第2話 一日一時間だけの異世界営業の始まりです
「助けていただきありがとうございます」
ぺこりと頭を下げる、エルフのその女性の名前は『コッコ』というのだそうだ。
「ぼくはユキ。よろしくね」
「ユキさん、ここはお店なのですか?」
相変わらず部屋の中をきょろきょろしているコッコさんの表情は、吸い込まれそうなほど美しい。
「え、うん……一応販売もやってる。時計の修理職人が本業だけどね」
「トケイ? シュウリショクニン?」
「時計というのは、ここにある壁掛けのものや置時計、腕時計とか……」
「トケイというのは何でしょうか?」
「へ?」
いや 目の前のエルフという存在自体が妙な話だが、そもそも彼女はどこから来たのか……単純な疑問にはたと気が付く。
「時計を知らないって……」
「いえ、こんなものは初めて見ました。一体どういう用途に使われるものなのでしょうか……」
おれの頭がおかしいのだろうか…… 少なくとも成人か、もしくはそれに近い年齢の女性が『時計』を知らないというのはおかしすぎるだろう。
「コッコさん…… つかぬことを聞きますが…… お国の名前をうかがっても?」
「ええ、パルティア王国ですが……それが何か……」
何言ってんの? ってな目を向けるコッコさん……
いや、待てよ? これはテンプレの『異世界転移』かもしれんぞ?
「ちなみに今は西暦何年?」
「セイレキ……って知りませんけど、今はパルティア歴八百五十一年です」
あなた、頭は大丈夫?ってことですよね……わかります、ええ、わかりますとも……
さらに詳しく話を聞くと、コッコさんは深夜仕事帰りの途中、一気に降り積もった雪のために身体が冷え動けなくなったらしい。
今にも倒れそうになっているところに、この店の薄明りを見つけて最後の力を振り絞って玄関を叩いたとのこと。
「なにはともあれ助かりました。身体も温まりましたし、家もそれほど遠くはないので帰ります。また後日改めてお礼に伺います。ユキさん、ありがとうございました」
「いえ、お礼など特にいりませんよ。いつでもまた暇なときにでも遊びに来てください」
「え? いいんですか? また先ほどの……食べ物を……」
どんだけお茶漬け気に入ったんだか…… あんなもんでよければいつでもオッケーだわ。
それにしても、異世界転移したかもしれないのはいったいどっちなのだろうか……
おれなのか、コッコさんなのか……
「それじゃあ、帰りますね」
玄関先までコッコさんを見送りながら、おれは店先の外の風景を確認せずにはいられない。
「お気をつけ……て……ん?」
深夜とはいえ店先のほんの側の風景くらいは、店の灯りでぼんやりと見える。
コッコさんが去っていく周りの風景、建物は、おれが記憶しているものとは全くの別物……
「こ、これは……異世界転移したのはおれの方なのか?」
何気に自分の腕時計をみると、時刻はちょうど深夜一時。
「な、何!」
見たことのない街並みが、徐々に姿を消し、そして新たに現れたのはいつもの見慣れた商店街だった。
「ど、どういうこと?」
もちろん深夜の人通りなどない。深夜遅くまで営業するどころか夕方六時には自動販売機の電気すら消えてしまうような寂れた商店街の風景がそこにはあった。
「幻だったんだろうか…… コッコさん…… もう会えないのかいな……」
がっくりと店の奥へと引き返すおれは、コッコさんの座っていたソファに彼女のものであろうブローチをほどなく発見する。
そしてそのブローチの素材が、現地球上では存在しないであろう『ミスリル』製であることを知るのはもう少し先の話である。
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