第42話 春菜ちゃん親子の受難 その一

「おい! そこの三人! 早く逃げろ! 」


 突然、見知らぬ男……それも槍をもった兵士のような輩に、やや遠くから怒鳴られた春菜ちゃん親子である。


「え? ここ、どこ?」


「何やってる! 後ろを見ろ!」


 突然のことに全く頭が追い付いていない。


 言われたとおりに後ろを振り向くと、小さな鬼のような化け物が自分たちに向かって来ていた。

 その手には小ぶりの剣が握られており、どこをどう見ても自分たちに危害を及ぼす存在としか見えなかった。


 なのだが…… 突然の目の前の『危険』を回避できるような日本人は稀有であろう。


 それでも女よりも男の方が、そういう場合の切り替えは早かったようである。


「に、逃げるぞ!かなえ! はるな!」


 自分の娘を抱え、女房の手を取り、必死に先ほど声をかけてくれた男の元へと駆け出す。


「え、あ、あなた…… ま、待って!待ってよ~」


「あほか! 死にたいのか! 現実を見ろ! いつまでも呆けてるんじゃない!」


「え、だって、え、え!」


「パパ! 三匹いる!」


 子供の方が柔軟なのはどこでも同じ。


 抱えられながらも後方確認をし、敵が三匹いることで目の前の危険を報告する。


「早く!こっちだ!」


 先ほどの男…… 王都の警備を担当する警備兵なのだが、たまたま巡回中に三人の人影を見つけたというだけの話である。


 おそらく彼が偶然そばを通らなかったならば、三人の親子はなすすべもなく死んでいたはずである。


「いや~!! た、助けて~」


 逃げることを逡巡していたかなえと呼ばれた女……春菜ちゃんの母親なのだが、すぐに足をもつれさせてお決まりの『転倒』である。


 左足首を『ゴブリン』に捕まえられた彼女は、ほぼ発狂状態……いやパニックである。


「たあ~!」


 彼女の足首を捕まえていたゴブリンの手が、追いついた兵士の槍先にぶった切られる。


「ぎえ~!!」


 斬り落とされた手首から、緑色の血を噴出させながら転げまわるゴブリン。


 その後追いついた二匹のゴブリンも兵士によって瞬殺されていく……


「大丈夫か……おまえら……」


「あわわわわ!」


 おのれの足首をつかんだままの、ゴブリンの手首を離すに離せない女である。


「な、なんでわたしがこんな目に会ってるのよ~!」


 涙で化粧が酷い……


「た、助かった~」


「パパ…… ここどこ?」


 へたり込む三人に兵士が言葉をかける。


「お前たちなんでこんなとこに武器も持たずにいるんだ? バカか? どこから来た?」


 先ほどまで、とある店の裏口に忍び込んでいたはずの三人がそれに答えられるわけがない。

 むしろここがどこで、なんでこんなところにいるのかを聞きたいのは三人の方である。


「ここは……どこなんでしょうか?」


「あんた、なんでそんな槍みたいなもの持ってるの? 銃刀法違反よ!」


 助けられておいて銃刀法違反を訴える女も女である。

 まだ現実が見えていない。


「『じゅうとうほういはん』? なんだそれは。 それにここはパルティア王国王都南の草原。武器を持たない人族が入り込んでいい場所ではない」


 三人がふと気が付くと…… その助けてくれた男の耳が…… し、しっぽが……


「な、なによ! コスプレ大会でもやってるわけ? どこなのここは! どこかのイベントでもやってるの?」


「いべんと?こすぷれ? なんじゃそりゃ…… 言ってることがまるでわからん…… お前ら、詰所まで来てもらおうか」


「こ、この汚い手首をとりなさいよ! この役立たず!」


「あ、ああ、かなえ……すこし大人しくできないのか…… 助けていただいた相手に『役立たず』とはあまりにも失礼だろ……」


 兵士の、さすがにムッとした表情を気遣ってる旦那が哀れなものである。


「おじちゃん……助けてくれてありがとう」



 子供のお礼の言葉に、少しは和らぐ兵士の表情。


「こちらも色々と説明する必要もありそうですし、そちらも聴きたいこともあるでしょう。よろしくお願いします」


「な、何よ! どこへ連れていこうっての? あなた、警察なの?」



「黙れ! かなえ。 どう見ても彼は警察なんかじゃない。少し頭を巡らせばわかるだろう、そのくらい……」


「な、なんでわたしが……わたしがバカにされなくちゃならないのよ!」


 どこまでも現実を直視できない女である。


 父と娘、そして兵士の男に哀れみの目で見られる『日本人の女』であった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る