことでお目当の商品を購入できた客は大喜びだった。


「最新OS入れたりはしないの?」

 コースケはエリに何気なく訊いた。


「開発中って状態で環境を変える? まさか買うつもりだった?」

 エリはコースケの発言に驚いていた。


「......いや、ちょっと言ってみただけ」


 家電量販店や最新のOSに用はなく、3人はお祭り騒ぎの人々を横目に路地へ入った。どこかから雑音混じりの80年代シティポップが聞こえてくる。




 中央通りから一本入った外神田の裏通りには、PCなどの電子機器に関連するDIYショップや小さな露店がひしめいている。店内と路上の区別は曖昧で、店の前には商品が乱雑に放り込まれた衣装ケースやワゴンが道路にはみ出るように並んでいた。PCパーツを扱う店では、大容量フロッピーディスクなどの記憶メモリー、各種接続ケーブル、マウスやキーボードなどが、安売りを強調する黄色いPOPとともに叩き売りされている。電子機器を扱う店では、00年代のPDAに似た携帯端末やカセット型の記録メディアを読み込むウォークマン、大きな筐体のブラウン管PCモニタが近頃の売れ筋だった。


 コースケは、店頭に置かれた2冊の雑誌が目についた。その表紙は『平成レトロ:ノスタルジーと質量への回帰』『最新アナログ家電完全攻略本』と題されている。


 近年、人々の間では、シンプルかつ保守性に優れたレトロ製品やその設計思想を受け継いだ製品が流行していた。不況の波が影響したのか、コンテンツの定額配信サービスが台頭した反動なのか、耐久性・冗長性を持った電子機器や手触りのあるメディアが好まれるようになった。個性のある筐体、物理ボタン、単機能のデバイスなどを再評価する動きは『質量への回帰現象』と呼ばれ、モノの所有を重視する社会現象として認知されていた。それは、人間の肌と心に近づく科学技術とメディアに対する、不気味の谷とも言える現象だった。


 3人はジャングルのように商品が溢れる路地を進む。しばらく歩くと、店頭に並ぶ製品は変化していった。


 外神田には、宇宙機用の電子部品やコンピュータ、ロケットの部品を専門に販売する店が軒を連ねていた。2020年代以降、民間企業による宇宙開発競争が激化していくにつれて、宇宙機用のハードウェア、ソフトウェアを扱う店や町工場が数多く進出してきたのだった。大田区や東大阪、筑波や相模原など他の地域との繋がりも強く、何処かの店に図面を投げれば一週間も経たずにロケットが組み上がる、そんな日本で一番の品揃えと技術力を誇る宇宙開発市場が、外神田一帯に形成されていた。


「相変わらずだ」

 コースケは辺りの景色を眺めながら言った。


「この賑わい?」

 エリが訊いた。


「作るためのモノがなんでも揃ってること」


「確かに」

 エリは納得した表情で前を向いた。


 ここ数年で、宇宙開発競争がGooplexの一人勝ちで終わるという機運が高まり、機材を処分する企業が後を立たなかった。それに加えて、Gooplexの工場から裏ルートで流れてくる品も数多くあり、秋葉原では関連部品が破格で取引される状況が続いている。


 宇宙機向けの製品やその部品は、自動車や工業用機械、ロボット、コンピュータなどにも流用できるために、分野を問わず重宝される。秋葉原の裏通りでは、一般の客からプロのバイヤーまでもが、安くていいものを手に入れようと日々目を光らせていた。


「今日の品揃えすごいぞ!」

 レンは興奮した様子で言うと、店の前に張り出された黄色いチラシの前に駆け寄っていった。

 

「中古の誘導コンピュータ!宇宙機用の耐熱塗料にレーダーモジュールも。全部買い占めたらロケットが完成しそうだ!」

 振り向いたレンは、買わないの?と訴えかけるような目で2人を見た。


 『格安!』とPOPがついた誘導コンピュータの値札には、7桁の数字がぶら下がり、耐熱塗料はドラム缶での販売だった。学生が手を出せる代物ではなかった。


「値段見てる?、ほら行くよ」

 エリが言った。しかし、レンにその声は届かなかったようだ。今度は金属部品が積まれたワゴンを一心不乱にほじくり返している。


「後からついてくるでしょ」

 エリは呆れた様子で言った。


「そりゃそうか」




 3人はこじんまりとした店を訪ねた。店先の両脇には黄色の採集コンテナと段ボールが積まれていて、その上の看板には『ダテ製作所』と書かれている。


 コースケは、商品棚の間をすり抜けるようにして店内に入った。他に客はおらず、静かで落ち着いた雰囲気だった。レジカウンターの横には、ロケットの模型がいくつも置かれているのが見える。オレンジ色のボディにJAXAと書かれたロケット、小さい白いロケット、太陽光パネルがついた探査衛星などが飾られていた。


「じっちゃんいる?」

 コースケが大声で言った。その声は店内に響いたが、返事はない。


「じっちゃん?」

 コースケはもう一度繰り返す。


「よく来たよく来た」

 その声とともに店の奥から、優しい顔をした白髪の老人が現れた。丸眼鏡にシワの目立った肌、いかにも熟練の技術者という風貌だ。両脚には、外骨格パワーアシストスーツを装着していて、見かけによらずその足取りは軽かった。


「どうだい、ロケットの方は?」

 じっちゃんは言った。


「いや〜、また失敗しちゃって」

 コースケは頭を掻きながら答えた。


「宇宙開発ってのはそういうもんさ」

 じっちゃんは朗らかに笑ってそう言った。


「で、今日は何が欲しいんだ?」


「もうちょっといいジャイロセンサーが欲しいんです。振動に強いものが」

 コースケは言った。


 エリはラップトップPCをレジカウンターに置いて、打ち上げの映像とデータを見せる。

「これなんですが……」


 じっちゃんは、ウンウンと頷きながら映像を眺めた。一度見ただけで、おおよその見当がついた様子だった。


「姿勢制御のトラブルか。うーむ、センサーの質をあげたらどうだ」

 じっちゃんは、店の奥に商品を取りに向かった。


「やっぱ詳しいよなあ〜」

 店の奥に消えていくじっちゃんの背中を見ながら、レンは言った。


「もう長いこと秋葉原で店やってるって聞いた」

 コースケが言った。


「昔はロケット作ってたって話じゃない?」

 エリが言った。


 しばらくすると、店の奥からじっちゃんが戻ってきた。商品が入った箱をレジカウンターに置く。


「Goopleの宇宙機にも入ってる日本製のジャイロセンサーだ。品質は世界一。耐圧耐熱耐水耐衝撃性は文句ないぞ。極限環境での動作保証あり!」

 自信ありげに言ったじっちゃんは、電卓を弾いて値段を見せた。


「その宣伝文句、舌を噛みそうだ」

 レンが言った。


「これはちょっと高すぎます」

 電卓の表示を見て、コースケは言った。


「モノがいいのはどうしても値段が張るもんでな。だが、これでもかなり安いぞ」


「下手にケチると性能がガタ落ちなんだよなあ〜」

 レンは高いのにしよう、と言わんばかりに愚痴をこぼした。


「そうなんだけどね。でもこの値段だと失敗ができない」

 コースケは言った。


 結局、コースケたちは色々と話し合った後で、ジャイロセンサーについてはもう少し検討することに決めた。今日のところは、いつも使っているそのほかの部品を買うことにした。


「じっちゃんは最近どう?元気?」

 商品を紙袋に詰めているじっちゃんにレンが聞いた。


「体はまだまだピンピンさ。だが、店の方はなんとも言えんなぁ。ここんところ、宇宙機の中古部品は価格競争が激しくてな。部品の目利きや修理には自信があるが、ここまで安くなるとなかなか」

 じっちゃんは頭を掻いた。


「Goopleの影響ですか?」

 エリは尋ねた。


「それもあるんだろうな。最近はGoopleの新製品ばかり売れやがる。宇宙向けの製品は新しけりゃいいってもんじゃないよ。まったく」


 じっちゃんは寂しそうな顔で続けた。

「このままだと中小の部品は、近いうちにゼロになるんじゃないか。Goopleが類似品を安く作っちまうからな。ウチみたいな小さいトコがこの先、生き残れるかはわからんなあ」

 

「さあ、持って行きな。頑張れ!」

 じっちゃんは温かい笑顔でそう言うと、コースケに紙袋を渡した。3人は、ありがとうございました、と丁寧に頭を下げてから、店の出口へと向かった。


「次はHALのバッテリーを探しに……」

 コースケが言いかけた時だった。

 

「あっ!型落ちのグラボ!ちょっと見てくる」

 エリは、目の前に見えた安売りの値札に釘付けだった。そして、そのまますぐ向かいのPCパーツ専門店に吸い込まれていった。


 コースケが、エリの姿を目で追っている間に、隣にいたはずのレンもいなくなっていた。気がつけば、1人呆然と店先に取り残されていた。


「全く……」

 いつものことだとわかっていながらも、コースケはため息をついた。2人に連絡しようとポケットから携帯端末を取り出す。そして、メールの文面を打ち込もうとしたところで、ふと聞きたかったことを思い出した。


 コースケは後ろを振り返って、じっちゃんに尋ねた。

「アポロ11号って月に行ったと思いますか?」


「どうした急に?」


「いやっなんとなくというか」


「さては、なんかあったな」

 じっちゃんにはお見通しだった。


「まあ……」


「月面着陸を見て、宇宙を志した私はただのアホだって? ええ?」

 じっちゃんは問いかけた。


「……」


「皆、人々が血眼になって成し遂げた偉業を信じられなくなってしまった。それが進歩の結果なら、残念だよ」

 そう言うとじっちゃんは、レジの横に並べられたロケットの模型を眺めた。


「コースケ、君はどうなんだ?」


「僕は……信じたいです。確証もないですけど」


「それでいいんじゃないか」

 じっちゃんは穏やかに笑った。


 静かに会釈をして、コースケは店を後にした。

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