第50話 自分のはじめ
────ここはオソレヤマ。
世間で死んだこどものこころが最期にたどり着く場所。
……ひとつ積んでは かあさんに
わたしは どこからきたのです
ふたつ積んでは とうさんに
いずこへ わたしはいくのです……
「おかあさん……おとうさん……」
今、らんは、自分がはじめは生まれたのだということを、思い出した。
自分が誰なのかを、ついに思い出した。
どこから来て、どこへ行くのかを。
もう記憶界が消滅することはない。
なぜなら、らんの記憶の宇宙に、らんがらんであることの証である太陽が戻ってきたのだから。
「らーん!」
すり鉢の斜面を駆け下りてくる小さな姿。
ハナが叫んだ。
「徳さんだ!」
らんが立ち上がった。
ふたりは、お互いに向かって懸命に走った。
徳さんは、東京のおとうさんの家を出てきた。
つい一時間前、村に着き、らんに一分一秒でも早く逢いたくて、旅館へと続く坂道を一所懸命に走りのぼっていた。
火事で坂道はごった返していた。
走りながら坂道の上を見上げると、門の前に見覚えのある、なつかしい女の人が立っていた。
らんのおかあさんだ。
竹ぼうきを持って、誰かをじっと待っていた。
おかあさんは、徳さんの姿を見つけると、思いきり手を振って、こっちへ来てはだめ、脇道から森へ向かいなさい、と大きな仕草で伝えた。
「そういうわけで僕は、オソレヤマに向かったんだ。この、らんの場所へ」
……あの日、あの寂しい日々、らんのおかあさんが竹ぼうきを手に待ち続けていたのは、いつか必ずこの坂道をやってくるであろう、娘の恋人の姿だったのだ。
らんが、ふと気配を感じてイオウの丘を振り返ると、娘の幸せを見届けたおかあさんが立っていた。
隣には、少年のままのおとうさんの姿も。
「よかったわね、らん。しあわせな人生だったわね」
幸せな人生……だった……。
あっという間だった。
本当に、あっという間。
流れ星が夜空をよぎる数秒の間に七十年が過ぎてしまった。
らんは、自分がこれから向かっていく七十年分の人生を思って、激しく、泣いた。
「おかあさん、あたし、こわい」
「だいじょうぶよ、らん」
そう言っておかあさんは、永遠の星の彼方に消えていきながら、胸の前で指を一本立てたのだ。
朝の青い光がランの花の上に舞い降りる頃、とうとうそれまでささえていたオレ様の前脚が崩れ折れ、あごを突き出してつんのめるように倒れた。
「中村玄!」
らんは、オレ様の巨体を撫でさすり、いのちをなんとか復活させようとしている。
オレ様はらんの耳元で鼻を鳴らした。
らんと徳さんが、八十五才までの人生の歩みの中で、つらいときや苦しいとき、こころに思い出してがんばることのできた、白黒中村玄の言葉がこれから贈られる。
それはこんな言葉だ。
「また会える。七十年後に会える。必ず、助けにくるよ……助けに……必ず……」
「中村玄、待ってるからね。七十年後、必ず会おうね」
らんがそう言った瞬間、オレ様はこらえていたものがあふれ出した。
黒く縁取られた中にある実はちっちゃな目から、涙がハラハラとこぼれ落ちた。
くそっ。
こんな肝心な時に泣くなんて、オレ様らしくないぜ。
オレ様は、オレ様は……
誇り高き、記憶パンダなのに。
泣くなんて……
泣くよりも、もっと、やるべきことがあるだろ。
オレ様よ、あるだろ。
やるべきことが。
すると、山のはるか彼方から、何億光年も先の宇宙から、その音は近づいてきた。
「ハナ、後はよろしく」
「え、何よ、よろしくって!?」
「うん。だいじょうぶだから」
「だから、何がだいじょうぶなのよ!?」
ハナが泣いている。
「あなた、死にそうなのよ」
だから言ってやった。
「それでもオレ様は、シッポを振るんだ。だって、記憶パンダなんだから」
ハナは、ポロポロ涙を流して、口をパクパクしていて、何を言っているのか聞こえなかった。
オレ様は記憶パンダ中村玄。
どんな時でも、
命が残り少なくたって、
どんな時でも、
何があっても、
オレ様は、
シッポを振るのだ。
だって、
だって、
オレ様は、
誇り高き、
記憶パンダ、
なのだから。
次の瞬間にはものすごい勢いで耳元に迫り来ていた。
その音、ターミナル駅の雑踏、そして電車の音が──
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