プロローグ2 そんな希望を砕きたい

 朗らかに挨拶してくる少女に対する私の第1印象は、“あ、こいつ苦手なタイプだ”というものだった。まず、いきなり人の下の名前を呼んでくる時点で気に入らない、呼び捨てならなおのことだ。


 さらに言えばそのなれなれしい態度だ、距離感が近い。私と対極のタイプの人間だ、少なく見積もっても苦手で、普通に考えれば嫌いだ。


 そんな私の様子など気にも留めていないといった様子で、琥珀と名乗った少女は続けて言った。


「なんやなんや、自分リアクションうっすいなぁ。今日からウチもここに住むことになったからよろしく頼むで!」


「え、今日から?住む?なんで……」


 私は理解が追い付かず、彼女が言った言葉をただただ反芻することしかできなかった。


「なんでってそりゃあ、翠と同じ病気にかかってしもうたからに決まっとるやん」


 琥珀は何でもないといった口調でそう言った。自分が致死率100%の病にかかっているというのに、だ。私みたいに生まれてすぐに発症したなら諦めもつくだろう。しかし、彼女の口ぶりでは、発症したのはつい最近のことだろう。それなのになぜこんなにも、底抜けに明るくふるまえるのだろうか。私が知らないだけで、外の世界の人はみんなこんな感じなのだろうか……。


「ありゃ、っていうかこの部屋なんもあらへんやん。ものが少ないんは覚悟しとったけど、テレビまでないなんてなぁ。翠は普段何して暇つぶしてるん」


「……えっと、読書とかして過ごしてます」


とっさの質問に口がうまく回らず、たどたどしく返してしまう。自分の不甲斐なさか、はたまた琥珀の無遠慮さへの苛立ちのせいか、顔が火照っているのが分かる。そんな私の心中を知ってか知らずか琥珀は


「いや、そんな敬語なんて使わんくてええよ、姉妹なんやし。まぁ、姉を敬ってくれるっていうんなら気分ええんやけどな」


けらけらと笑いながらそう言った。


「ええと、私には姉がいるなんて聞いたことないんですけど……」


「せやからから敬語は——、まぁ最初やし慣れるまではそれでもええか」

 

 琥珀は一人で納得したかのように、うんうんと頷くと、続けて言った。


「翠は、というかウチも覚えとらんかったんやけどな。ウチらのほんまのオトンとオカンが死んでも―た矢先に、翠の病気が発覚してすぐにこの施設に移されたらしいねん。んで、ウチは親せきの家に預けられてたんやけど、親せきの中の話し合いでウチに翠のこと伝えないって決まったらしくてな、ウチも2日前までは妹がいるなんて知らんかったんよ。……今までこんなところに1人にしてごめんな」


 琥珀の最後の言葉は先ほどまでの軽い口調とは違い、重く、本当に申し訳なさそうな口調だった。そして、私は先ほどまでの彼女の仕草よりも、その申し訳なさそうな態度が気に食わなかった。

 

 私にとってはこの施設での生活が、私の世界のすべてなのだ。その世界を否定する彼女の言葉がどうにも私には許せなかった。


「別に大丈夫ですよ。ここでは読みたい本もいつでも読めるし、特に不便もありませんから」


 私は姉を自称する少女を突き放すようにそう言った。


「他にはなんもないん?まじかぁ、ウチ本読まんしなぁ。せや!翠ウチの話し相手になって――、ってそないいやな顔せんでもええやろ」


 驚いた、私の表情を慮るほどの思慮はあるらしい。……うぅ、そんな捨てられた犬のような目をしないでほしい。もっとも、捨て犬どころか実際の犬すら見たことがないわけだが。


 私ははぁとため息をついた。


「それで、何の話をするんですか?」


「ええんか!んーとな、何の話をしようか……。せやっ、なんか外の世界のことで聞きたいこととかないんか?」


「ないです」


 私は即答した。別に絶対に見ることのできない世界の話なんか聞いてもしょうがないだろう。それにだ、私には理解できなかった。この琥珀という少女はどうして自分が二度と見ることが出来ない光景を思い出すようなことをわざわざしようとするのだろうか。


「外のこととか知りたくないん?本読むのが好きなら、知らないような世界のことを知りたいんかなって思ったんやけど」


「別に、自分が絶対に見ることが出来ない世界のことを知ってもしょうがないですから」


 琥珀はポツリと何かをつぶやいた。私はその言葉が聞き取れず、うん?と返した。


「そんなのわからんやん。もしかしたら治るかもしれへんやろ、これから治療法が見つかるかもしれへんやんか!」


 あぁ、と私は理解する。この少女は縋っているのだ、ありもしない希望に。だから、無理やり明るく振舞おうとする。前向きでいれば、いつも通りにしていれば、きっといつか外に出られるとでも思っているのだろうか。


 胸の奥がざわざわする、こんな気分は初めてだ。なぜだか分からないが、私は姉である少女のこのつたない希望を捻じ曲げて、へし折って、粉々に砕いてしまいたいと、そう思ってしまったのだ。


「分かりました、じゃあ話をしましょう。——そうですね、じゃあ『救命ボート』の話でもしましょう」


私は琥珀に出会って初めて笑いかけた。その時の私の表情はきっとひどく醜く、醜悪なものだっただろう。

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