打ち上げ実験
「2047年8月18日午後4時13分、え〜、第5回目のテスト」
コースケは腕時計で時刻を確認しながら、三脚に固定したJVCのビデオカメラに向かって言った。録画ランプが点灯したカメラは、コースケの姿とその背後にある白い小型ロケットの機体を捉えている。
コースケは続けた。
「風速2m、天候も視程も良好」
空は夏らしく青々としていて、西に傾いた日差しが眩しかった。遠くには真っ白な積乱雲が垂直に沸き立っている。
「こっちも準備オッケー」
メカ担当のレンは、親指を立てた右手を挙げてコースケに合図した。そばかす混じりの顔は明るく、ほのかに赤みがかった髪が太陽の光で輝いていた。
「問題なし」
システム担当のエリは、凛とした表情でラップトップPCの画面を睨んだ。くしゃっと癖のついた、重く無造作なショートの髪が風で揺れている。
「じゃあ、行ってみますか。打ち上げ20秒前!」
コースケは、打ち上げ指揮所に戻ると、期待に胸を膨らませながら叫んだ。
「発射シークエンス開始」
エリはラップトップPCのエンターキーを叩く。
「駆動用電池起動確認っと」
レンが言った。
雑草が生い茂る広大なロケット発射場の一角で、今まさにロケットを宇宙へと打ち上げようとする3人の学生がいた。
ロケットを打ち上げるといっても、ハリウッド映画に出てくる大掛かりな管制室も、打ち上げを見守る大観衆も、そびえ立つ巨大な発射台のどれもそこには無かった。その代わりにあるのは、アウトドア用長テーブルの上に広げられた3台のラップトップPCと幾つものケーブルで繋がった中古品の機材からなる粗末な打ち上げ指揮所だった。PCや機材の電源は、隣に停めてある2トントラックの荷台に積まれたディーゼル発電機から供給され、大小様々なケーブルがトラックと打ち上げ指揮所と発射台を繋いでいた。発射台は、トラックでロケットを牽引するための台車を兼ねた作りをしていて、そこに取り付けられた全長6mほどの白い小型ロケットは、ジャッキアップされ天を仰いでいる。
「テレメトリも正常に受信してる、エラーメッセージなし」
エリはPCの画面を見て言った。
打ち上げ設備は驚くほどにチープであったが、全ての準備が順調に進められていた。
コースケは手元の携帯端末を睨んだ。その小さな画面にはカウントダウンのタイマーが表示されている。
「打ち上げ10秒前!」
そう言い終わるのと同時に、ロケットの後部に取り付けられた姿勢制御用スラスターが燃焼を始め、もくもくと黒煙が上がった。
「SMSJ点火確認」
レンはワクワクした表情を浮かべている。
コースケはタイマーを見ながら残り秒数を数え始めた。
「8」
「7」
「6」
「5」
「4」
「3」
「2」
「1」
「0」
「メインエンジン点火!」
眩い閃光とともに、空気を震わすゴーッ!という轟音と爆風が炸裂した。周囲の草がバサバサと大きく揺さぶられ始める。
「リフトオフ!」
オレンジ色の炎と白い噴煙が一気に吹き上がり、機体が浮き上がった。同時に、発射台から機体へと繋がる電源ケーブルや通信ケーブルが引きちぎられる。凄まじいエネルギーで地面を蹴ったロケットは、空へ向かって一直線に上昇を始めた。
「行け!」
コースケは携帯端末と一緒に拳を握りしめた。青い空を背景に、白い煙を棚引かせたロケットはどんどん高度を伸ばしていく。発射台の周りには、酸化剤が燃えた後の鼻につく匂いが立ち込めている。
「ん?」
コースケは機体の挙動に違和感を覚えた。双眼鏡を覗いてロケットの姿を追う。その進路が少しふらついたように見えた。ロケットは間もなく高度10kmに到達する。
次の瞬間、携帯端末から警告音が鳴り響いた。ロケットがコントロール不能に陥ったことを示す警告だった。
「機体が予定軌道を出そうだ!」
レンが叫ぶ。
コースケは後ずさりをしながら空を見上げた。肉眼と双眼鏡を行ったり来たりして機体を確認する。その間にも、ロケットの軌道はどんどんと傾いていく。
エリは機体から送信されてくるデータをラップトップPCで確認している。その顔は険しかった。ロケットはまだ上昇を続けていたが、警告音は鳴り続けている。
「……」
ロケットが軌道を外れ、その飛行に致命的な問題が発生した場合、即座に爆破する決まりになっている。コースケは静かに携帯端末を操作し、自爆装置の作動コマンドをロケットに送信した。
乾いた破裂音があたりに響く。
ロケットは空中で無残にも爆発した。花火のように四方八方へと破片を撒き散らし、空へとまっすぐに伸びていた白い軌跡は途中で途絶えた。バラバラになったロケットは力を失い、放物線を描きながら地面へと落ちていく。
3人はその光景を呆然と見上げていた。ロケットの破片が遠くの地面に雨のように叩きつけられた。
「まーた、失敗か……」
エリは三脚に取り付けられたビデオカメラの録画を止めた。
「マックスキューに耐えられない」
コースケは落胆した声で言った。技術力不足という現実が、全身にのしかかるのを感じた。ロケット開発はいつもこんな具合で、実験がうまくいくことはほとんどなかった。
「でも前回よりも、飛行時間は8秒も増えてる」
レンが励ますように言う。
「8秒も、だって?」
コースケは強い口調で言った。
驚いたエリは心配そうな顔でコースケを見る。コースケが誰かに突っかかるのは珍しいことだった。
エリの表情を見て、コースケは小さくなった。
「ごめん……」
なぜ失敗したのかという自問自答が、頭の中をぐるぐるしている。今回こそはうまくいくと思っていた。期待をしたぶんだけ、失望は大きかった。
コースケは、今ロケットを打ち上げたばかりの小さな発射台から、そのずっと奥にそびえ立つ巨大な発射台に目をやった。筑波宇宙センターの発射台だ。鉄骨で組み上げられたやぐらは、錆びや砂にまみれて赤茶色に見えた。
「ちょっと風に当たってくる」
そう言うとコースケは、とぼとぼと発射台の方向へと歩いていった。
「片付けを放り出すなんて」
エリはコースケの背中を見ながら呟いた。
「初めてじゃないか?」
レンが言う。エリとレンは目を皿にして、顔を見合わせた。
この発射場は筑波宇宙センターの一部だ。霞ヶ浦に面したその敷地は広大で、遮るものがほとんどない。爽やかな風が草木を揺らしながら吹き抜けていく。発射台の周りには、使われなくなった古いロケットブースターや燃料タンクが数多く捨てられていて、宇宙開発の墓場みたいな場所になっている。雨風に長い間晒されているせいで、ありとあらゆる金属の塊が赤茶色に錆びついていた。
都心から1時間。筑波宇宙センターから直通の道路を敷けば10分。北東へ20kmの位置には航空自衛隊百里基地。その上、人口密集地を避けて、太平洋へとロケットを飛ばせる霞ヶ浦西部は発射場の建設地に最適だった。そうした理由から、土浦市に隣接する霞ヶ浦の一部が埋め立てられ、筑波宇宙センター管轄の発射場として整備された。しかし、それも今や過去の話。
コースケは、放棄されているスペースシャトルの外部燃料タンクを目指した。鉄骨や廃材が積まれたガラクタの山を足がかりに、タンクの上まで登ってそこに腰掛ける。
ここからの眺めがコースケは好きだった。大きな発射台が正面に見え、吹き抜ける風が気持ちいい。なにか失敗したり嫌なことがあるとついここへ来て、気がすむまで発射台を眺めてしまう。
10年ほど前、国際宇宙機関ISAが行う宇宙開発は、全て凍結された。世界経済を不況の波が襲ってから、ロケットの打ち上げや宇宙機関に対する世論の反応は厳しさを増していった。経済の先行きに閉塞感が漂う中、多額の予算とその存在意義が問題視され、ISAは事実上の解散に追い込まれたのだった。その影響を受け、筑波宇宙センターは閉鎖になった。今では見る影も無いが、かつては数々のロケットが打ち上げられていた。ここから宇宙へ飛び立った宇宙飛行士もいる。
コースケは、小さい頃に見たスペースシャトルの打ち上げを思い返していた。記憶の中にある当時の風景を今の風景にぼんやりと重ねる。
幼い頃のコースケは、まっすぐ空へと突き抜けていくスペースシャトルを一目見て、漠然と宇宙に憧れを抱いた。宇宙が何かも、ロケットがどういうものかすらも分からなかったが、打ち上げの瞬間の言葉では表すことのできない高揚感の虜になった。それがISAが行う最後の打ち上げになったことを知ったのは、それから随分と後のことだった。
「やっぱりここか。ホント好きだな〜」
背後からレンの声がした。コースケは声のする方へ振り向く。燃料タンクの下にはレンとエリの姿が見えた。最低限の片付けを済ませ、コースケのことを追いかけてきたのだった。2人は、燃料タンクによじ登り、コースケの横に腰を下ろした。
「ここに来ると、ほっとする」
それが一種の現実逃避なのか、ノスタルジーに浸るためなのか、そのどちらでも無いのか。コースケは感じていた不思議な感覚をうまく言葉にできなかった。言葉にならない何かに引き寄せられて、ここへ来ているようにも思えた。
「なんとなくわかる気がする。なんかいいじゃんここって」
エリは柔らかく笑った。
「そりゃ宇宙に一番近い場所だから、だろ?」
レンがコースケを見て、得意げに言った。
「宇宙か……」
コースケはぼんやりと発射場の景色を眺めた。飛行機雲を棚引かせながら上昇していく宇宙機が、はるか遠くに見える。それとは対照的に、役目を終えた目の前の発射台は夕日に赤く照らされ、どこか寂しそうに見えた。
「もうすぐ日が落ちる。片付けを終わらせて帰ろう」
エリが言った。
3人は燃料タンクから降りると、来た道を戻るようにして、トラックと発射台がある方向へと歩いた。発射場の周辺はだんだんと暗くなり始めていた。
『トラフィック!トラフィック!』
静寂をつんざくようにして、3人の携帯端末から同時に合成音声と甲高い電子音のアラームが鳴った。設置したレーダーからの接近警報だ。
「レン、レーダー付けっぱなし」
コースケはレーダーの電源を切るようレンに言った。打ち上げの際は、安全のため航空機が周辺に近づくと警報が鳴るようにしてある。
レンは、警報を止めようと設置した小型レーダーへと全速力で走っていった。
「なんだこれ、マッハでこっちに来る! 高度は3万フィート、なんかとても小さい!」
レンがレーダー画面を見て大声で言った。
「飛行機じゃない!?」
コースケは理解が追いつかなかった。
「UFO!?」
エリが驚いた表情で言った。
「レン、方角は?」
コースケが訊いた。
レンはレーダー画面をもう一度確認した。
「北東から!」
コースケは咄嗟にその方向に顔を向ける。一瞬、遠くの空で尾を引いた光が見えた。
「あれ?急減速してる。ほぼ真上だ!」
レンが声を張り上げる。
コースケは空を見上げた。辺りが暗いせいなのか、物体が小さすぎるせいなのか、肉眼では何も見えない。
すぐさまコースケとエリはレンのところに駆け寄った。突然の一大イベントに目を輝かせた3人は、肩を寄せ合ってレーダーの画面を覗き込む。未確認飛行物体は、減速したことで水平方向に進むのをやめ、真っ逆さまに高度を落としている。
「近くに落ちる!」
コースケは言った。
「あれだ!」
レンが指を差す。赤く燃えるような夕焼けと青く薄暗い夜が混ざり合った黄昏時の空を背景に、ゆっくりと降下していく大きな黒い影が3人の目に飛び込んでくる。コースケはシルエットを一目見て、それがパラシュートだとわかった。
「行こう!」
コースケは反射的に叫んでいた。黒い影が地平線に埋まるのと同時に、3人はロケットを牽引してきた2トントラックに飛び乗り、その落下地点へと無我夢中で向かった。
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