宇宙ロケット研究部
大学の敷地の隅っこにある長方形の古い格納庫が3人の研究室だった。正面の大きなシャッターとトタンで出来た三角の屋根が目印だ。無骨という言葉がぴったりな内装で、建物を形作る鉄骨と電気配線がむき出しになっている上に、天井からは走行クレーンといくつもの蛍光灯がぶら下がっている。雰囲気は寂れた町工場そのものであった。
格納庫内には、ホワイトボードや様々な工業用機械などが無造作に置かれている。どれも使い古しの機材で、あちこちに錆やオイル汚れ、埃が目立っている。最新の機材はほとんど用意されていなかったが、ロケットを作るために必要な機材は一通り揃っていた。一番奥には、格納庫を見渡せる大きめの窓がついたプレハブ小屋が建てられていて、そこには研究用のデスクトップPCとブラウン管モニタが何台も置かれた事務所と流し台やキッチン、シャワー、トイレがある。籠ってロケットの研究をするには最高の場所だった。
コースケたちは格納庫の中にトラックを駐車し、カプセルや運んできた機材を下ろす。そして、片付けがひと段落したところで、夕食をとることにした。
「今日はお疲れ様でした!乾杯!」
コースケが音頭を取る。
3人は紙コップを掲げた。
「「かんぱーい!」」
ロケット打ち上げの打ち上げ兼反省会が始まった。格納庫の真ん中にパイプイスと長テーブル2つを配置した即席の会場だが、お酒や炭酸のジュース、その他につまみや惣菜、お菓子、カップラーメンなど、帰る途中で買い込んできた食べ物がテーブルの上に所狭しと並んでいる。
この打ち上げは、コースケが提案して始めたもので、打ち上げ実験が終わるたびに毎回この会を開催している。失敗続きが常のロケット開発では、堅苦しく暗い雰囲気で反省会をするより、こっちの方が気楽だとコースケは考えた。そして、何より3人ともこのくだけた雰囲気が好きだった。
「機嫌が直ったみたいで良かった」
エリがコースケを見てにこやかに笑う。
「ロケットはまた作り直せばいいっしょ」
レンが言った。いつもはコースケが口癖のように話す言葉だったが、今日は立場が逆だった。
「さっきはごめん、でももう大丈夫。それに、もっとすごいイベントがあったから」
コースケは正直に話した。
「いや、いきなりカプセルが降ってくるとは思わなかったわ〜」
そう言ってレンは、トラックの隣に置かれたカプセルを見た。折り畳んだブルーシートを下敷きにして、その上にカプセルがそのまま鎮座している。
「私も」
「今時カプセルが戻ってくるなんて、どこのやつなん?」
レンは不思議そうに首を傾げた。
「確かに何の探査機なんだろう」
コースケも疑問だった。
「ざっとレーダーのデータを見たけど、軌道の逆算はなんとも言えない。精度も悪いし誤差も大きい。あんまり期待しないでってところ」
エリは答えた。
「あの掲示板には載ってたりして」
レンが言った。
「あれか」
コースケはラップトップPCを操作して、『火球追跡NET』にアクセスした。有志が観測した火球や隕石、流れ星のデータが集まるBBSだ。
「いくつか目撃情報はあるみたい」
コースケはラップトップPCの画面を2人に見せながら言った。カプセルが落下してきた同時刻に関東で火球の報告があった。
「でも、軌道の逆算には至ってない。時間が経てば、多少データは増えるだろうけど」
「この調子じゃすぐにはムリそうだな」
火球の目撃情報はあるものの、正確な軌道を割り出せるだけのデータはなかった。軌道計算のためには、複数地点から捉えた火球の航跡を組み合わせる必要がある。
「他に何か手がかりは?」
エリが言った。
「ISAのロゴとか?」
レンが答えた。カプセルの側面にISAのロゴがある。
「Goopleはサンプルリターンなんかやってないから、カプセルはISA製が殆どのはず」
コースケは言った。
「もう中身見ちゃうか。でも、開け方がわかんないんだよな。電ノコでぶった切る?」
レンは冗談交じりにそう言った。
「いやいや!それは勿体ない!」
コースケは、大きく首を横に振りながら、全力で反対する。
「え、ダメ?」
レンは小さく笑った。
安全にカプセルを開ける方法も思いつかず、話し合いの結果、ひとまずカプセルはそのままにしておくことになった。そして、コースケは話題をロケットのほうに移した。
「ロケットの方だけど、姿勢が崩れた原因は?」
「今確認する、プロジェクター用意しといて。あとお腹減った、カップラーメン豚骨大盛りで」
エリは少しばかり横柄な口調で言うと、右脚をパイプ椅子の上に乗せて半分だけあぐらをかいた。缶ビールをごくりと飲んでラップトップを叩く。手際良く、打ち上げのデータや映像を確認するための各種ソフトを起動した。
「俺は何にしよっかな〜、たまには味噌にするか。そっちは?」
レンはコースケに訊いた。
「醤油」
コースケはスクリーンとプロジェクターを準備しながら言った。
オーダーをとったレンは、奥のプレハブ小屋へとカップラーメンを作りに向かった。
その間にコースケはプロジェクターの電源を入れた。そして、エリのPCとプロジェクターをケーブルで繋ぐ。スクリーンにはPCのデスクトップが表示された。その背景画像は猫がラップトップのキーボードを叩いている画像だった。
レンがプレハブ小屋から出てきた。手に持ったお盆の上には、蓋を割りばしで押さえたカップラーメン3つが載っている。
「はい、醤油と豚骨」
テーブルの上にできたてが並ぶ。熱々の湯気とともに美味しそうなラーメンの匂いが漂ってきた。
「サンキュー」
「ありがと」
コースケとエリは短く言った。
「じゃあ再生っと」
2人が椅子に戻ったのを確認して、エリはキーボードのスペースキーをぱちっと弾いた。
スクリーンには、打ち上げの一部始終が映し出された。ロケットは発射台を離れて勢いよく上昇した後、高度10kmを超えたところで爆発した。
3人は片手間にカップラーメンを食べながら、話を続けた。
「あの自爆させる決まりなんとかなんないの。霞ヶ浦デルタ内だし、機体は湖の外にも出てない」
レンは不満そうに言うと、一気に麺をすすった。
土浦を起点として、北は大洗。東は鹿島神宮ないし鹿島サッカースタジアムへ向かって直線を伸ばすと、霞ヶ浦デルタと呼ばれる三角形が現れる。霞ヶ浦デルタとは、ロケットの飛行が許可された特別区域のことで、筑波宇宙センターの発射場で打ち上げられたロケットは、ここを通って太平洋上空へと飛行していく。
打ち上げの軌道は、百里基地と鹿島臨海工業地帯を避けるために、原則として茨城県の鉾田以南から行方以北の間に設定しなければならない。農地や山林が広がるこの地域であれば、万が一の人的被害を最小限に抑えられる。ISAや民間のロケット開発を念頭においたものだが、コースケたちも例外ではなく、法的にはこの範囲でのみ打ち上げ実験が認められている。とはいえ、射場一帯が閉鎖された現在では、そうした決まりも形骸化していた。
「大学側がうるさいんだよ」
コースケはそう言って頭を掻く。機体を回収できればもっとラクに検証できるのに、と思っていた。
「射場への不法侵入には何にも言わないのに?」
レンは納得がいかないという様子で、前のめりになった。イライラをぶつけるように、さらに麺をすすった。
「大学としては、万一けが人が出るとまずいじゃん」
エリが淡々と言った。
「エリ、点火から爆発までをループにできる?あと、映像と各種データを同時に見せてほしい」
コースケの頼みを受けて、エリは手際よくPCを操作した。画面が分割され、設置したカメラ全ての映像と機体の圧力や姿勢、高度などのデータが一度に表示された。スクリーンには、ロケットの点火から爆発の瞬間までが何度も何度も繰り返し再生されている。
「やっぱり見た感じモーターは、問題なさそうだよな。データでは?」
映像を見てレンが言う。
エリはテレメトリーデータを拡大してスクリーンに映した。無機質なCUI画面には、燃料、モーター、スラスター、ナビゲーションなど、各セクションを表す文字列とその動作状況がずらりと並んでいる。ロケットモーターのステータスには、緑色の文字で異常なしと表示されていた。
「データでは……ロケットモーターは正常。完璧に作動してた。燃焼も安定してる」
「良かったぁ!」
エリの完璧という言葉を聞いて、レンは嬉しそうに喜んだ。軽く拳を握って、よし、とガッツポーズをする。
「となると問題は姿勢制御周りか」
コースケは顎に手を添えて、スクリーンを睨む。
「そうだよな〜」
レンは頭を抱えた。
「でも、どこが問題なんだろう」
コースケは失敗の原因が思い当たらなかった。
「スラスターの動作には特にエラーは出てない。圧力も正常。あとは機体姿勢のセンサー周りの不具合とか? エラーメッセージの出ないやつはホント頭くる」
「問題はハードかソフトか」
コースケは顔をしかめた。エラーがなければ、詳しく調査して1つ1つ問題を切り分けていく必要があり、途端に作業量は膨れ上がる。
「ソフトはGitHubだし、もう少しスマートなやり方があるのかもしれないけど」
エリは淡々と説明した。
「どこのやつ使ってんだっけ?」
レンがエリに尋ねる。
「北海道の会社のやつとか。まあ、こっちで色々アレンジはしてるけど」
「安い部品とソフトをいろいろかき集めてるから、全体のバランスがまだまだ不安定なのかもしれない」
コースケは言った。
「ソフトはオープンソース、ボディと部品は秋葉原だしな」
レンはそう言って笑う。
「各システムの連携を取るのが難しい。それがうまくいけば……なんだけど」
エリはラップトップの画面を見ながら、ため息交じりに話した。
話し合いが煮詰まってきた頃合いを見計らって、コースケは2人に言った。
「あとの細かいところは手分けして調べるしかなさそうだし、分担はいつも通りで」
「りょーかい、めんどいけどやるしかないな」
レンはそう言うと、深く息を吐いた。
「わかった」
エリも納得した表情でコクリと頷いた。
3人は、先ほどまでとは打って変わって、黙々と作業をはじめた。誰もが真剣にPCの画面とにらめっこをしている。会話は最低限の業務連絡だけとなり、キーボードを叩く音とカップラーメンをすする音が、夜通し格納庫の中に響いていた。
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