第19話 王都の大商人様の事情

 パルティア王国の王都の有数の大商人の一族であるモロトフ家……


 その一家の当主であるミハエル・モロトフは五十代半ばの元貴族である。


 猫族では珍しい貴族であった彼は、貴族であることを良しとせず、商人として生きていくために一平民として再出発したのが、数十年前……


 今では王都第一の商人として知らぬものがいないほどの財をなした人物である。


 だが、そんな彼にも悩みの種はあった。


 一人娘のミッキーの事である。


 盲目といってもいいくらいに視力の衰えを訴え始めた娘の今後と、『婿』取りの難しさが彼をいつも、ひどく落ち込んだ気分にさせるのだ。


 己はいい。だが、自分が死んだ後は…… 娘一人では……


 側近としての部下はもちろんいる。彼らのサポートがあればなんとかやっていけるかもしれない……それでもなお、自分が十分に安心してあの世に行けるだけの用意だけはしてやりたい、というのが親心でもあったのだ。


 それに、最近では自分の視力にも大きな変化があった。近くの文字などがとんと見えなくなってきたのだ。


 歳をとると、誰もが同じような状態になりやすいことはもちろん知ってはいたのだが、もう自分がそんな年齢に達したのかと愕然としてしまったのもまた事実。



 急がねば…… と、彼が一念発起した時の事である。



 ある晩、やけに遅く帰宅した娘を叱りつけようと彼女の部屋へと向かった時……


「お、お父様! これを! これを見てください!」


 娘は、久しく見ることのできなかった満面の笑顔を見せて彼の胸に抱き着いてきたのだ。


「ど、どうしたのだ、ミッキー! その黒い顔にあるものはなんだ?」


 何かのまじないか…… はたまた魔道具の類なのだろうか……

 娘の顔に張り付く得体のしれないもの……


「『めがね』というのだそうです! これのおかげでわたしはお父様の顔もお母さまの顔も……世の中とはこんなにも美しいものだったことを、ようやく思い出すことができました!」



 なんということだろう…… 娘の視力が、そのへんてこりんな黒いものをつけているだけで回復するというのか……



「お父様の……お父様の目もこれで治るそうです! これとは違う種類の『めがね』があれば、普通に見えるようになるっておっしゃってました」


「ん? 誰なのだ? おっしゃってたとな?」


「はい! たまたま見つけたお店の店主さんが…… ユキさんという方です」



 ムム……! それは男なのか、女なのか…… 名前だけならば女性のようだが……


「だ、男性……です……」


「ちょっと詳しく話を聞こうか、ミッキー……わたしの部屋に今すぐ来なさい! 話の内容によっては今後一切外出は禁止します」


(あっ…… し、しまった……)


 喜びもつかの間…… その後明け方まで書斎で『お話合い』をすることになる、大商人父子なのであった。




 娘から詳しい話を聞いたモロトフ家当主の決断は早かった。


 極秘にその『店』の調査をその筋の組織に依頼し、件の男の身辺の洗い出しを開始した。


 その上で今回の件が、モロトフ家にとって大きな利益を生む可能性をはらんでいることも見据えて、今後その店への出入りを護衛付で出かけることを娘に許可したのである。


 もちろん店の中へ護衛が入ることはない。

 話の内容を聞いた限りでは、他にも常連客がいるらしいし、店主が娘に危害を与える様子もない。いざとなれば即時店へ突入できる用意だけをしておけばいい。


 そして折をみて自分がその店主と交渉する場を設ければよいと結論づけた。



 後日、この一連の判断がモロトフ家をさらに大きくすることになるのだが……



 今回の『めがね』だけではなく、さらに大きな『爆弾』がこの世界に投げ込まれることになるのだった。



 それも一発や二発だけでなく……




「娘のおかげで、わたしも人生ぎりぎりで面白いことに出会えたようです。まだまだ死ねません。くくくっ」



 ひとり己の書斎でほくそ笑むモロトフ家当主であった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る