百パーセント伝わってしまったら

 ある日の放課後。

 今日は、バイトが入っている日。ボクのバイト先は、カラオケ店だ。

 開店してまだ1年半しか経っていないとは思えないほど、少し薄汚れた二階建てのところである。

 店自体が大きくないから、担当や場所ごとに従業員を設けていなかった。そのため、みんなそれぞれ厨房へ入ったり、フロントに入ったり臨機応変に動いていた。最初は、覚えることが多く大変だったが、今になると、それが充実していた。


 突然だが、実はボクの好きな人はバイト先にいる。

安田慧桜やすだ あすか先輩”。

 ボクの三つ上で、二十歳。

 バイトリーダーとして、入ってまもないボクの指導をいつもしてくれている。

 更には、個人的な連絡をし合う仲でもある。

 今日は、慧桜さんとシフトが被っていて少し気分が高まっているのは言うまでもない。


「夏糸」

 厨房で、皿洗いをしていると、受付にいる慧桜さんがボクを呼んだ。

「今、忙しいか?」

「いえ、もうすぐ手があきます」

「そうか。手があいたら、ちょっと俺のところ来てくれるか」

「かしこまりました。すぐ終わらせます」

 呼び出しって、何かボクしたかな。

 少々、不安になりながら皿洗いを済ませ、慧桜さんのもとへと向かった。

「慧桜さん、一通りやるべきこと済みました」

「おお、随分と早かったな。お疲れさん」

「いえ、慧桜さんをお待たせしてしまうのが申し訳なくって」

「いや、そんな急ぎじゃないのに、急かしてしまってごめんな」

「いえ、全然大丈夫です·····それより、呼び出されたのってボク、何かしでかしました?」

「まさか。お前はよくやってくれてるよ。バイトリーダー同士で集まると、お前の話がよく出てくるし、店長も太鼓判だし。むしろ、提案したいことがあって呼び出したんだ」

 そう言うと慧桜さんは、引き出しからA4サイズの薄い冊子を取り出して

「昇格、しないか」

 と言ってその冊子を渡した。冊子を見ると、昇格に関するマニュアルのようだ。

「昇格、ですか。でも、どうしてボクに?他に向いてる人いるじゃないですか。ほら、酒井さんとか大野さんとか··········」

「確かに、酒井さんも大野さんも仕事が出来るし良いとは思う。だけど、前回のリーダーミーティングの時に誰かひとり昇格させないかって話しになった時に、お前を推薦する声が圧倒的に多かったんだ。もちろん、その声のひとりに俺も含まれてる。意味わかるか?」

「えっ、と··········」

 何となく、伝わっているような、伝わっていないような。でも、百パーセント伝わってしまったら、嬉しすぎてこの後の業務に支障が出てしまいそうだ。

「あーーー、だから!!俺や他のバイトリーダーお墨付きプラス期待されてるわけなんだから、昇格の話、引き受けないわけないよな?」

 と、頭を掻きむしりながらボクに言った。

「お話はとても嬉しいです。でも、まだボク入ったばっかりだし責任者とか今までやったこと少ないし、正直不安でしかないです」

「大丈夫。店長のご指名で、夏糸が昇格することになったら、昇格に関する指導も俺が担当になるらしいし。何かあったとしても俺がしっかりサポートするから、な?少し考えてみてくれよ」

 ボクの肩にポンと手を置くと、慧桜さんは業務に戻ってしまった。


 昇格、か。

 まさか、こんな早くに昇格の話が出るとは思っていなかったから未だに実感が湧かない。

 でも、ボクをよく見てくれている慧桜さんが推薦してくれていたなんて、それを知れただけでも今日は良い夢が見れそうだ。


 もし、この話を引き受けたら、もっと慧桜さんと関われる機会が増えるのだろうか。

 もっと、慧桜さんに近づけるだろうか。

 もし、そうなるのだとしたら、悪くない話だと思った。

 決意を固めつつ、ボクも業務へ戻った。

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