アポロ11号

「全く、ヘンなロボットのせいで遅刻だよ。ホント、コースケはお人好しだよな」

 せかせかと歩きながら、レンはぶっきらぼうに言った。


 ドアを開けて3人は講義室に入った。すでに開始時刻をすぎていて、100人程の生徒が教授の話を聞いている。その様子を見ながら講義室の階段を急ぎ足で下りていく。


 3人は教授と目があった。

「またいつもの3人組。今日も遅刻とは」


「すみません。ちょっと忙しくて」

 荷物を席に置きながら、コースケが言った。


「毎回毎回、何がそんなに忙しいのかな、まったく。まあ、ちょうどいいところだ。アポロ計画について説明してもらえるかな」

 座ろうとしたコースケを引き止めて、教授は黒板を指差した。コースケは目でそれを追う。黒板には白いチョークで『今日のテーマ:月面の宇宙開発史』と書かれていた。


 コースケは記憶を頼りに説明する。

「はい。えーと、アポロ計画は、60年代に行われた月への有人探査計画のことで、その中でアポロ11号が人類初の月面着陸を成し遂げました。ニール・アームストロング船長が月で述べた一節はあまりに有名で……」


「そこまでで結構」

 教授が遮るように言った。同時に周りの学生たちがどよめく。コースケに対して、教室中から視線が注がれた。


「自信たっぷりに答えてもらって恐縮だが、それは間違いだ。ありがとう座ってくれ」


「いやっでも昔……」

 コースケは食い下がろうとしたが、その場の空気に圧倒されて口をつぐんだ。間違ったことを言ったつもりは全くなかったが、大勢の中で自分だけが取り残されたような孤独感を感じた。唇を噛みながら、無言で席に腰を下す。


「彼のおかげで説明の手間が省けた。正確に言うなら、今話してもらったのは古い説だ」

 コースケには教授の言うことが理解できなかった。


「多くの人には常識だろうが……アポロ計画は、ソ連を崩壊させるためのプロパガンダだった。月面着陸は捏造だったんだ」

 教授がにこやかに話すと、教室全体は笑いに包まれた。


――月面着陸は捏造?

 コースケは教授の一言を聞いた途端、頭を殴られたようなショックを感じた。


「とんだ災難だったな」

 不満げな表情のコースケに対し、隣に座るレンは小声で言った。


「では、イントロダクションはここまでにしよう。というわけで、月面の宇宙開発史は20年前から遡って始めるのが相応しいと思う。2026年、有人探査によって、月面にあるヘリウム3の正確な埋蔵量が判明した。これがきっかけで人類は新たな宇宙開発時代に突入した」


 教授はチョークを軽快に滑らせ、黒板に『NASA・FSA・JAXA・ESA・...→ISA→Gooplex』と書いた。


「宇宙開発の覇権は時代とともに変化してきた。25年頃までがNASA、次がISA、そして今はGooplexの時代だ」


「あの教授絶対俺たちのことよく思ってないぜ、単位だって怪しいかも」

 レンがボソリと言った。


「そうだね」

 適当に返事をしたコースケは、退屈そうに頬杖をついて教授の講義を眺めた。


「テストが心配なんだよ。そういや、この講義は持ち込み可だっけ?不可だっけ?」

 レンがまた何か言った。


「レン、ちょっとうるさい」

 2人の後ろで講義を聞いていたエリが、少々不機嫌な表情で言った。


「単位の心配ぐらい、いいだろ?」


「こんな暗記だけの講義、単位が取れて当たり前」

 その一言は、レンを黙らせるのに十分だった。


 彼女の発した棘のある発言は、幸い教授の耳に届いていなかった。何事もなく授業が進められる。

「月面で採れるヘリウム3は、核融合に必要なエネルギー資源だ。これを巡って、ISAとGooplexは技術開発競争を繰り広げた。勝者総取りの仕組みは知ってるな? これは、先にヘリウム3を地球へ持ち帰った方が勝利するゲームだった。この戦いにISAは敗北、Gooplexが勝利した」


 教授の講義は、話のペースを緩めることなく時間いっぱいまで続いた。コースケには講義がいつもより倍長く感じられ、朝から妙な疲れが滲んだ。


「はい、今日はここまで」

 教授の一言で、講義を聴いていた学生が一斉に席を立ち始めた。


 コースケはアポロ計画のことが頭から離れなかった。

「全然納得がいかないんだけど。あんな学説、絶対おかしい」

 

「信じられない気持ちはわかるけどさ」

 レンは言った。


「みんな映像すら見ずに出まかせを言ってるんだ。小さい頃、科学館で展示とか映像とか見なかった? 動画サイトに証拠だって」

 コースケはレンに問いかけるように言った。


「俺はみたことない」

 レンが答える。


「そんなわけ――」

 コースケが反論しようとした時、エリが会話に割って入ってきた。


「それより、次の予算申請ちゃんと考えてる?」

 エリの言葉で、コースケは一気に現実に引き戻された。


「忘れてた……」

 コースケは小声になった。


「教授陣に進捗を出すのいつだっけ」

 レンが言う。

 

「45日後」


「えっ、それマジ!? 」

 レンが声をあげた。


「たったそれだけ?」


「リーダーが期日を把握してないとは呆れた。忘れたの? 私たちが非公認サークルってこと。このままじゃ次の予算すら怪しいんだから」

 エリは真剣な表情で言う。開発のスピードを考えると、厳しいスケジュールであることは明白だ。


 元々コースケたちの研究室は、10人ほどが所属する正式な研究室であったが、1人辞め、2人辞め、とうとう所属するのはコースケたち3人だけになってしまった。担当の教授はいたものの、ロケットの研究に興味がないようだった。その教授は、所属人数が規則に満たなくなったため研究室は解散する、と言い残して担当を離れた。今では、コースケたちが勝手に研究室と呼んでいるだけで、大学側からの扱いは非公認サークルとなっている。


 けれども、エリの思いつきで3人は大学側と交渉し、非公認サークルへの降格に際して、ある条件を設けた。宇宙に到達するロケットを開発し、その完成の見込みがある限り、大学はその予算を工面するという条件だ。だから、定期的にロケットを打ち上げ、研究成果を教授陣に提出することで開発予算を獲得することができる。そして、次の予算が認められるためにはロケットを高度100kmに到達させる必要があった。

 

 とはいえ、ロケットの打ち上げは失敗続きで、状況は相当厳しかった。大学から予算を獲得できなければ、ロケットを打ち上げることは出来ない。それは、サークルの解散を意味していた。


「わかってるよ。そのくらい」

 コースケは小さい声で呟いた。


「研究室はボロいし、軽トラだっていつ壊れるかわかんねーし、どうせ弱小サークルですよ」

 続いてレンが文句を言い放った。


「学部は予算削られてく一方だし」

 コースケが言った。


「贅沢言うならさ、Goopleの大学で研究すれば?私はこっちの雰囲気のほうが好きだけど」

 エリは言った。


「受かったような口ぶりじゃん」

 レンが口を尖らせた。


「受かったよ」

 エリはサラッと答えた。


「「え!? 」」

予想外の返答に驚いて、コースケとレンは思わず変な声を出した。


「さっきの講義聞いてた?今じゃ、周りのインフラはみんなGoopleなのに!?」

 コースケは動揺しながら言った。


「そうかもね」

 エリは大したことないという顔をしている。


「じゃあ、なんでここにいるのさ」

 レンが落ち着いたトーンで訊いた。


「あっちはなんというか息苦しくてね。こっちの方が断然楽しいし」


「ってことは、エリって」

 コースケは喉元まで言葉が出かかったが、その先はエリに遮られた。


「はいはい、ここから先はプライベートエリア、それ以上訊かない。じゃあ私はこれで、次の講義あるし」

 エリは手際よく荷物をまとめると、まっすぐ講義室を出ていった。バタンと音を立ててドアが閉まる。


「コースケ、100キロに届く自信は?」

 ドアを眺めながらレンが訊く。


「ないわけじゃないけど」

 コースケは弱い声で答えた。


「ほんとうに俺たち廃部かもな」

 レンは呟くように言った。


「できることをやるしかない」

 コースケは当たり障りのない言葉を言った。状況を打開するための画期的なアイデアが浮かぶわけでもなく、心配事は尽きなかった。

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